新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国とアメリカの企業社会における文化の違い

2018-10-05 08:41:01 | コラム
日本とアメリカの企業社会における文化の違い

これは今を去ること10年前に発表した私独自の「日本とアメリカの間に存在する文化比較論」の冒頭のところである。これだけでも十分にその違いが現れていると思うので、あらためて一部を加筆訂正して再録し、各位のご参考に供したい。

“文化の違いという名の凸凹道を貴方が平坦な道路だと思って歩けるように綺麗にならして上げるのが私の仕事”
私が生涯最高の上
司と呼んで来た10歳年下の副社長兼事業部本部長(当時)と私自身、それに事業部がこの日本市場で成功するためには、「企業社会における文化の違いを征服すること」が、私に与えられた最大の課題の一つであると認識していた。だからこそ「文化の違いとは如何なるものか」を認識することに神経を集中した。ここに語ることはその努力の成果であると共に、もしかすると永遠に日米相互に本当に理解されることがないのではと懸念している。

日本とアメリカ相互の理解・認識不足
日本とアメリカの文化に明らかな違いがあることに対して、最早戦後70年以上も経っているのに、日米相互に認識不足であるのはどうしたことだろう?思うに、圧倒的な大多数の人は「そんなことは先刻承知だ。何もことあらためて聞かされることではない」と認識しておられるだろう。つい先頃、この人ならば思う複数の方が「アメリカとは服装がキャジュアル(カタカナ語は「カジュアル」)で、言葉遣いもスラングが多く、粗野な人が多く、自由で、努力すれば報われる国だ」と信じておられるようなことを真顔で言われたのには、いわば毒気を抜かれた感があった。

その背景には我が国の、英語等の外国語によるによる「日本とは」等の情報発信量がほとんどゼロに近いことがあるだけではなく、「アメリカとは」という情報の受信も誠に不十分であったと確信している。アメリカからの日本向けに発進されてくる情報はといえば、戦後直ぐの進駐軍当時の偏った内容を変更するに足るものではないと見ている。故に、日米ともに情報発信の努力をすべきであると常に主張してきた。

私は1990年以来、機会ある事に書き物と講演と、さらに96年からはラジオ放送で、相互理解と認識の必要性を説いてきた。アメリカ側の対日理解度などはかなりお寒いものであると22年有余の外資暮らしで十分承知していた。だからこそ、1990年に志願してウエアーハウザー(Weyerhaeuser Company、以後W社)本社事業部で”Japan Insight”と銘打った「日米企業社会における文化の違い」についての90分のプリゼンテーションを行ったのであった。

などと言えば「何で今頃日米文化比較論?」という声が上がるだろう?そう言いたい方に以下の私の比較論をご一読願っても、「面白い話を聞いた。世の中にはこういう主張をする人もいるという話の種にする」と言われそうな気がする。
その相互不理解振りたるや「長年連れ添った夫婦間の相互理解の認識と理解不足よりも酷い状態」と、多くの私立大学で国際法を教えておられたTY先生が喝破された。私如きには到底思い浮かばなかったような至言であると思って拝聴した。
本心を言わせて貰えば、私の文化比較論の主張の如きものが役に立つようでは我が国のアメリかに対する認識不足が浮き彫りになって宜しくないと思うのだが、「相互の認識と理解不足の状態ではない」と思っておられる方が多いのも困ったことではないだろうか? 私の経験上からも言えるのだが、アメリかには平然と「日本は中国の一部では」などと言う者が今でもいるのだ。
何れにせよ、ここに記したものは飽くまでも「日本とアメリカの紙パルプ・森林産業界」の会社における1955年から2007年までの経験と見聞に基づいていることをお断りしておくと同時に、飽くまでも比較論であってアメリカ礼賛ではないと申し上げておく。

「就職」か「就社」か:

これこそ企業社会における大きな違いの代表的なものであると信じて疑わない。W社入社後2年目のことだった。1976年ニュー・ジャージー州アトランティック・シティーで開催されたコンヴェンションの会場でアメリカ人の学生に「この会社のこの事業部に就職したいのだが、誰に履歴書を送ればいいのか」と尋ねられ、その意味が解らなかった。そこで近くにいたシカゴ営業所長(当時、後の副社長兼事業部本部長)に回した。そして、その質問の意味を解説して貰ったものの、当時は良く把握できなかった。

これが、アメリカでは「就職」であって我が国では「就社」であると知るきっかけになった。アメリカの会社には経験者が「即戦力」として、会社ではなくその事業部に採用されるのだから、当然「何でも承知している」との前提。だから、何か疑問があり自分から訊こうとしない限り、事業部内のことは言うまでもなく「会社」自体のことでも、上司も同僚も誰も何も教えてくれることはない。

各事業部門に何らかの空席となっている仕事があるか、または新規に欠員が発生した場合、それを直ぐにでもこなせる人物を雇うのがアメリカ式。事業部として新規採用は内部からのこともあるし、外部からのこともある。私はアメリカの会社2社に勤務したが、何れの場合も”training”と称する事業部内の本社、工場、研究所を回って顔つなぎをした後は、簡単に言えば東京に戻って得意先に挨拶回りをしただけであった。本社で”Job description”=「職務内容記述書」を貰いこれを持って帰って、翌日から自分一人でやりなさいという形で仕事を始めた。目標の数字等は与えられるが、その達成法は当人が決めることと言って良いだろう。

このように新卒を採用し教育してから使うことなどは全く考えていない。

仕事の進め方については一切何の指示も命令もなかった。これも当たり前のことで、既製品を即戦力で採用したのだから、教育的指導などするわけがない。実際には自分で業務の内容を把握して、今日は何をするか、今週の行動は、来月はというようなことに関しては、全て自分で把握して自分に命令を発して動くだけ。結果が出なければ全て自分に返ってくるのだから解りやすい世界。勿論、本社とは毎日綿密に連絡するから、自分の予定外の指示も沢山来る。そこは優先順位をどう付けていくかは本人の判断力の問題である。

兎に角、何でも自分一人でやらねばならず、同じ事業部内でもそれぞれ担当分野も範囲が違うのだから、同僚や他人は全く頼りにできない。何でもやったことの結果は自分に返って来る仕掛け。誰も助けてくれないし、他人を助ける理由がない。これは日本の会社と根本的な違いである。頼りにしても良いのは秘書だけで、彼女(女性と限定しても良いだろう)も異なる”job description”で働いているのだから、便りにできることにも限界がある。

今回はここまでに止め、また機会があればドンドン補足していこうと考えている。




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