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気ままに

大船での気ままな生活日誌

東京桜名所巡り(5)第10章

2010-04-06 22:55:12 | Weblog
東京桜名所巡りシリーズを(4)の第9章で終了としたが、4と9で終わらせるのは、なんとなく、縁起がわるいような気がして、今日、目黒川の桜を観てきたので、それを付け加えることにした。そうすれば、東京桜名所巡り(5)第10章となり、格好がつくと思ったのだ(汗)。

第10章 目黒川の桜


目黒川沿いの桜並木は、一昨年、駒場に住む、いとこの奥さんの御弔いの帰りに、息子さんが車で東横線の中目黒駅まで送ってくれ、そのときに満開の桜並木の道を通ってくれたのだ。まだ元気だった母と一緒だった。あまりのすばらしさに感動して、また、いつの日かと思っていた。それが、今日、実現したのだ。ワイフも、うちの砂押川とはスケールが違うわと、目を丸くしていた。

もう、満開というより、散り始めといった方が良い。花もまだまだいいし、花びらが川面をながれる、花筏もまたいい。中目黒駅から、上流に2,3キロ、むかしの玉電の、池尻大橋駅まで川沿いを歩いた。誰かが、隅田川より、このくらいの川幅の方が両岸の桜がみえていいわ、と言っていた。たしかにそうだなと思った。それに、その間、橋が十いくつかあり、そのたんびに橋の上から、川沿いの桜を眺めることができるし、水面の花筏もよくみえるのだ。

青い橋から

赤い橋から

透明な橋から

赤ちょうちんの横を

一升びんをもつお姉さんが

花筏

花筏その2

♪いい句だな いい句だな バ バン バ バンバンバン ここは東京目黒川♪
”目黒川 さくらが咲いて ピンク色”  ”春になり 桜が咲いたら 中学生”


。。。

今日は、松井秀樹選手も開幕ホームラン。早くも満開。


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小学校校庭の一本桜

2010-04-06 08:34:02 | Weblog


先日の土曜日、小学校のクラス会が開かれた。母校の校庭の一本桜が満開のときにここに集まろうと、T君が設定してくれた。ぼくらの、小学校時代の6年間、ずっと見守ってくれた一本桜だ。まるで、ぼくらを待っていてくれたように、その日に満開になってくれた。

この一本桜とは、ちょうど5年ぶりの再会だった。ぼくらの”還暦クラス会”も、ここに集まったのだ。5,6年生のときの担任だった、N先生も来てくださり、先生からの学校へのはたらきかけで、休日にもかかわらず、開門してくださり、さらに校舎内にある、卒業生の記念品などの保管室まで、副校長先生が案内して下さった。そのときのことが、当時の読売新聞の地方版の記事となった。”還暦を迎えた卒業生、母校の桜のもとに集まる”といった見出しだったと思う。そんな記念すべきクラス会だったのだ。

この満開の一本桜の樹の下で、ぼくらは缶ビールを飲みながら、5年前のことを想った。”私は、毎年、この時期に、我が家から自転車に乗って、満開の桜を観にくるんだよ、そして私が受け持った、君達のことを懐かしく思い出すんだよ”と語っていた、まだ元気いっぱいの先生のやさしい笑顔を思い浮かべていた。

その先生が亡くなられて、ちょうど一年になる。亡くなられる数ヶ月前のクラス会にも、癌治療中、ご無理して、一時間ほど参加してくださり、ご自分の病状や、昔話など、いろいろなお話しをしてくださった。それが先生との最後のお別れになってしまった。

いつかも、このブログに書いたかもしれないが、ぼくが小学校から大学まで、いろいろな先生からご指導を受けたが、N先生が、一番、りっぱな教育者だったと、今でも思っている。昭和30年代のはじめ、みんな貧乏だったが、ノートも買えない生徒もいた。広告のちらしの裏をノート代わりにつかっている生徒をほめてあげたり、不登校の生徒を迎えに行ったりしていた光景も思いだす。何よりも、どんな生徒に対しても、公平だった。えこひいきなど全くなかった。そして、生徒たちの長所をみつけ、それをほめて伸ばしてくれた。ぼくも、N先生のおかげで、自分の将来の方向が決まったように感じている。

先生がお亡くなりになった知らせを受けたとき、先生と同い年の、ぼくの母が呼吸困難となり急遽入院した。そして、出席する予定にしていた葬儀の日に、母は危篤状態になり、それも叶わなくなった。母も追うように、数日後、他界した。のちに、先生の奥さまには、手紙で、葬儀に出られなかったことを侘び、弔意を示すと共に、前述の感謝の気持ちを伝えた。

一本桜と別れ、駅の近くの居酒屋で、窓の外の満開の桜をみながらクラス会が始まった。N先生の葬儀の話しも出た。みんな出席したらしい。印象に残った話があった。息子さんが喪主としての挨拶の代わりに、ご自分で”仰げば尊とし”を歌ったそうだ。N先生にぴったりのお別れの”挨拶”だと思った。目頭がじーんと熱くなった。

。。。

あおげば とうとし、わが師の恩
おしえの庭にも、はや いくとせ
思えば いととし、このとしつき
今こそ 別れめ、いざさらば

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