新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

外交交渉では主張すべき事は真正面から主張すべきだ

2021-03-20 08:48:25 | コラム
アラスカにおけるアメリカと中国の外交担当者の会談に思う:

非常に興味深い会談となったようだった。いきなり余談だが、私は18日に会談というのを日本時間で考えていたが、時差を失念していた。昨19日にテレビのニュースで部分的にだけブリンケン国務長官と揚潔篪共産党政治局員(実質的には外務大臣だそうだが)との遣り取りは、将に(私がこれまでに繰り返して指摘して来た)「主張すべき事(言っておきたい事)を腹蔵なく主張する」というアメリカまたは西欧式な討論の進め方をそのまま実行した典型的な例だった」と思って聞いていた。

私には中国語というか、揚局員の語り方にどれほど感情が出ていたかは解らなかったが、感情的な表情が現れていたので、そこだけを捉えても中国側には分がなかったと受け止めていた。何れにせよ、あの冒頭のテレビカメラを呼び戻したと報道されていた、言わば「激論」の応酬はそれほど驚くべき性質ではなかったと思う。ブリンケン国務長官はアメリカ人である以上、二進法的に物事を判断するので、揚局員の20分にも及んだ主張を聞いて「看過すべきではない」と即断して反撃に出られただけの事だと思うのだが、その内容は中国の痛いところを突かれたのではなかったか。

アメリカ人たちの思考体系では、討論をする際にかなり激論となり、如何にして相手を論破するかという状況になっても、先ず感情を抑えて主張すべき点を腹蔵なく「論争と対立」を怖れずに述べてくるのだ。そこには相手と対立して気まずくなりはしないかとか、言い負かすのは失礼ではないかとか、相手の立場を尊重はするが自分の主張を曲げるべきではないという配慮はぜず、言うべきか否かの二者択一の考え方で論戦を挑んでいく。議論は白熱する。

相手も同じような思考体系であるから、当然のように激論となる。そういう人たちだと知らずにアメリカ人同士の議論を聞いていれば「あそこまで主張が真っ向から対立しては、彼らの間柄はどうなってしまうのだろうか」とハラハラさせられるのである。実際には、討論が終われば握手を交わして「今日は良い議論が出来て結構な事だった。これから夕食でもどうか」などと言う決着となってしまううのが普通である。

私は中国人とやり合った経験がないので、彼らの議論の進め方が解らないが、中国語の英語と同じような言葉の配列からして、アメリカ人にも似たような二進法的な思考体系で討論するのかと解釈していた。それに中国政府の報道官たちの「先手必勝」的に相手国を罵る声明の出し方からも、二進法的な思考体系かと考えていた。だが、あの揚局員の反論は自制心を失った感情的な悪口雑言に近いようにしか聞こえなかった。恐らく、アメリカ政府の高官だけではなく、何処の国からもあそこまであからさまに自国の問題点を衝かれて、我を失ったものと解釈していた。

そこで思いが至った事は、我が国の討論の進め方の奥床しさだった。それは、西欧式な二進法的にはならない(なれない)で、ともすれば遠慮がちに先方の顔を立て立場を尊重する、言い過ぎないよう考慮する、激論を避けて戦法の感情を害さないよう配慮する、落とし所を探る等々の、丁寧であり奥床しい論法で臨まれるのだ。いきなり核心に触れずに「言外の意味を察して頂きたい」とばかりに「腹芸」のような議論を展開するので、余程巧みに言外の意味を察して通訳しないと「問題の核心の周りを回っているだけで、論点が不明だ」となってしまうのだった。

このような相違点を、私は文化と思考体系の違いと認識してきたので、言わば中間に立つ日本駐在員の務めてとして、相互の理解を促進するように努めてきたし、何とか問題が生じないように進めてきた。民間ではそれで良いのだろうが、事が国家間の案件となればそうは行かないのだ。それこそ、今回のアメリカ対中国の会談のように「自国の利益の為に主張すべき事は腹蔵なく真っ向からぶつけるべきである。論争と対立を怖れず、結果を怖れているべきではない」との精神で臨むべきだろう。

私がここまで引っ張ってきて言いたかった事は「その点では我が国の外交姿勢と海外向けの情報発信力が弱すぎる。自国の為に自国の立場を真っ向から主張するか、言い渡して何も失うものなどないのである。妙な遠慮は無用だ」という、極めて単純な問題なのである。相手国は我が国の政治家や官庁の優しさや奥床しさや論争と対立を怖れる事など知らないだろう。また、承知していれば尚更の事で、「これでもか」と突っ込んで来るだろう。重ねて言うが、遠慮は無用だし論争と対立を怖れては国際場裏では勝てない恐れがあるのだ。ブリンケン国務長官に学んでは如何か。



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