気ままに

大船での気ままな生活日誌

幸助餅 

2017-08-04 11:25:03 | Weblog

おはようございます。

大相撲名古屋場所がおわったばかりですが、今朝は、”大阪場所”におつきあいください。上方落語の桂春之輔師匠のご案内です。

大阪すもうというのがあったんご存じですか?”何を言うとんのや。毎年春になったら3月に相撲あるやないか”とおっしゃると思いますが、あれは言うなれば東京に本部がある日本相撲協会主催の場所でありまして、私が言うてんのは大阪に地の生えた相撲があったというんです、大正までね。

”タニマチ”いう言葉がありますが、あれが何よりの名残ですな。ご案内いうてはと思いますけども谷町に住むそのお医者さんが相撲取りを贔屓にしたという、そっから始まった言葉やそうです。で相撲の最高位は大関やったという事もご存じですやろか?大関の中から心技体に優れたその相撲にだけ横綱という称号を与えられたそうです。

へえ、そうなんだ。落語もいろいろ勉強なるなぁ。こうした予備知識をマクラで話されてから、”幸助餅”の本論に入りますのや。

お相撲が大好きで、贔屓力士のタニマチになり、先祖代々の全財産を使い果たしてしまう、大阪の大黒屋の大将幸助。心を入れ替えて、再建せねばと、馴染みの女将がいる新町の郭へ妹を三年の年季奉公させることで五十両を借りる。その帰り道、贔屓力士の雷と出会う。大将に若い時から励ましてもらい、江戸に行き、ついに大関まで上りつめることができました、直接、お礼がしたくて大阪までやってきました、という。つい、ほろりとした幸助は五十両をご祝義だと渡してしまう。これが最後だぞ、と言って立ち去る。帰宅してから、女房に叱られ、返してもらいに行く。ところが大関は意外にも、剣もほろろ。幸助をなじる。

今度は女房が女将から女同志ということで50両を借りてくる。それを元手にして、鬼になって、幸助が商売に精を出す。上等のもち米を使った幸助餅が大当たり。あちこちから大量の注文がくる。繁盛して、1年後、店先に現れたのが大関。幸助餅をひとつくれという。いくらだと言うと、幸助は、お前なんぞから金はもらえない、くれてやるから帰れと悪態をつく。すると、大関はあのときの50両だと渡そうとする。そこへ、女将が現れ、すべてを暴露する。1年前、青い顔をした大関が来て、大黒屋がつぶれたはずなのに、こんな大金をくれた。どうか女将の方から返してくれと。

大関が返金を願った幸助に悪態をついたのは、もう相撲には縁を切ってもらって、商売に精を出してほしい気持ちからだった。そのあと、影で幸助餅を大量に注文していたのだそうだ。すもうとりが注文とりになっていた。

その後、ふたりは生涯、仲良くしていたそうな。大関が江戸で横綱の称号を得たかどうかは聞いておりません。おあとがよろしいようで。



上方落語の大名跡”桂春団治”の四代目を、先代のお弟子さんだった桂春之輔師匠(68)が、来春にも襲名するとのこと。おめでとうございます。

。。。。。

先日、大相撲総選挙が行われました。一位が千代の富士、以下、貴乃花、大鵬、白鵬、北の湖とつづき、われらが稀勢の里は堂々、第6位。双葉山、初代若乃花の上をいきました。 ”幸助餅”の大関は何位だったか、記憶にありませんが、新大関高安は19位にランクイン。いとしのエリーを歌いました。

それでは、みなさん、今日も一日、幸助餅でも食べて、お元気で!

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