気ままに

大船での気ままな生活日誌

両国の回向院は懐が深い

2023-02-02 11:32:21 | Weblog

おはようございます。

先日、おすもうを見に行ったとき、両国の回向院に寄ってきた。これまで何度もお参りしているが、しばらくブログ記事にしていないので、ちょっと書いておこうと、キーを叩き始めている。

ある歴史番組(”英雄たちの選択”だったと思う)で、江戸時代前期の明暦の大火と幕符の対応がテーマに取り上げられた。この振袖火事により3日間で江戸市中の6割が焼き尽くされ、10万人の命を奪われた。そのとき、将軍家綱は、無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと現在の回向院の地に”万人塚”という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福のために大法要を執り行った。このとき、建てられた御堂がが回向院の前身なのである。

この由縁こそが”有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの”として現在までも守られてきたと、回向院の案内に記されている。そのため、人間でも貴賤を問わず、芸術家も大泥棒のお墓もあれば、犬猫の墓まである。加えて、お相撲の始まりもここからなのである。とにかく懐の深いお寺さんなのである。

両国駅から国技館通りを5分も下れば、回向院の山門だ。

境内に入って、すぐ目に飛び込んでくるのが大きな石碑。力塚と刻まれている。おすもうさんの碑である。大相撲は江戸時代からはじまったが、回向院境内が、天保4年(1833)から春秋二回の興行の定場所となり、明治42年の旧両国国技館が完成するまでの76年間、”回向院場所”が続いた。その土俵跡も隣りの敷地で見られる。この力塚の碑は、昭和十一年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立されたものだが、現在でも新弟子たちが力を授かるようにとここにお参りしているという。

本堂の左手に墓地があり、その一角に明暦の大火の供養塔をはじめ、安政の大震災、浅間山大噴火、関東大震災などの供養塔が並んでいる。

右が明暦の大火の供養塔、左が安政の大震災。さらに左に前述の供養塔がつづく。

では、別の入り口から。塩地蔵さんにご挨拶。願い事が成就すると塩を供えた参拝者が多く、”塩地蔵”と呼ばれ、親しまれてきた。この日も10袋ほどの塩が供えてあった。

その奥には鼠小僧治郎吉の墓がある。義賊として知られるねずみ小僧は、長年捕まらなかったが、その運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んだった。現在も特に合格祈願に来る受験生があとをたたないようだ。墓石を削られたのでは困るので、削り専門のお前立ちを置いてある。

鼠小僧の横には猫の墓が(笑)。こちらは猫の恩返し。

竹本義太夫関連の墓。分かりやすいように竹が植えてある(笑)。

山東京伝の墓

離れたところに鳥居清長碑もある。鳥居清長のお墓がここ回向院にあったが、地震や戦火で墓石はなくなってしまった。生誕200年を迎えることもあり、2013年、記念碑が境内に建てられた。そのとき展覧会も行われ、ぼくも見ている。

回向院の猫。十年も前から居る。ここなら安心して死ねるね。

回向院の境内には、前述の「猫塚」(文化十三年・1816)のほか、「唐犬八之塚」(慶応二年・1866)、「オットセイ供養塔」(大正15年)、さらに義太夫協会の「犬猫供養塔」、飼鳥獣商協同組合による「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑がある。

回向院は懐の深いお寺さんだなと思った。

そのあと、初場所13日目の国技館でいい相撲を二番、見た。新人19歳、幕下、落合が勝ち、7戦全勝で優勝を決めた。そして十両、朝乃山が金峰山に勝ち、ほぼ十両優勝を決めた。

もう番付け会議がおわり、落合は史上初の一場所で十両昇進を決めた。朝乃山の幕内昇進の正式発表は今月末になるが、どうも難しいようだ。鼠小僧の石を削り、握って応援すればよかったか(笑)。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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6 コメント

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回向院には (アナザン・スター)
2023-02-02 11:32:15
あらまぁ❣
千葉の友人が案内しての、大江戸博物館に行く前に立ち寄りました。
回向院を訪れたい理由には、赤穂浪士の討ち入りが絡んでいます。
門を入る手前の左でしたか?
吉良上野介の屋敷跡がありますでしょう?
其処から回向院、両国を抜けて隅田川へと回り一路泉岳寺まで歩きました。
4時間半かかりましたが・・・
二度と歩けません。キッパリ

今年の大寒波で思ったのは、あの夜半の闇の中を、山・川と連呼しながらも、主君の仇討ちが。
そうして、明け方に引き上げる浪士の上に振りかかる雪の花弁。
赤穂浪士の儀と人情に、はたまた浅野内匠頭や吉良上野介の思いを馳せました。
三波春夫 時は元禄の名台詞。

わあ~ん、泪が零れます。
返信する
明日のお昼 (エルフの隠れ里)
2023-02-02 12:43:43
2月3日(金)、フジテレビの昼番組ぽかぽかのゲスト、稀勢の里です。今は、貴景勝が出てます。
大相撲トーナメントの番宣みたいです。
取り急ぎお知らせまで。私も明日は録画します。
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アナザン・スターさま (marbo)
2023-02-02 18:36:37
回向院、行かれてましたか!そうです、すぐ近くに吉良上野介の屋敷跡があります。

赤穂浪士のように一路泉岳寺まで4時間も歩いたとは。すごいですね。ぼくは泉岳寺には行っていますが、途中はカットです。

三波春夫の赤穂浪士、懐かしいですね。ぼくの友人のカラオケ定番はこれの俵星玄蕃ですね。
返信する
エルフの隠れ里さま (marbo)
2023-02-02 18:43:34
>2月3日(金)、フジテレビの昼番組ぽかぽかのゲスト、稀勢の里です。今は、貴景勝が出てます。大相撲トーナメントの番宣みたいです。

貴重な情報、ありがとうございます。二所の関親方の生トーク、ぜひ見たいと思います。
返信する
Unknown (小父さんA)
2023-02-02 21:27:26
こんばんわ。

>おすもうを見に行ったとき、両国の回向院に寄ってきた。

へ~っ!とことんお元気すね。

>”万人塚”という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福のために大法要を執り行った。

そうでしたか、”英雄たちの選択”はほとんど残していますので明日にでもまた観てみましょう。

ほんと江戸に東京は何回も焼き尽くされているんですね。
なにしろ人口の過密さも大きな原因のようですが。

>”有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの”として現在までも守られてきたと・・・

人間の文明の上に貴重なことですね。

>芸術家も大泥棒のお墓もあれば

はっはっは

>加えて、お相撲の始まりもここからなのである。

そうでしたか!

>旧両国国技館が完成するまでの76年間、”回向院場所”が続いた。その土俵跡も隣りの敷地で見られる。

それはそれは!

>右が明暦の大火の供養塔、左が安政の大震災。さらに左に前述の供養塔がつづく。

へ~っ、あまりテレビ番組で取り上げられてないような・・・。

>この日も10袋ほどの塩が供えてあった。

いいですね~。

>削り専門のお前立ちを置いてある。

はっはっは、面白いですね。

猫の恩返しの立て札、しっかり読ませていただきました。

分かりやすいように竹が植えてある「竹本義太夫関連の墓」ですか!

>十年も前から居る。ここなら安心して死ねるね。

この行の前の五文字を見ていなかったので笑いました。

>回向院は懐の深いお寺さんだなと思った。

ほんとですね。

>そのあと、初場所13日目の国技館でいい相撲を二番、見た。

このような前置きはとんと想像していませんでした。
なにしろ朝乃山の場所入りもごらんになったわけですよね!

>どうも難しいようだ。鼠小僧の石を削り、握って応援すれば

今日も見事に結ばれましたね!

有難うございました。
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小父さんAさま (marbo)
2023-02-02 22:06:43
拙ブログをいつも楽しんでいただき、うれしく思います。

国技館におすもうを見に行ったときは、それだけではもったいないので、両国界隈をよく散歩します。この回向院は駅から近いし、必ず行きます。ほかに、吉良邸跡見物とか時津風部屋など相撲部屋巡り、北斎が住んでいたので、名付けられた北斎通りも面白いです。こんど、東京へ来られたら、ぜひ両国界隈もどうぞ。もちろんお相撲も。その頃、朝乃山は大関復帰していることでしょう。

”英雄たちの選択”では、回向院の明暦の大火の供養塔が出てきますので、ご確認下さい。そうそう、昨日の記事、東御苑の天守台も出てきますね。

ありがとうございました。
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