長谷寺駅のそばのコ-ヒ-屋さんで
見つけた91歳の加藤茂雄さんの「茂さん」の紹介。
何度か通うっているうちにいろいろな楽しいことに出会います。
この写真の真ん中下に写っている本です。
この本の紹介。
半世紀も前に家族で長谷寺にお参りして
おいしいお料理を食べた記憶があります。
この本を読んでいて走馬燈のようにいろいろな記憶がよみがえります。
生まれときから終戦後までのお話です。
茂さんは、7人の侍の百姓役でした。
このまちの電気屋さんの隣の牛乳屋さんのおばちゃんと話に花がさきます。
一心亭さんのお肉屋さんの店さきにお人形がお出迎えです。
こんどゆっくり町の探索でも。
我が家では、私と男兄弟の名前は
「長谷の観音さんにつけてもらった」と
親父がよく云っていた。
茂雄、岩男、忠雄と。
親父は、
毎月十八日になると「観音さんの日」だと言っては、
仕事から帰るや子供た達の手をひいて
観音さんに連れて行った。
おビンズルさんおでこを
撫でてその手で僕らの頭をなでるのである。
頭が良くなるようにと、
丈夫であるようにと。
新宿の町のようす
昭和十五年ごろの新宿の通りは、土ぼこりのたつ
砂利道で、夏になると水を入れた木箱を
台車に積んで人力の散水車が活躍した。
藤沢から相撲あがりの岩さんが、
牛車に野菜を積んでやって来る。
農家の依頼で、鎌倉のお得意さんに
届けるのだ。この牛は甘縄神明社の例大祭にも
台車を引いて登場する。
しかし、フンには参った。
小熊の剥製を頭にのせ、熊の肝を売る薬売り。
腰を振りながら
タンスの環をカタカタ鳴らして
歩く定齊屋。
髪結いのおタケさんは、
出張の髪結いで
引っ張りだこ。
町内廻りが忙しい。
町の中は、物売りのかけ声や、
色々な物音にあふれていた。
リヤカ-に風鈴と金魚鉢をのせた
金魚売りのかけ声。
「ピイ-ツ」と鳴りっぱなしの蒸気音を出して
車をひくラオ屋。紙芝居の拍子木。
カンカンカンと念仏を知らせる鐘の音、
観音さんの梵鐘、
江ノ電のボギ-車の警笛。
火の番のジャランコ(錫杖)の音
大漁を知らせる力イポ(ほら貝)を
地引き網の若衆がやって来て吹く、
それを聞いてバケツと一銭か二銭
もって浜に急ぐ。
この本を読んでいて北鎌倉古民家ミュ-ジアムを思い出しました。
昭和30年代の町の風景です。
昨日(8日)に牛乳屋さんでおしゃべり。
丁度、4才と2才の女の子と若いご夫婦が、
コ-ヒ-牛乳とリンゴジュ-スを買いに。
おばちゃんは、上の女の子に履いているサンダルを
褒めました。「かわいいね!」
女の子は、恥ずかしいそうに小声で何かを伝えていました。
でも褒められた、恥ずかしそうにしながらも凄くうれしそう。
後でおばちゃんに淸水義久さんの言葉をお話しました。
この女の子が大きくなったなったとき褒められたことが
無意識のうちに脳にしまい込まれ、
あるときふと思い出すことがあるのですよ。
そして誰かを褒めることのうれしさを自然としることになるのですと。
おばちゃんは納得。
天外司朗さんの無分別と分別の話をおばちゃんに話しました。
「無分別智の医療の時代へ」の中から
無分別智の生き方
⑰「あの世」というのは、深層心理学でいう「無意識」に対応している。「無意識」は、「個人的無意識」、「家族的無意識」、「民族的無意識」、「集合的無意識」などの階層があるが、それぞれの階層でシナリオが書かれ、宇宙を創造している。
⑱「この世」の営みは、ほぼ「あの世」で書かれたシナリオ通りに進行するが、人間は自由意志があるのでシナリオから逸脱することもできる。シナリオ通りに歩むとスムーズな人生になるが、逸脱すると苦難の連続になり、ときに「悲惨な人生」になる。
⑲何故シナリオから逸脱するかというと、エゴや葛藤が強いため。葛藤を解消し、閉じられていた情動の蓋が開けば、逸脱することは少なくなる。元々のシナリオには「悲惨な人生」はない。それぞれに役割は違うし、山や谷があるかもしれないが、それぞれに豊かな人生が用意されている。
おばちゃんに話しました。
「おばちゃんを見ていると無分別智の生き方をしていますね。
これからの時代の生き方だと思いますよ」と
おばちゃんは恥ずかしがっていました。
いろいろなことが僕のなかで繋がりました。
でもこれが小さい旅の楽しさです。
その楽しさに会えることをわくわくしながらまた旅に出てしまいます。
長谷寺のあじさい路は、剪定中で下のほうだけ少し残っていました。
本は、また楽しい旅に誘ってくれます。
ありがとうございました。
茂さんの本は、
鎌倉市城廻701-15 渋谷雅子さんまで。
初版は、売り切れて増刷したそうです。
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