がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

底割れしている「西松」捜査

2009年03月26日 | Weblog
2009年03月25日 19時05分記載

Author 児玉 博



URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090318/189324/



「3月17日付「朝日新聞」朝刊は次のように伝えている。

 「準大手ゼネコン『西松建設』から民主党・小沢代表の資金管理団体『陸山会』への違法献金事件に絡んで、東北地方のゼネコン談合組織が小沢事務所側の意向をくんでいたとされる問題に、大手ゼネコン『鹿島』の東北支店元幹部が関与していた疑いのあることがわかった」

 記事にあるように小沢の公設秘書の逮捕に端を発した違法献金事件はかつてのゼネコン汚職を彷彿させるような様相を呈し始めた。

 1993(平成5)年、自民党最高実力者だった元自民党副総裁、金丸信の逮捕をきっかけに起きたゼネコン汚職事件。

 莫大な予算がつぎ込まれる公共事業を背景にして受注を調整し、業者を指名する“天の声”を発する。見返りは受注額の3%が相場とされた裏献金。“天の声”を発するのは自民党建設族の大物議員や地方の実力首長たち。工事受注の調整役はゼネコンの有力者たちだった。

 こうした構図が戦後日本の保守政治を支え続けてきた。その戦後を象徴する癒着の構図にメスを入れたのがゼネコン汚職であった。

 現役の衆院議員、県知事、政令指定都市の市長、大手ゼネコンの幹部などが逮捕されたこの汚職事件は自民党、中でも権力の中枢を担い続けてきた旧田中派の流れを汲む竹下派(経世会)の内部分裂を決定的なものにし、非自民党政権である細川護熙を首班とした連立政権誕生をもたらした。

 そして、政権交代が現実的なものとして語られようとする矢先に起きたのが今回の事件であった。

 検察は霞が関の意向を斟酌した、検察は小沢政権の阻止に走った・・・。様々な憶測、様々な怪情報が乱れ飛んでいる。ただ、一点言えることは事件を手がける特捜部が小沢の公設秘書の逮捕に踏み切った大義名分をいかに理論づけるかに躍起になっているという事実だ。

 特捜部は原資が「西松建設」と知りながら受け取った献金額2100万円の性格に限りなく贈収賄の意味合いが強い、だから逮捕に踏み切ったとの絵図を描いているようである。小沢への献金はかつてのゼネコン汚職の構図に限りなく近い、とする検察はその情報をリークする一方で「鹿島」をはじめとするゼネコン各社からの事情聴取に必死になっているのである。



確かに特捜部が狙い定めている節がある国土交通省発注の「胆沢ダム」(岩手県。総事業費およそ2440億円)に代表されるように東北地方は小沢王国である。

 手元に残る資料を見れば大手ゼネコンで作られていた小沢後援会「桐松クラブ」の名簿には「鹿島」盛岡営業所所長を会長として大手ゼネコンの盛岡営業所所長の名前がずらりと並ぶ。また、同じように「鹿島」盛岡営業所所長の名前で選挙の動員を呼びかける通知書などもある。

 先のゼネコン汚職でも小沢王国はびくともしなかった。その中心には常に「鹿島」の影が見え隠れしていた。

 しかし、である。検察当局が流している情報は自らの正当性を必要以上に強調しようとしているように見えてならない。これでは逮捕の正当性の弱さを自らが証明しているようなものではないか。

 小沢とゼネコンとの談合疑惑の情報が山のように流される中、やはり「西松建設」がダミー政治団体を使いパーティー券800万円以上購入し、また「西松建設」が個人献金を装い社員の個人名で献金していた事実が明らかになっている経済産業大臣、二階俊博の捜査はどうなっているのか。二階の資金管理団体の会計責任者の事情聴取が予定されていながら、自民党幹部らの抗議によって検察幹部の判断でいったん事情聴取が見送られたのはなぜなのか。

 「西松建設」から押収した膨大な資料の中からは同社と二階との親密さを示す資料やメモが多数見つかってもいる。建設業界では、

 「二階は西松(建設)の顧問みたいなもんだ」

 とする声は少なくない。

 経産相の地位にある二階だが、その二階の元を日に何度も国土交通省の幹部が訪ねるほど、国土交通省への二階の影響力は絶大である。

 数週間前には再び経営危機が噴出している日本航空の社長、西松遥が経営幹部を伴い、二階を訪れている。二階はその場で自ら電話を取り、経済産業政策局長、松永和夫を呼び出し、

 「話を聞いてやってくれ」

 と両者を引き会わせている。

 日本政策投資銀行からの融資について話が出たのではないかとも言われている。二階の力の一端が垣間見えた一幕だった。

 国土交通省案件のゼネコン工事は相当な裾野を持つ。その分野にも影響力を持つ二階の捜査が事実上ストップしていることは何を物語るのか。検察的“正義”。括弧つきの“正義”の底が割れている。そうした冷ややかな目が検察に向けられている。 」

検察は説明責任を果たしたか

2009年03月26日 | Weblog
2009年03月25日 19時00分記載

Author 郷原 信郎


プロフィール 桐蔭横浜大学法科大学院教授 コンプライアンス研究センター長

1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事などを経て、2005年から現職。「不二家問題」(信頼回復対策会議議長)、「和歌山県談合事件」(公共調達検討委員会委員長)など、官庁や企業の不祥事に関与。主な著書に『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)のほか、不二家問題から事故米不正転売問題まで食品不祥事を幅広く取り上げた『食の不祥事を考える』(季刊コーポレートコンプライアンスVol.16)など。近著には『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)がある



URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090324/189886/?P=1



「24日、逮捕事実に若干のプラスアルファが付いただけで民主党小沢代表の公設第一秘書が起訴された。

 昨日のこのコラム(「小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明」) に書いたように、今回の事件は一般の刑事事件とは違う、政治資金規正法という民主主義の根幹にかかわる事件であり、それに対して検察がどのような罰則を適用し運用するのかは政治的に極めて重要な問題だ。したがって、検察は基本的な考え方をきちんと説明し、今回どんな考え方でこの事件を起訴したのかについて説明すべきだと主張した。



検察からは一般論的な説明のみしかなかった




 ところが聞くところによると、検察からはそのような説明はまったくされなかったという。政治資金規正法は非常に重要な法律で、違反する行為というのは重大だという一般論的な説明のみしかされなかったとのことだ。

 今回のような事件を、こういう時期に政治的影響を生じさせてまで摘発したことについて説明責任を回避するというのは、検察としては許されない。なぜこの事件だけが悪質と言えるのか、結局まったくわからない。強制捜査に対する疑問点については「代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問」 で書いた。

 当然のことながら、寄附をするゼネコンは公共事業の受注に少しでも役に立てばということが目的だが、具体的にある工事について、政治家に動いてもらって発注者に働きかけてもらい、それで対価をもらえばあっせん収賄罪になり、口利きだけでもあっせん利得罪になる。

 しかし、その当時はみながやっていたことであるのに、過去の一時点のことだけをつまみあげて悪質だというのは、検察がその気になればいくらでも処罰できるということになってしまう。これは民主主義の否定であり、検察が国会より上に位置づけられる「検主主義」であると昨日のこのコラム で述べた。

 しかも談合による受注のメカニズムは単純なものではない。特定の工事に関して小沢事務所に頼んだら、談合の仕切り役に声を掛けてくれそれで受注できたというようなそんな単純な世界ではない。

 談合受注の構造が単純ではないことについてもすでに述べて きた。私は公正取引委員会に出向して埼玉土曜会事件に関わった時から、公共工事を巡る腐敗構造の解明には10年以上にもわたって取り組んできた。この経験から言っても、談合の解明は応援検事を集めて10日か20日でできるようなものではない。



今回の断片的で説明にもならない検察のコメントを読むと、ほとんど理屈にもなっていない。なぜこのようなことになったのだろうかという思いだ。検察は少なくとも理屈に通ったことをやらなければいけないのに、まったくそうなっていない。

 政治的な影響だけが生じて、あとは公判で明らかにするというのは、完全に民主主義の否定だ。まさかそんな無茶なことはしないだろうと、強制捜査が始まった時から私はずっと思ってきた。そして私なりのコメントを出してきた。それでもこういう無茶なことをやってしまったというのは、検察という組織の現状を端的に象徴しているとしか言いようがない。

 なぜこんなばかなことをやってしまったのかというのが、今回の1つの疑問点である。検察の真の意図はどこにあったのだろうか。国策捜査だとか自民党つぶしなどとかの憶測を呼んだが、私はそのような高尚なものではなく、基本的ミス、誤算という可能性が強いと思う。



検察は重大な基本的ミスを犯した?




 誤算というのは小沢氏側の対応の見誤りだ。秘書の事件で強制捜査に入り、小沢氏に対する批判が強まれば小沢氏は辞職するだろう。そうすれば政治力がなくなり、秘書も事実を認めて大した問題にはならないだろう。検察がこういった甘い見通しを持っていたのではないかということだ。そうだとすると、それなりの目算がなければならないが、そのことを教えてくれるのが、3月8日付の産経新聞の記事だ。ここで述べられているのは、監督責任の問題だ。

 これは、陸山会代表としての小沢氏の「監督責任」に関して、「捜査関係者」として、「特捜部は監督責任についても調べを進めるもようで起訴されれば衆院議員を失職する可能性も」という内容だった。

 同記事には、特捜部が摘発した埼玉県知事だった故土屋義彦氏の資金管理団体の政治資金規正法違反で、土屋氏から事情聴取し、監督責任を認め知事を辞職した土屋氏を「反省の情がみられる」として起訴猶予にしたことも書かれている。

 しかし、代表者の責任は「選任及び監督」に過失があった場合で、ダミーの会計責任者を選任したような場合でなければ適用できない。土屋氏の場合と同様に代表者の監督責任による立件をちらつかせて小沢氏を辞任に追い込めると判断していたとすると重大な基本的ミスだ。



同じ8日のテレビ番組や新聞のインタビューで私が、監督責任だけでは代表者の立件はできないことを指摘したところ、小沢代表聴取の報道は急速に鎮静化し、その後、「小沢氏聴取見送り」が一斉に報じられた。



強制捜査までのハードルは本来もっと高くあるべき




 過去にあった談合構造のもとで小沢氏が政治資金を集めていたとしたらそれが問題であることは否定できない。しかし、このことと検察の説明責任は別の問題だ。

 貧すれば鈍するという言葉があるように、低レベルのことを始めてそれが許されると、その組織はそのレベルに落ちていく。私は自民党長崎県連事件では、必死の思いで苦しんでハードルを乗り越えていった。この事件とは、公共事業受注業者から上前をはねるように裏献金などの様々な献金を集め、パーティー券収入を何千万と裏に隠していたというものだ。

 私は長崎でこの事件をやったとき、これでもかこれでもかと最高検や法務省から厳しく高いハードルを課せられ、それを乗り越えなければ前に進めないという状況に追い込まれていた。そういった状況をたった野球1チームほどの、検事任官2年目、3年目の“アマチュア”といっていいようなメンバーばかりのチームで乗り越えていった。しかし、その過程でスキルアップしたと思っており、大変なハードルを課されたことには感謝している。

 その時、法務省から口をすっぱくして言われたのは、ここで手をつけたことが横に広がったらどうするかということだった。この事件がほかとは差別化できるということでなければだめなのだということだ。私はこう言われたことに納得し、これならいけるというような事実を我々なりにがんばって聞き出して立件し、強制捜査の対象にしていった。

 今の特捜の姿勢はこの時とはあまりに違う。政治家の事件の強制捜査に着手するまでのハードルは本来もっと高くなければいけないということに立ち返り、特捜部はそれを乗り越えられるようになってもらわなければいけない。そして、そうなってもらいたいというのが、私の検察への思いだ。(談) 」

小沢代表の秘書逮捕で思い出す長銀経営陣への「国策捜査」

2009年03月26日 | Weblog
2009年03月25日 00時04分記載

URL http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/177/



経済アナリスト 森永卓郎氏コラム「構造改革をどう生きるか~成果主義・拝金思想を疑え~」3月23日掲載第177回記事



「3月3日、民主党の小沢一郎代表の公設第一秘書が逮捕された。容疑は、西松建設関連の政治団体から受けた政治献金について、不実記載をしていた容疑である。

 これ以降、日本の政界を取り巻く環境が一変してしまった。麻生内閣の政党支持率に歯止めがかかり、政党支持率についても自民党が民主党を逆転。さらに、自民党内で吹き荒れていた麻生降ろしの風がぴたりと止んだ。どちらも、麻生総理にとって願ってもない展開である。

 それにしても、あまりにもいいタイミングだ。わたしでなくても、どこか怪しいと感じた人は少なくないだろう。

 ところが、わたしがテレビで「国策捜査の可能性があるのではないか」と遠回しに述べたところ、その反響の大きさには驚いた。わたし自身に対するいやがらせのメール、電話、ファクスは言うに及ばず、勤務先の大学の学長に対して、「森永のようなやつはクビにしろ」という訴えまであったとか。どのような人が書いたのかはしらないが、そうした反応も含めて怪しく思えてしまうのである。

 本当に国策捜査が行われたのかどうかは分からない。仮に政府から何らかの圧力や示唆があったとしても、おそらく永遠に明らかになることはないだろう。漆間官房副長官のオフレコ発言のように、それを疑わせる発言はあったが、誰もそれを認めるはずがない。だから、そこを議論しても意味はない。

 ただ、その後の小沢代表に対する世間の風当たりを見ていると、ちょっと違和感を覚えてしまう。公設第一秘書の容疑の内容などはどうでもよく、とにかく逮捕されたということだけで、世の中もメディアも「小沢悪者論」に傾いてしまってきた。

 そう考えていくと、この逮捕劇は、かつて国策捜査を疑わせたある事件と二重写しになってくる。その事件とは、刑事、民事とも昨年7月までに無罪判決が下された長銀(日本長期信用銀行)の粉飾決算事件だ。



小沢代表の本音の裏にある「永田町の常識」



 小沢代表は、秘書の逮捕翌日に行われた記者会見の席で、「このようなことは前例がなかった」と検察への不満を述べている。ここに、小沢代表の心情が集約されているとわたしは思う。この時点では、あれこれと考える間もなかったために、つい本音が出たのだろう。

 なぜ前例がないのかといえば、小沢氏のやり方をやっていれば逮捕されないというのが永田町の常識だったからだ。

 政治資金規正法では、企業から議員への献金は禁止されているが、政治団体からの献金は許されている。だから、実質的に企業からの献金であっても、政治団体からの献金の形式さえ整っていればいいというのが常識だった。

 現実に、小沢氏を含めて与野党19人の議員が、西松建設関連の政治団体から献金を受け取っていたことか明らかになっている。西松建設以外まで含めたら、それこそ数えきれないほどの事例があるはずだ。ところが、これまで誰も捕まっていない。

 これは、自動車のスピード違反と似たようなものである。速度制限50キロの道を55キロで走っていても普通は捕まらない。これはドライバーの常識である。よいか悪いかは別として、そうした安全圏内で議員たちが泳いでいたというのが、これまでの実態だ。

 難しいのは、そこで5キロオーバーで捕まったからといって、それに対して公に反論できないことだ。1キロオーバーでも違反は違反だからである。

 小沢代表にしてみれば、「違法は違法だが、これまではそれで捕まらなかったじゃないか」と言いたいところだが、さすがに国民を前にしてそんなことを口にするわけにはいかない。そんないらだちが、小沢代表をして「前例がない」と言わせたのだろう。

 もっとも、「西松からの金だとは知らなかった」という小沢代表の言葉はうそだろう。政治団体は西松建設と同じ住所にあったから、背後に西松建設がいることを知らなかったはずはない。そもそも慈善団体の寄付ではないのだから、政治献金に何らかの思惑があることくらい、政治家なら分かるはずだ。

 いずれにしても、少なくとも政治資金規正法の不実記載で秘書を逮捕するのは無理があるとはいえ、表立って反論しがたいのもまた事実である。



罪状は二の次で、民主党のイメージダウン狙いの作戦なのか



 この逮捕劇に関して、どうしても解明できない疑問点が2つある。1つは、なぜ政権交代の可能性のある総選挙前という時期かということ。もう1つは、なぜ小沢氏の秘書だけが逮捕されたのかということだ。

 この2点について、政治評論家をはじめとする方々は、メディアでいろいろと解説をしているが、どれも完全に説得力のあるものではない。

 例えば、なぜこの時期かという点である。よく言われているのは、献金を受けたうちの700万円分が時効になってしまうからという議論だ。いかにも説得力がありそうだが、700万円が時効になっても、あと千数百万円分が残っているではないか。どうも、これは関係なさそうである。

 小沢氏への献金が巨額だったから、悪質だったからという解説もなされている。それはそうかもしれないが、だからといって他の議員の「違法」を見逃す根拠にはならない。

 検察は、小沢氏の受託収賄罪を狙っているという話もあるが、これが成立するかといえば、それはかなり難しい。献金をする側に勘違いがあったのかもしれないが、小沢代表はずっと野党でやってきた。野党の議員に、公共事業を左右するような職務権限があるはずがない。仮に、そうした雰囲気があったとしても、それで裁判を維持できるのかどうかは疑問である。

 そうしたことを考えると、わたしは国策捜査とまでは言わないものの、検察に対して何らかの政治的圧力が加わった可能性は否定できないと思うのだ。

 つまり、実質的な罪状は二の次として、とにかく小沢氏と民主党のイメージを落とすことを主目的とした逮捕劇だったのではないかというわけだ。もしそうだとしたら、その作戦は見事に成功したことになるだろう。

 それで思い出すのが、冒頭に述べた長銀(日本長期信用銀行)の粉飾決算事件である。



スケープゴートにされて何もかも失った長銀事件の被告



 長銀の粉飾決算事件の顛末については、「第144回 長銀事件の無罪判決は当然、真犯人は別にいる」 で述べた通りだ。

 この事件では、大野木克信元頭取ら3人の経営幹部が逮捕され、刑事、民事の両方でほぼ10年にわたって裁判が続けられた結果、昨年までに全員に無罪判決が下されたのである。

 わたしが無罪だと確信していた理由は、前述のコラムに書いた通りである。当時の大蔵省は不良債権の査定について、旧基準で決算を行ってもいいようなあいまいな通達を出していた。そこで、長銀のほか、大手18行のうち14行が旧基準で不良債権処理をしたところ、なぜか長銀の経営陣だけが罪を問われたのである。しかも、粉飾決算は、その前の杉浦頭取時代に行われていたのだが、それを立件するには時効の壁があった。

 大野木克信元頭取らが逮捕・起訴された点について、もちろん「国策捜査」という確証はないのだが、背景には世間に対する政府のアピールがあったとみられている。つまり、約8兆円もの公的資金を注入するためのスケープゴートにされたのが長銀の経営陣だったというわけである。

 気の毒なのは長銀の経営陣3人である。裁判が10年近くも続いた上に、社会的な地位も失ってしまった。いくら無罪判決が出たといっても、おそらく世間の人の頭のなかには、「あの長銀の経営陣3人は粉飾決算をした悪いやつだ」というイメージしか残っていないに違いない。

 こうした構図は、事情の違いこそあれ、今回の小沢氏の秘書逮捕と似ていないだろうか。そして、仮に長い裁判の末に小沢氏の秘書が無罪を勝ち取ったとしても、世間はこの事件のことをすっかり忘れているはずだ。

 たしかに、かつての小沢氏は旧田中派の7奉行の1人として、膨大な企業献金を受けて、さんざん悪いことをしていたに違いない。しかし、その後に政治資金規正法ができて、当時からすれば、かなりましになった。小沢氏にしても、金の流れを隠して不正に所得隠しをしていたわけではなく、表には出していたのである。

 3月17日の会見で小沢氏は「企業の献金を全面禁止するべきだ」と発言して与野党に波紋を呼んでいるが、その本心は「こんなちゃんと処理していても捕まるようなルールなら、いっそのことやめてしまえ」というところなのだろう。

 もちろん、わたしは今回の捜査が国策だと断言しているわけではない。しかし、わたしはこの事件で深く感じたことがある。それは、「権力者は強い」「権力は恐ろしい」ということだ。長銀の3被告にしても、結果的には政府のアピールのために、地位も信用も失ってしまったのである。」

小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明

2009年03月26日 | Weblog
2009年03月24日 12時12分記載

民主党、自民党、マスコミにとっても正念場の1日



Author 郷原 信郎


プロフィール 桐蔭横浜大学法科大学院教授 コンプライアンス研究センター長

1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事などを経て、2005年から現職。「不二家問題」(信頼回復対策会議議長)、「和歌山県談合事件」(公共調達検討委員会委員長)など、官庁や企業の不祥事に関与。主な著書に『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)のほか、不二家問題から事故米不正転売問題まで食品不祥事を幅広く取り上げた『食の不祥事を考える』(季刊コーポレートコンプライアンスVol.16)など。近著には『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)がある




URL http://ameblo.jp/shiratasan-daisuki/entry-10225668516.html



「 前回のこのコラム で、「ガダルカナル」化、すなわち戦線の泥沼化という状況ではないかと推測した民主党小沢代表の公設第一秘書の政治資金規正法違反事件の捜査は、今日(3月24日)、大きな節目を迎える。

 総選挙を間近に控え、極めて重大な政治的影響が生じるこの時期に、まさか、逮捕事実のような比較的軽微な「形式犯」の事件だけで、次期総理の最有力候補とされていた野党第一党の党首の公設秘書を逮捕することはあり得ない、次に何か実質を伴った事件の着手を予定しているのだろうというのが、検察関係者の常識的な見方だった。



「逮捕事実のみで起訴」はほぼ確実




 しかし、その後、新聞、テレビの「大本営発表」的な報道で伝えられる捜査状況からすると、他に実質的な事件の容疑が存在するとは思えない。態勢を増強して行われている捜査では、もっぱら東北地方の公共工事について調べているようだが、2005年の年末、大手ゼネコンの間で「談合訣別宣言」が行われて以降は、公共工事を巡る旧来の談合構造は解消されており、それ以降、ゼネコン間で談合が行われていることは考えにくい。それ以前の談合の事実は既に時効であることからすると、談合罪での摘発の可能性は限りなく小さい。

 また、いわゆる「あっせん利得罪」は、「行政庁の処分に関し、請託を受けて、その権限に基づく影響力を行使して公務員にその職務上の行為をさせる」ことが要件であり、野党議員や秘書に関して成立することは極めて考えにくい。

 このように考えると、少なくとも、現在、検察の捜査対象となっている大久保容疑者の容疑事実は逮捕事実の政治資金収支報告書の虚偽記載だけと考えるのが合理的であろう。

 一方、逮捕事実について不起訴ということも事実上あり得ないであろう。建前上は検察が逮捕・勾留した場合でも不起訴という選択肢がないわけではない。しかし、検察が独自に捜査を行い、これだけ大きな政治的影響を生じさせた後に不起訴に終わったのでは、検察は重大な責任を問われることになる。検事総長の辞任に匹敵する大失態だ。そのような選択が容易にできるとは思えない。

 そう考えると、本日の勾留満期での大久保容疑者の処分は、逮捕事実だけで起訴(公判請求)になることがほぼ確実と言ってよいであろう。

 そこで、大久保容疑者の処分がそのような形で終わった場合に問題になる、今回の事件についての検察の説明責任について考えてみたい。



「検察に説明責任はない」との主張の誤り




 この点に関して、「検察に説明責任はない」と主張するのが検察OBの堀田力氏だ(3月20日付朝日新聞「私の視点」)。政治資金規正法違反は、汚職と同様に、国民の望む政治の実現のために重要な役割を担う「規制」の違反だから、検察は必要に応じて逮捕を行い法廷で容疑の全容を明らかにするだけでよく、それ以外のことを説明する責任はないというのだ。

 この見解は根本的に誤っている。政治資金規正法違反は、汚職と同列に位置づけられるものではない。「汚職」は、「金銭等の授受によって公務員の職務をゆがめた」という評価を伴うものであり、汚職政治家を排除すべきであることについては、当初から国民のコンセンサスが得られている。汚職政治家が多数いるのであれば、それを片っ端から摘発していくことが検察の使命と言い得るであろう。そして、その摘発の是非を判断するのは裁判所である。

 しかし、政治資金規正法は、政治資金を「賄賂」のように、それ自体を「悪」として規制する法律ではない。政治活動を、それがどのような政治資金によって行われているのかも含めて透明化して国民の監視と批判にさらし、それを主権者たる国民が判断する、という基本理念に基づく法律だ。「規制」ではなく「規正」とされているのも、政治資金を透明化によって正しい方向に向けようとする考え方に基づいている。



同法の理念の実現は、基本的には、法律の内容についての指導・啓蒙、適法性についてのチェック、収支報告書の記載に誤りがあった場合の自主的な訂正、それに対するマスコミや国民の批判などの手段に委ねられるべきであり、罰則の適用は、他の手段では法律の理念が達成できないような場合に限られるべきだ。歴史的に見ても、政治資金は徐々に透明化されてはきたものの、実態と法律の規定との間には相当大きなギャップが存在していたのが現実だ。違反が全くないと言い切れる政治家は少数なのではなかろうか。

 政治資金規正法違反を贈収賄と同列にとらえ、政治資金規正法に違反して政治資金の透明性を害した行為があれば、検察は、いかなる行為を選択して摘発することも可能で、それについて説明責任を負わないという考え方は、同法の理念に反するばかりでなく、検察の権力を政治より圧倒的に優位に位置づけることになりかねない。健全な民主主義の基盤としての権力分立の仕組みをも否定するいわば「検主主義」の考え方と言うべきであろう。

 今回の事件については、他の手段によって対処可能な単なる「形式犯」ではない、実質を伴った悪質な犯罪だと判断した根拠と基本的な考え方について検察に明確な説明が求められるのは当然だ。



検察は何を説明すべきか




 では、検察は、いかなる点について説明をすべきであろうか。

 何よりも、政治資金規正法という、罰則の適用の方法いかんによっては、重大な政治的影響を与え、まさに政治的権力を行使することにもなり得る法律についてどのような方針で臨んでいるのかについて、検察のトップである検事総長が、検察の組織としての基本方針を説明する必要がある。

 刑事事件について法と証拠に基づいて適切に捜査処理を行うという職務の性格上、個々の具体的事件についての判断を外部に説明することには制約がある。しかし、検察も国民の負託を受けて職務を行っている行政組織である以上、憲法が定める三権分立の枠組み自体にも影響を与えかねない政治資金規正法の罰則適用に関して基本方針を説明することは、当然の義務と言うべきであろう。

 とりわけ、本件の捜査に関しては、政治資金規正法の罰則適用が法の基本理念に反しているのではないかという重大な疑念が生じている。しかも、著名人であり社会的影響も極めて大きい検察OBの堀田氏が、上記のように、政治資金規正法を贈収賄と同様に位置づけ、その違反が認められる限り、検察は、必要に応じて逮捕を行い法廷で容疑の全容を明らかにすべきで説明責任すら負わない、という見解を新聞紙上で披瀝しているのである。検察が組織としてそのような見解を取っていないのかどうかを国民に対して明確に説明する必要がある。

 もし、堀田氏のような見解で政治資金規正法の罰則適用に臨むというのであれば、そのように強大な権限を検察に与えることについて国民の承認を受けなければならないはずであり、その点について、国会の場で検事総長が説明を行うことが必要であろう。

 堀田氏の見解とは異なり、筆者の言うように、他の手段では法律の目的が達せられない場合にのみ罰則を適用するという方針で臨んでいるということであれば、本件が、そのような場合に該当することについて、十分な説明が求められることになる。

 一般的には、捜査の秘密や公判立証との関係などから、現時点での個別具体的事件の内容についての説明には制約がある。しかし、罰則適用の前提となる政治資金規正法の解釈問題についての説明には何らの制約もないはずだし、事実関係についても、政治的に極めて重大な影響を与える事件であることを考慮すれば、具体的な支障を生じる恐れがない限り積極的に説明を行う必要があろう。一般的な刑事事件では、被疑者側のプライバシーの保護が、個別具体的な事件についての説明を拒否する主たる理由になるが、大久保容疑者が本件についてプライバシーの保護を求めることはあり得ないであろう。

 そこで、検察が説明すべき点とそれに関して問題となる点を指摘する。説明すべき点は、違反の成否に関わる問題、悪質性の評価に関わる問題、捜査の手続き・手法に関する問題の3つに整理できる。



違反の成否に関して説明すべき点




 違反の成否の問題で説明すべき第1のポイントは、本件の政治資金収支報告書の虚偽記載の事実について、検察が、どのような法解釈に基づいて「虚偽記載」と判断したのかである。

 私は、「政治資金規正法上、寄附の資金を誰が出したのかを報告書に記載する義務はない。つまり、小沢氏の秘書が、西松建設が出したおカネだと知っていながら政治団体の寄附と記載したとしても、小沢氏の秘書が西松建設に請求書を送り、献金額まで指示していたとしても、それだけではただちに違反とはならない。政治資金規正法違反になるとすれば、寄附者とされる政治団体が実体の全くないダミー団体で、しかも、それを小沢氏側が認識していた場合だ」とかねて指摘してきた(3月11日の本コラム 参照)。この点について、検察がどのような考え方に基づいて今回の事件の捜査・処理を行ったのかが問題になる。

 この点についての解釈が筆者と同様だとすると、第2のポイントは、この場合の「政治団体に実体がない」というのはどういう意味なのかである。

 新聞報道などでは、検察は「会員名簿の管理や、献金などの事務手続きを行わず、実際には西松社員が担当していたこと」で政治団体の実体がないと断定した(3月20日付産経)などとされているが、その程度で「実体がない」ということになると、全国に何千、何万と存在する、単なる政治献金のためのトンネルとしての政治団体や政党支部もすべて「実体がない」ことになり、その名義による政治献金を記載した収支報告書はすべて虚偽だということになる。この点について、明確な判断基準が示される必要がある。

 仮に、政治団体に実体がないということだったとしても、それを大久保容疑者が認識していなければ犯罪は成立しない。この点は、違反の成否に関する重要な問題点ではあるが、本件に関する個別具体的な事項なので、公判での立証において明らかにすべきであろう。



悪質性の評価に関して説明すべき点




 次に、事件の悪質性の評価に関する問題である。

 前に述べたような、政治資金規正法の目的・理念からすると、罰則の対象とされる違反は、収支報告書の訂正や改善指導などでは目的が達せられない悪質な違反に限られることになる。

 本件の寄附は収支報告書に寄附の事実は記載している「表の寄附」だ。収入の総額に誤りはないし、その寄附収入に見合う支出の内容も開示しなければならない。収入自体が秘匿され、支出にも全く制限が働かない「裏の寄附」とは大きな違いがある。

 そのような「表の寄附」について、単に名義を偽ったというだけの違反が、「裏の寄附」と同視できるほどに政治資金規正法違反として悪質と言えるとすれば、2つのポイントが立証される必要があろう。1つは、「表の寄附」であっても寄附の名義を偽っていることで実質的に「裏の寄附」と同様だと言えること、もう1つは、寄附の見返りとしての便宜供与の事実あるいはその可能性があったということである。

 本件に関しては、西松建設の名義を隠して政治献金を行ったことで、小沢氏側から何らかの便宜供与が期待できたのかどうか、つまり、本件に贈収賄的な要素があるのかどうかが問題になる。



そこで、第3のポイントは、「ダミー団体」名義であることが、本当に西松建設からの寄附であることを隠すことになっていたかどうかだ。この団体は、小沢氏側だけではなく、自民党の多数の政治家に対して寄附やパーティー券の購入を行っていたとされており、これらの政治家は皆、この団体が西松のダミーだということを知っていたはずだ。そういう団体の名義で小沢氏側に寄附をしていれば、少なくとも政治の世界や政治と関係が深い業界関係者にはバレバレで、西松建設の名義を隠匿する効果はあまりなかったのではないか。

 また、政治資金収支報告書の中には、この「ダミー団体」の所在地が、西松建設の本社所在地になっていたものもあったとのことだ(3月6日付朝日)。その事実は、その団体と西松建設が一体であったことを示す事実、つまりダミー性を裏づける事実ではあるが、他方で、収支報告書を丹念に見れば、実質的に西松建設からの寄附だということが他社にも分かってしまうことにもなる。そういう意味では名義を隠すという効果があまりなかったことを示す事実でもある。

 これらの疑問について検察の側の説明がないと、そもそも本件の「表の寄附」が、名義を隠すことによって、「裏の寄附」と同様に悪質な事案と言えるかどうかについて重大な疑念が生じることになる。

 第4のポイントは、政治献金の見返りとしての便宜供与の事実あるいは、便宜供与の可能性があったか否かだ。この点に関して、最近の新聞、テレビなどで、大手ゼネコンなど建設業者の一斉聴取が行われ、東北地方での公共工事の談合による受注について小沢氏の秘書の大久保容疑者が影響力を及ぼしたり、談合に関与したりして、西松の公共工事の受注に協力した、というような内容の多数の報道が行われた。

 このような形での便宜供与が、本件の政治資金規正法違反としての悪質性、つまり「贈収賄的な性格」を根拠づけるように報じられているが、それを便宜供与的な事実ととらえているのか、検察としての基本的な考え方を説明する必要があろう。

 この点に関して、野党側の小沢氏の秘書の大久保容疑者がなぜ談合による受注者の決定に影響力を及ぼすことができたのかについては重大な疑問があるが、個別の事実関係の問題なので、公判立証の中で明らかにすべき事項であろう。



捜査手続き・手法に関して説明すべき点




 上記のような法律解釈上の疑問点について考え方を明らかにし、悪質性の評価に関しても基本的な考え方を示したうえで、説明すべきもう1つの重要な事項がある。それは、この種の事案の捜査手続き、捜査手法について、基本的にどのような方針を持っているかである。これが第5のポイントだ。

 刑事事件の捜査においては、逃亡の恐れまたは罪証隠滅の恐れなど身柄拘束の「必要性」があって、しかも「相当性」がある場合に、被疑者の逮捕、勾留が行われる。その判断は、事案の重大性と身柄確保の必要性を勘案して行われる。

 本件の大久保容疑者の場合、「必要性」について言えば、逃亡の恐れは考えにくいし、前記の法律解釈に関して筆者の見解を取るとすれば、本件の最大の争点は「政治団体の実体がなかった」と言えるのかどうかという客観的な事実なのであるから、これについて罪証隠滅の恐れは考えられない。

 したがって、そもそも逮捕の必要性には疑問がある。これに加えて、「相当性」については、事案の重大性がその重要な判断要素となるが、果たして本件が悪質・重大な政治資金規正法違反と言えるかどうかについても、先に述べたような重大な疑念がある。



これらの点を踏まえて、本件で、総選挙を間近に控えた時期に、野党第一党の代表の秘書をいきなり逮捕するという捜査手法が相当であり、任意で取り調べて弁解を十分に聴取したうえで、必要に応じて政治資金収支報告書の訂正を行わせるという方法では政治資金の透明化という法の目的が達せられない事案であったことを説明することが必要になる。



検察が説明責任を果たすことの意義




 一般的には、検察は捜査処理について説明責任を負うことはない。起訴した事件については、公判で主張立証を行い、その評価は裁判所の判決に委ねられる。また、不起訴にした事件について不服があれば検察審査会への申し立てという手段が用意されている。

 今回の事件について検察の説明責任が問題になっているのは、政治資金規正法という運用の方法いかんでは重大な政治的影響を及ぼす法令の罰則の適用に関して、不公正な捜査、偏頗な捜査が行われた疑念が生じており、同法についての検察の基本的な運用方針が、同法の基本理念に反するものではないかという疑いが生じているからだ。

 検察は、そのことの重大さ、深刻さを認識し、誠実に、真摯に説明責任を果たすべきだ。その説明が国民に納得できるだけのものでない場合には、不公正で偏頗な捜査が行われた疑いが一層顕在化することになる。検察は、その責任を正面から受け止めなければならない。

 もし、この点について説明責任が果たされることなく、今回の捜査による影響が日本の政治状況や、世論の形成に重大な影響を与える結果が生じた場合、それは、1つの司法行政機関によって、国や社会に対して一種の「テロ」が行われたのに近い効果を生じさせたということになろう。

 検察の説明を直接受けて報道する立場にあるのがマスコミ、とりわけ、司法担当記者だ。何ゆえに検察に説明責任が求められるのか、いかなる点について、いかなる問題を意識した説明が行われる必要があるのかを十分に理解認識したうえ、納得できるだけの説明を求め、その説明を客観的に評価して報道することが、民主主義の砦となるべき言論機関、ジャーナリズムの使命だ。

 そして、注目されるのが、民主党、自民党が、検察の説明責任の問題にどう対応するかだ。まさに民主主義政党としての両党の正念場だと言えよう。

 民主党は、小沢代表の進退を巡って党内で意見が対立し内紛の恐れをはらむ。一方自民党側には、二階氏をはじめ、本件と同様の手法で検察の摘発を受けることを懸念する議員が多数いるため、検察の捜査の前に足がすくんでいるというのが現状だ。

 しかし、両党は、今回の事件についての検察の説明責任の問題が、民主主義の根幹に関わる問題であることを改めて認識する必要がある。本当の意味での民主主義政党と言えるか、その真価が問われている。

 「実体のない政治団体」についての検察の説明いかんでは、政治資金規正法によって検察が摘発し得る範囲は無限に広がる。そのような団体から政治献金を受けた政治家は、いつ何どき検察の摘発を受けるか分からない。実際に摘発されなくても、それは検察に「お目こぼし」をしてもらっているだけであり、まさに、検察が政治に対して圧倒的に優位に立つということに他ならない。

 これまで、政治資金規正法の基本理念である政治家の自主自律による政治活動と政治資金の透明化への取り組みは極めて緩慢なものだった。そのため、度重なる「政治とカネ」を巡る問題が発生し、その度に国民の強い政治不信を招き、最終的に、今回のような検察の捜査が行われる事態を生じさせることにつながった。

 両党の政治家は、まず、そのことを痛切に反省し、政治資金の「規正」の在り方全体について抜本的な見直しに取り組むべきだ。そのためにも、今回の事件についての検察の説明責任の問題から目をそらしてはならない。」