新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「コスタリカに勝たなければ何にもならない」

2022-11-27 07:49:56 | コラム
ドイツに勝ったからといって浮かれていることは許されない:

件名は確か浅野拓磨が試合終了後のインタビューで語った事だ。全くその通りなのだが、そのコスタリカ戦は日本時間で本日の19時からなので、その前に一言指摘しておきたい。私事だが、22日から質が悪い風邪を家内からうつされて、熱こそ出ないが鼻と咳に苦しめられている。だが、何とか指くらいは動いている。しかし、COVIDに感染したのではないと掛かりつけのクリニックで診断して頂いている。

そのイヤらしい風邪の為に、それでなくても老化して良く回らなくなった頭脳が一段と動きにくくなったが、サッカーについてこれだけは言って思うと思う事を一席。先ずは「ドイツに勝ったのは大いに偉いのだが、そうだからといって、何時までもお祭り騒ぎをしていても良い場合じゃない」ということだ。浅野拓磨が指摘したように、本日のコスタリカ戦に勝たないと何の意味もなくなってしまいかねない危険性すらあるのだ。

それは、今朝ほどテレ朝も指摘したことで、コスタリカに勝って2勝したところで、スペインに大量失点して負けてしまうような事態が起きると、2勝1敗でも得失点差で3位になって16強に上がれなくなってしまうからだ。即ち、コスタリカに1点差で勝ち、スペインに2点差以上で負けてしまうと得失点差が「ゼロ」になってしまうのだ。一方、ドイツがスペインに1点差で勝ち、コスタリカに2点差以上を付けて勝つと2位になってしまうということなのだ。

次ぎも仮定の話だが、我が代表はFIFAのランキング23位でありながら、11位のドイツに勝ったということを忘れてはならないのだ。コスタリカは確か32位だったと記憶するが、23位の我が国に勝ってしまうことだったあり得ると、我が方が既にドイツに勝つという番狂わせ(私はgiant killingよりもupsetを採るが)を演じて見せたではないか。手負いのコスタリカは残りの2試合を勝とうと必死になって向かってくるだろうから、油断は禁物だと見ている。

纏めれば、我が代表は何としてもコスタリカに最低でも2点差以上を付けて勝ち抜き、スペインには最悪でも引き分けの持ち込むくらいの決意で当たっていかないことには、折角世界の強豪ドイツを最後の最後でひっくり返して勝ったことの意味がなくなってしまいかねないのだ。

予選リーグから勝ち上がることは、ドイツに1勝したからそれで良いとはならないのだ。それほど簡単なことではない。この点を監督も選手も十分に心得ているだろうが、周りが「ドイツに勝って良かった」と無意味に騒ぎ立てて持て囃していると、碌な結果にならないことを私は怖れているのだ。本日は無意味なパス交換をせずに、まっしぐらにゴールを目がけて突き進み、シュートを蹴り込んでいくようなサッカーをして勝って欲しいのだ。


2022年10月の新宿区の人口

2022-11-26 10:51:39 | コラム
22年10月の新宿区の人口は346,925人と対前月比△0.16%だった:

実は岸田内閣が推進している景気回復の重要な政策の一つに、奇妙なカタカナ語が使われている「インバウンド」推進があるとは承知している。その成果は既にここ東京都新宿区の一角である百人町/大久保地区には現れているようで、中国とイスラム系の者たちの数が目に見えて増えている。その者どもの特徴として目立つのが「刺青」をしていることだと思う。

9月の外国人の増加は853人だったが、10月にも833人と増えて、合計40,347人と4万人の大台に達した。新宿区の人口に占める比率は11.6%と9月の11.4%、8月の11.2%から一段と増加した。先週末からCOVIDではない風邪に喉と鼻をやられて余り外出していないが、一寸大久保通りにまで出てみれば、北京語で楽しげに大声で語り合う若者の数が増えたことを感じる。彼らは政府が望む「インバウンド」ではあるまいが、何をしに日本にやって来たのだろうか。

22年10月の新宿区の人口は、9月からは652人の増加で346,925人となった。増加分の内訳は日本人が181人の減少で、外国人が833人もの増加となっていた。外国人は9月に853人、8月に39人、7月に708人という具合に増加の一途を辿っているのだ。この新宿区に住民登録をしているのであれば「インバンド」ではあるまい。では、日本語学校生か?それでは、我が国の経済を回すことに貢献する訳がないだろう。政府は、この辺りを調査・検討すべきではないか。

10月にも大久保通りの山手線の内側のKorea townは大盛況だった。あれほど若き女性たちが韓国産化粧品や彼らの趣向に合わせた韓国料理に群がるもだからこそ、本場の感じを味わおうとばかり、彼らが梨泰院を訪れたのも不思議ではないと思う。大久保通りのあの部分は完全に韓国化されてしまっている。一度でも良いから平日の山手線新大久保駅に来てご覧じろ。何とも凄まじい改札口での大混雑に驚かされるだろう。韓国の「文化」がこれほど浸透していたかと解るだろう。

上記のように、外国人が増えてきたことを統計が示している。私はその中でも近頃は北京語と聞こえる言葉を話す若者の数が、イスラム教国の連中よりも遙かに増えたと感じている。彼ら中国の青年男女が日本語学校生でなければ、如何にして生活できるような収入を得ているのだろうかと、考え込まされてしまう。仮令、留学生ヴィザで週何日かの就労が可能だったとしても、あれほど着飾って楽しげに語り合って街中を歩き回れるほど稼ぎがあるのだろうか。不可解だ。

偶に訪れることもある新宿の目抜き通りや歌舞伎町界隈や新宿駅西口周辺や高田馬場辺りは、COVID-19感染流行期前の賑わいを取り戻していると見えるが、景気は一向に回復して来る気配はない。今月は通院の機会が多かったので、身の安全を図って数回タクシーを利用したが、運転手さんたちは相変わらず「岸田内閣不信論」を唱えていた。

参考資料:新宿区広報 11月25日号


この事だけはどうしても言っておこう

2022-11-25 14:18:59 | コラム
テレビと新聞の偏ったサッカーの報道を戒める:

23日に我が代表がW杯サッカーの予選リーグの第1戦で大方の予想を覆してドイツに勝ったのは大変良いことだった。テレビも新聞もこれでもかというような大騒ぎである。この事には何ら文句を付ける気はない。

だが、冷静なる評論家の当方に言わせれば、同点にした堂安と決勝点を蹴り込んだ浅野だけを「歴史に残る」などと言って褒めちぎるのは偏向した扱い大変に宜しくないと断じざるを得ない。

私はこれまでに何度かマスコミに言い聞かせてきたことがあった。それは「サッカーという競技ではごく例外的な場合を除いては、シュートをゴール決めた選手だけが偉いのではなく(乃至はその者だけを特に褒めるのではなく)、シュートを決められるように組み立てた周りの者たちの功績でもあるのを忘れるな」ということだ。

もっと厳しいことをいえば「得点になるシュートをした者は、そもそもそういう役割を与えられて前線にお位置しているのだから、彼または彼女はその当然すべき仕事をしただけに過ぎないので、特別に賞賛するのはサッカーという競技の本質を認識していない門外漢の所業である」となるのだ。

これだけの説明では解って貰えないかと思うので、ズバリといえば「あの場面で、ディフェンダーと競り合いながら、世界最高の名手と呼んでも誤りではないドイツのGKノイヤーが手も足も出せないシュートを決めた浅野拓磨だけを英雄扱いするのは間違いである」ということだ。

私は浅野も立派だったと認めているが、それ以上に凄かったのは板倉があの(FKからだったか)浅野が空いていて走り出そうとするのを見て、浅野が扱いやすいようなバックスピンが効いたパスを「ドンピシャリ」(昨今では「ピンポイント」なるカタカナ語が濫用されているが)で浅野が走り込んだ場所に落ちるようにした正確無比のキック力をこそ褒め称えるべきだと思うのだ。

後で何度が録画を見たが、板倉のキックは浅野が走っていく先に急に曲がり落ちるような弧を描いていた。あれは、板倉が意図的にバックスピンをかけるように蹴ったのだと解釈した。こんな事は容易いことで、現代のサッカー選手たちなら誰でもできる技だ。

即ち、前線にフィードする者は、時と場合によってパスの種類を蹴り分けていることだ。だからと言って、常にあの板倉のキックのように正確に、相手のディフェンスの裏に落ちて止まるようなパスは、生涯に2~3度でも蹴れたら上等だと思うのだ。あれだけピッタリと浅野が走るスピードにタイミングが合ったのは寧ろ奇跡的かに見えた。

もう一度いうが、浅野の得点ばかりを褒めそやして、板倉の正確無比のフィードを褒め称えて上げなければ片手落ちになってしまうのではないか。私はあの決勝点は板倉と浅野の合作として、日本サッカー界の歴史に残っても良いと評価している。

終わりに少し手前味噌を言わせて貰えば、私は40歳を過ぎてから加入した藤沢市の「四十雀クラブ」(40歳以上の者が集まってサッカーを楽しむ組織)では、専らゲームを組み立てる役に専念して、ボールを持つや全体を瞬時に見渡して「空いている人」や「そこにパスを出せば得点のチャンスになる人」にパスを供給するのを楽しんでいた。即ち、視野を広くして、その人が扱いやすいように何通りかの種類のパスを蹴り分けていた。この役割にはシュートを決めるのとは違った快感がある。


勝負に番狂わせはない

2022-11-24 08:11:30 | コラム
我が代表がドイツに勝った:

昨23日に引用した岩渕監督の言葉通りだったと言っても良いかと思った結果だった。

昨夜はある治療薬の副作用のせいか気力が無く、ドイツとの初戦は布団の中からの観戦になってしまった。しかも、午前中にドイツの手の内を見たこともないままに予想をしてしまった責任感(?)もあり、何とか前半の終わりまで見ていた。

あの我が代表の勝ち方は、これまでに何度も見たことがあった内容で「攻めに攻めた優勢だと見られていた方が一向に得点できず、必死に守った弱者かと見えた方が少ないチャンスを活かして見事に勝ってしまった」という形に近いと思っている。現にドイツは前半のボール支配率の80%が示すように一方的に押しまくっていながら、PKによる1点だけに止まってしまった。我が方のディフェンスに決定的な形を作らせて貰えなかった。

試合を見始めて「ドイツはこういうサッカーをするとは知らなかった」と意外な発見をした。それは、ドイツは私が代表の戦法を批判的に言う「ピッチ一杯に広く使って躊躇せずに後方にパスを回してバックス間の横のパス交換を続け、前線で誰かが動いてフリーになるのを待つ。即ち、ボールをキープして相手に攻める機会を与えないようにする」と、殆ど同じ形で試合を進めてきたこと。だからこその80%であり、我が方は前田大然の惜しくもオフサイドによるノーゴールだけだったのだ。

ドイツは確かにキープ力にも優れていたし、正確な球扱いで前後左右にパスを回して我がディフェンス陣を振り回していた。だが、前半はその堅い守りに遭って得点の形を作れないままに終わった。私は一見優勢のようだが、これで本当にFIFAランキング11位の力が出るのかなと疑問に感じていた。同時に、我が方は20%の時間しかボールを支配できなかったので、ドイツのパス交換の網に嵌められて攻める形を作れなかった。

実は、前半を0対1で終わったところで眠ってしまい、再び目覚めたときに堂安がゴールに蹴り込んでいる画が見えたので、何かハーフタイムの間にでも過去の試合のヴィデオでも見せているのかと思った。だが、それが現実で同点に追い付いたところで目を覚ましたのだと直ぐに解った。

その暫く後で(後で解ったことで)板倉が縦一発のパスを蹴り込み、カメラの角度からはオフサイドかと見えた浅野が綺麗なトラッピングからバックスと競り合ったままドリブルで持ち込み、逆サイドに誰も上がってきていないのが見えたのか、かの名GKノイヤーと1対1に近いところまで迫ってから見事に決めてしまった。私はあの浅野を追いかけていたディフェンダー(と言うのだそうだが)がレッドカード覚悟で倒しに来るのかなと思っていたが、そこまでしなかった。

見事だったのは浅野の攻め上がりだが、あの縦パスを蹴った板倉も賞賛されるべきだと思う。あの蹴り方ではバックスピンをかけたキックだとは見えなかったが、浅野がインステップで軽く浮かせてトラッピングをして見せたので、非常に処理しやすい「良いフィードをした」と感心していた。テレ朝では福田正博が「あのトラッピングができたところで決まったのも同然」と褒めていたが、板倉と浅野の見事な連係プレーだった。

私は何時でもついついオフェンスの方ばかり見てしまうので、あの試合で吉田麻也を中心にした守りどのようにしっかりとドイツに流れの中で点を取らせないように封じたのかは十分に把握できていなかった。だが、GKの権田もPKになった反則を取られてしまった以外は、良く守っていたと見ていた。

森保監督が後半になってから堂安、三苫、南野と投入した選手交代も良かったと評価すべきだろう。次の相手であるコスタリカも全く見たこともないので、試合の展開を予想できない。だが、スペインに7点も取られた手負いになってしまったので、我が方を相手に捨て身で来られたら怖いと思う。何と言っても南アメリカの国なのだから。昨日は勝てそうもないようなことを言って予想したことを選手たちと監督にお詫びして終わる。


W杯サッカー2022が始まった

2022-11-23 07:48:21 | コラム
我が代表の第1戦の相手はドイツである:

テレビも新聞もここを先途と盛り上げようとしているし、巷には我が代表がFIFAのランキンの格上のドイツに勝てそうだと言わんばかりの希望的観測が溢れている。何れにせよ、過剰に期待した重圧で選手たちを押しつぶさないようにすることだ。

私は「もしも勝てるのならば1対0のような僅差で、負けるのならば3乃至は4対1程度で、終始圧倒されてしまうのでは」と見ている。勿論、我が代表が勝ってくれることを望んでいるが、単純且つランキング通りに見れば、勝てる可能性は低いだろうと思っている。私は湘南中学以来の監督だった岩淵次郎氏の「勝負に番狂わせなどな。強い方が勝つのだ」と、野村克也氏の「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」も同様に信じている。

テレビで既に何試合か見る機会があった。そこで注目したことが「カタールの暑さ」だった。多くの選手たちが足が吊ったのか、暑さによる過労なのか、水分切れなのか、ピッチに倒れ込んでレフェリーが直ぐに「担架」のジェスチャーをすることだった。夜でも30度を超える中で90分も動いて、2試合で見た9分という長いアディショナルタイムともなれば、倒れる者が出てくるのも不思議ではない。我が方の対策や如何にの思いだ。

このところ述べてきたように、森保監督就任後のサッカーの質の変化が、ヨーロッパの強豪であり古豪であるドイツに勝てるのかという問題だと思っている。確かに、現在の代表選手たちの技術は目覚ましく向上したし、ヨーロッパでも通用している者が増えてきた。だが、それは、何度でも言うが「周りが上手いので彼らを活かす方法を心得ているのだから」であり、ヨーロッパの一流選手たちを凌駕した領域に達したのではないと思って見ている。

何度でも言うが、ヨーロッパ諸国の独自の戦術の中で活かされてきただけの進歩であり、選抜(寄せ集め?)された選手たちが集まっているティームには「周りの優れた者たちに使われてきた選手たちが集まっているだけなのでは」と懸念している。何度も言ってきたことで「世界的な有名選手になった中田英寿の悲運は、周りの10人が中田英壽ではなかったこと」である。久保建英などは無類に上手いが、それはスペインのティームにいるからの上手さなのだと思っている。

何れにせよ、普通には“upset”と言われている「番狂わせ」を我が代表がやって見せて欲しいのだ。また英語の講釈になるが、アナウンサーや解説者たちが好んで使っている“giant-killing”はUKというかKing’s Englishの表現である。