がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

仏教会が脱原発宣言=避難民と菩提寺の連絡中継も

2011年12月07日 | Weblog
http://www.jiji.co.jp/jc/eqa?g=eqa&k=2011120100909



「全国の寺院などで組織する全日本仏教会は1日、東京電力福島第1原発の事故に関し、「いのちを脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電によらない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指す」との宣言文を発表した。
 宣言文は「私たちの利便性追求の陰には、原発立地の人々がいのちの不安に脅かされ、さらに処理不可能な放射性廃棄物を生み出しているという現実がある。このような事態を招いたことを深く反省しなければならない」としている。
 また同会は、事故で避難し菩提(ぼだい)寺と連絡が取れない住民のため、12~16日、両者を取り次ぐ特設ダイヤルを設ける。ファクスで照会を受け、寺に転送する。電話は03(5405)7676。ファクスは下4桁が7677。(2011/12/01-19:04)」


震災がれき受け入れ撤回…市に「脅迫伴う反対」

2011年12月07日 | Weblog
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20111201-OYT1T00844.htm



「東日本大震災で発生したがれきの処理の受け入れについて、佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長は1日、市議会で、同市を含む3市4町で運営する「杵藤(きとう)地区広域市町村圏組合」の首長会議への提案をいったん見送る考えを明らかにした。

 市長は「市役所に脅迫を伴う反対の意見が寄せられた。万が一のことがあっては取り返しがつかないので、提案を見合わせることにした。受け入れの信念は変わらない」と述べた。

 議会後、市長は「自治体が受け入れる環境を国が整備した時、(組合に)提案したい」と語った。

 組合の管理者を務める樋渡市長は6日に首長会議を開き、がれきを海上輸送して組合運営の武雄市内のごみ処理施設で処理する構想について、理解を求める意向を示していた。

 市によると、市長の受け入れ方針が報道された後、11月29、30日の2日間で市役所に約600件の電話やメールが寄せられ、このうち9割以上が反対意見だった。市長個人に対しても、メールや電話が約400件あったという。(2011年12月1日15時55分 読売新聞)」



残念な対応。脅迫に屈する信念なんて・・・。



脅迫犯なんて、警察に通報して逮捕してもらえばいいんじゃないの。




被災地がれき受け入れに抗議・脅迫1000件 佐賀県武雄市長「涙の決断」で見送る



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111201-00000001-jct-soci



「東日本大震災の被災地で発生したがれきを受け入れる方針を表明した佐賀県武雄市に、非難の声が殺到している。市では、政府の放射線量基準よりも大幅に厳しい基準を独自に設定する考えだが、それでも批判の声が相次ぎ、中には「イベントを妨害する」といった脅迫もあった。その結果、市民の安全などを考慮し、当面は受け入れを見送ることになった。

 武雄市の樋渡啓祐市長は10回以上被災地を訪れており、2011年11月28日、復興支援の一環として、がれきを受け入れる方針を明らかにしていた。具体的には、市内にある清掃工場「杵藤(きとう)クリーンセンター」での受け入れを計画。ただし、この清掃工場は武雄市を含む3市4町でつくる「広域市町村圏組合」が運営しているため、12月6日に開かれる関係首長の会議で受け入れを提案することにしていた。受け入れが実現した場合、九州では初めてのケース。

■独自基準設定でも「全然意見が噛み合わない」

 樋渡市長は、ブログで

  「国の定める基準は、基準自体を信じていませんので、国の基準より圧倒的に厳しい基準を作ります」

とつづるなど、独自の基準を設けて、放射性物質が検出されないがれきのみを受け入れる方針を強調していたが、それでも市役所などに苦情が殺到。11月30日夜には、ブログで

  「それでも、瓦礫(放射線まみれ)を受け入れてはいけないと、全然意見が噛み合ない」

と嘆いていた。

 翌12月1日の市議会本会議では、樋渡市長は、11月16日付けの河北新報(仙台市)の社説を引用。

  「福島県内のがれきは県内で処理される。一方、宮城、岩手両県のがれきは放射性物質の影響は小さく、あきらかに『風評被害』と言える。被災地の痛みを分かち合ってもらえないものか」

と、目に涙を浮かべながら読み上げた。一方、これまでに1000件以上の意見や苦情が寄せられたことも明かした、その大半が佐賀県外からの批判だったという。中には、

  「もし、お前たちががれきを引き受けるならば、その苦しみを、お前たち職員に与えてやる」
  「武雄市が、市民が等しく楽しみにしている色々なイベントを、ことごとく妨害する」

と脅迫もあったという。すでに一部では、九州、佐賀県、武雄市のものを買わないように不買運動を呼びかけている人もいるという。

■事件あれば「復興に向けて頑張っている人を傷つける」

 樋渡市長は、

  「特に市民、職員に危害を及ぼすような予告があったことは看過し得るものではない」

としながらも、

  「こういった予期せぬ事件が仮にあったとすれば、そういった被害を受ける市民の皆さん、ご家族、地域のみなさん、東北の復興に向けて頑張っている人を傷つけることになるという思いに達した」

として、12月6日の会議では提案を見送ることを表明。その上で、

  「オールジャパンで、がれきの処理に対して東北を応援しようという機運に、日本人であればなってくると思う。条件が整った時に、市民、議会とよく相談した上で、提案していきたい」

と、環境が整うのを待ちたい考えだ。」


「ファン愚弄する渡辺氏、容認できぬ」 清武氏反論会見の要旨

2011年12月07日 | Weblog
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111125/bbl11112519120015-n1.htm



「■(今回の解任は)巨人軍の適正手続に従って決まっていたコーチ人事を、巨人軍の取締役会長である渡辺恒雄氏の鶴の一声で、違法、不当に覆そうとしたことに端を発する。コンプライアンス・内部統制は株式会社にとって本質的に重要なものであり、裁判例もコンプライアンス・内部統制の維持は、取締役の善管注意義務および忠実義務の内容をなすものと判示している。

 巨人軍に即していえば、株主である読売新聞グループ本社のものであると同時に、選手、コーチ、監督のものであり、巨人軍およびプロ野球ファンの皆様のもの。株主や従業員、取引先などのステークホルダーの信頼と期待を裏切らないために、代表取締役をはじめとする全ての役員および従業員一人ひとりが、コンプライアンス・内部統制維持のために必要な行動をとることが要請されている。

 ■最高実力者である渡辺氏が、多くのマスコミの前で確信犯的に虚偽の事実を述べたのは、驚くべき事実。11月4日、多くのマスコミの前で「俺は何にも報告聞いていない。俺に報告なしに、勝手にコーチの人事をいじくるというのは、そんなことありえんのかねなど」と発言した。真実は、私と桃井元オーナーが10月20日、コーチ人事等について、書類をもとに1時間半にわたって報告していた。この点は、渡辺氏自身が私の声明に対する反論の中で認めている。今回の渡辺氏のコンプライアンス違反は、11月4日の虚偽発言から始まっている。

■適正手続を無視した今回の渡辺氏の行為は、江川卓氏やファンを愚弄するものである。10月20日、桃井元オーナーとともに、岡崎郁氏をヘッドコーチにする等のコーチ人事編成、来季の戦力構想を渡辺氏に書類持参で報告し、確定したにもかかわらず、11月9日になって、渡辺氏は桃井元オーナーや私に「来季の巨人軍の1軍ヘッドコーチは江川氏とし、岡崎ヘッドコーチは降格させる」と一方的に通告した。11月9日や11日に渡辺氏とお会いしたり、電話で説得を受けたりした際にも、「巨人は弱いだけでなく、スターがいない。江川なら集客できる。彼は悪名高いが、悪名は無名に勝る。彼をヘッドコーチにすれば、次は江川が監督だと江川もファンも期待するだろう。しかし、監督にはしないんだ」などと、この独断人事の狙いを打ち明けた。

 渡辺氏の行為は企業統治の原則に反し、コンプライアンス違反に当たるだけでなく、巨人のエースだった江川氏を集客の道具にしか見ておらず、彼のユニホーム姿を期待するファンを愚弄するものと思わざるを得ない。かつて「たかが選手」という渡辺氏の発言があったが、「たかが江川」「たかがファン」という底意に基づいた人事を、取締役として到底容認することはできなかった。

■渡辺氏は巨人軍の原辰徳監督らを今回のコンプライアンス違反の問題に巻き込んだ。渡辺氏は、江川氏を招聘するにあたって原監督に交渉させ、報告を受けることにしていた、と私や桃井元オーナーに明らかにした。実際に、交渉が行われたかは不明だが、巨人の象徴的存在である監督を権限外の問題に巻き込むことは許されない。

 ■球団代表は、英訳すればGMに相当する役職。GMは、米大リーグにおけるのと同様に、選手、コーチ、監督の人事権を掌握する役職を意味しており、ドラフトやFA交渉、主要トレード等球団の戦力整備が主な権限。この点は巨人軍でも「巨人軍職制」「巨人軍組織規定」が球団代表(=GM)や編成本部長の権限等を規定している。逆に親会社である読売新聞グループ本社代表取締役会長らには、これらの権限が一切ない。

 巨人軍のコーチ人事に関する適正手続の中身は、球団代表(GM)兼編成本部長である私が監督やオーナーとも協議して人選、契約交渉を行ってコーチ人事を決定し、オーナーと渡辺氏に報告した上で確定人事とし、私が調印を行う。確定した人事は、巨人軍の親会社である読売新聞グループ本社の代表取締役会長・主筆であり、巨人軍の取締役会長である渡辺氏といえども、覆すことは決して許されない。

■私が巨人軍に入社した2004年は、球界にとっての一つの大きな転機となった年。「裏金事件」が発覚し、その責任を取る形で、渡辺氏はオーナーから退き、当時の球団社長、球団代表らが解任された。私はあとを継いで球団代表兼編成本部長に就任。託された使命は、大きく失墜した巨人軍の信頼回復と球団経営改革であり、コンプライアンスの徹底だった。常々、渡辺氏や桃井元オーナーから、裏金や情実による選手獲得人事を廃し、不祥事の再発防止、コンプライアンスの徹底に努めてほしいと要請された。そして、2011年6月7日、専務取締役球団代表兼GM・編成本部長・オーナー代行に就任し、名実ともにGMに就き、より一層の球団経営改革とコンプライアンスの徹底を要請される立場になった。

 巨人軍の創設者、正力松太郎氏が残したいわゆる「正力三訓」は、「巨人軍は紳士たれ」「巨人軍は常に強くあれ」「巨人軍はアメリカ野球に追いつけ、そして追い越せ」というもの。「正力三訓」を実践するために、球団経営改革やコンプライアンスの徹底を進めてきた。そして、球団経営の合理化及び近代化改革を推し進めるべく、来季に向けた人事を正規の手続を踏んで進めていた矢先に、旧来の商店経営の典型である、鶴の一声で渡辺氏はこれを覆そうとした。

 私に対する解任は、コンプライアンス違反を隠蔽するための、そして、報復措置としてのもので、違法・不当なもの。そう遠くない時期に必要な訴訟を提起する予定だ。」



コンプライアンス違反なのかな?とも思うし、訴訟になったら清武氏が敗訴する気がするけど、法的評価は別にして、感情的には清武氏に強く共感。



以下は特に共感する部分。



「 巨人軍に即していえば、株主である読売新聞グループ本社のものであると同時に、選手、コーチ、監督のものであり、巨人軍およびプロ野球ファンの皆様のもの」



「今回の渡辺氏の行為は、・・・ファンを愚弄するもの」



「かつて「たかが選手」という渡辺氏の発言があったが、「たかが江川」「たかがファン」という底意に基づいた人事」



読売の他の取締役は、ナベツネ排除のために立ち上がらないかな。立ち上がらないか。


清武英利球団代表が渡辺恒雄球団会長に文書で再反論

2011年12月07日 | Weblog
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111113/bbl11111300170001-n1.htm



「巨人の清武英利球団代表は12日、渡辺恒雄球団会長が「名誉毀損多々ある」などと反論したことに、文書で再反論した。全文は次の通り。



 本日、渡辺会長の談話が発表され、報道各社からコメントを求められていますので、最小限のことのみ申し上げます。

 この談話の中で、最も重要なのは、渡辺会長がさる10月20日に桃井恒和オーナーと私がコーチ人事等について報告を受けていたことをお認めになったことです。渡辺会長は11月4日、多数の記者を前に「俺は何にも報告を聞いていない。俺に報告なしにかってにコーチの人事をいじくるというのは、そんなことはありうるものかね」と明言されました。

 このことは、テレビなどで何度も放映され、今や周知の事実です。もし、そうだとすると、渡辺会長は、桃井オーナーと私がペーパーに基づき、長時間報告したことをすっかり忘れておられたか、国民への窓口である記者に対し虚偽の事実を述べたことになります。

 今回の談話で、報告を受けたことをお認めになっているのですから、お忘れになっているのではなく、虚偽の事実を述べたことは明白となりました。いやしくも我が国のリーディングペーパーのトップがマスコミに対し、意図的に虚偽の事実を述べたことは大変、遺憾なことではないでしょうか。

 私は、原監督が自らも了承し、契約書を取り交わすばかりになっていたコーチ人事について、GMやオーナーになんの相談もせず、密かに会長に直訴したなどということは信じることはできません。このような形で、原監督を巻き込んでしまうことについては大きな疑問を感じざるを得ません。(原文のまま)」



「俺は何にも報告を聞いていない。俺に報告なしにかってにコーチの人事をいじくるというのは、そんなことはありうるものかね」



言ってた言ってた。



想像するに、江川をヘッドコーチなり助監督なりに据えたくなったナベツネが、記者団の前で一芝居打って、コーチ人事をひっくり返そうとした。しかし、よもやの清武代表からの反撃に遭って、CSでの惨敗などという小理屈を取って付けて自らの正当性をアピールしようとしている。



安い芝居を見せられて、うんざり。もう引退して欲しい。



読売の人間、とりわけ取締役は何してるのかね。こんな老害ひとつ排除できないのかね。


「清武氏より理路整然」「独裁者らしく堂々と」 識者ら渡辺氏の談話にコメント

2011年12月07日 | Weblog
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111113/bbl11111300080000-n1.htm



「危機管理コンサルタント、田中辰巳さんの話 「渡辺会長の談話内容が事実とすれば、清武代表の主張より正しく理路整然としている。清武代表はコンプライアンスという言葉を誤って使っていた。順法の観点で見れば、清武代表こそ内部統制に反している。渡辺会長は時代錯誤なワンマンオーナーだが、清武代表は辞表を持って刺し違える覚悟がないなら、内部で粘り強く議論するべきだった」



渡辺会長の反論談話全文はこちら



 スポーツライター、永谷脩さんの話 「こういう反論は目に見えていた。江川卓さんの『空白の一日』の時と同様、今回もすぐに『名誉毀損』や『会社法違反』など法律論を持ち出す。独裁者なら独裁者らしく堂々としているべきだ。野球ファンは野球界にもっと純粋なものを求めている。それがサラリーマンの世界と同じだと思うとがっかりしてしまう。言い争いは社内にとどめてほしい」



江川事件や裏金… 過去にも球界を揺るがす騒動



 砂川浩慶・立教大准教授(メディア論)の話 「渡辺会長の談話は球団組織の在り方や球界全体、ファンの存在を考えた内容でもなく、これではまるで子供のけんかみたいだ。かつて監督交代劇を『読売グループ内の人事異動』と言い放ったときと同じようにグループは自分の一存で何でもできると強く印象付け、清武代表が問題提起した『球団の私物化』を裏付けている」

渡辺恒雄球団会長の反論談話全文

2011年12月07日 | Weblog
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111112/bbl11111220060027-n1.htm



「去る11月11日の清武巨人軍専務の声明及び記者会見は、事実誤認、表現の不当、許されざる越権行為及び私に対する名誉毀損(きそん)が多々あるので、私の立場から正確な事実を説明します。

 私が大王製紙やオリンパスの経営者と並ぶコンプライアンス違反をしているという表現がありますが、両社のケースは巨額の金銭の私物化や経理の不正操作に関する刑事犯罪的事案であって、巨人軍の人事問題とは次元の異なるものです。これを同列に扱うのは、読売新聞社、巨人軍、私個人に対する著しい名誉毀損であって、清武君に謝罪を求めます。

 私の一存で桃井社長からオーナーを突然剥奪したというのも、著しい誤伝です。本来、プロ野球球団のオーナーは、親会社の長がつくものですが、私は「一場事件」で当時の代表らが学生選手に小遣銭を与えたという事実を知り、彼らを解任した際、読売新聞東京本社社長だった滝鼻卓雄君をオーナーとし、今年6月、滝鼻君が「巨人軍最高顧問」に就任した際、緊急措置として桃井君をオーナーに任命しました。

 その後、シーズンが終了したので、読売新聞グループ本社代表取締役社長の白石興二郎君や読売新聞幹部及び桃井君本人とも相談の上、白石君をオーナーとすることを内定しました。しかし桃井君のこれまでの功績と権威を損なわないよう、巨人軍の代表取締役は桃井社長一人とする方針です。白石君は、巨人軍では私と同様平取締役です。この人事は85才となる私が巨人軍の経営から、将来的に身を引き、20才若く、桃井君の先輩である白石君に読売本社と球団とのパイプ役を委ねる意図であって、桃井君の「降格」では全くありません。桃井君は私のもっとも信頼する人物であり、この人事が「多くのファンを集める伝統球団の名誉をおとしめるだけでなく、会社の内部統制、コンプライアンスに大きく反する行為である」との“清武声明”はまことに非常識で悪質なデマゴギーであります。この人事はまだ発令していませんが、桃井君の事前了解を得ております。

 また、清武君からクライマックスシリーズ(CS)開始前の10月20日にコーチ人事を示されたのは事実ですが、CSで惨敗した以上、多少の変更が必要になったのは当然のことです。

 清武君については、読売社内や巨人関係者から厳しい批判が私に届けられていました。たとえば、「マスコミ関係者の間では、GM就任後、さらに尊大になったと悪評が立っている」「決断力がない。トレードがなかなか成立しない。“エビで鯛を釣る”ことばかり要求するため破談になった話も少なくない」等々。責任あるポストにいる人からのこういう報告を聞いて、GMは適任でなかったと思いました。

 事実、今年の「清武補強」のほとんどは失敗しました。原監督も、清武GMから事前連絡なしに勝手な補強をされたことに不満だったようです。そもそも、「GMをおいたほうが良い」と私に提案したのは原君でした。「誰か適任者がいないか」との私の問いに対し、原君は何人か人物をあげましたが、「オビ・タスキ」で、最後に「清武さんでもいいですよ」と言ったので、清武君をGMにしたというのが実情です。

 私も、「育成選手」制を作ったことなど、清武君の功績は認めていますが、「巨人の場合は外国人穫りでほとんど失敗し、選手も穫りすぎている。米国の方程式でいえばGMはクビ」という広岡達朗さんの言葉(12日付サンケイスポーツ)はもっともだと思います。

 江川君の起用構想は、最近原君と会談しているとき、原君から提案されました。私は江川君を昔からよく知っており、現役時代の実績、引退後のわかり易く鋭いテレビ解説などを高く評価していたので、名案だと思いました。しかし、岡崎ヘッドコーチとの関係もあるので、「助監督」として原監督のご意見番役になってくれればとも考えました。しかし、それは私の思いつきで、社内的に正式手続きをとっていないし、第一江川君が受けてくれるのかどうかもわからず、今日まで江川君と何の接触もしていませんでした。これは構想段階ゆえの企業機密であるにもかかわらず、球団専務の清武君が代表取締役社長たる桃井君にも無断で電撃記者会見を開き、公表してしまったため、“江川助監督”を直ちに実現することは困難になってしまいました。

 今回の清武君の行動は、会社法355条の「取締役の忠実義務」違反に該当すると思います。しかし、記者会見の直前、彼から電話でGMの仕事はさしあたり続けさせてほしいとの要望があったので、これは了解しました。今後の対応は、本人の反省次第であり、現時点ではただちに処分を求めるつもりはありません。」



ナベツネも5段落目まででやめておけばいいのに、品性下劣だからその先まで続けちゃうんだよな。そういう所が身内から刺される理由だっていうのがわからないんだよな。



「CSで惨敗した以上、多少の変更が必要になったのは当然のこと」なんて取って付けたような小理屈付けてるけど、シーズン3位の読売がシーズン2位のヤクルトに負けただけのこと。ごくごく順当な結果。



「清武君については、読売社内や巨人関係者から厳しい批判が私に届けられていました」なんて、子供の喧嘩みたいに言い返すから泥試合になるのに。



「「オビ・タスキ」で、最後に「清武さんでもいいですよ」と言ったので、清武君をGMにしたというのが実情です」なんて公言するのがトップなんだから、読売の程度が知れるよな。



「巨人の場合は外国人穫りでほとんど失敗し、選手も穫りすぎている。米国の方程式でいえばGMはクビ」って広岡の言葉を借りて言っているけど、米国のGM制度と日本のGM制度は同じなのかね。前提が違うよね。



個人的には、ナベツネが差配しての江川助監督なんて醜悪そのもので、それを見なくて済むようになっただけでも清武氏に感謝だね。



とにもかくにもナベツネには野球に関わらないで欲しい。ただそれだけ。




http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111111/bbl11111122360031-n1.htm



正当なことを言っただけ。拍手を送りたい」スポーツライターの玉木正之氏



「清武英利球団代表が記者会見で述べた内容が事実であれば、清武氏が全面的に正しい。(球団会長の)渡辺恒雄氏という「独裁者」に対して正当なことを言っただけ。こうした動きが出てきたことに拍手を送りたい。

 清武氏は、選手育成やチーム運営に力を注いできた人。会見中に涙を流すなど、相当勇気が必要だったのだろう。

 江川卓氏をヘッドコーチに就任させようとしたことは、原辰徳監督やチームの意向は考えておらず、渡辺氏の単なる思い付きだ。そんなことではチームはうまくいかない。この際、渡辺氏は野球から身を引くべきだ。

 野球に全く愛情がない人が巨人を牛耳ってきたのが不幸の元。そのせいで日本の野球界がどれだけ混乱してきたか。渡辺氏は球団の親会社であるメディアがもうかることしか考えていないように見える。」


渡辺氏批判、基本的人権ないがしろにした

2011年12月07日 | Weblog
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111111/crm11111114480028-n1.htm



「私は一昨日、11月9日、読売新聞社の主筆であり、読売巨人軍の取締役会長である渡邉恒雄氏から、「巨人軍の一軍ヘッドコーチは江川卓氏とし、岡崎郁ヘッドコーチは降格させる。江川氏との交渉も始めている」と言われました。

 既に、桃井恒和オーナー兼代表取締役社長や原監督と協議して、ヘッドコーチは岡崎氏と内定しており、その旨を岡崎氏や監督に伝え、オーナーが決定した年俸で今日11日に契約書を取り交わすことになっていました。ご本人やチーム首脳もそのつもりで、宮崎で秋季キャンプに入っていたにもかかわらず、渡邉氏はそれを覆し、江川氏をヘッドコーチにするというのです。

 江川氏は私も尊敬する優れた野球人です。しかし、私と桃井オーナーは10月20日に読売新聞本社の渡邉会長を訪れ、岡崎氏がヘッドコーチに留任することを含む、コーチ人事の内容と構想、今日の補強課題を記載した書類を持参して報告し、渡邉氏の了承も得ていたのです。にもかかわらず、渡邉氏は11月4日夜、記者団に「俺は何にも報告聞いていない。俺に報告なしに、勝手にコーチの人事をいじくるというのは、そんなことありうるのかね。俺は知らん。責任持たんよ。」という発言をされています。

 しかし、それは全く事実に反することです。もし、私と桃井オーナーが書類を持参して報告したことに対し、自分が了承したことを全く忘れておられるということなら、渡邉氏は任に堪えないということにもなりかねません。忘れておられていないというのならば、渡邉氏は自分も報告を受けて了承し内定し、さらに一人ひとりの意思も確認され、契約書締結にも着手されていた人事を、オーナー兼代表取締役社長を飛び越えて、鶴の一声で覆したことになります。コーチたちにはプライドもあり、生活もかかっているのです。

 これはプロ野球界におけるオーナーやGM制度をないがしろにするだけでなく、内示を受けたコーチや彼らの指導を受ける選手を裏切り、ひいてはファンをも裏切る暴挙ではないでしょうか。ことは、コーチや選手との信頼関係を基盤とする球団経営の原則、プロ野球界のルールに関わることです。それが守られないのでは、球界で生きる選手、コーチ、監督の基本的人権をないがしろにした、と言われかねません。(原文のまま)」



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111111/crm11111114490029-n1.htm



酔ったうえで事実に反する発言「経営者として許されない」



「巨人軍も読売新聞グループの一員であることは十分承知しているからこそ、渡邊氏に丁寧に報告をし、意見を伺ってきましたが、巨人軍は子会社といえども独立した会社でもあります。渡邊氏が酔ったうえで「俺に報告なしに、勝手にコーチの人事をいじくっている」と事実に反する発言を記者団にすることは経営者として許されないことです。

 一方、桃井オーナーは渡邊氏から次のような内示を受けています。11月7日、桃井オーナー兼代表取締役社長をオーナーから外し、清武は「専務取締役球団代表・オーナー代行・GM兼編成本部長」から「専務取締役球団代表・オーナー代行兼総務本部長コンプライアンス担当」とする。「常務取締役総務本部長コンプライアンス担当」の原沢敦を、「常務取締役GM兼編成本部長」とする、などという内容です。

 さらに、私は11月9日、直接渡邉氏から「一、二年後に君を社長にする。今後君の定年は68才まで延びる可能性もある。すべてのことを受け入れて、専務、球団代表・オーナー代行として仕事を続けてくれ。」と要請されました。

野球は人々に夢や希望を与えてくれる国民的スポーツです。中でも巨人は日本のプロ野球球界で最も歴史のあるチームであり、とりわけ責任の重い球団でもあります。巨人軍の代表取締役でもない取締役会長である渡邉氏が、その一存で代表取締役社長である桃井氏からオーナー職を突然、剥奪するというのは、多くのファンを集める伝統球団の名誉を貶めるだけでなく、会社の内部統制、コンプライアンスに大きく反する行為であると思います。

 また、私は「総務本部長コンプライアンス担当」であるにも関わらず、GM編成本部長の権限である、補強、とりわけFA交渉と外国人選手獲得を直接担当しろ、との指示も、渡邉氏から受けています。それならばなぜ、FA交渉や外国人獲得交渉が目前に迫ったこの時期に、混乱を招く人事を内示するのでしょうか。(原文のまま)」



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111111/crm11111114500030-n1.htm



オリンパス引き合いに「最高権力者がコンプライアンス破ってはならない」



「私は読売新聞記者から巨人軍に入団しました。渡邉氏が巨人軍オーナーを退くに至った不祥事の直後に建て直しを期待され、7年間、巨人軍のため、プロ野球界のため、まっとうな経営をやらねばならぬとの信念で、一生懸命取り組んできました。必要なことは、監督、コーチ、選手、スタッフらと相談し、桃井オーナー、渡邉氏にも報告、相談し、了解を得てことを進めてきました。

 巨人軍GM編成本部長の仕事は、巨人が闘う人的物的環境を整え、また新たな思想のもとで、常勝の巨人軍の実現に貢献することだと思い定め、補強一辺倒の強化策からの脱皮をはかって来ました。育成制度や選手錬成システムを充実させて若者の力を生かしながら、補強とのバランスをとった、永続的なチーム整備に力を尽くしてきました。

 全ての会社にそれが求められるように、読売巨人軍にも内部統制と健全な企業体質、つまりコンプライアンスが要求されると思います。それを破るのが、渡邉氏のような最高権力者であっては断じてならないのではないでしょうか。大王製紙やオリンパスのように、企業の権力者が会社の内部統制やコンプライアンスを破ることはあってはならないことです。私は11月9日に渡邉氏とお会いした際、これらのことにつき翻意を求めましたが、聞き入れられませんでした。そこでやむなく本日の会見に至ったものです。

 私は、ジャイアンツというチームにも、読売巨人軍という会社、そして私を育ててくれた読売新聞社にも深い愛着があります。選手、コーチ、監督を心から敬愛しています。そして、何よりも多くのファンの方々を愛しています。私には彼らを裏切ることはできません。不当な鶴の一声で、愛する巨人軍を、プロ野球を私物化するような行為を許すことはできません。

 これからどのような立場になろうとも、巨人軍、プロ野球界、プロ野球ファンの皆さまに寄り添う存在でありたいと願っています。

2011年11月11日 読売巨人軍 清武英利(原文のまま)」



事実かどうかはわからないし、人権問題というほどでもないかなと思うけど、ナベツネが野球界にとっては害悪でしかないことは間違いのない事実なので、ナベツネを排除できるよう、清武氏を応援したい。


原発検査:基盤機構、書類丸写し 「自前なら日が暮れる」開き直る幹部

2011年12月07日 | Weblog
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111102ddm041040167000c.html



「原発検査はセレモニーに過ぎないのか。「何を、どんな方法でチェックするか」を定めた検査の要とも言える要領書を、事業者に作成させていた独立行政法人「原子力安全基盤機構」。事実上の丸投げで、所管する経済産業省原子力安全・保安院の幹部は「手抜きで楽をしていると言われても仕方ない」と認める。しかし機構幹部は取材に「自前で作れば日が暮れる」と話しており、安全への意識は低い。【川辺康広、酒造唯】

 毎日新聞が今回問題となっている検査内容の原案と要領書を入手するには2度の情報公開請求が必要だった。

 まず1回目の請求で過去の検査ミスやトラブルが記載された一覧表を入手した。その中に核燃料加工会社「グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン」(神奈川県横須賀市)から提出された電子ファイルを「活用」して要領書を作成した、との記載があった。「活用」の意味について、工藤雅春・検査業務部次長は取材に対し「電子データはもらっているが、そのまま使っているわけではない。チェックして独自のものを作成している」と説明した。確認のためグローバル社のデータ(原案)と要領書の実物を見せるよう求めたが拒否されたため2回目の公開請求をした。

 公開された原案と要領書は表紙と次のページのみ異なるが、それ以外は一言一句同じ。再取材で工藤次長は一転して「データをいただく前に協議を重ねている。一致するのが当たり前」と丸写しを認めた。「検査である以上、要領書は独自で作るべきではないか」。記者の質問に工藤次長は「必要なデータはメーカーでなければ持っていないから協力してもらっている。自前で作ることは不可能ではないが、そんなことをしていたら日が暮れる」と持論を展開した。

 機構は東京電力のトラブル隠し(02年発覚)を受け、検査強化のために設立された。検査経験のある保安院幹部は「検査対象の機器が多数あり、人手が足りない事情は分かる」としつつ「検査先におんぶにだっこの『殿様検査』という、あしき習慣なのだろう」と言う。保安院の検査でも事業者側からデータを入手するが、丸写しすることはないという。毎日新聞 2011年11月2日 東京朝刊」



日が暮れてもやれよ、馬鹿。




原発検査資料丸写し:手法検証 第三者委員会設置へ



http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111105k0000m040082000c.html



「独立行政法人「原子力安全基盤機構」(東京都港区)が、事業者の作成した原案を丸写しした資料(要領書)を基に原発関連施設の法定検査をしている問題で、機構は4日、検査手法や体制に問題があるかどうか調査するため第三者委員会を設置すると発表した。枝野幸男経済産業相の指示によるもの。近く法曹関係者や原発推進に慎重な立場の識者ら5人以上を委員に選ぶ。委員会は年内に報告書を提出する。

 丸写しは毎日新聞の報道で表面化した核燃料棒検査(08年)だけでなく、原発関連設備の使用前検査などで常態化している。機構側はこれまでの取材に「妥当な手法であり変更するつもりはない」としてきたが、持丸康和・企画部企画グループ長は会見で「過度に事業者に依存していた可能性は否定できない」と初めて問題点を認めた。そのうえで「検査する資格があるかどうか国民から疑念を持たれている。委員会の意見を聞き、うみを出し切りたい」と語った。

 委員会は▽日本原燃ウラン濃縮工場(青森県六ケ所村)で、貯蔵容器メーカー「日立造船」が必要な試験を実施していないことを見抜けないまま合格判定(09年)▽関西電力大飯原発で関電の検査用資料の不備に気づかず検査漏れ(09~10年)--なども調査対象とする。要領書の作成過程や事業者との関係、人材の育成・訓練状況などについて調べるという。【川辺康広】毎日新聞 2011年11月4日 22時03分」


本田美奈子.さん七回忌イベント…早見優「まだ身近にいてくれるよう…」

2011年12月07日 | Weblog
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111103-00000082-spnannex-ent



「急性骨髄性白血病のため05年に亡くなった歌手の本田美奈子.さん(享年38)を追悼する「2011 LOVE FOR LIFE『音楽彩』~本田美奈子.7thメモリアル」が3日、東京・日本橋三井ホールで行われ、本田さんと親交のあった石井竜也(52)、早見優(45)、松本伊代(46)、知念里奈(30)らが参加した。このイベントは白血病・難病患者支援のチャリティーイベントで、七回忌の今年で4回目の開催。

 松本とともに司会を務めた早見は「美奈子ちゃんの残してくれたものって本当に大きい。いまだ身近にいてくれるような気がしますね。映像を見ると、美奈子ちゃんは変わってなくて、私たちだけが年を重ねていく、ずるいな」と笑顔を見せた。

 事務所の先輩でもある松本は「美奈子は本当に明るい子で、普段は普通の女の子。その場を明るくさせてくれるんです。こっちがテンションが低くても美奈子に会うと元気になれる。でも、いざステージ上がるとすごいパワーを出せる尊敬する歌手だった。後輩でありながら尊敬するところがいっぱいありました」と故人を懐かしんだ。

 一方、今回初参加の石井は会場に飾られた多数の天使のオブジェも制作。「歌の精霊のような方で、精霊の起こした奇跡は非常に大きいものだった。奇跡のようなことが世の中でも起こるんだなってことを本田美奈子ちゃんは教えてくれた気がする。歌の力って捨てたもんじゃないな」としみじみ語っていた。

 また、この日のイベントでも披露された「アメイジング・グレイス」などが収録された七回忌メモリアルアルバム「新世界」が配信限定で2日に発売された。」



東電の隠蔽体質を批判 スイスが「フクシマの教訓」報告書

2011年12月07日 | Weblog
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111101/erp11110111520004-n1.htm



「スイスの原子力保安当局は10月31日、東京電力の福島第1原発事故を受け「フクシマの教訓」と題する報告書を公表、事故は日本政府や東電の「危機管理の欠如」が引き起こしたと指摘、東電の隠蔽体質を批判した。

 スイス政府は国内にある原発5基の2034年までの段階的稼働停止を決定している。教訓は39項目。東電は「リスクを過小評価し、自信過剰だった」とした上で、事故後の対応にも「冷却水の注入が遅すぎた」など問題を挙げている。

 批判の矛先は政府にも向けられており、地元自治体との連携不足や地元住民への情報提供が少なかったことに加え、経済産業省原子力安全・保安院が同省から独立していないことにも触れ「(原子力エネルギー政策を推進する同省との)利害対立」に言及している。(共同)」



言ってやって、言ってやって。自国民の言うことは全然聞かないけど、外国政府の言うことは結構聞くから。



情けないことなんだけどね。



「TPPをめぐる議論の間違い」 鈴木宣弘氏(東京大学教授)

2011年12月07日 | Weblog
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/10/tpp_tpp.html



「(1)TPPはアジア太平洋地域の貿易ルールになるから参加しないと日本が孤立する

 これは間違いである。米国は、自らはNAFTA(北米自由貿易協定)などで「米州圏」を固めつつ、アジアが米国抜きで「アジア圏」を形成することには強い懸念を表明してきた。米国が以前から提唱しているAPEC21ヵ国全体での自由貿易圏FTAAPは、その実現をめざすというよりも、ASEAN+3(日中韓)などのアジアにおける連携の試みを攪乱することが主たる目的と考えた方がわかりやすい。

 TPPの推進も、FTAAPの一里塚というよりも、ASEAN+3などのアジア圏形成を遅らせるのに好都合なのである。米国自身、「これは対中国包囲網だ。日本は中国が怖いのだから、入った方がいい」と説明している。中国も韓国もインドネシアもタイもNOといっているTPPに、もし日本が入れば、アジアは分断される。世界の成長センターであるアジアから米国が十二分に利益を得るためにも、米国が覇権を維持するにも、アジアは分断されているほうが好都合である。逆に言えば、日本が世界の成長センターとなるアジアと共に持続的発展を維持するには、ASEAN+3などの「アジア圏」の形成によって足場を固めることが極めて重要であり、それが、米国に対する拮抗力を維持しつつ、真に対等な立場で米国と友好関係を築くことにもつながる。

 TPPでは、TPPを警戒するアジア諸国とTPPに入るアジア諸国で、アジアは分断されるのだから、TPPはアジア太平洋全体のルールにはならない。ならないし、してはいけない。かりにも、TPPが拡大し、米国の利益の押しつけによってアジアのルールが決まるようなことは、アジアの利益にはならない。小規模分散錯圃の農業を含め、様々な分野で共通性のあるアジアが、その利益を将来に向けて確保できるルールはアジアが作るべきである。それをリードするのがアジアの先頭を走ってきた先進国としての日本の役割である。
すでに、ASEANは、TPPに対抗して、ASEANが主導してアジア太平洋地域の自由貿易圏を創設する方向性を提示しており、日本がTPPに入ることが、アジア圏の形成にマイナスになるとして、懸念を表明した。

(2)中国も韓国もTPPに強い関心を示しており、やがて入ってくる

 これは間違いである。韓国は、韓米で、コメなどの最低限の例外を何とか確保して合意したばかりなのに、それらもすべて明け渡すようなTPPに入る意味は考えられない。

 中国は、高関税品目も多いし、国家による規制も多いので、従来のFTAでも、難しい分野はごっそりと例外にするという大胆な柔軟性を維持して、お互いにやれるところからやりましょう、という方針を採っている。したがって、徹底した関税撤廃と独自の国内ルールの廃止を求められるTPPに参加することは、限りなく不可能に近い。

 かつ、米国自身、「これは対中国包囲網だ。」と説明している。TPPが拡大して中国が孤立して入らざるを得なくなる、というようなシナリオが描かれているのかもしれないが、とても現実的とは思えない。

(3)TPPに入らないと、韓国に先を越された日本の経済損失が取り戻せない

 これは間違いである。冷静に見れば、米国の普通自動車の関税はすでに2.5%でしかなく、現地生産も進んでいるのだから、韓国に先を越されると言っても日本の損失はわずかであろう。

 TPPによる日本にとっての経済利益が小さいことは、GTAPモデルの日本での権威である川崎研一氏の試算でも明らかである。FTAごとに日本のGDP増加率を比較すると、TPPで 0.54%、日中FTAで0.66%、日中韓FTA で0.74%、日中韓+ASEAN のFTAで1.04%となっている。つまり、日本が参加して10ヵ国でTPPを締結しても、日中2国間での自由化の利益にも及ばない。アジアにおけるFTAが日本経済の発展にいかに有効であるかということである。

 TPPによって得られる経済利益が少ないことは、推進する方々もわかっているのだろう。だから、TPPの利益としては、具体的な分野になると、投資、金融、サービス等の規制緩和がベトナム等での日本企業の展開に有利になる、というくらいの指摘しか出てこない。しかし、これは、日本も米国から攻められるわけで、その分を途上国で取り戻すと言っても、「両刃の剣」であることは明らかである。最終的に、かなり抽象的に、先述のような、「TPPがアジア太平洋地域の貿易ルールになるから、参加しないと孤立する」というような理由が語られるのである。

(4)TPP以外のFTAが具体化していないから、これしかない

 これは間違いである。実は、日中韓FTAの産官学共同研究会(事前交渉)は、2011年12月に報告書作成作業を完了し、2012年から政府間交渉に入る準備を進めている。いよいよ日中韓FTAが具体的に動き出す。TPPのような極端なゼロ関税ではなく、適切な関税と適切な国内対策の組合せによって、全加盟国が総合的に利益を得られるような妥協点を見いだせる。

 日本とEUとのFTAも、交渉の範囲を確定する予備交渉が開始されることになった。日本やアジアにとって、米国やオーストラリアといった新大陸に比べて相対的に共通性の高いEUとのFTAは真剣に検討する必要がある。EUは、適切な関税と適切な国内対策の組合せによって「強い農業」を追求する政策を実践しているので、TPPとは違い、農業についての着地点を見いだすことは可能であろう。

 このように、柔軟性を望めないのに利益は小さいTPPではなく、アジアやEUとの、柔軟性があり、かつ、日本の輸出を伸ばせる可能性も大きいFTAを促進する方向性が、日本にとって現実的で利益も大きいと思われる。ただしその場合は、米国との関係悪化を回避しつつ進めなくてはならないという非常に難しいバランスも要求される。そもそも、日本は、米国と中国という2つの大国の間で微妙なバランスを保ちつつ発展していく必要がある。米国との関係が非常に重要であることは間違いないが、TPPに傾斜しすぎるわけにはいかないのである。現実的には、TPPの動向は注視しつつ、日中韓FTAや日EU・FTAの準備を進めるという選択肢が考えられる。

(5)「TPPおばけ」で根拠のない不安を煽っている

 これは間違いである。TPPが今までのFTAと決定的に違うのは、関税撤廃などにおいて重要品目の例外扱いなどが原則的に認められない点である。また、非関税措置といわれる制度やルールの廃止や緩和、共通化も目指す。つまり、協定国の間に国境がない(シームレス)かのように、人やモノや企業活動が行き来できる経済圏を作ろうというのがTPPの目標である。

 しかも、たとえば米国企業が日本で活動するのに障害となるルールがあれば、米国企業が日本政府を訴えて賠償請求とルールを廃止させることができる条項も盛り込まれる。いわゆる「毒素条項」と呼ばれ、NAFTA(北米自由貿易協定)でも、韓米FTAでも入っている。経済政策や産業政策の自主的運営がかなりの程度制約される可能性も覚悟する必要がある。

 基本的に、米国など外国企業が日本で活動する場合に、競争条件が不利になると判断される公的介入や国内企業への優遇措置と見なされる仕組みは廃止が求められるということである。したがって、郵政民営化は当然であるし、医療における公的医療保険も許容されないということになる。

 ある面では、TPPは、EU(欧州連合)のような統合を、米豪と日本など、まったく異質な国が、数ヶ月で達成しようとしているようなものである。EUが形成されるのに費やされた60年という長い年月を考えれば、それと類似のレベルの経済統合を数ヶ月のうちに一気に達成しようというTPPの凄まじさがわかる。

 現在9カ国が参加して交渉中のTPPは、すでに2006年5月にチリ、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイの4ヶ国で締結されたP4協定がベースになることも忘れてはならない。日本では、TPPがどのような協定になる可能性があるのかについて、政府は「情報がない」と言って国民に何も説明していないが、このP4協定に近いものになるのだから、少なくともP4協定についてなぜもう少し国民に説明しないのかということが問われる。

 P4協定は160ページにも及ぶ英文の法律である。P4協定は、物品貿易の関税については、ほぼ全品目を対象として即時または段階的に撤廃することを規定している。また、注目されるのは、政府調達やサービス貿易における「内国民待遇」が明記されていることである。内国民待遇とは、自国民・企業と同一の条件が相手国の国民・企業にも保障されるように、規制緩和を徹底するということである。たとえば政府調達では、国レベルだけではなく地方レベルの金額の小さな公共事業の入札の公示も英文で作り、TPP加盟国から応募できるようにしなければならなくなる。サービス貿易については、金融、保険、法律、医療、建築などの各分野で、看護師、弁護士、医者等の受け入れも含まれることになるだろう。金融についてはP4 協定では除外されていたが、米国が参加して以降、交渉分野として加えられている。

 もう一つ、参照すべきは、韓米FTAである。米国は、日本がTPPの内容を考える上で、アジアとの直近のFTAとして、韓米FTAを参照してほしいと指摘している。つまり、TPPは、P4協定、韓米FTAの内容を、さらに強化するものとなるということである。韓米FTAでは、投資・サービスの原則自由化(例外だけを規定する「ネガ」方式)、「毒素条項」に加え、エンジニア・建築家・獣医師の資格・免許の相互承認の検討、郵政・共済を含む金融・保険の競争条件の内外無差別化(公的介入、優遇措置の排除)、公共事業の入札公示金額の引き下げなども入っている(「付録」参照)。これらが、強化される形で、TPPで議論されることになる。

 遺伝子組み換え食品についても、米国が安全だと科学的に証明している遺伝子組み換え食品に対する表示義務を廃止するよう我が国が求められるであろうことは、現在9ヵ国のTPP交渉の中で、オーストラリアやニュージーランドが、すでに米国から同じ要求を受けていることからわかる。

 また、以前から米国は、米国牛肉はBSE(狂牛病)検査をしっかりやっていて安全だから輸入規制はやめるよう主張している。だが、米国人の監督による米国食料市場に関するドキュメンタリー映画『フード・インク』を見てもわかるように、狂牛病の検査は十分に行われていない可能性が高い。だからこそ、日本は独自のルールを設定して国民の命を守っているのである。だが、TPP参加とともに、それは駄目だという圧力が高まる。韓国は、韓米FTAの協定の中ではなく、韓米FTAをまとめるための「お土産」として、月齢規制を緩和した(なんと日本は、10月に早々と自ら緩和表明し、服従姿勢を示し始めた)。
以上のように、根拠なしに不安を煽るような「TPPおばけ」ではなく、しっかりした根拠に基づいて、危険性を指摘しているのである。推進する方々の「アジア太平洋の貿易ルールに乗り遅れる論」「とにかく入って、いやなら脱退論」こそが、根拠のない「脅し」や意図的な詐欺である。

(6)例外は認められるから大丈夫、不調なら脱退すればよい

 最近のTPP推進議論でよく聞くのは、「とにかく入ってみて交渉すれば、例外も結構認められる。不調なら交渉途中で離脱すればよい」といった根拠のない「とにかく入ってしまえ論」である。しかし、「すべて何でもやります」という前提を宣言しないと、TPP交渉には入れない。カナダは、「乳製品の関税撤廃は無理だが、交渉に入りたい」と言って門前払いになっている(一応は「全ての品目を交渉の対象にする」と伝えたが、「乳製品の問題にカナダが真剣に取り組むという確信が持てない」という指摘が既参加国からあり、認められなかった可能性もある)。

 ただ、米国を含めた世界各国が、国内農業や食料市場を日本以上に大事に保護している。たとえば乳製品は、日本のコメに匹敵する、欧米諸国の最重要品目である。米国では、酪農は電気やガスと同じような公益事業とも言われ、絶対に海外に依存してはいけないとされている。でも、米国は戦略的だから、乳製品でさえ開放するようなふりをしてTPP交渉を始めておいて、今になって、米豪FTAで実質例外になっている砂糖と乳製品を、TPPでも米豪間で例外にしてくれと言っている。オーストラリアよりも低コストのニュージーランド生乳については、独占的販売組織(フォンティラ)を不当として、関税交渉の対象としないよう主張している。つまり、「自分より強い国からの輸入はシャットアウトして、自分より弱い国との間でゼロ関税にして輸出を増やす」という、米国には一番都合がいいことをやろうとしている。

 こうした米国のやり方にならって、「日本も早めに交渉に参加して例外を認めてもらえばいい」と言っている人がいるが、もしそれができるなら今までも苦労していなない。米国は、これまで自身のことを棚に上げて日本に要求し、それに対して日本はノーと言えた試しはない。特にTPPは、すべて何でもやると宣言してホールドアップ状態で参加しなくてはならないのだから、そう言って日本が入った途端にもう交渉の余地はないに等しい。この交渉力格差を考えておかなければならない。米国は、輸出倍増・雇用倍増を目的にTPPに臨んでいるから、日本から徹底的に利益を得ようとする。そのためには、たとえばコメを例外にすることを米国が認める可能性は小さい。交渉の途中離脱も、理論的に可能であっても、実質的には、国際信義上も、力関係からも、不可能に近い。

 また、「例外が認められる」と主張する人の例外の意味が、「コメなら関税撤廃に10年の猶予があるから、その間に準備すればよい」という場合が多い。これは例外ではない。現場を知る人なら、日本の稲作が最大限の努力をしても、生産コストを10年でカリフォルニアのような1俵3,000円に近づけることが不可能なことは自明である。現場を知らない空論は意味がない。

 なお、日豪FTAはすでに政府間交渉をしており、多くの分野で例外措置を日本側も主張しているが、その日本がTPPでは、同じオーストラリアに対して例外なしの自由化を認める、というまったく整合しない内容の交渉を同時並行的に進めることが可能なのか、この矛盾に直面する。かりに、米国の主張にならって、既存のFTA合意における例外はTPPに持ち込めるから、日豪FTAなどを既存の2国間合意を急げばよい、という見解もあるが、それではTPPというのは一体どういう実体があるのかということになる。

(7)所得補償すれば関税撤廃しても大丈夫

 「所得補償すれば関税撤廃しても大丈夫」という議論があるが、これも間違っている。現状のコメに対する戸別所得補償制度は、1俵(60kg)当たり平均生産コスト(13,700円)を常に補償するものではなく、過去3年平均価格と当該年価格との差額を補てんする変動支払いと、1,700円の固定支払いによる補てんの仕組みであるから、米価下落が続けば補てんされない「隙間」の部分が出てくる。したがって、TPPでコメ関税を10年間で撤廃することになれば、さらなる米価下落によって「隙間」の部分がますます拡大していく。

 もし、平均生産コストを全額補償する「岩盤」をコメ農家に手当すると想定すればどうなるか。たとえば、コメ関税の完全撤廃後も現在の国内生産量(約900万トン)を維持することを目標として、1俵当たり14,000円のコメ生産コストと輸入米価格3,000円との差額を補てんする場合の財政負担額を試算してみると、

《コメ関税ゼロの場合》
(14,000円-3,000円)÷60キロ× 900万トン=1.65兆円

となる。概算でも約1.7兆円にものぼる補てんを毎年コメだけに支払うのは、およそ現実的ではないだろう。牛乳・乳製品や畜産物などコメ以外の農産物に対する補てんも含めると、財政負担は少なくともこの2倍近くになる可能性がある。さらには、1兆円近くに及ぶ関税収入の喪失分も別途手当てしなくてはならないことを勘案すれば、毎年4兆円という、ほとんど不可能に近い多額の財源確保が必要となる。

 これほど膨大な財政負担を国民が許容するならば、環境税の導入、消費税の税率の引上げなどによる試算から、具体的な財源確保の裏付けを明確にし、国民に約束しなければならない。もし空手形になれば国民に大きなリスクをもたらし、世界から冷笑される戦略なき国家となりかねない。「とりあえずTPPに参加表明し、例外品目が認められなければ所得補償すればよい」といった安易な対応は許されないのである。

 一方、もしTPPが関税撤廃の例外を認める形で妥結される可能性があるならば、それを踏まえた現実的な議論の余地も生まれる。たとえば、コメの例外扱いが認められて関税率が250%とされた場合は、補てんのための財政負担額は、

《コメ関税250%の場合》
(14,000円-10,500円)÷60キロ× 900万トン=5,250億円

となる。

 ただし、以上の試算で用いた輸入米価格3,000円という仮定が低すぎるのではないかとの指摘もあるだろう。たとえば、平成22年の中国産SBS(売買同時入札方式)米の入札価格は玄米換算で8,550円に達しているので、輸入米価格を9,000円程度と見込めば、

《高い輸入米+関税ゼロの場合》
(14,000円-9,000円)÷60キロ× 900万トン=7,500億円

となる。さらに、関税撤廃を10年で行う猶予がある場合、その間の構造改革によって補てん基準の生産コストを10,000円まで引き下げられると見込めば、

《構造改革を見込んだ場合》
(10,000円-9,000円)÷60キロ× 900万トン=1,500億円

と、許容範囲の財政負担におさまることも考えられる。こうした試算が、ゼロ関税でも対応可能だという根拠として出されてくるであろう。

 しかし、福岡県稲作協議会の黒竜江省調査(2010年7月30日~8月4日)によると、現地のコメ輸出会社が受け取っている日本向け輸出価格は1キロ当たり3.6~3.8元(約54~57円)、1俵当たりで約3,200~3,400円程度であり、SBSで9,000円程度となっている現在の価格は、輸入枠があるため中国側がレント(差益)をとる形で形成された高値と判断できる。したがって、輸入枠が撤廃されればレントを維持できなくなることを考えると、輸入価格を現状の9,000円のままと見込むのは危険である。また、農水省資料によれば、各国の米価は、米国 2,880 円、中国 2,100 円、オーストラリア 2,640 円(2008年の玄米換算1俵当たり生産者受取価格)となっている。TPPについては、中国産ではなく、米国産との比較が必要だが、米国産でも輸入米は3,000円程度を目安にした方がよいと思われる。
それから、先述のとおり、「ゼロ関税になるまでに10年間の猶予があれば、それまでに規模拡大して生産コストを下げれば、補てんの負担は大幅に縮小される」という議論もあるが、机上の試算を勝手にされても困る。規模拡大やコストダウンの努力はもちろん必要だが、日本のこの土地条件で、10年間で米の生産コストを半分にできるかというと、非常に難しい。

 すると、次に出てくるのは、「補てん財源が足りなければ、補てんの対象を大規模農家などに絞ればいい」という主張である。これでは、日本全国に広がる中山間地の農村はどうなるのか。慎重な配慮が求められる。

 また、以上の試算では、国内生産量を現状水準で維持することを前提としているが、もし「新基本計画」が掲げている食料自給率50%への引き上げ目標も同時に達成するならば、さらに膨大な財政負担が必要になる。関税撤廃が可能かどうか、あるいはどこまで引き下げることが可能かについては、必要な財政負担額とセットで検討する必要がある。そうした検討もなく、所得補償するからゼロ関税でも大丈夫と言うのも、コメ関税は一切手をつけられないと言うのも極論であり、現実的な解は、その中間のどこかに、適切な関税水準と差額補てんとを組合せることによって見いだすことができると思われる。しかし、そうした柔軟性はTPPには望めない。

(8)日本のコメは品質がよいし、米国やオーストラリアの短・中粒種のコメの生産力は
それほど高くないので、関税撤廃しても、日本のコメ生産が極端に減少することはない。

 これは間違いである。カリフォルニア米が比較的おいしいというのは、米国滞在経験者なら、共通認識であり、値段とのバランスを考えれば、広く日本の消費者に受け入れられる可能性は高い。

 確かに、短・中粒種のコメ生産力が世界にどれだけあるのかについては慎重に検討すべきであるが、たとえば、オーストラリアは今、水の問題でコメは5万トンくらいしか生産できていないが、過去には、日本でもおいしく食べられるコメを100万トン以上作っていた。中国では、黒竜江省だけでも日本の全生産量とほぼ同じ800万トンのコシヒカリを作っている。オーストラリアも米国もそうだが、どの国でも、日本でのビジネス・チャンスが広がれば、生産量を相当に増やす潜在力があるし、日本向けの食味に向けての努力も進むであろう。米国も短・中粒種はカリフォルニアしかつくれないわけでなく、日本で売れるビジネス・チャンスが広がれば、アーカンソーでも生産できる。そうなれば、生産力は格段に高まる。だから、供給余力の推定や品質向上の度合いの推定はなかなか難しい。ただ、普段は、ビジネス・チャンスに応じて経営は対応してくることを重視する人達が、こういう場合だけ、現状固定的に、日本の品質はよいし、外国の生産力は小さい、と主張するのは、やや首をかしげる。

 いずれにしても、時間の経過とともに変わってくるし、不確定な要素が非常に多いので、日本のコメ生産が9割減少するとも言い切れないし、ほとんど減らないとも言えない。だからこそ、ゼロか百かの議論ではなく、極端なTPPではなく、アジアにおいて柔軟かつ互恵的な自由貿易協定を拡大する路線が現実的だということである。

(9)貿易自由化して競争すれば強い農業ができる

 これは間違いである。大震災で被災した東日本沿岸部に大規模区画の農地をつくって競争すればTPPもこわくない、という見解もあるが、それでも、せいぜい2ha程度の1区画である。それに対して、TPPでゼロ関税で戦わなければならないオーストラリアは、1区画100haある。農家一戸の適正規模は1万ヘクタールというから、そもそも、まともに競争できる相手ではない。土地条件の格差は、土地利用型農業の場合は絶対的で、努力すればどうにか勝てるという話ではない。車を工場で造るのと一緒にしてはならない。牛肉・オレンジなどの自由化も、牛肉や果物の大幅な自給率低下につながったことを思い起こす必要がある。

 だから、TPPのような徹底した関税撤廃は、強い農業を生み出すのではなく、日本において、強い農業として頑張っている人達を潰してしまうのである。コメで言えば、日本で1俵9,000円の生産コストを実現して大規模経営している最先端の経営も、1俵3,000円のコメがゼロ関税で入ってきたらひとたまりもないのは当然である。欧州の水準を超えたというほどに規模拡大した北海道酪農でも、平均コストは1kg70円くらいであり、1kg19円のオセアニアの乳価と競争できるわけがない。残念だが、これが、土地条件の差なのである。

【写真】西オーストラリアの小麦農家-この1区画で100ha
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(10)競争を排除し、努力せずに既得権益を守ろうとしいては、効率化は進まない

 誰も、努力せずに既得権益を守ろうとしているわけではない。TPPのように、極端な関税撤廃や制度の撤廃は、一握りの勝者と多数の敗者を生み、一握りの勝者の利益が非常に大きければ、大多数が苦しんでも、社会のトータルとしては効率化された、という論理の徹底であり、幸せな社会とは言えない。

 医療と農業は、直接的に人々の命に関わるという点で公益性が高い共通性がある。筆者は米国に2年ほど滞在していたので、医療問題は切実に感じている。コーネル大学にいたが、コーネル大学の教授陣との食事会のときに2言目に出てくるのは、「日本がうらやましい。日本の公的医療制度は、適正な医療が安く受けられる。米国もそうなりたい」ということだった。ところが、TPPに参加すれば、逆に日本が米国のようになる。日本も米国のように、高額の治療費を払える人しか良い医療が受けられなくなるような世界になる。地域医療も今以上に崩壊していくことは明らかである。混合診療が全面解禁されれば、歯では公的保険適用外のインプラント治療ばかりが進められ、低所得層は歯の治療も受けられない、という事例(九州大学磯田宏准教授)はわかりやすい。

 TPPの議論を契機に、また市場至上主義的な主張が強まっている。確かに、既得権益を守るだけのルールは緩和すべきだが、だからルールは何もない方がいいというのは、人類の歴史を無視した極論である。経済政策学者が政策はいらないと言うのは、ほとんど自己否定していることになる。All or Nothing(ゼロか100か)ではなく、その中間の最適なバランスを見つけるべきである。

(11)3,000円のカリフォルニア米で牛丼が100円安くなるのならTPPに参加した方がいい

 消費者の立場から見ると、「3,000円のカリフォルニア米で牛丼が100円安くなるのならTPPに参加した方がいい」という意見も当然ある。こうした消費者の目線で問題を見直してみることが重要である。言い換えると、農業サイドの貿易自由化への反対表明は、農家利益、あるいは農業団体の利益に基づいたエゴと見られがちなことを忘れてはならない。

 今こそ、生産者と消費者を含めた国民全体にとっての食料の位置づけというものを再確認することが必要だと痛感する。食料は人々の命に直結する必需財である。「食料の確保は、軍事、エネルギーと並ぶ国家存立の三本柱」で、食料は戦略物資だというのが世界では当たり前だから、食料政策、農業政策のことを話せば、「国民一人ひとりが自分の食料をどうやって確保していくのか、そのために生産農家の方々とどうやって向き合っていくのか」という議論になるのが通常である。ところが、日本では、「農業保護が多すぎるのではないか」といった問題にいきなりすり替えられてしまう。これは、意図的にそういう誘導をしようとしている人がいるということもある。しかし、日本では、食料は国家存立の要だということが当たり前ではないというのは事実である。国民に、食料の位置づけ、食料生産の位置づけについて、もう一度きちんと考えてもらう必要がある。

 まず、2008年の世界食料危機は、干ばつによる不作の影響よりも、むしろ人災だったということを忘れてはならない。特に米国の食料戦略の影響であったということを把握しておく必要がある。

 米国が自由貿易を推進し、関税を下げさせてきたことによって、穀物を輸入に頼る国が増えてきた。一方、米国には、トウモロコシなどの穀物農家の手取りを確保しつつ世界に安く輸出するための手厚い差額補てん制度があるが、その財政負担が苦しくなってきたので、何か穀物価格高騰につなげられるキッカケはないかと材料を探していた。そうした中、国際的なテロ事件や原油高騰を受けて、原油の中東依存軽減とエネルギー自給率向上が必要だというのを大義名分としてバイオ燃料推進政策を開始し、見事に穀物価格のつり上げにつなげた。

 トウモロコシの価格の高騰で、日本の畜産も非常に大変だったが、メキシコなどは主食がトウモロコシだから、暴動なども起こる非常事態となった。メキシコでは、NAFTA(北米自由貿易協定)によってトウモロコシ関税を撤廃したので国内生産が激減してしまったが、米国から買えばいいと思っていたところ、価格暴騰で買えなくなってしまった。

 また、ハイチでは、IMF(国際通貨基金)の融資条件として、1995年に、米国からコメ関税の3%までの引き下げを約束させられ、コメ生産が大幅に減尐し、コメ輸入に頼る構造になっていたところに、2008年のコメ輸出規制で、死者まで出ることになった。TPPに日本が参加すれば、これは他人事ではなくなる。米国の勝手な都合で世界の人々の命が振り回されたと言っても過言ではないかもしれない。

 米国の食料戦略の一番の標的は、日本だとも言われてきた。ウィスコンシン大学のある教授は、農家の子弟への講義の中で、「食料は武器だ。日本が標的である。直接食べる食料だけでなく、畜産物のエサが重要だ。日本で畜産が行われているように見えても、エサ穀物をすべて米国から供給すれば、日本を完全にコントロールできる。これを世界に広げていくのが米国の戦略だ。そのために皆さんには頑張ってほしい」といった趣旨の話をしたという。実はそのとき教授は日本からの留学生がいたのを忘れてしゃべっていたとのことで、「東の海の上に浮かんだ小さな国はよく動く。でも勝手に動かれては不都合だから、その行き先をエサで引っ張れ」と言ったと紹介されている(大江正章『農業という仕事』岩波ジュニア新書、2001)。これが米国の食料戦略であり、日本の位置づけである。

 ブッシュ前大統領も、農業関係者への演説では日本を皮肉るような話をよくしていた。「食料自給はナショナルセキュリテイの問題だ。皆さんのおかげでそれが常に保たれている米国はなんとありがたいことか。それにひきかえ、(どこの国のことかわかると思うけれども)食料自給できない国を想像できるか。それは国際的圧力と危険にさらされている国だ。(そのようにしたのも我々だが、もっともっと徹底しよう。)」という感じである。

(12)過保護な日本農業はTPPでショック療法が必要だ

 日本の農業が過保護だから弱いというのは誤った理解である。日本人は、ルールを金科玉条のように守るというその気質から、WTOルールを世界で一番真面目に受け止めて保護削減に懸命に取り組んできた。その結果、一般に言われているような過保護な農業は、日本にはもう当てはまらなくなっていて、逆に諸外国の農業の方がよほど過保護になっている。もう一度確認しておくと、農業所得に占める財政負担の割合は、日本の場合は平均で15.6%しかない。一方の米国の稲作経営は、巨大な経営規模で、輸出もしていながら、その所得の60%が財政負担である。それから、フランス、イギリス、スイスなど多くのヨーロッパの国々では農業所得の90%以上が財政負担で支払われている。こうした手厚い農業保護の背景には、食料生産や農業は国民の命を守り、国土を守り、国境を防衛してくれる、まさに公益事業だという国家の覚悟があるように思われる。

 農業経営収支は赤字で、それを補助金がカバーして所得を生み出すという構造は、驚くべきことに、EUで最も大規模なイギリスの穀物経営(平均規模は200ha近い)でも同様である。経営収支は△1.5万ポンド(1ポンドは現在120円強)だが、単一支払い4.2万ポンド、環境支払いなど8千ポンドを加えることで黒字になっている。いわば所得の100%が補助金である。もちろん、条件不利地域農業でも同様で、平均的には、経営収支は、△5千ポンドの赤字だが、補助金が単一支払い1.8万ポンド、環境支払いと条件不利地域支払いで8千ポンド加わることで黒字に維持されている。

 また、WTOに登録されている農業保護の総額は、日本は6千4百億円で、米国は1兆8千億円、EUは4兆円で、やはり総額でみても、日本の方がずっと少ない。しかも米国は過小申告をしていて、本当は3兆円以上ある。

 それともう一点、「日本の農産物は高い。その大きな内外価格差こそ、価格支持による保護の証拠だ」という誤った主張が、TPP推進のためにもよく使われる。こういうことが言われるのは、内外価格差によって農業保護度を測るPSE(生産者支持推定量)という誤った指標が国際的に使われているためである。我々のような研究者も、こういう誤った指標をきちんと訂正できていなかったことは申し訳ない。

 ある水準まで価格が下がると政府が無制限な買い取りを行い、補助金を付けて援助や輸出に回して国内価格を高く維持する仕組みは、米国、カナダ、EUなど、世界の多くの国々で維持され、こうした価格支持政策をうまく活用している。一方の日本は、世界に先駆けて、コメや酪農の価格支持政策を廃止した。コメの政府価格はまだ存在するが、数量が備蓄用に限定されているので米価の下支え機能はほとんどない。つまり、実質的にコメにも価格支持政策はない。

 しかし、PSEの計算では、日本には5兆円もの農業保護があり、その95%が価格支持だということになっていて、今の日本の実態とはまったく合っていない。なぜこういう間違いが起きているのかというと、PSEという指標が内外価格差をすべて農業保護とする指標だからである。内外価格差の原因をどう考えるかが重要なポイントである。ややもすると日本の農産物は輸入品よりも高いと思いがちだが、実は必ずしもそうではなくて、品質が良かったり、サービスや安全性が優れているなどのために高い値段が付けられている部分もある。日本の生産者が消費者のみなさんにいい物を食べていただきたいとがんばった努力の結果の「国産プレミアム」が含まれている。たとえば、見かけはまったく同じで、国産のネギが中国産よりも少々高く売られていたとしても、国産の方を買う人は結構多い。それが「国産プレミアム」である。

 しかし、PSEは品質の差をほとんど考慮していない。輸入牛肉を運んでくる輸送費と、港でかかる関税を足してもまだ内外価格差があれば、これは非関税障壁であり、価格支持が原因だという計算になっている。本当なら、日本の霜降り牛肉と、オーストラリアで草で育った肉とが値段が同じだったらおかしい。日本の霜降り牛肉の方が高く売られているのは、日本人なら誰もが納得するはずだが、PSEではこれが非関税障壁や価格支持としてカウントされてしまう。こういう数値に基づくと、世界的にも価格支持制度を最もなくした日本が、「世界で一番価格支持に依存した遅れた農業保護国なので、ショック療法でTPPが必要だ」というような奇妙な議論になってしまう。

(13)強い農林水産業のための対案がないではないか

 農林水産業関係者を中心にTPP反対の運動が進みつつあるのに対して、「日本の農林水産業はTPPを拒否するだけでやっていけるのか。TPPがなくても、日本の農林水産業は、高齢化、就業人口の減少、耕作放棄などで疲弊しつつある。どういう取組みをすれば農林水産業は元気になるのか。TPPがだめだというなら対案を出してほしい」という指摘がある。

 筆者が現場をまわっていて一番心配しているのは、「これから息子が継いでくれて規模拡大しようとしていたのだが、もうやめた」と肩を落とす農家が増えていることである。TPPは農林水産業の将来展望を暗くしている。まず、こういう後向きの思考に歯止めをかけねばならない。そうではなくて、TPPの議論を契機に、農林漁家がもっと元気になるための取組み、現場で本当に効果が実感できる政策とは何かということを、いろいろな方が関心をもってきてくれている今、地域全体で前向きに議論をする機会にしなくてはならない。

 水田の4割も抑制するために農業予算を投入するのではなく、国内生産基盤をフルに活かして、「いいものを少しでも安く」売ることで販路を拡大する戦略へと重心をかえていく必要性は認める。そのためには、米粉、飼料米などに主食米と同等以上の所得を補てんし、販路拡大とともに備蓄機能も活用しながら、将来的には主食の割り当ても必要なくなるように、全国的な適地適作へと誘導すべきである。

 さらに、将来的には日本のコメで世界に貢献することも視野に入れて、日本からの輸出や食料援助を増やす戦略も重要である。備蓄運用も含めて、そのために必要な予算は、日本と世界の安全保障につながる防衛予算でもあり、海外援助予算でもあるから、狭い農水予算の枠を超えた国家戦略予算をつけられるように、予算査定システムの抜本的改革が求められる。米国の食料戦略を支える仕組みは、この考え方に基づいている。

 地域の中心的な「担い手」への重点的な支援強化も必要である。今後農業をリタイアされる方がいる一方で、就農意欲のある若者や他産業からの参入も増加傾向にある。だが、新規参入される方の経営安定までには時間がかかり、長らく赤字を抱える方が多いのが実態なので、フランスのように、新規参入者に対して十年間くらいの長期的な支援プログラムを準備するなど、集中的な経営安定対策を仕組むことが必要である。

 また、集落営農などで、他産業並みの給与水準が実現できないためにオペレーターの定着に苦労しているケースが多いので、状況に応じてオペレーター給与が確保できるシステムづくりと集中的な財政支援を行うことも効果的であろう。20~30ha規模の集落営農型の経営で、十分な所得を得られる専従者と、農地の出し手であり軽作業を分担する担い手でもある多数の構成員とが、しっかり役割分担しつつ成功しているような持続可能な経営モデルを確立することが関係者に求められている。その一方、農業が存在することによって生み出される多面的機能の価値に対する農家全体への支払いは、社会政策として強化する必要がある。これは、担い手などを重点的に支援する産業政策としっかり区別して、メリハリを強める必要がある。

 被災地の復旧・復興ということを考えるときにも基本になるのは、「コミュニティの再生」である。「大規模化して、企業がやれば、強い農業になる」という議論は単純すぎて、そこに人々が住んでいて、暮らしがあり、生業があり、コミュニティがあるという視点が欠落している。そもそも、個別経営も集落営農型のシステムも、自己の目先の利益だけを考えているものは成功していない。成功している方は、地域全体の将来とそこに暮らすみんなの発展を考えて経営している。だからこそ、信頼が生まれて農地が集まり、地域の人々が役割分担して、水管理や畦の草刈りなども可能になる。そうして、経営も地域全体も共に元気に維持される。20~30ha規模の経営というのは、そういう地域での支え合いで成り立つのであり、ガラガラポンして1社の企業経営がやればよいという考え方とは決定的に違う。それではうまく行かないし、地域コミュニティは成立しない。これを混同してはいけない。

 こうした政策と、TPPのような極端な関税撤廃とは相容れない。TPPはこれまでの農家の努力を水の泡にする。自由化は、もっと柔軟な形で、適切な関税引き下げ水準と国内差額補てんとの組合せとを模索しながら行う必要がある。つまり、「農業対策を準備すればTPPに参加できる」というのは間違いである。「TPPでは対策の準備のしようがない」のであり、TPPでは「強い農業」は成立できない。

 たいへん多くのものを失った中で、何とか歯を食いしばって、その地で自分たちの生活と経営を立て直そうと必死に奮闘している東日本の農漁家の皆さんにとっても、その復旧・復興の気力を奪ってしまいかねない「追い打ち」になりかねない。

(14)ぎりぎりまで情報を隠し、議論を避け、「不意打ち」的に参加表明すればよい

 大震災によって、6月までの参加表明の決断は先送りされたけれど、情報開示も、国民的議論もしないまま、11月のAPECのハワイ会合に間に合うように滑り込むというような、要するに国民に対する「不意打ち」が起こりかねないと懸念されたが、案の定、10月になって、その事態は表面化した。

 しかし、ここまで、徹底して、情報は出さずに、国民的議論は回避して、強行突破しようとするとは予想以上であった。ぎりぎりまで情報を隠し、議論を避け、「不意打ち」的に参加表明しようとする、この政治姿勢は、もはや民主主義国家の体を成していない。

 全国各地を訪れると、非常に多くの県議会や市町村議会がTPP反対または慎重の決議をし、各道県の地元の新聞は、ほぼすべてが反対または慎重の社論を展開していることが確認できる。日本の国土面積の9割はTPPに反対また慎重であるとの感触である。にもかかわらず、そうした全国各地の民意に反して、拙速な参加表明がなされることは許容しがたい。政治家には民意を代表する政治を実現してもらう必要がある。民意を代表しない政治家には退場いただくことになろう。米国からの要請だから仕方ないというのが誰の目にも明らかでは、結局、日本は、自主性のない従属国家として、米国からも中国からも、世界全体からも冷笑されることになろう。

【参考文献】
鈴木宣弘・木下順子『震災復興とTPPを語る-再生のための対案』筑波書房、2011年
鈴木宣弘・木下順子『TPPと日本の国益』大成出版、2011年」



駒澤大学・飯田泰之准教授インタビュー

2011年12月07日 | Weblog
「なぜ野田政権はこれほど増税論議を急ぐのか あなたが知らない「正直者が馬鹿を見る増税」の内幕」というダイヤモンドオンラインの記事の一部を抜粋して紹介させてもらいます。全文については、下記URLからご覧ください。



http://diamond.jp/articles/-/14650



「・・・野田政権は有価証券や出資金の資産整理の議論をせずに、増税一直線に突き進もうとしている。今、メディアも霞ヶ関も増税一色の状態にある。それは、増税を伴わない財源捻出方法、すなわち国有資産売却などの資産整理を行えば、資産を管理する公的部門、関連法人の廃止・縮小を促しかねないからだろう。なぜ資産整理ではなく増税が優先されるのか落ち着いて考える必要がある・・・。



・・・そもそも東日本大震災は数百年に1度とも言われる大災害である。保険の考え方を当てはめれば、めったに起こらない突然のショックに対応する場合、普通は最初に資産(貯金)の取り崩しを行う。貯金がないならば、次に借金を考えるだろう。



・・・租税には、「公平・簡素・中立」という3原則があるが、今の日本は正反対の状態にある。その意味でも、看板だけではなく本当の意味での「税と社会保障の一体改革」が必要だ。

 まず、税金の徴収体制を見直す必要がある。日本には、国税・社会保険料を徴収する機関がそれぞれ存在し、税務署網が重複して存在するようなものだ。効率が悪いうえに、名簿がばらばらで所得捕捉しきれていない。社会保険の記録漏れ問題――つまりは消えた年金問題はこの税・社会保障という歳入が一括管理されていないことによる。だから二重、地方税も考慮すると三重の体制を温存した上で税と社会保障の一体改革を行えば、増税しか方法はないだろう。しかし、この3つを1つにまとめ、体制をスリムにすれば、増税幅も小さくて済む可能性がある。

 そして、社会保障関係費の大部分を占める国民年金の仕組み自体も見直す必要がある。年間20兆円規模の老齢基礎年金の財源は、半分の10兆円が被保険者の支払う保険料だが、残り10兆円は税金によって賄われている。今後、年金の給付規模が30兆円に達すれば、20兆円を税金で賄うことになるだろう。だが、よくよく考えてほしい。老齢基礎年金は保険方式だから年金保険料を支払った人のみが受け取れるものにもかかわらず、20兆円も税金が投入されている。つまり、保険料を納められなかった貧しい人は、税金だけを徴収されて、何も受け取れないのである。この年金制度は、「再分配方式」として非常にいびつな状態だ。

 国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩氏の著書『ニッポンの貧困』で有名になった話だが、日本は税金を徴収し、社会保障給付金を出すと、貧困度が上がる傾向にある。つまり、所得再配分後のほうが不平等度は高い状況なのだ。そんな意味のないことする国は、世界中で日本だけではないだろうか。



・・・国税・地方税ともに課税方式として、所得課税、消費課税、資産課税をバランスよく使わなければならない。かつての日本は、所得課税を主体としていたが、いまやそれはふさわしい形ではなく、所得課税3分の1、消費課税3分の1、資産課税が理想としては3分の1、その他の税が残り、という割合が望ましいと私は考えている。また、資産課税としては、相続税、固定資産税、金融資産税の3点をセットで行うべきだろう。今までのように小手先だけではなく、そうした抜本的な改革が必要だ。



・・・長期的に増大する社会保障を支えるためには税制改革や制度調整で税収増を図るべきだ。正直に申告している人にとっては、びた一文の増税にもならず、税収を増やす方法もあるということを忘れてはならない。もし制度を変えずに増税だけを行えば、絞りやすい現役世代や法人大企業だけに税金が圧し掛かり、ますます日本は一生懸命に働いたり、人を雇う環境ではなくなる。正直者が馬鹿を見る税制ではおかしい。ザルのように目の粗い税制度を改め、それでも足りない額を増税によって補う。そうすれば、増税幅は大幅に圧縮されるのではないか。



・・・最終的にはすべての国民に対して審査なく無差別に最低限の生存費を保障しようという「ベーシックインカム」を目指すべき・・・。



・・・先程お話ししたような税制改革を行わずに増税に踏み切れば、法を守り、きちんと納税をする一部の人や企業にだけ、負担がさらに圧し掛かることになる・・・。



・・・もしこのまま増税を進め、増税後にかえって税収が落ちた場合、政府はどう言い訳をするつもりなのか・・・増税の前に税制と行政体系をシンプルにしなければならない。税制を一度整理し、シンプルかつ効率的な体制と行政体系にしなければならない。それによって、捻出可能になる財源は必ずあるはずだ。整理をしないままの増税に踏み切れば、“正直者が馬鹿を見る”だけのことになりかねない。」



駒澤大学・飯田泰之准教授インタビュー

2011年12月07日 | Weblog
「なぜ野田政権はこれほど増税論議を急ぐのか あなたが知らない「正直者が馬鹿を見る増税」の内幕」というダイヤモンドオンラインの記事の一部を抜粋して紹介させてもらいます。全文については、下記URLからご覧ください。



http://diamond.jp/articles/-/14650



「・・・野田政権は有価証券や出資金の資産整理の議論をせずに、増税一直線に突き進もうとしている。今、メディアも霞ヶ関も増税一色の状態にある。それは、増税を伴わない財源捻出方法、すなわち国有資産売却などの資産整理を行えば、資産を管理する公的部門、関連法人の廃止・縮小を促しかねないからだろう。なぜ資産整理ではなく増税が優先されるのか落ち着いて考える必要がある・・・。



・・・そもそも東日本大震災は数百年に1度とも言われる大災害である。保険の考え方を当てはめれば、めったに起こらない突然のショックに対応する場合、普通は最初に資産(貯金)の取り崩しを行う。貯金がないならば、次に借金を考えるだろう。



・・・租税には、「公平・簡素・中立」という3原則があるが、今の日本は正反対の状態にある。その意味でも、看板だけではなく本当の意味での「税と社会保障の一体改革」が必要だ。

 まず、税金の徴収体制を見直す必要がある。日本には、国税・社会保険料を徴収する機関がそれぞれ存在し、税務署網が重複して存在するようなものだ。効率が悪いうえに、名簿がばらばらで所得捕捉しきれていない。社会保険の記録漏れ問題――つまりは消えた年金問題はこの税・社会保障という歳入が一括管理されていないことによる。だから二重、地方税も考慮すると三重の体制を温存した上で税と社会保障の一体改革を行えば、増税しか方法はないだろう。しかし、この3つを1つにまとめ、体制をスリムにすれば、増税幅も小さくて済む可能性がある。

 そして、社会保障関係費の大部分を占める国民年金の仕組み自体も見直す必要がある。年間20兆円規模の老齢基礎年金の財源は、半分の10兆円が被保険者の支払う保険料だが、残り10兆円は税金によって賄われている。今後、年金の給付規模が30兆円に達すれば、20兆円を税金で賄うことになるだろう。だが、よくよく考えてほしい。老齢基礎年金は保険方式だから年金保険料を支払った人のみが受け取れるものにもかかわらず、20兆円も税金が投入されている。つまり、保険料を納められなかった貧しい人は、税金だけを徴収されて、何も受け取れないのである。この年金制度は、「再分配方式」として非常にいびつな状態だ。

 国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩氏の著書『ニッポンの貧困』で有名になった話だが、日本は税金を徴収し、社会保障給付金を出すと、貧困度が上がる傾向にある。つまり、所得再配分後のほうが不平等度は高い状況なのだ。そんな意味のないことする国は、世界中で日本だけではないだろうか。



・・・国税・地方税ともに課税方式として、所得課税、消費課税、資産課税をバランスよく使わなければならない。かつての日本は、所得課税を主体としていたが、いまやそれはふさわしい形ではなく、所得課税3分の1、消費課税3分の1、資産課税が理想としては3分の1、その他の税が残り、という割合が望ましいと私は考えている。また、資産課税としては、相続税、固定資産税、金融資産税の3点をセットで行うべきだろう。今までのように小手先だけではなく、そうした抜本的な改革が必要だ。



・・・長期的に増大する社会保障を支えるためには税制改革や制度調整で税収増を図るべきだ。正直に申告している人にとっては、びた一文の増税にもならず、税収を増やす方法もあるということを忘れてはならない。もし制度を変えずに増税だけを行えば、絞りやすい現役世代や法人大企業だけに税金が圧し掛かり、ますます日本は一生懸命に働いたり、人を雇う環境ではなくなる。正直者が馬鹿を見る税制ではおかしい。ザルのように目の粗い税制度を改め、それでも足りない額を増税によって補う。そうすれば、増税幅は大幅に圧縮されるのではないか。



・・・最終的にはすべての国民に対して審査なく無差別に最低限の生存費を保障しようという「ベーシックインカム」を目指すべき・・・。



・・・先程お話ししたような税制改革を行わずに増税に踏み切れば、法を守り、きちんと納税をする一部の人や企業にだけ、負担がさらに圧し掛かることになる・・・。



・・・もしこのまま増税を進め、増税後にかえって税収が落ちた場合、政府はどう言い訳をするつもりなのか・・・増税の前に税制と行政体系をシンプルにしなければならない。税制を一度整理し、シンプルかつ効率的な体制と行政体系にしなければならない。それによって、捻出可能になる財源は必ずあるはずだ。整理をしないままの増税に踏み切れば、“正直者が馬鹿を見る”だけのことになりかねない。」



前の記事の続き

2011年12月07日 | Weblog
第4 その余の上告理由について
上告人のその余の論旨は,違憲及び理由の不備をいうが,その実質は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。


よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。



なお,裁判官田原睦夫,同岡部喜代子,同大谷剛彦の各補足意見,裁判官寺田逸郎の意見がある。


裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。


私は,本件は一審と原審において法86条の解釈を異にし,当審の解釈が今後の医療保険制度の実務運用にも大きな影響を及ぼすものであることに鑑み,以下のとおり補足的意見を述べる。


1 法の規定は明解に定められるべきである。


多数意見にて指摘するとおり,厚生労働省は,従前から保険診療における混合診療保険給付外の原則を解釈として採用してきたが,昭和59年改正及び平成18年改正の際に,法にその旨の明文の規定を設ける機会が存したにも拘わらず,その趣旨の規定を設けようとせず,また,それらの法改正に係る国会審議の場においても,混合診療保険給付外の原則の適否が正面から論議されることはなかった。同原則の適否は,医療制度全体の中で健康保険に係る給付をどのように位置付けるかという高度な政策判断が求められる問題であり,開かれた場で多くの利害関係者の参加の下に掘り下げた議論がなされることが望ましい問題であるといえるが,上記の
とおりこれまでの法改正の過程で正面から取り上げて議論されることがなく,また本件訴訟においても,その点につき双方から十分な主張がなされることはなかった(なお,この点に関する寺田裁判官の指摘は傾聴に値するものであり,「仕組み全体やその運用一般の合理性について相応の検討が求められていたのではないかと思
われる」と指摘される点は同調できる。)。


多数意見にて指摘するとおり,現行法86条は,その立法趣旨や立法経緯,法のその他の規定及び療担規則等と相俟って,混合診療保険給付外の原則を定めたものと解するのが相当であるが,その解釈を導くに当たり相当の法的論理操作を要するのであり,また法の規定の文言上は他の解釈の余地を残すものとなっている。その
こともあって,本件では一審と原審とで法86条の解釈が相違し,結論を異にするに至った。


法の規定の明確性は,法による統治の基本を構成するものであり,その基本的な点において異なった解釈の余地のない明解な条項が定められることが望ましいといえる。


殊に,法の規制の対象者が広範囲に及ぶ場合には,明解な規定が定められることがより一層求められる。そして混合診療保険給付外の原則は,法の直接の規制対象たる保険医,保険医療機関のみならず,保険給付を受ける患者にとっても大きな利害関係が存する制度だけに,それらの利害関係者が容易にその内容を理解できるような規定が整備されることが望まれるといえよう。


2 混合診療保険給付外の原則の基準の明確化の必要性


本件では,腎臓癌という単一の疾病につき同一医療機関において保険の対象となる療養の給付に係る診療と保険給付外の診療が行われたケースであって,その構造は単純である。しかし,例えば,以下の①~③等の各場合に同原則が適用されるのか否かについて,法及び関連諸規定によっても明確でなく,また公表されている文
献においても余り論議されておらず,そのことが本来は同原則が適用されない場合であるに拘わらず,その適用があることを慮る医療機関が,患者の求める保険給付外の診療を差し控えるという萎縮診療に繋がる可能性がある。また,公表されている文献によれば,診療の現場でも同原則の適用の有無を巡って若干のトラブルがあることが窺える。


それ故,萎縮診療や診療現場でのトラブルの防止の観点からは,現に診療に携わる医療機関の意見を十分に徴した上で,広く利害関係者が参画する審議会や研究会等の然るべき機関によって一定の準則が明示されることが望ましいといえよう。



なお,その基準の策定に当たっては,長らく治験薬としてその使用が認められながら,評価診療の対象にも加えられていない丸山ワクチンを末期癌患者が最後の頼りとして従来の医療機関以外の医療機関において投与を受けたような場合にも,それが同原則に該当するとして,従来なされてきた保険の対象となる療養の給付を,
保険給付の対象外と解するような硬直的な基準とはならないよう十分な配慮がなされることが必要であると考える。


① 甲の疾病でA医療機関から保険給付に係る診療を受ける傍ら,同一期間内に同疾病についてB医療機関で保険給付外の診療を受ける場合,同原則は適用されるのか否か。

② A医療機関で甲の疾病により保険給付に係る診療を受けている際に,甲の疾病とは関連しない乙の疾病に罹り,それにつき同医療機関で保険給付外診療を受けた場合,それは同原則の適用外と解してよいか。


上記の場合に同原則が適用されないと解したとき,両疾病に係る基礎的診療行為が共通する場合に,その部分は元々保険給付の適用対象であったのであるから,引き続き保険給付の適用対象となると考えてよいか。


また,当初乙の疾病により保険外診療を受けていて,その後甲の疾病により保険給付に係る診療を受ける場合,両疾病に係る基礎的治療行為が共通するときには,それまで保険外診療であった基礎的治療行為に係る部分を甲疾病の保険給付に係る診療として取り扱うことができるか。


③ A医療機関で甲の疾病により保険給付に係る診療を受けているときに,甲の疾病に関連して乙の疾病に罹り,乙の疾病に保険給付外診療を受けた場合には,それにより甲の疾病に係る診療も同原則の適用を受けることになるのか。乙の疾病については,A医療機関ではなくB医療機関で保険給付外診療を受けた場合はどうか。


その他①~③以外にも同原則の適用の可否が問題となり得る事例は多数に上るが,それらの点についても,準則が明示されることが望ましいといえよう。


3 評価療養制度について


被上告人は,本訴において明確に主張していないが,厚生労働省が公表している資料によれば,平成18年の法改正後,評価療養の対象となる先進医療には毎年十数件が追加され,また2年に一度実施される診療報酬改正の際には,評価療養の対象とされていた先進医療の中から,平成20年度には24件が,平成22年度には
12件がそれぞれ保険診療の療養の給付の対象とされるに至っており,同法改正に先立ち,平成16年12月15日付けの厚生労働大臣と内閣府特命担当大臣による「いわゆる『混合診療』」問題に係る基本的合意」の趣旨に則って,先進医療の評価療養への採用及び評価療養の対象から順次保険診療の療養の給付の対象にすると
いう,平成18年改正法の趣旨が十分に活かされているといえ,一部で懸念されている混合診療保険給付外の原則が平成18年改正法以後も適用されることによる弊害は,現時点では窺えないといえよう。


なお,医療技術及び新薬の開発の進展は目覚ましく,殊に外国でその有効性及びその安全性が確認された医療技術や新薬の早期使用は,既存の適切な治療方法から見放された患者が切望するところでもあるので,それらの医療技術や新薬が迅速に評価療養の対象となるよう,より一層適切に運用されることが望まれるといえよ
う。


4 保険外併用療養費の負担について
保険外併用療養費については,一般に保険診療の療養の給付に相当する部分は療養費が給付され,その余の部分(保険診療の療養の給付外の療養に係る部分)は全額自己負担になると解され,実際にもそのように運用されているが,法の規定自体は,当然にかかる解釈を導く規定とはなっていない。


即ち,保険外併用療養費の額は,原則として,当該療養につき法76条2項(療養の給付に係る費用の額-診療報酬の算定方法)の定めを勘案して,厚生労働大臣が定めるべきところにより算定した費用の額から,その額に法74条1項各号に掲げる場合の区分に応じ,同項各号の定める割合を乗じて得た額(保険診療の療養の給付に係る自己負担額)を控除した額と定める(法86条2項1号)。

以上のように保険外併用療養費の額は,診療報酬の算定方法を勘案して厚生労働大臣が定めるものとされているのであって,その療養費の額を定める対象を診療報酬の算定方法に掲載されているものに限定しているものではない。実際には,法86条2項1号による厚生労働大臣の告示は,診療報酬の算定方法と同一に定められているが,特定の評価療養に係る療養費については,保険給付の対象外の療養費であっても,保険診療の療養の給付に係る自己負担相当部分を除き,告示において,類似する診療報酬の算定方法を勘案して,一定の範囲で保険外併用療養費を支給するものと定めることは法律上は可能である。ただし,そのような支給をするものと定めるか否かについては,厚生労働大臣の広範な裁量に委ねられているのであるから,厚生労働大臣がかかる裁量権を行使しないことをもって違法ということはできない。


裁判官岡部喜代子の補足意見は,次のとおりである。


上告人は,原審が審理において「不可分一体論」を問題としない旨宣言しながら,原判決において不可分一体論を採用していると非難するのでこの点について補足する。
上告人が腎臓がんに罹患し,当該腎臓がんの治療としてインターフェロン療法及びLAK療法を受けていたことは上告人自身が認めるところである。健康保険法に基づく保険給付は,保険事故である疾病,負傷,死亡又は出産に対してなされるものである(法1条,63条)。保険給付は当該疾病を治療するためになされるのである。本件における保険事故は上告人の腎臓がんであるから,本件における保険給付は当該腎臓がんに対する治療として行われるもの全てに対してなされるものということになる。インターフェロン療法もLAK療法に固有の基礎的診療部分も当該腎臓がんに対する治療である。したがって,同一疾病である上告人の腎臓がんに対する保険外の診療(自由診療)であるLAK療法がなされたときには,当該疾病に対する治療は基礎的部分か否かに関わりなく全て保険給付の対象から除かれることになり,インターフェロン療法も保険給付の対象ではなくなるのである。その根拠は,多数意見の述べるところをもって十分に尽くされているというべきである。

ただ,健康保険法が何故にそのような構造を採用したかということを考えるならば,そこには,ある一個の疾病に対する治療は一体としてなされるのであるという不可分一体論が潜在していることは否定できない。しかし,本件においては,上記のとおり,不可分一体論について検討するまでもなくインターフェロン療法は保険診療外となることが認められるのであるから,上告人の上記非難は当たらないのである。不可分一体論は,ある治療が当該疾病に対するものであるか否かが問題となったときに検討されることとなろう。
上記のように,混合診療保険給付外の原則により,ある一個の疾病について保険外の診療(自由診療)を受けた場合には,その疾病に対する保険給付を受給できなくなるのであるから,受給できなくなる範囲は相当程度広いものといわざるを得ない。その意味で,混合診療保険給付外の原則は受給者に対して重大な影響を及ぼすものである旨の上告人の主張は理解できるところである。しかし,多数意見の述べるとおり,現在においては混合診療保険給付外の原則が厳格に貫かれているわけではなく,保険外併用療養費に係る制度の下で評価療養として認められれば,保険診療相当部分については上記療養費が支給されるのである。現状における混合診療保
険給付外の原則は,既に緩和されているといわなければならない。このような状況の下においては,しかるべき医療技術が評価療養として認められるという実態と信頼が混合診療保険給付外の原則ないし保険外併用療養費に係る制度の合理性を担保する要である。先進医療が評価診療として認定されるために定められた手続にのっとって,しかるべき医療技術が評価療養として取り入れられること,そして,これらの手続においてその医療技術の有効性の検証が適正,迅速に行われることが,この制度にとって正に肝要であるといわなければならない。以上付言する。


裁判官大谷剛彦の補足意見は,次のとおりである。


1 本件は,健康保険の被保険者である患者が,腎臓がんという疾病に関し,それ自体は療養の給付として健康保険の適用される診療であるインターフェロン療法に加え,先進医療であって評価診療としては認められていない診療であるLAK療法を併用するいわゆる混合診療を希望したところ,この場合は併用診療全体として保険は適用されないとの解釈(混合診療保険給付外の原則)を踏まえて医療機関側から受診を拒まれたため,インターフェロン療法については健康保険法に基づく療養の給付を受けることの地位ないし権利があることの確認を求める訴訟である。
ところで,健康保険法は,被保険者である患者が受けることのできる保険の適用のある診療やその診療に当たって負担する費用については,保険給付の種類(法52条)とその内容の概略(法63条),また費用の一部負担金の割合などを規定するが,具体的な保険適用の対象となる診療の範囲,複数の診療を組み合わせた場合
の取扱い,また具体的な費用額の算定や保険適用額を超える費用の支払の要否などは,多くを省令,規則,告示等の下位規範に委ねている。そしてこれら規範も保険給付を提供する側の保険医療機関を対象にしているため,被保険者として受けられる保険適用のある診療やその場合の費用負担については,法が正面から規定を置かず,診療を提供する側についての規範のいわば裏返しとして,診療を受ける患者側の権利,義務が導かれることになり,被保険者である患者の側からすると甚だ分かりにくい法構造となっている。


2 現行健康保険法において,保険給付として,保険が全面的に適用される「療養の給付」としての診療(患者には保険医療機関から現物としての診察,治療等が行われ,「療養の給付に要する費用」は保険者から保険医療機関に支払われる。)と,先進医療に関し,「療養の給付」に含まれない「評価療養」としての診療(患者は診療を受けたときは費用を保険医療機関に支払うが,「保険外併用療養費」(療養の給付の費用額を勘案して定められる費用)として保険の適用される分を保険者が患者に支給して補填する。なお,療養の給付と同様の費用支払方法も認められている。)について規定を置くが,法はそれ以外の先進医療をどのように取り扱うかについては,正面から規定を置いていない。安全性,有効性が確認されて保険適用される「療養の給付」に当たる診療と,それに向けての検証,評価段階にある「評価療養」に当たる診療(旧法下では安全性,有効性が認められるが普及性を充たさない「高度先進医療に係る療養」)以外の診療は,保険の適用がない「保険外診療」になると解釈されることは,多数意見において前記の法構造の故に多言を要することになったが,詳細に説明するとおりである。上告人側の主張や一審判決のように,国民皆保険の理念や条文上の局部的な文理を捉えて,「評価療養」以外の診療にも常に「療養の給付」に当たる部分は保険が適用されるとの解釈も成り立ち得ないわけではないが,素直な文理の解釈,「評価診療」制度の法における位置付け,下位規範も含めた法規範全体の体系的理解,立法の経緯と立法趣旨等を総合して解釈すると,上告人側の主張は採り得ないといわざるを得ないところである。そして,このような立法とその解釈(いわゆる「混合診療保険給付外の原則」)の合理性という点では,かつて一部の療養に差額徴収を認める自由診療方式を認めたところ,患者側が高額な差額支払を求められて社会問題化された経緯を踏まえ,「国民の生活水準の向上や価値観の多様化に伴う医療に対する国民のニーズの多様化,医学・医術の進歩に伴う医療サービスの高度化に対応して,必要な医療の確保を図るための保険の給付と患者の選択によることが適当な医療サービスとの間の適切な調整を図る」という観点から,先進医療の有効性,安全性を検証,評価する段階の評価療養・保険外併用療養費の制度(旧法下での高度先進医療に係る療養・特定療養費制度)が設けられ,差額徴収を認める自由診療の範囲をこれに限って明確に画し,その場合の徴収方法や補填支給方法も療養の給付に要する費用とは別に定め,一方,これにも当たらない診療については,保険においてより必要な医療の確保を図る(保険原資の平等な分配ないし受益ともいえる)との観点から,むしろ保険の適用外に置いて診療を抑制(規制)することは,立法政策,立法裁量として(保険者,保険医療機関,被保険者それぞれにとって)相応の合理性を有すると考えられる。この点は,立法と以上のような解釈が,憲法に違反するものではないと解されるゆえんでもある。


3 ところで,被保険者に対する保険適用の当否は,法63条の規定からも疾病を単位に,疾病ごとに考えることになるが,一つの疾病でも症状に応じ様々な診療のバリエーションが考えられるのであり,例えば療養の給付に当たる診療と保険外診療との組合せ,評価診療と保険外診療の組合せなども往々にして生じよう。このような組合せによる診療の場合の取扱いを正面から律する規定は存在せず,法86条が「保険外併用療養費」の項目の下に評価診療の場合のみを規定しているところを見ても,保険適用のある診療に保険外診療が加わった場合にも前記の解釈を演繹して,併用された診療がやはり全体として保険適用の範囲外に置かれると解されることになろう(多数意見第2の2(4)。これが本来の混合診療の場面で,保険給付外の原則が適用されることになる。)。このような取扱いは,大量に生じる多様な事象に対処する上で,画一的な処理の要請から併用一般を念頭に置いた原則の適用としてやむを得ない面があるが,例えば,比重の大きい療養の給付に当たる診療に比重の小さい保険外診療を組み合わせた場合や,先進医療で安全性と有効性が確認されて保険適用ありとされた療養の給付に当たる診療に保険外の先進医療を組み合わせる場合に,全体が保険外併用診療として保険の適用外に置かれることになり,その合理性が問われ,患者側からすると過剰な規制と映ることも理解できるところである。


このような合理性が問われる場面の解決を,法の文理的解釈をもって行うとなると,保険給付制度の全体的な枠組みに影響が及び,今度は他方におけるこの原則の合理的な規制としての意味が損なわれ,保険外診療の増加とこれに伴うかつての自由診療の弊が生じかねず,また必要な医療の確保を図る健全な制度運営への支障を来しかねない。患者において保険外診療を併用するとの選択を控えれば保険適用のある診療を受けることができるのは当然であるが,なおその選択へのニーズが高く,不合理性がクローズアップされるのは,併用される保険外診療の有効性が謳われ,その受診を患者が希望しても,実際上療養の給付部分にも保険が適用されなくなることから受診を断念せざるを得なくなるとか,医療機関側も費用補填のない以上提供を拒むことになるような場合であろう。これは,やはり「医療に対する国民のニーズの多様化,医学・医術の進歩に伴う医療サービスの高度化に対応して,必要な医療の確保を図るための保険の給付と患者の選択によることが適当な医療サービスとの間の適切な調整」の問題であり,その問題意識からの議論を経て,高度先進医療に係る療養・特定療養費の制度が創設され,更に適用要件を緩和する評価療養・保険外併用療養費制度に発展してきており,この問題への穏当な解決へのレールが敷かれてきている。これらの制度の運用により漸次検証,評価段階の中間的な保険適用の療養の増加が見られ,また,その検証,評価を経て療養の給付に取り込まれる療養も蓄積されて成果が得られてきている。医療技術の進歩に伴う医療サービスの高度化は目覚ましく,ニーズの多様化も進みつつあり,混合診療保険給付外の原則の合理性が問われる場面を減少させる意味からも,更なる迅速で柔軟な制度運営が期待されるところである。


裁判官寺田逸郎の意見は,次のとおりである。


1 いわゆる混合診療については,法86条等の解釈上,「療養の給付」の対象に当たらない診療である自由診療部分のみならず,それ自体は「療養の給付」の対象に当たる保険診療相当部分についても保険給付を行うことができないこととする原則(混合診療保険給付外の原則)がとられていて,「療養の給付」の対象に当たらない診療が「評価療養」(旧法では「特定承認保険医療機関のうち自己の選定するものから受けた療養」)又は「選定療養」の要件を満たす場合に限って保険診療相当部分につき保険給付を行うものとする仕組みとなっているという理解において,私も多数意見と立場を同じくし,また,上告人の請求は認められるべきではなく,その旨の原審の判断結果を正当と認めて上告を棄却すべきであるという結論においても,多数意見に異論はない。ただ,法の解釈が上記のようなものであるとすると,憲法,なかんずく憲法14条1項に違反するとの上告人の主張に対し,多数意見の立場は,本件において上告人に対する措置の違憲を理由として上告人の請求及び上告を容れることができないとする限度では相当であるものの,一般的に,制度がどのような基準に従い,どのように運用されるのか,その運用において合理性のある仕組みとして機能し続ける保障があるのかについて疑問があり,原審の審理結果に依拠してその判断をそのまま是認することには躊躇を覚え,その点で多数意見に与することができないと考えるので,この点につき意見を付しておきたい。


2(1) 上記のような解釈の下で法の関係規定が憲法14条1項に違反しないことについて,原審も,多数意見も,(ア)保険により提供する医療について,保険財源の面からの制約や提供する医療の質(安全性,有効性等)の確保等の観点から,その範囲を制限することはやむを得ないこと,(イ)自由診療を含まない保険診療の療法のみを用いる診療と単独であれば保険診療となる療法に先進医療に係る自由診療の療法を併用する混合診療とで保険給付の受給の可否について区別を設けることにも,医療の質を確保する等の観点から合理性があるとの説明をしている。この判断は,健康保険法に関する昭和59年改正から平成18年改正へと至る経緯が,多数意見に示されたとおり,医療に対する国民のニーズの多様化,医学・医術の進歩に伴う医療サービスの高度化に対応して必要な医療の確保を図るための保険の給付と患者の選択によることが適当な医療サービスとの間の適切な調整を図ることを念頭に置いて,「特定承認保険医療機関から受ける高度の医療に係る療養その他の療
養」というべき概念を一つの基準に据えた特定療養費制度がまず創設され,次いで,新技術の導入の迅速化等を図るとして高度先進医療についての扱いを承認すべき保険医療機関の特定から切り離し,「評価療養」として再構成した保険外併用療養費制度に移行することを柱として,漸次対応を進めてきたことに沿っているところであり,提示された問題が社会保険における受給権が与えられるべき要件についてであるという事の性格に重きを置いて考えたときは,一般的には相当性を欠く判断であるとはいい難いように思える。


(2) しかし,上記の判断に直ちに与しないのは,そうすることに躊躇を感じさせる事情が本件にはあるからである。


ア 法の解釈が上記のとおりであるという前提をとる場合に,上記の制度の合理性を検討する上で問題となるのは,単なる保険給付が行われるための要件ではなく,第1に,単独であれば療養の給付の対象として保険給付が行われる療法について,他の特定の療法と併用する場合には療養の給付の対象であるはずの保険給付が
否定されるという仕組み自体であり,次に,その仕組みの中での「併用すると本来の給付をも否定する対象」の決め方,いわば,給付を受ける権利の阻害要件として機能するものの在り方である。このうち仕組み自体の合理性については,議論のあるところであり,避けては通れないところであるが,ここでは,受け容れ難い有効性を欠く療法など一定の療法が行われることに対する対応策としてそれ自体不合理なものであるとはいい難いであろうという一応の結論を示すにとどめ,その次に来る「要件の決め方」に注目したい。


イ 現行法の下では,保険給付が認められるかどうかの観点からみると,療法一般は,(ア)全面的に保険給付が認められる対象となる療法,(イ)全面的に保険給付が認められる対象ではないが,全面的に保険給付が認められる対象となる療法と併用する場合に併用する療法についての保険給付に相当する給付が否定されることが
ない療法,(ウ)全面的に保険給付が認められる対象でなく,全面的に保険給付が認められる対象となる療法と併用すると併用する療法についての保険給付に相当する給付も否定される療法,の3つに分かたれることになる。これらを仮に,推奨療法((ア)),随意療法((イ))及び忌避療法((ウ))と称することとしよう。それぞれの対象範囲を決める場合に,推奨療法を随意療法等から分かつ基準については,財政上の都合,医療サービス供給体制の実情への配慮などもあり,決定権者に相当の裁量が認められるものであっても全く不合理ではない。これに対し,忌避療法は,権利を否定するものとして機能する範疇なので,より厳格な指針をもって範囲を決める仕組みとすべきものである。そうすると,本来であれば,まず忌避療法をその他からどう分かつかを基準を定めて決め,残る療法の中から諸事情を勘案して推奨療法を決めるとする決め方が適切であるということになろうが,法律のたどってきた経緯や技術的困難から,推奨療法と随意療法とを基準を定めて決め,残されたものが忌避療法であるとすることも不相当とはいえまい。しかし,そうであるとしても,推奨療法から分かたれた残りの療法の中で,どれを随意療法とし,どれを忌避療法とするかについては,できる限り決定権者の裁量を排し,この仕組みが目的とするところに沿った明確な基準,方法により決定ができる仕組みが求められるはずであるとはいえよう。


ウ この観点から旧法及び法の規定を見ると,上記イで論じた随意療法に相当する対象は,昭和59年改正においては,「学校教育法に基づく大学の附属施設である病院その他の高度の医療を提供するものとして厚生労働省令で定める要件に該当する病院又は診療所であって厚生労働大臣の承認を受けたもの(特定承認保険医療
機関)のうち自己の選定するものから受けた療養」という具合に大臣の承認を受けた医療機関の提供する医療という抽象的な形式しか決められておらず(旧法86条1項1号),また,平成18年法においても,「評価療養」について「厚生労働大臣が定める高度の医療技術を用いた療養その他の療養であって,療養の給付の対象とすべきものであるか否かについて適正な医療の効率的な提供を図る観点から評価を行うことが必要な療養として厚生労働大臣が定めるもの」との規定が置かれ(法63条2項3号),旧法ほど原理がわかりにくくはないものの,厚生労働大臣が決定に当たり社会保険医療協議会に諮問する対象からも外されていて(法82条1項ただし書),結局,どのような基準でどのような手続により決められるのかは旧法及び法の上では不明確で,厚生労働大臣の大幅な裁量に委ねられているといわざるを得ない。


エ 記録によると,「混合診療保険給付外の原則」の憲法14条1項との関係における合理性について被上告人が主張するところの核心は,「保険適用が認められていない薬物・医療技術には安全性と有効性に問題があるものが多いところ,国民が安全性と有効性の確認された医療以外の医療を受ける機会をできる限り避けるため,混合診療が行われるときは本来の保険診療部分にも保険給付を認めないということとするという抑止的な措置をとることが必要である。」ということ(以下「安全性・有効性確保論」という。)である。ところが,被上告人が第1審において混合診療保険給付外の原則を採用することの根拠として真っ先に挙げたのは「公的医療保険制度の下では個々人の医療を受ける機会がその経済的な負担能力に左右されないようにすることが望ましく,混合診療について本来の保険診療部分に保険給付を認めることは経済的負担能力がある者がより多くの医療を受ける機会を得ることになって相当でないから,これを否定せざるを得ない。」ということ(以下「公的医療平等論」という。)であり,安全性・有効性確保論はその後に続く柱の一つにすぎなかったのであって,安全性・有効性確保論に重点を置く主張がされたのは,ようやく原審で計7回行われた弁論準備手続の第5回においてである。公的医療平等論は,もともと昭和59年改正前から国の制度論を支えていた哲学とでもいうべき基本的な考え方とみられ,この考え方の下では,自由診療を保険制度と関連付けて公認することを極力避けようとする傾向がみてとれるだけに,この考え方がなお制度の根底に据えられているとするならば,評価医療の認定対象は極めて限定的となることも十分考えられる。


オ 混合診療保険給付外の原則については,旧法及び法の規定ぶりがわかりやすい構成をとっていないこともあって,本件訴訟においては,第1審以来,保険外併用療養費制度及びその前身に当たる特定療養費制度を定める法の解釈論議に多くが費やされ,原審においても,第1回口頭弁論が開かれた後,弁論終結となった第2
回口頭弁論までの間に続けられた7回にわたる弁論準備手続の最終段階においてもなお解釈論に絞った主張が交わされていたことにみられるように,実質的には解釈論議に終始したといってもよく,この原則がどのような目的を達成するための手段としてどのように合理的であるのかについての立ち入った議論が深められるには至
らなかったように見受けられる。しかし,本件訴訟において上告人が問うているのは,等しくインターフェロン療法を受ける場合であっても,受けるのがインターフェロン療法だけであれば療養の給付の対象として保険給付が行われるのに対し,LAK療法と併用しているばかりにインターフェロン療法についての療養の給付も否定され,保険給付が全く受けられないことは不当ではないかというのであるから,まさにこの上記の原則の下で定められている仕組みの「手段としての目的との間の合理的な関連性」に係るものであったのであり,仕組み全体やその運用一般の合理性について相応の検討が求められていたのではないかと思われる。
「国民に特別の手当を支給するが,手当の趣旨にそぐわない収入がある者には支給しない。手当の趣旨にそぐわないかどうかは支給する側で適宜判断する。」と言われれば,首をかしげざるを得ないであろう。保険外併用療養費制度及びその前身に当たる特定療養費制度のここで問題にしている部分では,まさしくこれと本質的
に似た構造がとられているように思われ,現実に制度がどのような目的のためにどのように運用されるかは旧法及び法の規定では明らかにされず,それだけでは運用をリードする基準がいかなるものであるかが明らかでないということについての疑問を解消することができない。
以上の次第で,この点に関する多数意見の説明を首肯するには至らないのである。


3 ただ,本件について上告人が併用するべきものとして主張するLAK療法に絞ってみると,多数意見に示されたとおり,特定療養費制度の下で一旦高度先進医療に係る療養として認められていたことがあるが,平成18年1月に,厚生労働省に設けられた高度先進医療専門家会議により有効性が明らかでないと判断され,同年4月に,これを受けて,厚生労働大臣が告示中に高度先進医療として認める対象から除く措置を執り,平成18年改正後も引き続き高度の医療技術を用いた療養としての評価医療の範囲に含まれていないというのであって,記録中には,この措置をとった判断を額面どおりに受けとることにつき疑いを抱かせる事情及びこの判断を変更すべき事情が何ら窺われない以上,この措置及び上記の仕組みの本件への適用としての上告人の例に係る運用を合理性を欠いた憲法に反するものと認めることはできない。法の関係規定が上告人の行為を規制する性格のものではないことをも考慮すると,本件においては,上記の関係にある上告人が保険給付を受ける権利を有するとはいえないとの結論をとることが相当であり,本件上告を棄却すべきであるとする多数意見の結論には異議はない。


(裁判長裁判官 大谷剛彦 裁判官 那須弘平 裁判官 田原睦夫 裁判官
岡部喜代子 裁判官 寺田逸郎)」


混合診療禁止は「適法」=患者側敗訴が確定-最高裁

2011年12月07日 | Weblog
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%ba%ae%b9%e7%bf%c7%ce%c5&k=201110/2011102500543



「保険診療と保険外診療を併用する「混合診療」を受けると、医療費全体に保険が適用されないのは違法として、がん患者の男性が国を相手に保険給付を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(大谷剛彦裁判長)は25日、混合診療の禁止を適法と判断し、患者側上告を棄却する判決を言い渡した。患者側の逆転敗訴を言い渡した二審東京高裁判決が確定した。
 訴えていたのは、神奈川県の団体職員清郷伸人さん(64)。混合診療の禁止は憲法が保障する法の下の平等に違反し、法律上の根拠もないと主張していた。
 判決で同小法廷は、健康保険法は、要件を満たした一部の先進医療との混合診療に限って、保険診療部分への保険給付を例外的に認めていると指摘。このことから、要件を満たさない混合診療については、保険適用はできないと解釈できると判断した。
 その上で、こうした制度には「一定の合理性が認められる」として、患者側の違憲主張も退けた。(2011/10/25-19:08)」



平成22(行ツ)19 健康保険受給権確認請求事件  
平成23年10月25日 最高裁判所第三小法廷 判決 棄却 東京高等裁判所



「主 文


本件上告を棄却する。


上告費用は上告人の負担とする。


理 由


第1 事案の概要


本件は,健康保険の被保険者である上告人が,腎臓がんの治療のため,保険医療機関から,単独であれば健康保険法上の療養の給付に当たる診療(いわゆる保険診療)となるインターフェロン療法と,療養の給付に当たらない診療(いわゆる自由診療)であるインターロイキン2を用いた活性化自己リンパ球移入療法(以下「LAK療法」という。)とを併用する診療を受けていたところ,当該保険医療機関から,単独であれば保険診療となる療法と自由診療である療法とを併用する診療(いわゆる混合診療)においては,健康保険法が特に許容する場合を除き,自由診療部分のみならず,保険診療に相当する診療部分(以下「保険診療相当部分」ともいう。)についても保険給付を行うことはできない旨の厚生労働省の解釈に従い,両療法を併用する混合診療を継続することはできないと告げられ,これを断念せざるを得なくなったため,厚生労働省の上記解釈に基づく健康保険行政上の取扱いは健康保険法ないし憲法に違反すると主張して,被上告人に対し,公法上の法律関係に関する確認の訴えとして,上記の混合診療を受けた場合においても保険診療相当部分であるインターフェロン療法について健康保険法に基づく療養の給付を受けることができる地位を有することの確認を求めている事案である。

なお,以下,現行の健康保険法を「法」又は「現行法」といい,平成18年法律第83号による健康保険法の改正を「平成18年改正」,同改正前の健康保険法を「旧法」,昭和59年法律第77号による健康保険法の改正を「昭和59年改正」,同改正後で昭和60年法律第34号による改正前の健康保険法を「昭和59年法」といい,保険医療機関及び保険医療養担当規則(昭和32年厚生省令第15号)を数次の改正の前後を通じて「療担規則」という。


第2 上告代理人本田俊雄ほかの上告受理申立て理由第1について


1(1) 原審の適法に確定した本件の診療に関する事実関係の概要は,次のとおりである。


ア 上告人は,健康保険の被保険者であるところ,保険医療機関である神奈川県立がんセンター(以下「本件病院」という。)において,腎臓がんの治療のため,平成13年9月から,単独であれば保険診療となるインターフェロン療法と自由診療であるLAK療法(先進医療としての位置付けは,後記エ参照)とを併用する混合診療を受けていた。なお,本件病院は,当時,旧法86条1項1号所定の特定承認保険医療機関(学校教育法に基づく大学の附属施設である病院その他の高度の医療を提供するものとして厚生労働省令で定める要件に該当する病院又は診療所であって厚生労働大臣の承認を受けたもの)の承認を受けていなかった。


イ 厚生労働省(平成13年1月5日以前は厚生省)は,健康保険法における保険給付の取扱いにつき,単独であれば保険診療となる療法と先進医療であり自由診療である療法とを併用する混合診療においては,昭和59年改正後(平成18年改正前)は旧法86条所定の特定療養費,平成18年改正後は法86条所定の保険外併用療養費の各支給要件を満たしている場合を除き,自由診療部分のみならず,保険診療相当部分についても保険給付を行うことはできない旨の解釈(以下,これを「混合診療保険給付外の原則」ともいう。)に基づいて,医療機関等に対するその旨の行政指導等を行ってきている。上記解釈によれば,上告人が,本件病院において,腎臓がんの治療のためインターフェロン療法に加えてLAK療法を受けると,LAK療法はもとより,インターフェロン療法についても療養の給付を受けることができなくなる。


ウ 上告人は,平成17年10月,本件病院から,上記解釈に従い,上記の両療法を併用する混合診療を継続することはできないと告げられ,本件病院においてLAK療法を受けることを断念した。しかし,上告人は,本件病院において従前どおりインターフェロン療法とLAK療法とを併用する診療を受けることを希望している。


エ なお,LAK療法は,従前,特定療養費の支給対象となる旧法86条1項1号所定の療養のうち高度先進医療に係る療養(被保険者が特定承認保険医療機関のうち自己の選定するものから高度の医療の提供として受ける療養)の範囲に含まれていたが,有効性が明らかでないとして,平成18年4月,高度先進医療に係る療養の範囲から除外され,現行の保険外併用療養費に係る制度への移行後も,その支給対象となる先進医療に係る療養(後記(2)ウの評価療養)の範囲に含まれていない。


(2) 原審の適法に確定した保険外併用療養費及び特定療養費に係る各制度の沿革に関する事実関係等は,次のとおりである。


ア 昭和59年改正前において,健康保険法の委任を受けた療担規則(昭和59年厚生省令第45号による改正前のもの)の規定により,保険医が特殊な療法又は新しい療法等を行うこと及び厚生大臣の定める医薬品以外の医薬品を患者に施用し又は処方すること並びに保険医療機関が被保険者から療養の給付に係る一部負担金
の額を超える金額の支払を受けることはいずれも禁じられていた(5条,18条,19条1項)。歯科医師である保険医については更に厚生大臣の定める歯科材料以外の歯科材料を歯冠修復及び欠損補てつにおいて使用してはならないとされていた(19条2項)ところ,厚生省は,保険局長通知によって,保険医療機関における歯科治療の過程において本来であれば使用が許されない金合金を用いた場合に差額徴収の取扱い(保険診療相当部分については保険診療として療養の給付が行われることとし,保険医療機関は保険者から療養の給付に関する費用の支払を受けることができ,本来であれば使用が許されない歯科材料の費用を患者の自己負担として患
者から徴収することができる取扱い)をすることを認めるなどした。

しかし,歯科材料費の差額徴収の取扱いについて,保険医療機関が歯科材料費差額だけでなく技術料差額をも含めて患者から徴収することが慣行化し,患者側ではその区別が必ずしも明らかでないため求められるままに差額の負担に応じざるを得ないという事情もあり,差額徴収による患者の自己負担額が高騰したほか,患者が差額の支払を事実上強要されるような事態が生じたため,昭和50年頃にはこのことが社会問題化するに至った。また,特別の病室の提供についても,入院料(室料)の差額徴収(差額ベッド代の徴収)の取扱いが運用上認められていたところ,これも大きな社会問題となり,厚生省により運用の改善に係る行政指導が行われるなどした。

他方で,高度先進医療に係る療養については,昭和59年改正前は,健康保険行政上,保険診療の対象外である高度先進医療に係る療養を一部でも加えた混合診療を受けた場合には,保険診療相当部分を含めて,被保険者が受けた療養全体を保険給付の対象外とする取扱いがされていた。


イ 以上の経緯を経て,昭和59年改正により特定療養費に係る制度が創設された。その制度は,被保険者が,保険医療機関等から選定療養(被保険者の選定に係る特別の病室の提供その他の厚生労働大臣が定める療養。旧法63条2項)を受け,又は特定承認保険医療機関から高度先進医療に係る療養その他の療養を受けた
場合に,その療養に要した費用について特定療養費を支給する(旧法86条)というものであった(後記(3)イ参照)。
上記特定療養費に係る制度の創設の趣旨は,国民の生活水準の向上や価値観の多様化に伴う医療に対する国民のニーズの多様化,医学・医術の進歩に伴う医療サービスの高度化に対応して,必要な医療の確保を図るための保険の給付と患者の選択によることが適当な医療サービスとの間の適切な調整を図るものとされ,この制度により,入院料(室料)や歯科材料費等の差額徴収の取扱いが,法令上明確に位置付けられた。昭和59年改正に係る国会答弁(衆議院社会労働委員会)において,厚生省保険局長は,従前の保険診療においては,保険診療の範囲内の診療と健康保険で認められていない診療とを同時に行った場合には費用の全額が患者の自己負担となるが,今後高度先進医療が出てくる場合に,保険診療で見られる部分は保険診療で見て,保険診療に取り入れられていない部分だけは自己負担とすることとし,保険診療で見られる部分については特定療養費に係る制度を設けることとした旨の説明をした。さらに,同局長は,昭和60年2月25日付けで,都道府県知事宛てに通知を発し,特定療養費の支給対象となる高度先進医療は,質的・量的に高水準の医療基盤を有する医療機関において実施する場合にはその安全性及び有効性が確立されているが,その実施についてはいまだ一般に普及するには至っていないものであり,当該医療が一般に普及して保険に導入されるまでの間,特定療養費に係る制度の対象としたものであると説明した。

そして,昭和59年改正後も,健康保険行政上,高度先進医療に係る混合診療が行われた場合において,それが特定療養費の支給要件を満たすものでないときは,保険診療相当部分についても保険給付の対象外とする取扱いがされていたものであり,この取扱いの基礎とされてきた前記解釈(混合診療保険給付外の原則)は,健
康保険法の委任を受けた療担規則において引き続き原則として特殊な療法又は新しい療法等が禁止され,厚生大臣の定める医薬品以外の薬物を患者に施用し又は処方することが禁止されていたこと等とあいまって,混合診療禁止の原則と称されてきた。


ウ 平成16年に至り,内閣府に設置された規制改革・民間開放推進会議は,「中間とりまとめ」として,上記のような混合診療禁止の原則を改め,混合診療を全面解禁し,混合診療における保険診療相当部分についても保険給付の対象とすべきである旨の意見を公表した。これに対し,厚生労働省は,国民皆保険の下,社会保障として必要十分な医療は保険診療として確保することが原則であり,他方,医療に対する国民のニーズの多様化や医学・医術の進歩に伴う医療サービスの高度化に対応するため,適正なルールの下に混合診療を可能とする特定療養費に係る制度が設けられており,このような仕組みによらずに無制限に混合診療を認めることは,医療の安全性及び有効性を確保することが困難になり,不当な患者負担の増大を来すなどのおそれがあるため,今後も特定療養費に係る制度を活用し,その範囲の拡大や承認の簡素化及び新技術の導入の迅速化によって対応すべきであるとの考え方を示した。
このような観点等から,特定療養費に係る制度は,平成18年改正により,支給の対象が将来的にも療養の給付の対象に組み入れられることを前提としない選定療養と将来療養の給付の対象に組み入れるかどうかの評価を行う評価療養(厚生労働大臣が定める高度の医療技術を用いた療養その他の療養であって,療養の給付の対象とすべきものであるか否かについて適正な医療の効率的な提供を図る観点から評価を行うことが必要な療養として厚生労働大臣が定めるもの)として再構成され,評価療養の内容には従前の高度先進医療のほか必ずしも高度でない先進医療技術も加えられ,手続的にも特定承認保険医療機関の制度が廃止されて保険医療機関等による届出制とされて,現行の保険外併用療養費に係る制度に改められた。その制度は,被保険者が,保険医療機関等から,評価療養(法63条2項3号)又は選定療養(同項4号)を受けた場合に,その療養に要した費用について保険外併用療養費を支給する(法86条)というものである(後記(3)ア参照)。


(3) 保険外併用療養費及び特定療養費に係る各制度に関する関係法令等の定めは,次のとおりである。


ア 法は,健康保険の被保険者に保険給付を受ける権利があることを前提として(61条参照),現物給付たる療養の給付と金銭支給たる各種療養費等の支給を定めている(52条)。
法は,療養の給付として,「診察」(63条1項1号),「薬剤又は治療材料の支給」(同項2号),「処置,手術その他の治療」(同項3号)等を掲げており,その具体的な内容等についての詳細を厚生労働省令に委ねている。また,法は,保険医療機関から療養の給付を受ける者は,その給付を受ける際,療養の給付に要する費用の額に所定の割合を乗じて得た額を一部負担金として当該保険医療機関に支払わなければならない旨を規定する(74条1項)とともに,保険者は,上記療養の給付に要する費用の額から上記一部負担金に相当する額を控除した額を療養の給付に関する費用として当該保険医療機関に支払うものとする旨を規定しているところ(76条1項),上記療養の給付に要する費用の額の具体的な算定方法についてはこれを厚生労働大臣の定めに委ねている(同条2項)。
法70条1項及び72条1項の委任を受けた現行の療担規則は,保険医が,厚生労働大臣の定めるもの以外の特殊な療法又は新しい療法等を行うことを禁止する(18条)とともに,厚生労働大臣が定める場合を除いて,厚生労働大臣の定める医薬品以外の薬物を患者に施用し又は処方することを禁止しており(19条1項),これらの規定の委任に基づいて厚生労働大臣が定めた平成18年厚生労働省告示第107号が,特殊な療法又は新しい療法等を行うことができる場合として,法63条2項3号所定の評価療養を(第五),厚生労働大臣の定める医薬品以外の薬物を患者に施用し又は処方することができる場合として,一部の先進医療に係る薬物を使用する場合等を(第七)それぞれ定めている。また,法76条2項の委任を受けた「診療報酬の算定方法」(平成20年厚生労働省告示第59号)は,療養の給付に要する費用の額の算定方法について,点数制度をもって具体的に定めており(なお,同項の委任を受けた厚生労働大臣の定めとしての告示は,昭和59年以前から現在に至るまで,新告示の制定と旧告示の廃止が繰り返されているが,上記算定方法を点数制度をもって具体的に定めている点では同様である。以下,一連の上記告示を併せて「診療報酬の算定方法」という。),さらに,上記療担規則は,保険医療機関が,療養の給付につき,被保険者から,前記の一部負担金の支払を受けるものとし,これを超える金額の支払を受けることを禁止する趣旨の規定を設けている(5条1項)。


また,法は,療養の給付に含まれない療養に係る保険給付として,特に,被保険者が評価療養(63条2項3号)又は選定療養(同項4号)を受けたときのその療養に要した費用につき保険外併用療養費(86条)を,特定長期入院被保険者以外の被保険者が受けた食事療養(63条2項1号)に要した費用につき入院時食事療養費(85条)を,特定長期入院被保険者が受けた生活療養(63条2項2号)に要した費用につき入院時生活療養費(85条の2)をそれぞれ支給する旨規定している。


このうち,保険外併用療養費の額は,当該療養につき療養の給付に要する費用の額に係る厚生労働大臣の定め(診療報酬の算定方法)を勘案して厚生労働大臣が定めるところにより算定した費用の額(その額が現に当該療養に要した費用の額を超えるときは,当該現に療養に要した費用の額。以下「保険外併用療養費算定費用額」という。)から,その額に療養の給付に係る一部負担金の割合と同じ割合を乗じて得た額(療養の給付に係る一部負担金について減免等の措置が採られるべきときは,当該措置が採られたものとした場合の額。以下「保険外併用療養費一部負担額」という。)を控除した額とされている(法86条2項1号)。また,同号の委任を受けた平成18年厚生労働省告示第496号は,同条1項に規定する療養(食事療養及び生活療養を除く。)についての費用の額の算定については,基本的に診療報酬の算定方法の例によると規定しており,保険外併用療養費については,実質的に療養の給付と同内容の保険給付が金銭で支給されることとされている。


他方で,法63条2項3号の委任を受けた平成18年厚生労働省告示第495号は,評価療養の内容について,「別に厚生労働大臣が定める先進医療(先進医療ごとに別に厚生労働大臣が定める施設基準に適合する病院又は診療所において行われるものに限る。)」等と定めており,これを受けて,平成20年厚生労働省告示第129号(同告示制定前は,平成18年厚生労働省告示第574号等)が,所定の要件を満たすものとして届け出られた保険医療機関等において受けることのできる先進医療の内容を具体的に定めている。


そして,療担規則は,保険医療機関が,被保険者に係る療養の給付以外の保険給付につき,被保険者から,食事療養,生活療養,評価療養又は選定療養に関し,当該療養に要する費用の範囲内において入院時食事療養費,入院時生活療養費又は保険外併用療養費の額を超える金額の支払を受けることができるものとし,その範囲を超える金額の支払を受けることを禁止する趣旨の規定を設けている(5条)。また,評価療養又は選定療養に関してみると,保険医療機関が被保険者から保険外併用療養費算定費用額(法86条2項)を超える金額の支払を受けることができるのは,あらかじめ,患者に対しその内容及び費用に関して説明を行い,その同意を得た場合に限るものとされている(5条の4第1項)。


イ 旧法の特定療養費に係る制度も,療養の給付と各種療養費の支給との関係及び診療行為の安全性や費用に係る規制等の内容は,基本的に現行法と同様である
(なお,健康保険法は,平成14年に大幅に条項を変更する改正が行われており,上記特定療養費に係る制度につき,以下では旧法の条項を掲げるが,制度の概要は昭和59年法以来同様である。)。
旧法は,療養の給付に含まれない療養に係る保険給付として,63条2項所定の選定療養を受けたとき(86条1項2号)のその療養に要した費用につき特定療養費を支給すると規定するとともに,特定承認保険医療機関から高度先進医療に係る療養その他の療養を受けたとき(同項1号)のその療養に要した費用につき特定療養費を支給すると規定していた(同項柱書き)。この旧法における特定療養費の額は,当該療養に食事療養が含まれないときは,当該療養につき療養の給付に要する費用の額に係る厚生労働大臣の定め(診療報酬の算定方法)を勘案して厚生労働大臣が定めるところにより算定した費用の額(その額が現に当該療養に要した費用の額を超えるときは,当該現に療養に要した費用の額)から,その額に療養の給付に係る一部負担金の割合と同じ割合を乗じて得た額を控除した額とされていた(同条2項1号)。また,旧法の下において,同号の委任を受けた平成18年厚生労働省告示第101号は,同条1項に規定する療養(食事療養を除く。)についての費用の額の算定については,基本的に診療報酬の算定方法の例によると規定しており(なお,同条2項1号の委任を受けた厚生労働大臣の定めとしての告示は,昭和59年改正以後平成18年改正に至るまで新告示の制定と旧告示の廃止が繰り返されているが,基本的に診療報酬の算定方法の例によるとしている点では同様である。),特定療養費について,実質的に療養の給付と同内容の保険給付が金銭で支給されることとされていた。


なお,上記の特定承認保険医療機関から受けた高度先進医療に係る療養その他の療養に係る特定療養費の支給は,現行法の評価療養としての先進医療に係る保険外併用療養費の支給(法63条2項3号,86条)とは異なり,旧法の明文において療養の給付に含まれない保険給付であるとは規定されていなかったが,病院又は診
療所は同時に特定承認保険医療機関及び保険医療機関であることはできない(旧法86条7項)とされ,病院又は診療所が特定承認保険医療機関の承認を受けたときは,当該病院又は診療所においては療養の給付(入院時食事療養費に係る療養を含む。)は行わない(同条10項)などとされていたことから,保険医療機関等のう
ち自己の選定するものから受けた選定療養に係る特定療養費と同様に,療養の給付とは異なるものと位置付けられていた。


2(1) 前記1(2)の保険外併用療養費及び特定療養費に係る各制度の沿革及び同(3)の上記各制度に関する関係法令等の定めを前提として,まず,上記各制度の趣旨及び目的について検討する。


前記1(2)ア及びイの事実関係等によれば,昭和59年改正前において,入院料(室料)や歯科材料費に係る差額徴収の取扱いが明確に法定されていなかったため患者の高額かつ不明瞭な自己負担が社会問題化したことに伴い,医療に対する国民のニーズの多様化等に対応して,必要な医療の確保を図るための保険の給付と患者の選択によることが適当な医療サービスとの間の適切な調整を図るため,昭和59年改正によって選定療養に関する特定療養費に係る制度を創設する法改正がされたものということができる。これは,保険医療における安全性及び有効性の確保,患者と医療機関との間の情報の非対称性によって生ずる患者側の不当な負担の防止,所得等による医療アクセスの格差の防止,保険財源の限界による保険診療の範囲の縮小の防止等の要請を図りつつ,特別の病室の提供や高額の歯科材料の支給など,本質的な医療サービスの提供の周辺にある付随的な医療サービスについて,患者の取捨選択に委ねることが適当なものを選定療養として法定し,その健康保険上の地位を明確化することにより,その提供と費用の徴収につき適正な運用が図られるようにしたものと解される。


また,前記1(2)ア及びイの事実関係等によれば,昭和59年改正前は,健康保険行政上,保険診療の対象外である高度先進医療に係る療養を一部でも加えた混合診療を受けた場合には,保険診療相当部分を含めて,被保険者が受けた療養全体を保険給付の対象外とする取扱いがされていたところ,質的・量的に高水準の医療基
盤を有する医療機関において実施される場合にはその安全性及び有効性が確立されている一方でその実施がいまだ一般には普及していない高度先進医療については,当該医療が一般に普及して療養の給付の対象に組み入れられるまでの間,金銭支給たる保険給付の対象とすることを認める趣旨で,混合診療保険給付外の原則を引き続き採ることを前提とした上で,昭和59年改正によって,特定承認保険医療機関から受けた高度先進医療に係る療養その他の療養に関する特定療養費に係る制度を創設する法改正がされたものということができる。これは,前記のような要請を図りつつ,医療に対する国民のニーズの多様化や医学・医術の進歩に伴う医療サービスの高度化に対応して,高度先進医療に係る療養の提供と費用の徴収につき健康保険制度の弾力的な適用が図られるようにしたものと解される。


そして,前記1(2)ウの事実関係等によれば,平成18年改正により導入された保険外併用療養費に係る制度も,金銭支給たる保険給付の対象となる診療が評価療養と選定療養として再構成されるとともに,従来の特定承認保険医療機関に係る制度が廃止され,所定の要件を満たすものとして届け出られた保険医療機関等において評価療養の一つとしての先進医療を実施することができると改正され,実施医療機関の選定手続が簡素化されている点などが異なるだけで,基本的には前記内容の特定療養費に係る制度を引き継ぐものであって,金銭支給の基本的な構造を共通にするものであるといえ,その趣旨及び目的は,特定療養費の場合と同様に,医療に
対する国民のニーズの多様化や医学・医術の進歩に伴う医療サービスの高度化に対応するため,患者に対する事前の説明義務等を含む適正なルールの下に高度先進医療又は選定療養に係る混合診療を可能とする特定療養費に係る制度の構造を基本的に維持しつつ,その範囲の拡大や承認の簡素化及び新技術の導入の迅速化を図るものであると解される。


以上のような立法の経緯等に照らすと,旧法における特定療養費に係る制度及びこれを引き継いだ現行法における保険外併用療養費に係る制度のいずれも,国民皆保険の前提の下で,医療の公平性や財源等を含めた健康保険制度全体の運用の在り方を考慮して,混合診療保険給付外の原則を引き続き採ることを前提とした上で,被保険者が所定の要件を満たす評価療養(旧法では特定承認保険医療機関から受ける高度先進医療に係る療養その他の療養)又は選定療養を受けた場合に,これと併せて受けた保険診療相当部分をも含めた被保険者の療養全体を対象とし,基本的にそのうちの保険診療相当部分について実質的に療養の給付と同内容の保険給付が金銭で支給されることを想定して創設されたものと解される。


(2) 次に,法86条等の規定の解釈について検討するに,同条1項において,被保険者が「評価療養又は選定療養を受けたとき」に「その療養に要した費用」について保険外併用療養費を支給するものとされ,同条2項1号において,「当該療養」についての保険外併用療養費算定費用額を「第76条第2項の定め」すなわち療養の給付に要する費用の額に係る厚生労働大臣の定め(診療報酬の算定方法)を「勘案して厚生労働大臣が定めるところにより」算定すべきものとされており,前示の制度の趣旨及び目的に照らせば,法86条にいう「その療養」及び「当該療養」は,評価療養又は選定療養に相当する診療部分だけでなく,これと併せて被保険者に提供された保険診療相当部分をも含めた療養全体を指し,基本的にそのうちの保険診療相当部分について保険外併用療養費算定費用額,ひいては保険外併用療養費の額を算定することを想定して規定されているものと解するのが相当である。このことは,上記療養全体の中で評価療養又は選定療養の中に含まれない保険診療相当部分と評価療養又は選定療養の中に固有に含まれる基礎的な診療部分とを切り分けることが実際には困難であることや,旧法86条1項柱書きにいう「その療養」が同項1号との関係において被保険者が特定承認保険医療機関から受けた高度先進医療に係る療養その他の療養をいい,被保険者の受けた療養全体を指すものとして規定されていたこと(昭和59年法44条1項においても同様である。)からも首肯することができる(法86条2項では,「当該療養に食事療養が含まれるとき」又は「当該療養に生活療養が含まれるとき」と規定され,「当該療養」の中に評価療養の内容を成す先進医療とは別に「食事療養」又は「生活療養」が含まれ得ることが当然の前提とされている。他方,入院時食事療養費は,平成6年法律第56号による健康保険法の改正により創設されたものであり,入院時生活療養費は,平成18年改正により創設されたものであるが,いずれも「療養の給付と併せて受
けた」食事療養又は生活療養に要した費用について支給されるものであって(法85条1項,85条の2第1項),療養の給付が行われることを前提に,これにいわば上乗せするものとして支給されるものであることが法文上明らかにされているから,このような規定の内容や文言等を異にする制度の存在は,上記の解釈を左右するものではない。)。法の規定の委任を受けた省令や告示等の定めにおいて,評価療養(旧法では上記高度先進医療に係る療養その他の療養)又は選定療養の要件に該当するものとして診療が行われた場合に支給される保険外併用療養費の金額の算定方法について,特定療養費の場合と同様に,療養の給付に要する費用を算定する
場合に適用される診療報酬の算定方法の例によって算定された費用額(保険外併用療養費算定費用額)から,療養の給付に係る一部負担金の算定割合と同じ割合によって算出された被保険者の自己負担額(保険外併用療養費一部負担額)を控除した額とされているのは,前示の制度の趣旨及び目的を踏まえて保険外併用療養費の額を実質的に療養の給付と同内容のものとすることとして定められたものであり,法の委任の範囲内にあるものということができる。なお,法86条1項の「その療養」の意義につき,評価療養又は選定療養に係る診療部分を指すと解する余地も規定の文理の解釈としてあり得るところではあるが,以上に説示した立法の趣旨及び
目的並びにその経緯や健康保険法の法体系全体の整合性,療養全体中の診療部分の切り分けの困難性等の観点からすれば,その文理のみに依拠してこのような解釈を採ることについては消極に解さざるを得ないというべきである(選定療養との関係における旧法86条1項柱書きの「その療養」の意義についても,同様である。)。


(3) 以上に鑑みると,評価療養の要件に該当しない先進医療に係る混合診療においては保険診療相当部分についても保険給付を行うことはできない旨の解釈(混合診療保険給付外の原則)が,法86条の規定の文理のみから直ちに導かれるものとはいい難いものの,同条において評価療養について保険外併用療養費に係る制度
が定められたことについては,一つの疾病に対する療養のうち,保険給付の対象とならない自費の支出を要する診療部分(先進医療に相当する診療部分等)のあることを前提として(法86条4項において準用する法85条5項参照),基本的に保険給付の対象となる診療部分(保険診療相当部分)について金銭支給をすることを想定して設計されたものと解してこそ,被保険者が一部負担金以外には支払を要しない現物給付としての療養の給付に係る制度とは別に,これに含まれない金銭支給としての保険給付である保険外併用療養費に係る制度を設けたことが意味のあるものとなることに加え,前記の制度の趣旨及び目的や健康保険法の法体系全体の整合性等の観点からすれば,上記の解釈が導かれるものと解するのが相当である。

すなわち,保険医が特殊な療法又は新しい療法等を行うこと及び所定の医薬品以外の薬物を患者に施用し又は処方すること並びに保険医療機関が被保険者から療養の給付に係る一部負担金の額を超える金額の支払を受けることが原則として禁止される中で,先進医療に係る混合診療については,保険医療における安全性及び有効性を脅かし,患者側に不当な負担を生じさせる医療行為が行われること自体を抑止する趣旨を徹底するとともに,医療の公平性や財源等を含めた健康保険制度全体の運用の在り方を考慮して,保険医療機関等の届出や提供される医療の内容などの評価療養の要件に該当するものとして行われた場合にのみ,上記の各禁止を例外的に解除し,基本的に被保険者の受ける療養全体のうちの保険診療相当部分について実質的に療養の給付と同内容の保険給付を金銭で支給することを想定して,法86条所定の保険外併用療養費に係る制度が創設されたものと解されるのであって,このような制度の趣旨及び目的や法体系全体の整合性等の観点からすれば,法は,先進医療に係る混合診療のうち先進医療が評価療養の要件に該当しないため保険外併用療養費の支給要件を満たさないものに関しては,被保険者の受けた療養全体のうちの保険診療相当部分についても保険給付を一切行わないものとする混合診療保険給付外の原則を採ることを前提として,保険外併用療養費の支給要件や算定方法等に関する法86条等の規定を定めたものというべきであり,規定の文言上その趣旨が必ず
しも明瞭に示されているとはいい難い面はあるものの,同条等について上記の原則の趣旨に沿った解釈を導くことができるものということができる。


(4) 以上のとおりであるから,法86条等の規定の解釈として,単独であれば療養の給付に当たる診療(保険診療)となる療法と先進医療であり療養の給付に当たらない診療(自由診療)である療法とを併用する混合診療において,その先進医療が評価療養の要件に該当しないためにその混合診療が保険外併用療養費の支給要件を満たさない場合には,後者の診療部分(自由診療部分)のみならず,前者の診療部分(保険診療相当部分)についても保険給付を行うことはできないものと解するのが相当である。所論の点に関する原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。


第3 上告代理人本田俊雄ほかの上告理由のうち憲法14条1項,13条及び25条違反をいう部分について


論旨は,憲法14条1項,13条及び25条違反をいうが,前記第2に説示したところによれば,健康保険により提供する医療の内容については,提供する医療の質(安全性及び有効性等)の確保や財源面からの制約等の観点から,その範囲を合理的に制限することはやむを得ないものと解され,保険給付の可否について,自由診療を含まない保険診療の療法のみを用いる診療については療養の給付による保険給付を行うが,単独であれば保険診療となる療法に先進医療に係る自由診療の療法を加えて併用する混合診療については,法の定める特別の要件を満たす場合に限り療養の給付に代えて保険外併用療養費の支給による保険給付を行い,その要件を満たさない場合には保険給付を一切行わないものとしたことには一定の合理性が認められるものというべきであって,混合診療保険給付外の原則を内容とする法の解釈は,不合理な差別を来すものとも,患者の治療選択の自由を不当に侵害するものともいえず,また,社会保障制度の一環として立法された健康保険制度の保険給付の在り方として著しく合理性を欠くものということもできない。


したがって,混合診療保険給付外の原則を内容とする法の解釈が憲法14条1項,13条及び25条に違反するものであるということはできない。以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和51年(行ツ)第30号同57年7月7日大法廷判決・民集36巻7号1235頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。


(ブログの字数制限のため、次の記事に続きます。)