気ままに

大船での気ままな生活日誌

北条義時のお墓はどこ?頼朝の墓の近くです。

2020-05-24 09:48:31 | Weblog

おはようございます。

来年のことをいうと鬼が笑うが、再来年のことならいいだろう(笑)。2022年の大河ドラマは鎌倉を舞台にした三谷幸喜脚本の”鎌倉殿の13人”だ。その主人公が幕府の二代執権、北条義時である。

先日の健康散歩は、鎌倉宮から八幡宮を経て鎌倉駅までのコースだったが、ふと、この大河ドラマのことを思い出した。頼朝の墓に近づいてきたとき、たしか、義時の墓も近くにあったはず、久しぶりに寄ってみようと思った。

白旗神社。頼朝を祀る。頼朝没後は法華堂と呼ばれたが、明治になって現在名となった。

その横の石段を登ったところに頼朝の墓はある。

これが頼朝の墓。五層の石塔。

説明板。正治元年(1185)没。自分の持仏堂であった法華堂に葬られた、とある。

この墓は鎌倉時代のものではなく、幕末に島津家が建てたもの。鎌倉に住んでおられた歴史作家、永井路子の”私のかまくら道”によると、反幕府の意気に燃える島津藩が、頼朝こそ我が先祖とばかりにその墓を改修した。というのも、島津家のはじまりは頼朝の隠し子(島津忠久)という言い伝えがある。徳川も源氏を名乗っているが、頼朝直系ではなく、新田氏の分かれだと称している。それから見れば我が家の方がずっと血筋がいい、と(笑)。でも、どちらもでっち上げで、彼らには史実などどうでもいいことで、大事なのは政治的デモストレーションだと永井は付け加える。どっちが本当か、小説家もよくうそを言う(笑)。

ちゃんと墓の線香立てには島津家の紋章が入れてある。

大河ドラマには頼朝はしばしば登場する。昭和54年の”草燃える”。石坂浩二が頼朝で政子は岩下志麻。忘れていたが、そのときの義時には松平健が演じたそうだ。”源義経”(1966年)では芥川比呂志、”義経”(2005)では中井貴一が頼朝を演じている。なつかしい。

重文・伝源頼朝坐像(東博)

黄瀬川陣(きせがわのじん)安田靫彦

法華堂跡地は大きな丘になっている。さて、義時の墓はどこ?とうろうろしていたら、ちょうど登ってきたボランティアのおじさんが教えてくれた。この丘の向こうに石段があり、そこを登ったすぐの平地の下に義時が眠っていると。

頼朝の石段を下りて、麓を少し行ったところにこの石段がある。

登ってすぐのところに平地が。史跡法華堂跡(頼朝・義時の墓)とある。

この場所は義時の法華堂(墳墓堂)が建っていた跡。義時は、父の時政や姉の政子と共に頼朝の幕政を助けた。承久の乱で後鳥羽上皇を破り、鎌倉幕府の基礎を築いた。62歳で没したが、吾妻鑑によると、頼朝の法華堂の東の山上に新法華堂を建てたことが記されている。平成17年の発掘調査により、8.4m四方の建物跡が確認され、吾妻鑑の記述が裏付けられた。と、案内板が教えてくれる。

この平地に義時の墓(法華堂)があった。今は何もない。これでは印象に残らないはず。

ただ、トキワツユクサの花ばかりが我が世の春を謳歌していた。

再来年が楽しみ。”鎌倉殿の13人”。主役、北条義時には小栗旬。さて、頼朝には誰?役所広司か西田敏行か、それとも佐藤浩二。政子は?小百合か志麻で。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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