新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

香川真司君に思う

2013-12-05 08:25:36 | コラム
香川君は難しく且つ困難な立場にあるのでは:

(1)サッカー論:
12月2日にUKで行われたマンチェスター・ユナイテッド(MU)対トッテナム・ホットスパー(TH)の試合の録画を後半からNHKのBSで見た。この試合は引き分けて香川君は後半39分で交替したことは既に承知していた。

私が常々言ってきたことだが、この試合でも「我々と欧米とアフリカ系の人たちとの体格差と身体能力の差は如何ともしがたく、ドイツとUKであれほど能力を発揮してきた香川君の技術とセンスでも補い切れていなかった」と痛感させられた。それだけではなく、この試合に限って言えば、彼は決してMUの中では主力選手とは見なされていないのではないかと思わざるを得ない使われ方だった。

換言すればMUの戦法として「彼に回しておけば間違いない」とはなっておらず、そこにいるから彼にパスするか、空いているから彼を使うといった形にしか見えなかったのだ。確かに香川君は自分でペナルティ-・エリアの中まで持ち込みゴール・ラインギリギリまで上がって左サイドから左足でシュートしたが惜しくもポストに当たってしまったという場面もあった。しかし、ドルトムントの時のように「香川を上手く使って決めよう」とはなっていないようにしか見えなかった。私は香川君が抱える問題点は技術ではなく、体格差ではないかと真剣に疑っている。

また香川君は別にして、解説の小島がいみじくも感嘆したように、この試合ではMUもTHの選手たちが勝利への執念に燃えて、体力・体格・スピードの限界に挑戦するかのような激しい当たり合いを展開していたので、香川君の体格ではとても抵抗も対抗も仕切れなかったと感じさせられた。これは技術の優劣ではなく純粋に体格の問題だと経験上も言いたいのだ。

フットボールのような防具もなくあそこまで猛烈に当たっていく謂わば敢闘精神の物凄さには、敬意を表したくなった。しかも見ていた限りでは誰も交替せねばならないほど痛まなかったのは寧ろ脅威だった。MUの新監督が香川を使いたがらない理由の一つには、こういう体格と身体能力がありはしないかと思ったほどの凄さだった。疑問点は「体格差とあのリーグでの当たりの激しさは香川を獲る前に解っていたはずだ」と言うこと。

(2)フットボール論:
話題は変わるが、3日だったかの昼間に何気なくNHKのBSを見ると、NFL(アメリカのフットボール・リーグである、念のため)の録画をやっていた。登場したのは懐かしきSeattle Seahawks(SS)とNew Orleans Saints(NS)だった。SSは在職中に現地で見ていた限りでは強豪とは言えず、負け試合ばかり見ていた気がする。

しかし、何時の間にか所属がAFCからNFCに変わっていて、しかも西地区の第1位でスーパーボウル出場の有力候補になっていた。念のために言っておけば「SSは我が国のNPBに準えればセントラル・リーグからパシフィック・リーグに移ったようなもの」である。

この試合も実は2Qの終わり、即ち前半終了間際から見たのだった。フットボールは我が国でも「究極のスポーツ」と表現されることがあるようにルールも合理的であり、試合の運び方も極めて理論的であり、7人の審判を置き、ヴィデオ判定を積極的に採り入れているなど、選手たちの身体能力・運動能力を極限まで発揮させ尚且つ体格の差を補える使い方が出来る点が興味深いのだ。

遠回りをせずに正直に言えば「見るスポーツとしては自分が旧制中学1年から親しんできたサッカーは遠く及ばない面白さと興味がある」のだ。この試合でも6万4千人だったかの観客の目の前で、SSの強豪振りを見させられて昼食も忘れて魅入ってしまった。SSの2年目のQBの上手さとディフェンス・ティームの主力のスピードと身体能力の高さなどは、今更ながらアフリカ系の選手たちの凄さを再認識させられた。

アメリカでプロのフットボール選手たちの身体及び運動能力の高さは、我が国で大学とXリーグで最高と見なされていたある選手が何度挑戦しても遂に採用されなかったほどで、某強豪校のコーチが「彼が並の選手としてしか評価されないのでは、未来永劫日本人がNFLに採用されないだろう」と嘆いたほどだそうだ。

しかし、上記のようにフットボールではポジションごとに求められる素質があって、そこには必ずしも「身体の大きさ」が最重要項目ではない場合がある。そういう意味では香川君はあれほどの素質があるのだから、フットボールのような球技に指向すれば良かったのではないかと思いながら、SSが別な地区の有力なプレーオフ進出候補のNSを大差で退けるのを楽しく見ていた。