がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

骨肉腫全身に 少女は聴衆に問う「本当の幸せって」

2009年02月08日 | Weblog
2009年02月08日 18時00分

asahi.com配信記事(URL http://www.asahi.com/national/update/0131/SEB200901310017.html )



「「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」

 制服姿の中学2年生の少女が、聴衆に問いかけた。

 「それは『今、生きている』ということなんです」

 04年7月2日、福岡県大牟田市で開かれた小中学生らの弁論大会。少女は続けた。

 「生き続けることが、これほど困難で、これほど偉大かと思い知らされました」

 「家族や友達と当たり前のように、毎日を過ごせるということが、どれほど幸せか」

 2カ月半後の9月16日、少女は亡くなった。小学6年で骨肉腫を患い、全身に転移していた。弁論大会で読んだ作文「命を見つめて」の1419文字が残った。

 猿渡瞳さん。13歳だった。   

    ■   ■

 福岡市のピアノ講師、福島由美子さん(56)は06年末、瞳さんのメッセージに出会った。長女が通う高校のPTA行事で、2年半前の弁論大会の録音を聞いた。

 胸に響く言葉の数々に励まされた。公務員だった夫(65)のことで悩んでいた。次々に困難なことが降りかかっていた。

 03年、悪性リンパ腫で胃を摘出。がんは治ったが、軽いうつになった。きまじめな夫だったが、06年春の退職後は急に酒量が増えた。焼酎の一升瓶が1日で空いた。酒を探す夫が部屋のドアを開け閉めする音におびえ、福島さんの体重は2週間で6キロ減った。

 退職から2カ月後に病院に連れて行った。アルコール依存症。医師に「廃人になる」と言われた。泣き崩れると、夫は大声で言った。「酒をやめればいいんだろ」。飲まなくなったが、うつは治っていない。苦しいとき、福島さんは瞳さんが死の2日前に残した言葉を思い起こす。

 「骨はがんに侵されているけど、心はがんに侵されていない。心は自由で幸せ」

    ■   ■

瞳さんを知ったときから思っていた。彼女のメッセージを、苦しんでいる多くの人たちに伝えたい。音楽とともに届ければ、もっと心に響くのではないか――。

 1カ月後、人づてに連絡をとって母親の直美さん(40)に会えた。「作文の朗読にBGMをつけさせてほしい」。喜んで賛成してくれた。瞳さんが好きだった曲を教えてもらって驚いた。一青(ひとと)窈(よう)の「ハナミズキ」。楽譜を手に入れ、練習していた曲だった。

 07年春から音楽仲間と一緒に、生演奏をBGMにした作文の朗読会を開く。昨年11月には、仲間の吹奏楽団が朗読を盛り込んだ演奏会を催した。直美さんも客席にいた。

 瞳さんの作文は全国コンテストで入賞し、闘病生活はドラマや漫画になった。直美さんは講演に招かれるようになった。そのたび、瞳さんの言葉を無我夢中で伝えてきた。涙を流す余裕はなかった。でも、この日は号泣した。

 「今もこんなに多くの人が瞳の思いを伝えてくれている。何て幸せな母親だろう」

 隣に座る福島さんは、そっと直美さんにハンカチを渡した。自分も泣いていた。夫が「死にたい」と繰り返したとき、瞳さんの言葉を自分なりに言い換えて伝えてきた。「生きているだけでいいの」

 夫は最近、小さな笑みで応えてくれることがある。また瞳さんの言葉を思い出す。

 「命さえあれば、必ず前に進んで行けるんです」(金子元希) 」