おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

剣山と淡路島の祈りの旅 その2 徳島 剣山に

2014-05-30 | 山伏修行

昨日の続きです。

徳島駅の商店街でお昼。

いよいよ剣山の麓のラフォ-レ剣山に向かいます。

途中、道の駅に寄ってトイレ休憩。

    

    

川沿いの道を1時間半以上かかりました。

夫婦池の側の宿舎でした。

ここから剣山の頂上が望めます。

    

    

昔は、コリトリからが主な登山道だったそうです。

ここで水垢離をして体を浄めて登拝しました。

保江先生の本では、イスラエルの大使が日本に着任したとき

このコリトリから登拝するそうです。

この道の道路案内板は、宮内庁の管理だそうです。

    

    

お地蔵さんが祀ってあります。

この剣山を巡るお遍路道があったそうです。

ここは、33番札所とか。今は訪れる人もありません。

この夫婦池で法螺貝の練習。

    

    

    

このマイクロバスで宿まで。ありがとうございました。

      

     

     

     

登山バスは、臨時便です。5月と夏と秋の季節です。

道の駅貞光ゆうゆう館から見ノ越まで。1時間40分掛かります。

     

夕食は、鍋料理でした。

夕食後、口羽和尚さんからいろいろなお話がありました。

      

    

1.金華山沖で地蔵流しの供養の話。

  口羽和尚さんは、鏑射寺山主の中村公阿闍梨さんのお弟子さんで

  中村公さんの法力の話。

  北海道で海流の関係で不漁になり漁師さん達の生活が成り立たなくなり、

  困って、中村公さんにお願いしたそうです。

  そのとき地蔵流しの供養を行ったら海流が替わって、また魚が捕れるようになったそうです。

  口羽和尚さんは、相川港で3.11で無くなった人たちの供養として

  地蔵流しを行ったそうです。

2.鬼門の話。

  ひとつの仮説ですが、昔、東北の原住民のアイヌ人を

  騙して多くのアイヌ人を虐殺したそうです。

  それが東北方向の鬼門だそうです。

  封じ込めた場所に「戸」という地名がついているのが

  名残だそうです。

  今、それを供養して封じ込めたことを解放しているそうです。

3.イスラエルの風習が日本にあること。

  祇園祭りや、諏訪大社の祭り、御輿など。

  剣山の山頂の周りの土地は、イスラエルの銀行に買い占められて

  いるそうです。でもロマンですね。

4.イヨマンテの歌を披露していただきました。

楽しいお話で、皆さん満足されていました。

翌朝の食事

    

    

朝の天気は、曇り。でも山頂は良く見えていました。

    

いよいよ剣山に出立。

         

         

円福寺と剱神社で勤行。

登山組とリフト組に別れて、登山組は先に出立。

     

小瀧螺雲和尚さんの説明。

和尚さんの服装は、江戸時代の修験者の服装です。

鳥居に六根清浄が書かれています。始めて見ました。

不動明王が祭られているのですね。

昔、大峯山の登拝で無になるために不動明王の真言を唱え続けたことがあります。

ホロトピックのヴィジョンクエストで3日間唱え続けたこともありました。

3日間で6千回以上だったと思います。

      

       

      

      

      

      

緩やかな登りが続きます。

     

途中、リフトの下をくぐります。

        

 海抜1500mの途中 リストの終点西島駅まで930m 頂上まで2880mです。

 リフトの終点 西島駅に到着。

リフト組が待っていました。

     

 天候は快晴で風のなく、雲一つ無いすばらしい天気でした。

明日に続きます。

ありがとうございました。

いつもこころが平穏でありますように!

 

串田さんの地震予報の5/20以降の続報はありません。

松原照さんの揺れに注意は喚起されています。

くるぞう-君、麒麟研究所は、M6の地震に注意で

M7クラスの前兆はありません。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 剣山と淡路島の祈りの旅 そ... | トップ | 剣山と淡路島の祈りの旅 そ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

山伏修行」カテゴリの最新記事