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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3ヶ月間に6回の英会話講座を終えて

2025-07-26 07:48:58 | コラム
「Englishと英語とは」を振り返る機会でもあった:

「英会話講座」とは言ったが、振り返れば「講演」か「講義」になってしまったのは反省材料かも知れない。ではあっても、英語という余所の国の言語の勉強に昭和20年(1945年)から取り組むようになってから、92歳の今日となっては80年も経ってしまっていたのだ。

お陰様で1990年に紙業タイムス社の本田編集長(当時)の編集者のカンで始まった連載の題名「英語とEnglish」を35年も過ぎてしまった21世紀の今日になって、お復習いする貴重であり同時に絶好の機会となったのだった。本稿の企画はその辺りの思いを思い付くままに纏めてみようと言うことにある。

Englishと英語とは違うのだ:
Englishとは英連邦王国(United Kingdom、略してUK)とアメリカ合衆国で通用する言語である。と言うのは、UKではEnglishの他にウェールズ語、スコットランド語、ゲール語も公用語となっているし、アメリカ合衆国では「Englishは州によっては公用語に指定されているが、国家としては公用語ではない」のである。

英語とは私の定義では「学校教育で教科の一つとされていて、児童・生徒・学生たちを1から5までの段階で評価し査定するために科学的に仕立てられた学問である」なのである。即ち、多くの方が屡々嘆かれるような「話すことが出来なかった」というのは、言うなれば「目的外使用」なのである。「話せるように教えているのではない」のだ。

Englishとは異なる、実用性が配慮されていない「科学としての英語」を学ばれたのだから「会話が出来なかった」と嘆かれるのは無用であると言える。教えた方の責任に帰すべき事ではないか。しかしながら、私は我が国の教え方では非常に高い水準にある、私には及びもつかない「読解力」がつくことは間違いない事実であると理解している。

Englishは異文化の国の言語である:
海外で通じなかったと嘆かれることの原因に「英語を教えられたから」があると、上述のように指摘した。だが、通じないという事態の背景には、言語の他に「風俗・習慣・慣行・思考体系」に違いがある点にまで触れていないという事があると断定する。私はこの「文化比較論」を1990年から取り上げて発表してきたので、記憶して頂いた方もおられると思う。

手短に例を挙げていけば、「逆さの文化」と呼ぶ氏名の表記が反対である事や、右側通行である事、私立大学が国公立大学よりも格が高い事、製造業の会社は4年制の大学出身者を(定期にどころか)採用しない事、定年制はない事、マネージャーは肩書きであって地位を示すものではない事、チップ制である事、理容室と美容室は兼用である事等々であろう。

我が国の優れた点は英語の介在なくして全ての領域の学問を学べる事:
この点は世界に向かって誇るべき良い事である。言い換えれば、例えば世界で最新鋭の領域にある科学を勉強するために英語を学ぶ必要はないという事。これを別な視点から論じれば「英語教育を幼稚園や小学校からに教える必要があるのか」という事ではないのか。勿論、社会人としての常識としてか、教養として習得することまで否定するとは言わない。教えるのならば、実用性への配慮は必要ではないか。

英語を教える場合に細分化するのは非効率的であろう:
この意味は「単語の知識」、「文法」、「英文解釈」、「英作文」、「会話」のように夫々をまるで独立した科学であるかのように教えるのは非効率的であるという事。私が長年主張してきた学習法は「中学低学年の教科を何度も(10回でも20回でも)音読し、暗記し、暗唱できるようにしよう」なのである。

音読を重ねている間に全体の意味を読めるようになり、何処を繋げて読み、何処で切る(間を置く=pause)かが自然に解ってくるのだ。文法が先にあって、後から言葉を当て嵌めてEnglishに仕立て上げたのではないだろう。故にと言うべきか、Englishには「例外」と「不規則」ばかりだ。規則動詞の方が不規則動詞よりも少ないとは不思議ではないか。

暗唱できるようになると良いという意味は「英語を包括的というか総合的に覚えた事に通じるから」なのである。暗唱できるということは、文法をも解ってきたと言うことなのだ。例えば「彼は英語を上手く話せる」を英語で言う場合にheは三人称であり、現在で単数だから、speakと言う動詞を使う際に「三単現のs」を付けなければならないなどと考える間もなく、He speaksが自然に出てくるようになるのだ。

会話の勉強法:
これも同じような原理原則で「あの時はこうなっていた」とか「こういう場合にはこう言うと良い」という類いの例文を暗記できているので、それが普通に口から出てくるようなるのである。私が最初にGHQの秘書だったHelenに教えられたのもこの方式。「覚えている言い方を引き出して使いなさい、先に日本語を思い浮かべてから訳そうとしないこと」だったのだ。

最終回に語ったことは「このような私の勉強法を聞き入れないか、懐疑的で批判する方は多い。だが、常に強調してきたことは『英語の学習に成功し海外でも通用している数少ない者の手法を、上手く行っておらず、英語での意思表示が思ったように出来なかった数千万の方々が否定されている状態』はおかしいのではありませんか」だった。これと同じ勉強の仕方で、国際市場で通用する立派な英語力を備えた方には何人も出会ってきた。

結び:
未だ未だ言いたい、と言うか取り上げておきたい要素も多々あるが、そこはまたの機会に譲ろう。という次第で、トランプ大統領批判論は一休みにした。


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