新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

実力を出し切った川内優輝を讃えよう

2013-12-02 08:44:16 | コラム
彼が持てる力を出し切ったことを讃えるが:

12月1日の福岡国際マラソンで埼玉県庁の川内優輝は存分に実力を発揮して第3位に入ったことは、彼の持つ能力からすれば絶賛に値するだろう。「よくぞあそこまでやった」と褒めて上げられる。彼が練習量を補うために多くのレースに参加している努力も最高に評価すべきだろう。だが、遺憾ながら私は彼にはあの辺りが限界ではないかと思っている。

マスコミが彼を「市民ランナー」として褒めるのも結構だし、彼が「プロのランナーに負けないようにする」と標榜するのもまた良しとする。だが、「日本人第1位」とするのは頂けない。彼の前に2人のアフリカ系の走者がいたのでは、何処となく「負け惜しみ」と言うか情けなさが漂ってくる。昨日は特に情けなかったのが、私が全く評価していないプロデあるはずの藤原新が途中棄権したことだった。

藤原は当方の持論である「箱駅伝を止めるか、何らかの形に変えない限り、我が国の男子のマラソンは世界的には絶望である」を、情けないまでにオリンピックで立証してくれた実績がある。今回も故障があったかどうか知らぬが、あの体たらくである。もしも本当に故障があったのならば出るべきではないのは言うまでもないこと。仮令、故障がなくても当方は彼に期待していなかったが。

ここで繰り返して言う必要もないし、反論もあるだろと承知で言えば「箱根駅伝は正月の催し物として華があって結構だし、主催するのか後援するのか知らないが強力なマスコミがついている。東日本の諸大学はあれに出場するために懸命になって20 kmを最高速度で走れる走者を育成していることに問題があると思う。

理屈は簡単で、高校までは優秀で将来有望だった長距離走者は皆箱根の栄光を目指して関東の大学に指向しし、4年かけて20 km用の走法を身につけていく。更に就職すれば、その先に実業団の駅伝が待っているという具合で、20 km走法に磨きをかける。言うまでもないことで、マラソンはその倍に当たる42,195 kmを走るのだ。

女子の5,000と10,000 メートルの優れた走者・福士加代子はマラソンを走って「30 kmからは先は別世界だった」と述懐したほど失速してマラソン制覇に失敗した。こういう実例がある。ここで箱根駅伝を中止せよといくら叫んでも、所詮はドン・キホーテにしかなれないだろうから、ここまでにする。

しかし、川内優輝君の実績を賞賛することは変わらない。尤も、彼は箱根を走った経験があるそうだが。

矢張りカタカナ語はおかしい

2013-12-02 07:59:20 | コラム
「アゲて来ました」:

もう野球のシーズンが終わって「インコース」だの「ストレート」だの「弾丸ライナー」等という独特のカタカナ語を聞かなくても良い頃になった。しかし、昨12月1日のゴルフでは男女とも同胞が優勝して気分が良い日だったにも拘わらず、これらの中継では独特の「アゲインスト」や「フォロー」の風という業界の専門語を聞いていなければならぬ点がカタカナ語排斥論者として不満だった。

この二つは当方が用いる表現の「最早戸籍を得てしまった以上は仕方がない。だが、これらが英語ではないことを知っていて欲しい」が当てはまるものだ。言うまでもないだろうが、「アゲインストの風」とは逆風で「フォローの風」が追い風である。今更ここで"against"の意味を解説することもないだろうが"to run against a wind"=「風に逆らって走る」という使い方があるくらいだから、「逆風」を「アゲインスト」を使って表現したい気持ちは解らないでもない。

しかし、「アゲで来ました」はいくら業界用語でも如何なものかなと思う時もある。面白いことは「フォローって来ました」とは言わない辺りである。話は違うが、私はヴァレーボールがブロックに飛んだ人数を「何枚」、サッカーでフリーキックの前の経つ人数を「壁が何枚」とアナウンサーが形容するのも気に入らないのだ。何故ならば、これは業界の専門語というか俗語であって、一般人に「理解せよ」と押し付けるべきではないと考えている。

即ち、ゴルフの中継では素直に「向かい風」と「追い風」で良いはずだ。飛行機に乗ると「今日は"head windがきつくて飛行時間が長引く」とか「"tail wind"のお陰で到着予定時刻が早まる見込み」という風に機長がアナウンスする。普通の英語では「向かい風」は"head wind"であり、「追い風」は"tail wind"である。尤も「追い風」を"a fair (favorable) wind"とも言うようだが。

同じくゴルフの用語だ。当方は1933年から1974年まではやっていた。その当時は「前に木が立っていて邪魔になる」を「木がスタイミーになって」というのが普通だったという記憶がある。だが、現在では「スタイミー」は専門語としては死語と化したようで、誰も使わないのは不思議でならない。これは"stymie"で「妨害する」か「邪魔になる」という意味だ。これは一寸面倒なスペルで進行形になると、「貴方が私の通行の邪魔をしている」と言う時には"You are stymieing (stymying) the traffic."のようになる。ゴルフ業界では何故「スタイミー」を使わなくなったのだろう。

今度はラグビーだ。昨日は国立競技場に4万数千人が早明戦を見に来ていた。「如何に国立で最後の試合にしても良くあれほど入ったものだ」と早明戦の根強い人気に敬意を表したい思いだった。ここで気になったのがアナウンサーも解説の大畑も"turn over"を「ターン・オーバー」と明確に連結音にしていないことだった。偶に「ターンノーバー」と言う者もいるが、私は英語教育改革の視点からしても後者の方が望ましいのだ。

余談だが、明治のラグビーが旧態依然とした「前へ」の思想から脱し切れておらず、あれほど何度も早稲田のゴールの寸前に迫りながら一度もトライを取れずに終わったのは歯がゆいを通り越して無残だった。余談である以上、これ以上あの先方の論評は避ける。