新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

外国語で意思の疎通を図るときには

2022-11-07 08:19:32 | コラム
林芳正外務大臣のドイツのベアボック外相との会談は英語だったのか:

私は「この会談に通訳の姿が見えなかったのは何故か」との疑問を呈してあった。そこに畏メル友のRS氏から「ベアボック外相(Annalena Barebock)は16歳の時にアメリカ・フロリダ州のLake Highland Preparatory Schoolに留学しておられたので、会談は英語だったのでは」と知らせて貰えた。「なるほど、そういう事だったのか」と理解はした。

そこで、林外相を批判する意図などないが、自国語ではない言語で外国人と意思の疎通を図るとか、重要な会談をすることの難しさと危険性を、自分の経験も含めて、触れてみようかと思うに至った。

以前に取り上げた事もあったが、ロッキード事件が大いに問題になっていた際に、国会で証言したユナイテッド・スティール社のシグ・カタヤマ社長の例があった。言うまでもないだろうが、カタヤマ氏は日系アメリカ人である。彼の会社は我が社と同じ青山ビルの12階にあり、彼が普通に社員たちと日本語で話しているのを聞いていた。だが、我が方の日系人BJ氏とは、当然のように英語。国会での証言は英語のみで通しておられた。

そこでBJ氏に「何故、あれほど日本語ができていても英語なのか?」と訊くと「あのような場では、どれほど外国語(と言うのもおかしいかも知れないが、日系アメリカ人にとって日本語が外国である例が多い)に自信があっても、日本語では気が付かない失言をする危険性を回避するために、自国語である英語で語るのは当然の選択。だから、私も公開の席では英語でしか話さないようにしている」と断言した。十分に納得できる説明だった。

私も東京事務所内では兎も角、本部に行けば言うなれば英語が公用語であるから24時間英語だけだし、街に出れば例外を除けば日本語が通用することはない。であるから、ある程度以上の自信を以て日常的に英語だけで暮らすのだ。だが、事業部内での副社長や同僚との会話は英語だし、会議やCEOと出会ったような場合にも何とかしている。これが実は非常に怖いのだ。

朝から晩まで英語だけて暮らしているときには、常に付まとっていた不安な事があった。それは「もしかして、とんでもない間違った表現をしてしまっていたのではないか、他者を傷付けるような言葉を使ったのではないか」等々の恐ろしさなのである。自分には「単語帳的」ではない語彙があるし、native speakerたちの言葉遣いも心得ているつもりでも、自国語ではないことから生じる間違いの恐怖からは逃れられなかった。

Mead社勤務の頃にはカナダ大使館の一等書記官(commercial attaché)たちと頻繁に接触していた。彼らは実に見事な日本語を話す能力があるが、仕事上の会話は英語で押し通してきた。そこで、How do you learn to speak Japanese so well and fluently?と尋ねて見た。

そこで知り得たことは「彼らは着任後1年間、横浜の山手にある彼ら専用の日本語学校に閉じ込められ、日本語だけの日常生活を続けた(強制された?)」のだそうだ。そうすることで、実際に赤坂の大使館で勤務するようになったときには、何ら不自由なく日本人と接触し、意思の疎通ができるようになっていた」そうだった。この点はアメリカ大使館の一等書記官たちも同様だと、後に日本人の商務官から確認する機会があった。

だが、彼ら書記官たちは仕事上では英語しか話さないのだ。この辺りは要注意なのだ。即ち、「外人は日本語が解るまい」などと思って彼らの面前で仲間内だけで話していると痛い目にあった例を、私は承知している。自慢話と思われるだろうが、彼らは私には英語でしかけてこなかった。

林芳正外務大臣の英語力がどの程度であるかなどは知る由もないが、ハーバード大学大学院に留学して修士号を取っておられたようだから、それに相応しい力をお持ちなのだろうと思う。私は永年のアメリカの会社勤めの間に、アメリカでMBAを取ったという人に何人も出会っていたが、その方々の英語力には失礼を顧みずに言えば、バラツキがあったと評価していた。

私が言いたいことは「外国語の能力が十分に自分の意志というか思うところを、相手に間違いなく理解させるまでの次元に達するのは容易ではない。自信過剰に陥らないように、常日頃から十分に勉強するよう心掛けることと、間違いない表現をするよう注意をする事が必要であろう」なのである。