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気ままに

大船での気ままな生活日誌

イチロー  メジャー2000安打達成

2009-09-07 06:15:27 | Weblog
ぼくの昨晩のブログをみてくれたのか(笑)、NHK番組編成係が、突如、録画放送を生実況放送に変更してくれた。それを昨夜10時のニュースで聞いて、今朝、4時半に起きて、この試合を待機していた(汗)。

1回表、第一打席。いきなり、右翼線二塁打を放ち、一気に、2000本安打を決めてしまいました。すごい、プレシャーなんか感じないのだろう。敵地、オークランド・コロシアムでの達成であったが、みんな祝福してくれた。

メジャー通算2000安打、それ自体は、史上259人目と、それほどのことではないが、日本人初、それも達成までの早さは群を抜いている。あの、ヤンキースのジーターでも、たしか11シーズンかかっていると聞いた。それを9シーズン目に成し遂げるだから、すごい。

残るは、あと5本に迫った(試合の途中で書いているので、さらに少なくなる可能性がある)、9年連続200本安打。これは、前人未到の、空前絶後の新記録となる。これも、このあと2,3試合中で一気に決まりそうだ。

この1球で決める

ライト線へ二塁打

観衆の祝福に応えるイチロー

祝福のあらし



さあ、次は偉業達成へ。



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イチロー あと1本

2009-09-06 18:32:42 | Weblog
イチロー、メジャー2000本安打にあと1本と迫まった。今日はもちろんテレビ観戦。対アスレチックス戦、9回表の先頭打者として打席に立つ。すでに2安打しているので、ここで打てば、1999本目、あと一本となり2000本安打にリーチをかけることになる。

初球、2球目とボール。そして、3球目。外角高めを見事、流し打ち。レフト前ヒット。いよいよ明日で、大記録達成が濃厚となる。

明日の試合は、何があっても、大地震があっても、これを最優先にしなければ。と、ところが、テレビ放送はあっても録画らしい。明日、米国では日曜日、昼間の試合なのだ。午前9時過ぎの放送では、もう終わっているのだ。結果の分かっている試合など観る気がしない。明日は9時まで寝ていて、一切、ニュースも見なければ、パソコンも開かない、ワイフとも一切、口を聞かない、そうして、初めから観れば、緊迫感をもって観戦できるかもしれない。そうしようか。

それとも、試合は、日本時間、朝5時頃から、始まるようだから、早く起きて、MLBの30秒ごと、最新状況の分かるネット試合速報をみることにしようか。いきなりトップバッターのイチローがヒットを打てば、30秒だけ起きていればOKだ。安心して、また、いつも起きる6時まで、寝なおせばいい。
でも、もし、第一打席が、凡打であれば、次の打席まで、起きていなければならない。その場合は、もう寝ないで、次の打席まで、人さまのブログをのぞいたり、自分のブログを書き始めてもいいだろう。

本当に、何故、こんな大事な試合を生で放送しないんだろう。ビールもスポーツも生でなくてはいけないのだ。

生で放送さえしてくれれば、こんなつまらない記事を書かなくて済んだのに。ああくやちい、NHK番組編成組のおたんこなす。

。。。

1999本目を打つ瞬間。



打ったボールはレフト前に。


1999本安打達成。(塁上の冷静なイチロー)
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おやじの”画集”

2009-09-06 10:41:50 | Weblog
母が5月に亡くなり、新盆を終え、仏壇も我が家に引越してきて、9月に入ったので、予定通り、実家の売却の手続きに入った。こうゆう時期だから、簡単には売れないと思うが、家屋内の整理はしておかねばならないと、先月から片づけに入っている。父が亡くなってから16年たつが、父のものも結構、残っている。お父さんのものは何も捨てられないよ、と言っていた母の言葉を思い出す。

先日、押し入れの奥に、10数冊のスケッチブックを見つけた。父が定年後、我流で絵を描いていたことは知っていて、ふたつほど、今もぼくの部屋に飾ってある。でも、こんなに沢山の”作品”があるとは思わなかった。はじめは色鉛筆画で、そのうち、水彩絵の具を使って色づけしたりしている。外に出て、写生をするとゆうのではなく、写真や絵ハガキなどを模写しているのだ。模写というのを、ぼくは軽くみていたが、先日、葉山で、”画家の眼差し、レンズの眼”展を観てから、写真の模写も立派な美術品なのだと、認識を新たにした。浅井忠は、写真模写の常連だったそうだ。そんなわけで、父の絵のボクの評価も少し上がったのだった。

固いところに勤めていて(製鉄所)、現役中は毎晩のように酒を飲んで帰ってくる父が、定年後、こんな趣味をもつとは夢にも思わなかった。ギターは上手に弾いたし、NHKのど自慢に出たり(予選だが)、なかなかの美声だったが、絵を描く姿は一度もみたことがなかった。我流で、先生にもついていないので、もちろん素人展覧会にも出したことない、自分だけの楽しみにしていたようだ。

ぼくはこの、おやじの画集を一枚一枚、めくって見続けて、その日は仕事(片づけ)にならなかった。ぼくが外国で撮った写真や絵ハガキの模写などもあり、懐かしく思ったり、父が絵を描いている様子を思い浮かべたりしていて胸があつくなった。これは、絶対に捨てられないぞ、我が家に持ち帰ろうと即座に判断した。

みなさんにお見せするのは恥ずかしいですが、いくつか、ぼくのブログにも記録しておこうと思う。”美人画”が結構、多かった。これも遺伝かな(大汗)。
。。。

画題は父がつけたものです。

母の日(5月の母の日に描いたもののようです、母の若き日の写真でないことは確かです)


夏の始まり

信州湯田中温泉 裸のつきあい


外国人の美女も好きだったようです(汗)

インドネシアの美女 (平成3年両陛下インドネシア訪問記念)

メキシコ・カンクーン島の海辺 

ワイキキの美女

韓国 琴の調べ

シャージャハンモスク パキスタン(ぼくはこの絵が一番好きです)

。。。

昨日記事にした、志村立美のような美人画も模写してほしかったです。ボクがおやじの後を継ごうかな、美人画専門で(汗)。

そのうち、動物画、風景画もアップしてみたいと思います。おやじさん、天国で喜んでくれるかな、それとも余計なことするなと怒られるかも
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初秋の名月

2009-09-05 21:34:18 | Weblog


今晩は、見事な満月ですね。”初秋の名月”です。でも、もうすすきは穂を出しているし、秋明菊や秋海棠等、秋の花々は早々と咲いていますし、先日は大川端で、彼岸花まで花開いていました。

えい、今夜の満月を、”中秋の名月”にしちゃえと、お月見酒にしました(汗)。お酒は、母の新盆のとき伯父さんがもってこられた諏訪の銘酒、真澄がおいしかったのでそれを(大船ルミネでも売っていたノダ)益子焼きのぐい飲みでグイグイ、お腹を満月に(爆)。

中秋の名月(今年は10月3日だそうです)だって、みられる保証はありませんもんね。あの日食だって関東地方はだめでしたし、先日の大磯のダイヤモンド富士もみられなかったし、それならば、今夜の月を、”月みる月は多けれど 月みる月は この月の月”にしてしまおうと、しみじみと眺めた”名月”でした。



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志村立美展

2009-09-05 18:47:38 | Weblog
志村立美の美人画展を、近くの鎌倉芸術館でやっていたので、2回ほど観にいった。ジークレー版画だが、原画と変わらない美しさで、おまけに無料だというので、2回も訪れたのだ(汗)。それに、志村の描く、美人が頬がふっくらした、ボクのタイプの美人であることもある(汗)。

この美人画家は、よく知らなかったが、横浜で幼少年期をすごしたとのことだ。お父さんが、野沢屋(この前、閉店した横浜松坂屋の前身)に勤めていて、本町小学校に通っていたのだそうだ。その関係で、この展覧会を主催している、ハナサキ画楼(誤字ではなく、この楼なのだ、なんとなく美人画の画廊としてはいいではないか)は、本町小学校の近くにある。

挿絵画家に詳しい方なら、よくご存じだろうが、岩田専太郎(ボクでも知っている)、小林秀垣と並ぶ、挿絵画家の三羽ガラスと言われたそうだ。丹下左膳や、”主婦の友”(なつかしい)の”人妻椿”の挿絵で有名だそうだ。ここでは写真が撮れないので、画集から撮った、挿絵をまずおみせする。


清方もそうだが、挿絵画家から美人画家に”転身”する。それも、晩年にである。光悦が晩年に茶碗をつくり始めたのと似ている。遊びの達人ともいわれ、狂言、新内、三味線、浪曲、小唄、尺八となんでもこなす。考証の鬼ともいわれ、背景などにも細心の注意を払うとのこと、これも清方に似ている。

とにかく、うっとりするような美人だ。松園は眉毛や口元が美しいが、立美のは、長いまつ毛がうつくしいと思った。ワイルドワンズの、想い出の渚の歌詞にもあるが、♪長いまつげの 大きな瞳が 僕を見つめて うるんでた このまま二人で 空の果てまで 飛んでゆきたい 夜だった♪ まあ、そんな感じなのだ(汗)。

大川端

河岸

そして、清方も同名の作品をもつ、”築地明石町”。夏から秋に移り行く、今の季節。帰る旦那を見送る寂しさ。黒縮緬の袖を頬に。
関東の絵描きには京女は描けない、逆に関西の絵描きは江戸前の粋な女は描けない、とも述べている。


こんな絵も。剣豪列伝集の表紙絵。バックに忠臣蔵、大石家の家紋、二つ巴が。


そして、72歳、亡くなる年にインドネシアのバリ島に行き、描いた”踊り子”。すごいですナ。そういえば、粋な美女ですね。



すっかり”志村美女”のフアンになってしまいました。そうそう、この絵も気に入っていたんだっけ。生まれは群馬だそうですが、高崎のだるま市でだるまを買ってきた美女。背中のだるまがかわゆい。ぼくも三鷹に住んでいた少年時代は深大寺のだるま市によく行ったけ。三鷹にはこんな美女はひとりもいなかった(爆)
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ぶらり平塚 ウナや

2009-09-04 11:06:16 | Weblog
ぶらり平塚、ウナ重を食べに行ってきました。七夕の日に名店、”川万”に入りましたが、そのとき、隣りのテーブルの人が、あそこのうなぎもうまいよ、という話を思い出し、その店へ寄ってみました。西口から徒歩数分の近さ。”うな新”といいます。

"うな新”というのに、お店は、ぼくの実家のように(汗)築50年といった感じ。”うな古”といった方が、ピンときそうです(笑)。でも、味と店の外見は、むしろ反比例しているのではと思うことがよくあります。外見はりっぱでも、おいしくない、なんてお店は山ほどあります。はやっているお店は、きっと改築する暇もないのでしょう。

注文いただいてから、うなぎを料理しますから、30分くらい時間がかかります、予約をしていない方は、もっと時間がかかるので覚悟してください、みたいな意味のちらしが貼ってありました。予約?してない、だめかもしれないと、のれんをくぐると、早速、ご予約の方ですか?いいえ。お二人なら一席あいてますからどうぞ。運がいい、11時半のことでした。

本格的なうなぎ屋に入ったっら、待つのは当然。その間、ゆっくりビールかお酒を飲むのも当然。それが楽しみ(笑)。大びんのビールを1本につまみは・・うざくもう巻もない、あるのは肝焼きと骨唐揚げぐらいしかない。川万には、うざく、うまき、焼き鳥まであった。南千住の、小津安二郎組がよく訪れたという、尾花もいろんなつまみがあり、呑み助にはうれしいお店だ。常磐沿線に住んでいたころ、何度か食べに行ったことがあります。

ここは、飲むより、うなぎだけを食べろ、というお店でした。で、肝焼き(350円)を2本、とおしんこを頼み、うな重(上)(1,500円) が出来上がるのをビールを飲みながら待ちました。お茶だけで待っている人がいましたが、たいくつだろうな、と思いました。ワイフはビール、コップ1杯ぐらいは飲めます。

ビールも開いて、一息ついた頃、うな重がやってきました。先日観てきた、美人画家、志村立美の描く美人の顔のように、ふっくらしていました。ふっくら美人のうなちゃんです。そして、漂う色香も、”築地明石町”(清方にも同名の作品があります)のうなちゃん。食べちゃいたいくらい、抱きつきたいくらい、おいしそうな美人です(汗)。

全部、おいしくいただきました。食通のように、詳しく、おいしさを表現できませんが、とてもおいちかったです。

最近、外国人が日本食を好きになってきていますが、そのうち、うな重なんかも中国の人に好まれるようになって、10億人が一斉に食べ始めたら、困るなあ。日本にだんだん、うなぎが入らなくなって、うな重が、うな軽になって、そのうち、うな無になって、たれだけのご飯になってしまうなんてこともあるかもしれない。

そしたら、内田百センセイの名作”ノラや”のように、”ウナや”と毎日、ウナちゃんの失踪を嘆き悲しむ人がたくさんでるだろうな。そうならないように、民族の多様性だけじゃなく、それぞれの国の食文化の多様性までくづすようなことはしない下さいでね、中国さん。
。。

うな古


平塚のお店でみつけた猫の草。ノラちゃんに食べさせたかった。


カラーのマンホール。平塚にも明石町があるらしい。(左端をみて)


呉服屋と古美術商を一緒にやっている不思議なお店の、18万円の古唐津のぐい飲みはまだ売れてなかった。良かった。1.8万円に下がるまで気長に待とう。 新たに、38万円の斑唐津のぐい飲みが置かれていた。これも気に入った。これは、5万円なら、買ってもいい。(店の人の怒り)

ワイフは、城山三郎夫妻がよく利用したレストランの引っ越し先を捜しに行くというので(結局、見つからなかったらしい)、駅前で別れた。ボクは、茅ヶ崎へ向かった。

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ぶらり大磯 城山公園

2009-09-03 13:23:17 | Weblog
百先生のように、目的もなく電車に乗るのが好きなボクは、昨日、2日も東海道線下りに乗り込んだ。車内がすいているので、あっち方面がついつい多くなる。天気によっては富士山はみえるし、緑は多いし、その上、海もちらちら顔を出してくれて、窓の外をみているだけで嬉しい。

この日は、大磯駅に降り立った。駅前の、城山公園方面のバスが、ちょうど出発するところだったので乗り込んだ。咄嗟に、あそこの国宝茶室”如庵”の跡でも観てこようと思ったのだ。自由気ままな散歩は、これが楽しいのだ。バスの中で、そうだ、最近、焼失した旧吉田茂邸も、その近くだった、それも見学してこようと、次々と考えが浮かんできた。

城山公園は、7ヘクタールの敷地の三井家の別邸があったところで、そこに古い寺社などの古材でつくられた三井家の別邸本館”城山荘”や、戦災を逃れるために移築された、大茶匠・織田有楽斎(信長の実弟)が建てた国宝茶室があった。戦後は三井家が手放し、荒れ果てていまったが、その後、整備され、平成2年に県立大磯城山公園として公開になったとのことだ。

公園に到着して、すぐ目に入ったポスター。なんと今日(2日)はここの展望台でダイヤモンド富士がみられるという。6時半まで開園してますとのこと。やった、ついてる、と天を見上げると、とほほ


南門をくぐり、山道を登って、資料館をみて、その隣りに、国宝茶室如庵の跡地が。今は、犬山城の近くに移築されている。去年、三井記念美術館で、如庵の茶室を再現した中に置かれた、国宝、志野茶碗 銘卯花墻を思い出した。

でも園内に如庵に模した茶室、城山庵がある。4時で閉じはじめていたが、親切にも雨戸をあけて、写真を撮らせてくれた。茶室前の日本庭園も美しい。紅葉の頃、ワイフとここでお茶を頂こうと思った。

展望台にきた。屋根の上の鶴の像が。

三井別邸の本館はこの展望台の位置にあった。そのころの写真。左端の建物の上に鶴の像がみえる。久米権九郎設計で昭和9年に出来上がった。前述の寺社古材だけでつくった木造建築だ。残してほしかった。

見晴らしも良い。真鶴半島、伊豆半島がうっすらとみえた。天気が良ければ、大島も富士もみえるとのこと。吉田茂邸(もう焼失したが)は木の陰でみえない。

三井別邸で唯一、残っている建造物。大理石でできた北蔵。

当時の面影が残る、橋。

これは当時もあったであろう、こゆるぎの滝。

。。。。。

帰りに吉田茂旧邸に寄ってみた。警備の人に入ってもいいですかと、だめだといわれるのを承知で聞いてみた。もちろんだめだった。写真だけ撮った。りっぱな、門構えだ。



裏に回って、吉田茂像の前に出た。いつもは近くまでいけるのだが、こんな看板があって入れなかったのだ。でも垣根の隙間からズームアップして撮った。旧宅はなくなるし、孫も総理からおろされるし、なんだかさびしそうな姿だった。でも栄枯盛衰は世のならい、と達観している姿にもみえた。





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百聞先生の”ノラや ”

2009-09-02 11:18:35 | Weblog

世の中には、猫好きや犬好きが多いですね。ぼくが時々のぞく、みなさんのブログの中にも、まるで自分の子供みたいに、(あるいはそれ以上に)犬や猫をかわいがっている様子が綴られているものが多く、いつも、ほほえましく読ませてもらっています。

でも、あの名随筆家、内田百聞先生ほどの猫好きは、古今東西、どこを捜してもいないでしょうね。百聞先生は自分の家に居ついた野良猫を、飼い猫にしてかわいがっていました。名前はノラとつけましたが、イプセンの”人形の家”のノラからではなく、野良ネコだったからノラとつけたそうです。小あじの筒切り、鮨屋の握りの卵焼きやカステラが好きだったようです。

そのノラが3月28日から姿を見せなくなり、百聞先生の悲しみの日々が続きます。その日の日記。”ノラが昨日から帰らない。ノラのことが非常に気にかかり、もう帰らぬのではないかと思って、可哀そうで、一日中、涙が止まらず、やりかけた仕事の事も気にかかるが、まるで手につかない”

この日から、9月26日(ノラ失踪後184日)まで、ノラのことを綴る日記が続くのです。毎日のように、ノラのことを思い出しては、あふれる涙を抑えることができないと、書いているのです。この間、手をこまねいていたわけではありません。まず、床屋さんの店内に、そして新聞に、さらには小説新潮にと、賞金を出すので、ぜひ、こうゆう特徴の猫がいたらどうか知らせてください、という広告を何度も出しました。

うちの近くに、そっくりの野良猫がいるとか、道端に死んでる猫がいるが、良く似ているとか、いろいろな情報はありましたが、結局ノラは見つかりませんでした。

以上の経緯は、百聞先生の”ノラや”という随筆を最近読んで、紹介しているわけです。飼い猫の失踪の日記だけで、飽きさせず最後まで読ませる、さすが、我が国屈指の名随筆家ですね。

日記のほかに、このことを知った人からの、なぐさめの手紙も33通、紹介しています。その2番目に鎌倉市大町の人からの手紙を紹介しましょう。あの、芸術院会員の推挙を、いやだからいやだと断った、へそまがりの百先生が、こんなにも、やさしい心をもっているのだと、ぼくはカンドウしたのですが、大町の方も同じような感慨をもったようです。

”ノラちゃんはまだ帰ってまいりませんか?横須賀線の車中で小説新潮の”ノラや”を読み、涙が溢れ出てきて抑えるこができませんでした。”阿房(あほう)列車”から感じた百鬼園先生のアマノジャク、ツムジマガリの中に、あの様なやさしい情があるとは。何日も顔を洗わず、ノラのことばかり考えて、夜も眠れぬ時をすごしていられることを思うと、はやくノラちゃん帰っていらっしゃいと、叫ばずにはいられません”

愛猫家や愛犬家のみなさん、散歩中も、いつも目を離さないでくださいね。

。。。

二度目のポスター ”今一度 迷い猫についてのお願い”


師の漱石先生の描いた猫


ノラちゃんはこんな猫だったのだろうか。


。。。

ぼくは猫を飼っていませんが、猫は好きですよ。とくにお寺の野良ネコは、おさわりさせてくれので大好きです(汗)。また、百聞先生は、無目的にただひたすら電車(当時は汽車)に乗るのが好きだったそうです。ぼくもそうです。いろいろのことが落ち着いたら”あほう列車”に乗って、一週間ほど旅をしてくるかな(汗)。

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乙女坂から山手洋館巡り

2009-09-01 10:05:16 | Weblog

いつもと、ちょっと違うコースでの横浜山手洋館めぐり。ガイドさん付き、昼食付きの2時間ほどのミニツアーです。

石川町南口から、あれあれ、いつもぼくらが向かうコースに向かいます。しかし、途中から違う道へ。地蔵坂通りから乙女坂へ。ここは、はじめてのぼります。何故、乙女坂か。この坂の上にふたつの女学校があり、通学時間には乙女がいっぱいになるからだそうです。この時間帯は”むかし乙女”でいっぱいでしたが(笑)、数人の正真正銘の乙女も見かけました。横浜共立学園と横浜女学院があります。


共立学園は、明治4年の設立の日本最古のミッションスクールのひとつ。昭和6年に建てられ、現在横浜共立学園同窓会館として使用されている、山手214番館(旧スウェーデン大使館)が現存しています。マンサール屋根(袴越屋根)が特徴的だそうです。



そこから、イタリヤ山へ。ここはいつも観ている洋館。大正と明治の建物が並んでいます。ブラフ18番館。大正末期に山手町45番地に建てられた外国人住宅で、戦後はカトリック山手教会の司祭館として平成3年まで使用されていたとのこと。



外交官の家。JMガーディナーの設計で、明治43年、渋谷区南平台に外交官内田定槌邸として建てられたもので、平成9年にここに移築復元されました。



はじめて知ったのですが、この洋館には当初は和風家屋も繋げていたそうです。その面影がちらりと。

窓の文様もハイカラ。


イタリヤ山をあとのして、山手の尾根を歩く道。ただの道ではありません。むかしの横浜の市電通りの石を並べているそうです。


途中の一般住宅にもマンサール屋根の洋館風住宅が。

素敵な住宅。


日本最初の洋式公園でテニス発祥の地である、山手公園をみて(ここはたびたび紹介しているのでパス)、脇道へ。

これも一般住宅。市の、なんとか指定住宅の候補になっているらしい。こんな素敵な洋館があちこちでみられるのは楽しいことです。


やっぱり表通りだけではなく、裏道も歩かないとだめだなと思いました。楽しい山手散歩でした。

昼食は山手十番館のランチ。馬車道十番館の系列だそうです。レストランと山手資料館の間にある建物の、横浜生まれの川上澄生の版画がたくさん飾られている部屋で、講師の先生のお話を聞きながら、おいしいお弁当をいただきました。

川上澄生の版画


昼食後、隣りの資料館も見学しました。

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