新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

宮里藍が引退した

2017-09-18 09:16:15 | コラム
12年間も良くやったと思う:

宮里藍さんが31歳という若さで未だ未だやれるだろうと惜しまれつつ、先週行われたトーナメントを最後に引退したそうだ。その間に6回も優勝してアメリカで獲得した賞金は$8,166,557($1=\110で換算すれば¥8億9,800万)であり、日本での\4億1,730万と合計すれば13億円にも達するが、為替レートの変動を考える時にこの数字は飽くまでも暫定だろうと思う。

こんな獲得賞金のことを論じたかった訳ではない。実は、私は宮里藍さんが2006年(平成18年)にゴルフを槍にアメリカに渡った際に確か「宮里藍は帰国せよ」と題して「文化、即ち言語・風俗・習慣・思考体系が異なる国に単にゴルフが上手いだけで単身で暮らしていこうとするのは無謀であるから、可及的速やかに引き上げた方が無難だ」と主張したのだった。記憶では、この一文は光栄にも古沢襄氏(故人)のブログにも転用されていた。

そこで私が論じたことは「アメリカという多種多様の民族で成り立っている国では英語という言語があるだけではなく、風俗・習慣・思考体系が余りにも我が国の文化とは違いすぎることは、現実に彼らの中で単身で誰の援護もなく入って行って初めて突き当たる厚くて高い壁として立ち塞がってくる。当初はそういう壁があることすら認識できないだろうと、自分の経験からも危惧していた。

問題はそれだけではあるまい。それはあの大陸内の東西の海岸の間には3時間もの時差があり、その中を自分一人で連日連夜自分で荷物を纏めてはホテルにチェックインしては何泊もする暇もなくまた荷物を纏めて空港に行き、能率の低い係員を相手にイライラさせられながらチェックインの手続きをして、次の目的地に向かわねばならないのだ。男子プロの丸山茂樹などは成功した部類で、自家用ジェット機まで持っていたそうだが、宮里藍さんも賞金を順調に取れるようになってからは、身の回りの面倒を見てくれる所謂マネージャーやトレーナーも雇っていただろうと推察している。

当初は飛行機だけではなく、レンタカーやホテルの予約だって自分でせねばならないだろう。ヴィザは取れるのだろうが、“social security number”を貰えるまでは銀行口座も開けなくて大いに不便だろうなどと思ってしまうのだ。試合の出場申し込みだって恐らく慣れるまでは煩雑だろう。

英語だって、現地人が話す英語はそれこそ千差万別だし、その階層によっては文法などは無視しているし、全く訳が解らないのが当たり前だと思っている方が無難だ。それに(当時は少数だった)少数民族のヒスパニックもいればアジア系の訛りにも悩まされるはずだ。

私は1972年8月に39歳で初めてアメリカに単身で出張して以来60回ほどアメリカに行っているが、パック旅行をしたのはリタイヤー後にグランドキャニオンに行った時だけだ。また、あの国にいて滅多に単身でアメリカを渡り歩いておられた邦人に出会ったことはなかった。尤も、2012年に駐在員の方たちは絶対にお客様をご案内しないと決めていたよ聞いたロスアンジェルス郊外のファッション・デイストリクトで単身で危険を冒して探訪に来られた方に出会ったことはあった。この方は服装で直ぐに日本人と解ってYM氏、SM氏と共に声をかけたものだった。

話が逸れてしまったが、このようなアメリカに単身で渡って、あの異国の異文化の中で、あれだけの賞金を稼ぎ出して6回も優勝した宮里藍さんは「ご立派」と賞賛せねばならないし、「帰国せよ」などと勧告した不明を恥じねばなるまい。この項は敢えて藍色を選択した次第。

参考資料:最新トレンドナビゲーション




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