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気ままに

大船での気ままな生活日誌

三内丸山遺跡

2013-07-07 11:42:31 | Weblog
青森の三内丸山遺跡が国の特別史跡に指定されたのが、平成12年(2000年)。それから、もう13年も経つのに、まだ一度も訪れていなかった。だから、今度の青森旅行の目玉は、この我が国最大級の縄文前期中頃から中期末葉の大規模集落跡であった。はじめに感想を述べると、ステキな金縛りにあったよう。

三内丸山地区に遺跡があることは江戸時代から知られていて、土器なども発掘されていたそうだ。そして、現代になり、昭和28年から慶応大学により本格的発掘調査が行われ始め、51年には遺跡の南側に縄文時代中期(約4500年前)の大規模な墓地が発見される。さらに、平成4年に、この地に野球場建設のための調査により、大規模な集落跡も発見された。県はことの重要性に鑑み、野球場建設を即中止、学術調査の推進と共に、遺跡の保存と活用のために、この地を歴史公園として整備し、一般に公開した。これまで500万人を超える人々が訪れているという。

さて、まず、三内丸山遺跡の集落跡を訪ねてみよう。そこには、すっかり有名になった巨大な掘立柱建物を中心に、小型の掘立柱建物、大小の竪穴住居がいくつも復元されている。ガイドさんもいて、それぞれの建築物や墓地について、説明してくれる。

まず、大型掘立柱建物。地面に大きな柱穴が六つ、そして、穴の中に栗の材木の遺物が発見されたのがきっかけ。その実物の柱穴も、その横のテントの中で観察できるのがうれしい。何の建物だったか。物見やぐら説、灯台説(海の近く、舟で交易もしていた)、そのほか、神殿、祭りの施設という説もあるらしい。ぼくの考えは、それらを、全部、含めた多目的利用建造物デス。

大型掘立柱建物


六つの柱穴


説明文


近くに栗の木が。栗を栽培していて、食料にしていた。材木としても利用した。


そして、子供の墓。当時は子供の死亡率も高く、住居の傍においた。大人の墓は別にある。


大型竪穴住居 公共の施設らしい。


その内部


小型竪穴住居 5,6人家族の一戸建て住宅。

土屋根


茅屋根


小型掘立柱建物 高床式。 東側に大人の墓が続いていることから、埋葬や祭祀儀礼に関する施設らしい。




三内丸山遺跡全体像(カタログの写真から)。標高20Mの高台。海も近い。


(つづく)

次回は、これが、また素晴らしい。重要文化財ずらりの出土品の数々。板状土偶がカワユイぞえ。
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