我が国の世界遺産第一号の姫路城。大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物が重要文化財という、とてつもない実力をもっている。でも、実力だけではない、とんでもない強運ももっていることを、今日の大河ドラマセミナで知った。テーマは”世界遺産姫路城と黒田官兵衛”で中川秀昭先生。
なんと姫路城の存亡の危機が三度あって、それらから奇跡的に逃れて、現在があるというのだ。
ひとつは、戊辰戦争のとき。幕府軍だったので、岡山城の政府軍から攻められた。一発の砲弾がお城の一部にどかんと当たった。そのとたん、降伏して、城を明け渡した。もし、戦争をつづけていたら、今はない。
二つ目は、明治6年の存城、廃城令。190の城がつぶされ薪に使われた。文化財的価値などの存亡基準からではなく、陸軍が兵営地として利用できるかどうかで決めた。姫路城は存続組に入り、敷地内には師団が入ったが、運よく、城の主要な建造物は残された。
三度目は、太平洋戦争のとき。姫路も米軍の空襲に会い、市街地は焼け野原になったが、お城だけ奇跡的に残った。それには、黒田官兵衛並みの戦術が功を奏した。白鷺城を黒く塗りつぶし黒鷺城にしておいたのだ(笑)。目立たなくする偽装戦術だ。
こうして、三度の危機を乗り越え、世界遺産第一号の栄誉を受けることになったのだ。だから、運も実力のうち姫路城というわけ。
もちろん、江戸時代から現在に至るまで、絶え間ない修理、修復をつづけてきた、お城の関係者の尽力に依ることは言うまでもない。現在も修復中で、ようやくお城の天守閣の一部が姿を現したようだ。白すぎるという意見が多いそうだが(笑)、それは昭和の大修理のときも同じことを言われたらしい。白しっくいを何度も塗るので、はじめは真っ白になるのだそうだ。来年、桜の咲く頃に、全容を現すとのこと。是非、一番乗りしたい。
。。。。。
帰り道、アオサギに会った。おれは偽装してるんじゃ、本当は白鷺じゃ。と言っていた。
姫路城・城主でもあった官兵衛も強運の持ち主だった。よくぞ長い土牢生活から生きて帰れた。信長に対抗した荒木村重の子も、よくぞ生き延びて、長じて、岩佐又兵衛になってくれた。運も実力のうち。
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