新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

迂闊に"I am sorry ~."と言って謝るな

2015-08-02 10:03:05 | コラム
国際会議で謝罪することの危険性:

私は森元総理がIOC総会で新国立競技場新設問題の不手際を謝罪されたと報じられたのを聞いて「誠に日本的几帳面さと礼儀正しさの表れであるな」とは感じた。そして日本語を聞いた限りでは大きな問題とはならぬだろうとも感じた。それは委員長が「謝罪の要なし」と言われた事にも現れている気もするからだ。

もしも何か問題点というか疑念の余地があったとすれば、森元総理は日本語で謝罪の意を表されたのであろうから、それをお付きの通訳担当者が如何なる英語にしたかにあると思う。私はこれまでに「謝罪の文化は我が国に固有のもので、欧米は言うに及ばず近隣の反日・抗日の国は先ず潔く自らの非を積極的に名乗り出ることはあり得ないのだ」と説いてきた。また、言わば自首することを多として評価する文化もないのだ。罪を他人になすりつける事は積極的にするが。

申し上げて置くが、彼らアメリカ人が使う最大限の謝意を表する単語は"regret"である。彼らがこの言葉を使ったのを聞けば「謝ったな」と解釈する必要がある。それが最大限の謝罪であると知れ。その後で「謝らない」と迫るのは無意味だ。

英語圏内の国では事態はより複雑というか簡単で、起きてしまった事態の原因も責任も自社乃至は我が方にあり、非は先方にはないと十分に認識していても、先ず絶対に我が国の英語教育で教える謝罪の文言”I am sorry ~.”を用いることはしない。この表現の意味するところは「この案件で生じるであろう一切の経済的と物的な補償は当方が負います」と自発的に保証するものであるからだ。潔さは裏目に出ると知っておくべきだ。

私は森元総理の通訳をされた方がこの点を弁えておられ、外国人が最大限の謝意を言うか、お詫びの意思を表現する場合の常套句”regret”を使ってくれただろうと信じたいのだ。例えば”We sincerely regret that such a confusion on the budget issue regarding the design and construction cost of the new stadium inadvertently took place. This issue, however, was not in my realm.”くらいは言わせたと思いたいのだ。要するに”I am sorry ~.”は元総理でも言ってはならないことのなのだ。余談だが、”I am 総理.”と言えるのは安倍総理だけなのだが・・・・。



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