気ままに

大船での気ままな生活日誌

荏柄天神社本殿は八幡宮・若宮旧本殿だった

2015-10-16 09:55:45 | Weblog

松崎先生の”建築学講座/鎌倉と横浜の建築再発見”の第1回を聞いて、もう午後4時になっていたが、鎌倉駅に向かった。講義の中で、荏柄天神社本殿が、実は鶴岡八幡宮の若宮旧本殿を移築したものと知ったから。早速、実地検分をしようと出掛けたのだ(汗)。電車もバスも連絡がすいすい行って、閉門(4時半)前に天神社に到着した。

徳川二代将軍秀忠が、寛永元年(1624)に鶴岡八幡宮・若宮の社殿造営を行ったのだが、そのとき、若宮の旧本殿を移築して天神社を再興したのだそうだ。若宮は正和5年(1315)再建のものだから、室町時代の主要社殿様式を伝える貴重な例なのだそうだ。国の重要文化財である。

そんなエライ社殿とはつゆ知らず、ごめんなさいと天神社を見上げた。

西側からみる

東側からみる

形式は三間社流造 ,屋根は銅板葺、内部は小組格天井とし,内法長押上の小壁に横連子を入れる、ということだ。

秋の日はつるべ落とし。もう夕陽が落ちようとしていた。手前は境内の大いちょう。ぼくが出ると、すぐ門が閉められた。

そして、暗くなる前に八幡宮へ急ぐ。石段手前の若宮。前述のように、秀忠が、寛永元年(1624)に造営。五間流造の本殿と桁行4間・梁間3間からなる幣殿、そして桁行3間・梁間2間の入母屋造の拝殿から構成されるとのこと。重要文化財。


石段の上は、八幡宮・上宮本殿。これは文政4年(1821)の火災で焼失後、文政11年(1828)に十一代将軍家斉によって再建されたもの。本殿九間社流造による権現造。これも重要文化財。

建築用語のむづかしいことは分からないが、一応、その日の内に検分でき、なんとなく、わかったような気になった(汗)。

そうそう、八幡さま境内の、日本で最初の公立美術館である神奈川県立近代美術館。坂倉準三設計の名建築として知られる。坂倉の師匠ル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館の七年前である。取り壊しの危機にあったが、建物は保存されることが、最近、決まった。ほっ!

鎌倉駅に着いたときは、もう、すっかり日は暮れていた。講義にも、この駅舎の設計者の名前が出ていたのだけど、忘れてしまった。

この写真で〆ると、おやすみなさい、ですが、今は朝!今日も一日、お元気で!どんまいどんまい!

 

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