新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月15日 その2 日常的な会話の中で役に立つ簡単な表現

2022-11-15 16:35:31 | コラム
「どうして、そんな難しいことを簡単な単語だけで言えるのですか」:

この見出しは1998年頃に個人指導を依頼されていた商社の若手に言われた台詞である。これは寧ろ「易しい単語だけを使って、そういう事が表現できるのがnative speakerたちの日常会話だ」ということなのだ。現実にアメリカ人の中に入って仕事をしていると「へー、そういう場合にはそう言えば良かったのか」と、思わず感心してしまうほど、難しい単語を使う必要はないのだと解ってきたのだった。

これから思いつくままに、そういう現場で習い覚えた表現の例を並べていこうと思う。強調しておきたいことは、「このような簡単な言い方を日本語にしてみて、それをもう一度英語に戻してみようなどと思うと、予想以上に難しくなってくること」だ。毎度の事ながら例文は順序不同である。

“I’ll be right with you.”
解説)この表現には、私が常に指摘している「こういう場合にはこう言えば良いのだ」と覚えておくことが肝腎で、無理に日本語に訳す必要などないと言う点が現れているのだ。これは「直ぐに(貴方の所に)行くよ」という意味なのだ。「この日本語にしたい方を英語で言って見ろ」と言われたら、案外に苦労することになると思う。注目すべきはwithの使い方だ。

“I’ll tell you what.”
解説)これを初めて聞いたときには意味が解らなかった。それは、5~6人で昼食にと外出した際に、何処に行くかの意見が分かれて動きが取れなくなってしまった。すると、最長老の技術サービスマネージャーが“I’ll tell what. Let’s get to Chinese.”と言って話が纏まったのだった。この意味は「良い考えがある」か「こうすれば良いじゃないか」なのだが、日常会話では“I have a good idea.”とはならないのだ。私は後になって別の者に「あれは何という意味」と尋ねて覚えた言い方。

“Can you get hold of him?”
解説)意味は「彼と連絡が付くかい?」と言っても良いし「彼の居場所を知っているか」でも「彼とコンタクトできるか」などでも良いと思う。これは実際に某国の大使館の書記官に、その国の「ある人に緊急に会いたいのです。居場所をご存じですか」と電話をしたところ、誰かにこう尋ねているのが聞こえたのだ。次に聞こえたのが“You mean you know his whereabouts?だった。「それは、君が彼は何処にいるのか知っているという意味か」と確認した言い方だった。

似たような表現に“get in touch with 誰それ”というのもある。言っておきたいことは、“Can you contact him?“などと言う固い言葉は使われないものだという辺りだ。しかし、whereaboutsのように複数形でなければならない単語は、易しい部類には入るまいと思う。

“I’ll sleep on it.”
解説)これも「はて、何の事を言っているのか」と一瞬戸惑わせられた言い方だった。意味は「この件を明日まで考えてきます」でもあるし「よく考えてきます」でも「暫く時間を下さい」と言いたいときにも使えると思う。要するに、即答を避けたいのである。You sleep on it.にすれば、命令になる。「明日まで時間を下さい。考えてきます」と英語で言うとなれば、かなり苦心することになるだろう。これが日常会話なのだ。

結び:
矢張り強調しておきたいことは「日本語の表現を、色々と数多く習い覚えた単語を思い出して、それを文法に則して並べて文章を構成しようとするのではなく『こういう場合にはこう言えば良いのだ』という例文を沢山覚えて置く方が、自分の思うところを表現するときに役に立つ」である。

そういう例文は音読・暗記・暗唱した教科書に中にあったかも知れないし、テレビの画面の他に流れてくる音声の中にもあるかも知れないのだ。換言すれば、単語をバラバラに覚えるのではなく、文章の流れの中で使い方を学ぶ方が実際の役に立つのだ。一寸気をつけていれば、英和辞典には手頃な例文が出ている。未だ未だ、言うなればこのような口語的な日常的な言い方は沢山あるが、今回はここまでにしようと思う。

なお、このような言い方を取り上げてみた訳は、17年5月に採り上げた「旅先で役に立つ簡単な表現」が有り難いことに今でも読んで下さる方がおられるので、簡単な表現を追加してみようと考えた次第。


偶にはサッカーも語って見よう

2022-11-15 09:01:58 | コラム
11月21日からカタールでWorld Cupが始まる:

サッカー出身者でありながら、申し訳ないことに、この稿を書くに当たってW杯(カタカナ語排斥論者としては「ワールド」という表記は認めていない、これは「ウワールド」であるべきだから)が今月の何日から始まるのかをWikipediaで確認した次第だった。

我らが代表ティームの最初に当たる相手のドイツの他に、2010年には優勝もしていたスペインもいるグループに入っているにも拘わらず、森保一監督以下はベストエイトを目指すという勇壮果敢な目標を掲げてカタールに乗り込んだ以上、応援して上げなければならないとは承知しているつもりだ。だが、私は常に過大な期待をせずに結果が出るまで心を静かに保って「良い結果を出してくれれば良いが」とだけ願うようにしている。

そこで、私が何をどのように考えているかを、あらためて述べていこうと思う。今月に入ってからNHKのBSで過去の名勝負(と言ったか?)を特集して、多くの試合の録画を流してくれたのを、偶然にもチャンネルを合わせて何試合か見ていた。その中から強烈な印象を受けたものから「サッカーとは」を考察してみようと思う。

第一は1994年のブラジル対イタリアの決勝戦だった。結果を言えばブラジルがPK戦まで持ち込んで勝ったのだったが、当時の世界最高水準にある両国が力というか技術の限りを尽くしてやって見せてくれたサッカーの質はと言えば、激しいぶつかり合いの場面が比較的少なく、寧ろ穏やかなサッカーだったように思わせられた。言って見れば「パスを組み立てるサッカー」のようだったが、所謂「超絶技巧」の発揮もなく、淡々と試合が進んでいるのかなとすら感じさせられた。

しかしながら、2010年のスペイン対オランダの決勝戦は、凄まじいばかりの94年とは違う高い水準にある技術を見せた試合だった。両国の代表選手たちはイエローカードやレッドカードを出されることなど全く気にする様子もなく、相手を倒していこうとばかりに相互に激しく当たり合っていた。確か、1対0で負けたオランダの方が10人になっていた気がする。

この試合を12年も経った今になって見て、あらためて痛感したことがあった。それは、英連合王国がその発祥の地であるアソシエーション・フットボールは「矢張り、狩猟民族の競技だった」という点だった。即ち、両国の代表は「倒すか、倒されるのか」との争いを展開していたのであり、イニエスタらが魅せた(見せた)高度な技術はその為の手法の一つに過ぎなかったということなのだ。言い方を変えれば「矢張り、我が国のような農耕民族に何処まで適した競技かな」となるのだ。

ここに取り上げた「狩猟民族」と「農耕民族」の違いは、私がこれまでに展開してきた「我が国とアメリカの企業社会における文化と思考体系の相違点」を語る際に指摘してきた重要な違いなのである。彼ら狩猟民族は「短期間に攻めて獲物を手に入れて結果を出す」のに対して我ら農耕民族は「土地を耕してから種を蒔いて、収穫の時が来るまで風雪に耐えてじっと待つ」という違いである。

彼らが退場をも怖れずに反則を犯すということは「結果を出すために手段を選ばず」と思っていることの証しであると言って誤りではあるまい。性善説を信奉する我が国では考える事すらしないだろう手法ではないのか。その背景にあるのが、二進法的思考体系で、彼らは「やるか、やらないか」しかない考え方なので、「やる」と決めたら突き進むのだ。

ここで、我が国のサッカーを振り返って語っていこう。私は2010年にグループリーグでデンマークに3対1で勝った試合を見せて貰って「あの頃は(私の見方からすれば)良いサッカーをやっていたな」と、偽らざる所を言えば「何故、あの形を捨てたのか」と残念に思わせられた。

森保一監督率いる現在の代表のサッカーと何処が違うのかと言えば「責任逃れとしか見えない巧みなパス交換の技術と、自分で攻めずに何かと言えば後陣にバックパスをしてバックス間で横パスを交換している間には、前線にいる者たちはまるで静止画を見せられているように一向に動かず、相手のディフェンスの裏を取ろうとか、マークを引きずり出してスペースを作ろうという類いの動きがない」のである。

あの12年前の代表選手たちの顔を画面で見れば、長谷部誠、本田圭佑、遠藤保仁、中澤佑二、田中Tulio、大久保嘉人、松井大輔、阿部勇樹、岡崎慎司、川島(申し訳ないが、最も評価していないGKなので名字のみとする偏見をお許し下さい)等々がいた。彼らのサッカーの何処が良かったかと言って「兎に角何が何でも、如何なる難しい局面にあっても、常に前を向いてひたすら攻めていこうとしていたこと。責任逃れやピッチを広く使う後方へのパスなどせずに前向き」だった点だ。

もう何年もサッカーを現場では見ていないが、現代のサッカー選手たちの技術水準の高さや、リフティング等で見せる球扱いの質の高さは十分に承知している。と言えるのも、72歳だった2005年までは高校時代の「全国制覇し損ないの会」で、往年のオリンピック代表だった小林忠生さんを中心にサッカーからフットサルまでをやっていたので、現在のサッカーの質はある程度把握していた。

特に慶応大学の女子フットサル部に9対0で惨敗した際に、彼女らの技術とスピードに完膚なきまでにやられた経験まであるので、このように語れるのだ。念の為に申し上げておけば、我々は昭和23年(1948年)の第3回の福岡国体の決勝戦で、広島師範附属高に0対1で破れ、全国制覇をし損なったのだった。その相手の主力選手の一人が、後のサッカー協会会長の故長沼健氏だった。

昔話はこれくらいにしよう。私が森保監督以下代表選手たちに望むことは「どうぞ、あの2010年当時のひたすら前を向いて攻める敢闘精神を思い出して、強敵と見て怖れることなく、攻めることに専念して、無用の後方への展開を避けて欲しい。その先にドイツやスペインに勝利することが待っていると思って」なのだ。敢えて言えば「私が無い物ねだりをしたことにならないよう、一所懸命にサッカーをやってくれ」なのである。