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気ままに

大船での気ままな生活日誌

明治神宮御苑 花菖蒲六分咲きへ

2014-06-11 06:19:23 | Weblog

6月10日。明治神宮御苑 花菖蒲六分咲きへ。ご覧の通り。いよいよ見頃に入りました。お近くの方はどうぞお運びくだされ。遠くの方もお運び下され。電車賃がもったいないという人あらば、渋谷に廻って、立ち見の”三人吉三”をご覧あれ、元をとった気分になること請け合い。

 では、華やかな舞台を。

観客もいっぱい。立ち見席まで。

色彩どりのスターたち。


小道具さんのおかげ。

舞台美術も大事!

三人吉三

和尚吉三(勘九郎)

お譲吉三(七之助)

お坊吉三(松也)

おとせ(鶴松)と十三郎(新吾

すばらしかった。満開のときにもう一度。さすれば、初花、六分、満開時と3回訪問の快挙そのときは、渋谷のデュフィ展も兼ねて!


渋谷コクーン歌舞伎

 

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東慶寺 岩タバコ&花菖蒲、見頃に

2014-06-10 11:43:35 | Weblog

太っちょなのに細君と呼ぶのは、これ如何に? 外出してばかりいるのに家内と呼ぶが如し。自分よりはるかに頭がいいのに愚妻と呼ぶが如し。無理やり嫁さんに来てもらったのに配偶者と呼ぶがごとき。サイフを握られて、自分がフぬけになっているのに、サイ(妻)と呼ぶが如し、ワイフと呼ぶが如し。なんて、JR横須賀駅からのバスの中で、バカなことを考えていたら、細君の”観音崎京急ホテル前よ”の声に我に返った。横須賀美術館でアール・ヌーヴォーとアール・デコ展を観て、ホテルのレストランでピュッフェスタイルのランチが今日の予定。どちらも、とても満足して、さらに、観音崎灯台の方へ散歩するつもりだったが、突如、雲行きが怪しくなってきた。傘も持っていかなかったし、計画変更、帰宅することにした。

しかし、電車が鎌倉に近づく頃に、日はまた昇り、梅雨の晴れ間が戻ってきた。それではと、北鎌倉で降り、前回訪問時に、咲きはじめだった東慶寺の岩たばこと花菖蒲がどうなったか、観に行った。

両方とも、最高の見頃になりました!

まず、岩たばこ。前回も報告したように、メインステージの岩壁のは、今年は不作だ。しかし、石段を上がって、歴代住職の墓地の岩壁の岩タバコは大豊作。こんなに花をいっぱいつけたのを今まで見たことがない!と言っていいくらいの出来。

まず、大豊作の歴代住職の墓地から。この石段を登っていく。

覚山尼の矢倉(墓地)の周囲。

歴代住職の墓石の裏の岩壁にもたくさんの岩たばこが群生する。いずれも、これ以上ないという数の花をつけている。




さて、例年なら花のステージとなる岸壁。

今年はさびしい。岸壁のほたるぶくろもうなだれていた。

来年は、がんばってね。

でも、茶室前の花菖蒲は見事に咲きそろった。

本堂前のほたるぐくろの群生も。そういえば、蛍の季節ですね。

なでしこまで。

岩がらみの特別公開は時間制なので、午後遅い、この日はみられなかった。また、外出好きな家内と出掛けよう。

 

 

 

 

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オランダ・ハーグ派展

2014-06-09 08:16:00 | Weblog

 むかし、ハーグに一週間ほど滞在したことがあった。そのとき、自由時間に同僚たちと、ハーグから8キロほど離れた北海沿いの港町スヘフェニンゲンに繰り出したことがある。公認のカジノの施設もある賑やかな町だが、以前は静かな漁村だったという。この展覧会で、この港町のことが出ていたので懐しく思った。

ハーグ派の画家たちは、海の景色をよく描いたが、このスヘフェニンゲンがもっとも人気があり、多くの作品が誕生した。しかし、当時、静かな漁村をリゾート地化する計画が持ち上がった。もちろん画家たちは猛反対し、デモンストレーションとして、メスダッハを中心に、49日間という短期間に、径14m、総面積1680㎡という世界一の大絵画を完成させた。もちろん、スヘフェニンゲンの海岸の風景画である。それは、現在もハーグにあり、パノラマメスダッハ"Panorama Mesdag"と呼ばれる円形の建物内にあるそうだ。

スヘフェニンゲンは、北杜夫により、”どくとるマンボウ航海記”の中で、スケベニンゲンと改名され(爆)、現在に至っているが、まず、そのスケベニンゲンの風景画から紹介しよう。

メスダッハ ”オランダの海岸沿い” 日没の風景である。

ヤコブ・マリス ”漁船”

オランダといえば、風車と干拓地。ハーグ派の画家もこれらをモチーフにした絵が多い。

ルーロフス ”アブカウデ近く、風車のある干拓地の風景”

 ヘラルド・ビルデルス ”干拓地の風景のなかの牡牛

そして、働く人々や日常生活。

トーゼフ・イスラエルス ”縫い物をする若い女”

ブロンメルス ”室内”

アルベルト・ヌウハウス ”母と子供たち”

以上、第二章のハーグ派の作品をまず、紹介したが、展覧会では、ハーグ派の源と言われる、ハルビゾン派の作品が、第1章に並ぶ。お馴染み、コローとミレーの作品も。た、確かにつながっている。

コロー ”浅瀬を渡る山手の番人、イタリアの思い出”

ミレー ”バター造りの女”

 そして、第三章では”ハーグ派から出発した画家たち/ゴッホとモンドリアン”。二人ともハーグ派の画家に師事したり、作品を研究したりして、彼らから大きな影響を受けた。その頃の初期の作品が並んでいる。二人とも、その後、大きく変貌する。

ゴッホ ”白い帽子を被った農婦の顔”と”じゃがいもを掘るふたりの農婦”

モンドリアン ”アムステルダムの東、オーストザイゼの風車”と”夕暮れの風車” 雲が印象的。

このように、ハルビゾン派、ハーグ派、そしてゴッホ・モンドリアンへの、繋がりがよくわかる展覧会だった。その上、常設展示室には極上のゴッホ、ルノワール、セザンヌらの作品も観ることができ、まるで天上にいるような、いい気持ちになった。

梅雨の晴れ間になりましたね。今日はこれから太っちょの細君(笑)と観音崎方面へ。

 

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雨の海蔵寺 花菖蒲と松葉菊、岩タバコも

2014-06-08 06:02:17 | Weblog

小降りになったので、歩いてもいいかなと、北鎌倉駅で降り、海蔵寺に向かった。しかし、亀ケ谷切通しを登っているとき、また雨脚がぶり返し、海蔵寺に着いたときは本降りになっていた(汗)。でも、雨の海蔵寺も風情がありましたよ。

白花菖蒲と松葉菊の並びがここの売り。2006年のサライの表紙を飾った。さて、今日はどうか。花菖蒲は少し早い。1/5ほどしか咲いていない。それに、年毎に白花に紫が混じってくるようなのだが、それが、今年はとくに進んだように思う。同じ株のはずなのに不思議。朱に交われば赤くなる、ではなくて青に交われば青くなるか。これから咲く花は真っ白であってほしい。

写真でみると、全体が白にみえるが、白はわずか。残りは青が混じり、真っ青も一つ、二つ。順に、白、混じり、青。

2006年のサライの表紙です。最初の写真と同じアングルです。

さて、その前の、京鹿子(きょうがのこ)は満開!

松葉菊は鐘楼の前にも。こちらは、赤と白。水溜りで近寄れない。遠くから。

苔石に咲く岩たばこも毎年の楽しみ。見頃でした。雨に咲く花。雨に散る花。

雨の海蔵寺はひっそりとしていた。贅沢な時をすごした。足元がびしょぬれになったが(汗)。




 

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万能鑑定士Q モナリザの瞳

2014-06-07 13:02:37 | Weblog

雨の中、長時間歩くのも、なんなので、映画でも見ようかと、大船駅に向かっている道で思いついた。辻堂のシネコンに行くと、そう待たないで、観られる映画があった。それが”万能鑑定士Q モナリザの瞳”。美術鑑定士の物語なら美術好きなぼくにはぴったりではないか、うまくいったゾ、とにんまり。

楽しくみさせてもらった。ぼくは知らなかったが、これは松岡圭祐箸の”万能鑑定士Qの事件簿”シリーズの9巻目の映画化とのこと。売れている本とのことで、ストーリーはさすがに面白い。”東博”で二度目のモナリザ展が開催されるのだが、これを機に、展示前の保管庫にある本物のモナリザを盗み出し、精巧な贋作と交換してしまおうという、フランス窃盗団。綾瀬はるかの万能鑑定士と雑誌記者の松坂桃李がこの事件に巻き込まれるが、二人の活躍で危うく難を逃れる。

”モナリザの瞳”って、なあに?という人あらば、映画をみて下さい。この映画のポイントになるところです。ヒントをひとつだけ。はるかさんの鑑定能力が一時的に落ちることと関係があります。ついでながら、この万能鑑定士は沖縄の島の生まれで、学校の成績はいつもビリだった。でも直観力は抜群で、上京してから、鑑定士として腕をみがき、”万能鑑定士Q”なる店を持つようになる。ちょっと天然のところのある、はるかさんにぴったりの役です(笑)

本物のルーブル博物館や東博も映画に登場。本物のモナリザも贋物のモナリザもたっぷりみせてもらい、満足。原作も読んでみたくなった。

2年前のルーブル博物館。写っているアベックが、ちょうど、綾瀬はるかと松坂桃李みたい(笑)

 

モナリザ。こちらを向いている男は、窃盗団の一人と似ている(笑)

 

東博、今年の正月風景。もう、モナリザ展は絶対開催されないでしょう。この映画で信用がすっかり落ちた(爆)。


午前中、サッカーとダルの試合をみながら、この記事を書いていた。どちらも辛勝でほっ!。めでたし、めでたし。まだ、外は雨だが、一日中、家に居るわけにはいかない。さあ、出掛けよう、今日も映画だったりして

 

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フェイジョアの花 待ってました、えびじょあ!

2014-06-06 20:20:20 | Weblog

うかうかしていると見過ごしてしまう。次々と初夏の花々が咲きはじめるのでネ。花菖蒲とか紫陽花などのメジャーな花は、いろんなところから情報が入るから、今年、一度も見なかった、残念無念ということは、まずない。でもマイナーな花は、余程、気を付けていないといけない。フェイジョアの花もそのひとつ。一週間ほど前、その小道を通ったとき、固い蕾だったので安心していたが、ちょっと覗きにいったら、もう花盛りになっている。危ういところでセーフ。今年も、こうしてブログ記事にできて、うれしか。

女子大の生垣沿いのプロムナードにその木が一本だけ植わっている。

近づいてみると、花をいっぱいつけている。

内の赤紫を外の白が巻く花弁。

その前段階。内の赤紫の花弁がよくみえる。


いつみても、イイね!フェイジョアは! 植物界の海老蔵じゃ! た、た確かに! 待ってました、えびじょあ!

 

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バルテュス展

2014-06-06 11:29:48 | Weblog

ピカソをして”ニ十世紀最後の巨匠”と言わしめた画家の展覧会をみないわけにはいかないと都美に出掛けたのはもう半月も前だった。没後初の大回顧展ということで注目され、NHK日曜美術館と”ぶら美”でも取り上げられていた。録画しておいたので、最近、視聴してみた。前者では、ご夫人の節子さんもゲスト出演されていた。

節子さんが、20歳くらいのとき、来日した、50代後半のバルテュスに見初められ、生涯の伴侶となった。節子さんの若き日のデッサンも展示されている。まるで吉永小百合さんみたい。

小百合さんといえば、彼女もバルテュス・フアンで、節子さんと親交があり、住居兼アトリエの、スイスのグラン・シャレを訪れている。そのアトリエが、生前のまま残され、今回、運ばれて、特別展示されている。これも見ものである。

今回の展覧会は、”称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠”という副題がついている。たしかに、主な作品のモチーフが少女で、それも、おぎょうぎの悪い恰好でモデルしている。とくに、デビューの頃は、世間を驚かしてやろうという気持ちがあったから、ちょっと大胆な絵を描いた。これが賛否両論の渦となった。

代表作の”夢見るテレーズ”。はじめての少女モデル。その後、何度か引っ越しするが、そのたびに少女モデルを起用。少女を、”何かになりつつあるもの”と、とらえ、過渡期的な美を表現しようとした。明月院の姫紫陽花でいえば、ちょうど今頃の色つきはじめかな(笑)。

美しき日々


読書するカティア

会田誠は、学生時代からバルテュスに注目していたようだ。そういえば、少女をモチーフに、そして大胆ポーズが似ているかな。彼の森美術館での展覧会の副題が、「現代美術界の“取り扱い注意”作家・初の大個展」だったことを思い出す。

栴檀は双葉より芳し。11歳のときに描いた絵本”ミツ”も見逃せない。ポーランド貴族の血を引くバルテュスの父は美術史家、母は画家という環境で育った。でも、美術学校にはいかず、独学。当時の潮流、シュールレアリスムにも見向きもせず、我が道をゆく。

少女というより大人のモデルも。

節子さんをモデルにした、朱色の机と日本の女。

部屋に飾るとしたら、こうゆう風景画もいいネ。”樹のある大きな風景”


ネコもお好きだったようです。

なかなか楽しい展覧会だった。

。。。。。

外はけっこうな雨。小雨になったところで出掛けよう。

 

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明月院 花菖蒲見頃に 紫陽花は色づく

2014-06-06 08:56:55 | Weblog

関東地方にも梅雨入り宣言が出ましたね。梅雨となれば、何ってたって花菖蒲と紫陽花。このふたつが楽しめるところと言ったら、この辺りでは明月院。早速、出掛けてきました。

姫紫陽花はもちろんのこと、花菖蒲も前日、神宮御苑の一分咲きを観たばかりだから、どちらも咲きはじめを楽しむつもりでいた。ところが、あにはからんや、紫陽花は予想通りだったが、花菖蒲はちょうど見頃を迎えてた。そのとき、ちょうど、雨が上がって、菖蒲田に拡がる花園に、ぼくは天にも昇る気持ちになったのだ。(明日、コロリといくかもしれない

この丸窓から、ちらりとみえる花菖蒲園。なななんと、見事に咲いているではないか。

この丸窓をくぐって菖蒲田へ。(真面目にとって、そうしたらいけません、別口から500円納めてから入場してください)

素晴らしい!花菖蒲、見事な見頃、見頃で見事!。ひとりの、うるわしき女が独占していた。こんな日はめったにない。

向こうにみえるのが、先ほどの丸窓のある本堂。覗いている人々を観察するのもオツなもの。

八つ橋から

向こうにいえるは山法師

あんがとさん、赤地蔵さま。

紫陽花は、未だ色づきはじめ。もう、二、三度は来る予定。見頃花と熟女花と大往生花の3回。

さつきは見頃

田中将大も見頃。9勝目をあげる。防御率リーグトップ(2位はダル)、ハーラー2位。午前3時からみたのに今朝は眠くない!気分爽快!

ももちゃん、北海道に嫁入りス #花子とアン

苔もきれいな明月院。

 

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川崎大師 大開帳の日

2014-06-05 11:21:34 | Weblog

川崎は、ぼくの青春時代のフランチャイズ。でも、川崎大師には意外と行っていない。初もうでだって、勤務先に近かった明治神宮が多かったし、勤務地が東京から離れてからは、一度だけ、正月に実家に帰ったときに、参っただけだった。そのときの長蛇の列におそれをなして、妻はその後、一度も、大師に行こうとは言わなかった。その妻が、先日、行ってみない?と言う。新聞かなにかでみて、お大師さまが10年に一度の”大開帳奉修”を迎えているという。そこで、弘法大師直筆の”南無阿弥陀仏”が書かれた赤札がもらえる。そのお札は、無量の功徳を与え、またすべての罪障をいっぺんに消滅させるのだという。ちょっと虫が良すぎると思うが(爆)。

ぼくらは、もう、そんなにご利益を頂く必要もないが、めったにない”大開帳”の最終日の5月末日に、それこそ四半世紀ぶりに、お大師さまに出掛けてみた。参道には葛餅屋さんや、のど飴屋さん、達磨屋さんが並び、いかにも、お大師さまの雰囲気に満ち溢れていた。あちこち覗き見しながら、歩いて、境内へ。まず、ありがたい”赤札”が頂けるならと、係りの人に尋ねると、なんと1時間半はかかるでしょうという。そういえば、猛暑の中、長い列がつづいていた。

最終日だし、しょうがないなと、これはあっさり諦め、ご本尊さまとつながっている、お手綱を通してお詣りする列が5分待ち程度だったので、こちらだけにした。境内を見物し、ぼくの今の一番の関心事、健脚願いの、わらじのお守りを買ったりした。四国八十八か所お砂踏みというのがあった。八十八か所の霊場各札所の「お砂」をそれぞれ集め、その「お砂」を 札所と考えて「お砂」を踏みながらお参りすると、そのご利益は、実際に遍路をした ことと同じだという。これもちょっと虫が良すぎる(爆)とパスした。

でも、久しぶりのお大師さま、良かったですよ。おいしいアナゴ天も頂いたし。ちょっとスナップ写真を。

京急の川崎大師駅。”赤い電車で赤札授与に”のポスターが。

参道

達磨屋さんがいくつも

赤札を入れる袋も売っている

のど飴のお店

とんとんとん、飴を切る音がひびく。ここで、とんとこ飴を買う。

葛餅の老舗

お大師さま

ご本尊と手綱で結ばれる

ぼくも買った、わらじの健脚お守り。

帰りは表参道の老舗でランチ

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運も実力のうち 世界遺産姫路城

2014-06-05 05:49:45 | Weblog

我が国の世界遺産第一号の姫路城。大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物が重要文化財という、とてつもない実力をもっている。でも、実力だけではない、とんでもない強運ももっていることを、今日の大河ドラマセミナで知った。テーマは”世界遺産姫路城と黒田官兵衛”で中川秀昭先生。

なんと姫路城の存亡の危機が三度あって、それらから奇跡的に逃れて、現在があるというのだ。

ひとつは、戊辰戦争のとき。幕府軍だったので、岡山城の政府軍から攻められた。一発の砲弾がお城の一部にどかんと当たった。そのとたん、降伏して、城を明け渡した。もし、戦争をつづけていたら、今はない。

二つ目は、明治6年の存城、廃城令。190の城がつぶされ薪に使われた。文化財的価値などの存亡基準からではなく、陸軍が兵営地として利用できるかどうかで決めた。姫路城は存続組に入り、敷地内には師団が入ったが、運よく、城の主要な建造物は残された。

三度目は、太平洋戦争のとき。姫路も米軍の空襲に会い、市街地は焼け野原になったが、お城だけ奇跡的に残った。それには、黒田官兵衛並みの戦術が功を奏した。白鷺城を黒く塗りつぶし黒鷺城にしておいたのだ(笑)。目立たなくする偽装戦術だ。

こうして、三度の危機を乗り越え、世界遺産第一号の栄誉を受けることになったのだ。だから、運も実力のうち姫路城というわけ。

もちろん、江戸時代から現在に至るまで、絶え間ない修理、修復をつづけてきた、お城の関係者の尽力に依ることは言うまでもない。現在も修復中で、ようやくお城の天守閣の一部が姿を現したようだ。白すぎるという意見が多いそうだが(笑)、それは昭和の大修理のときも同じことを言われたらしい。白しっくいを何度も塗るので、はじめは真っ白になるのだそうだ。来年、桜の咲く頃に、全容を現すとのこと。是非、一番乗りしたい。

。。。。。

帰り道、アオサギに会った。おれは偽装してるんじゃ、本当は白鷺じゃ。と言っていた。

 

姫路城・城主でもあった官兵衛も強運の持ち主だった。よくぞ長い土牢生活から生きて帰れた。信長に対抗した荒木村重の子も、よくぞ生き延びて、長じて、岩佐又兵衛になってくれた。運も実力のうち。

 

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