気ままに

大船での気ままな生活日誌

熱海の起雲閣

2013-02-08 15:33:25 | Weblog
熱海梅園を観ての帰り、名建築として知られる起雲閣に寄った。熱海には何度も来ているが、初めての訪問だった。

先日、表参道の根津美術館に行ったばかりだが、そこは、根津嘉一郎の私邸があったところ。ここ起雲閣も、根津嘉一郎の別邸だったことがある。大正7年(1918)に海運王と呼ばれた内田信也が建築し、そのあと、根津が大正14年(1925年)に引き継いだ。戦後になって昭和22年、石川県出身の実業家、桜井兵五郎が取得し、旅館(起雲閣)として開業 した。平成11年、競売物件となり、12年から熱海市の所有となり、今日に至っている。

戦前は、熱海の三大別荘のひとつと讃えられ、戦後の旅館時代は、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、三島由紀夫、舟橋聖一、武田泰淳など文豪たちにも愛される名旅館として知られていた。現在は市の有形文化財として、一般に公開されている。三代に渡って、贅を尽くした大正、昭和の近代建築で人気も高く、平成24年には、開館以来の入館者数が、100万人を突破したとのこと。たしかに、見ごたえのある建造物である。

さあ、それではガイドさんにお聞きした説明を添えながらご紹介しましょう。

表門
薬医門とよばれる造り。鎌倉時代末期・室町時代初期の武家または公家の屋敷などに現れた門形式のひとつ。


和館「麒麟・大鳳」
内田信也が実母の静養のため、大正8年に建てた和館。


座敷は、床の間、付書院、欄間などは、簡素なつくりだが、高い天井や座敷の三方を取り囲む畳廊下など贅沢な空間。畳廊下の窓ガラスは、当時の職人が一枚一枚流し込んで作った”大正ガラス”。微妙なゆがみが美しい。
一方、群青色の壁は、旅館となってから塗り替えられたもの。「加賀の青漆喰」と呼ばれる加賀地方の伝統的な技法。旅館を開業した桜井兵五郎が石川県の出身である。ぼくは、この群青色をみて、あっと声をあげた(汗)。なぜなら、昨年、金沢のひがし茶屋街の茶屋でこの色を観ているから。通常、壁の色は弁柄(紅)色だが、その茶屋の一室だけ群青色だった。”美の壺”にもとりあげられた。熱海と金沢がつながってうれしい。



太宰治が山崎富栄と、入水自殺の三か月前に泊まった、二間つづきの部屋。(ぼくの故郷)三鷹と熱海がつながってうれしい。


洋館「玉姫」
根津嘉一郎が、昭和7年に建てた。正面中央に暖炉があるヨーロッパのデザインを基本にしているが、”折上格天上”など日本の神社仏閣に見られる建築様式が用いられている。


洋館「玉渓」
中世英国の”チューダー様式”に”名栗仕上げ”を取り入れたヨーロッパの山荘風の造りになっている。


サンルーム
大きな窓とステンドグラスの天井、色鮮やかなタイルの床が特徴。「アールデコ」のデザインが基調。


洋館「金剛」
昭和4年に完成。


ローマ風浴室 金剛に併設された浴室。



一千坪の池泉回遊式庭園



これまで、”豪邸”としてロケに使われてきたそうだ。”不毛地帯”('09年・フジテレビ)、”チェイス”、”白州次郎”(NHK)など。
そして、明日、土曜日、第3回を迎えるNHK”メイドイン・ジャパン”でも。ぜひ、お見逃しなく(笑)。



わたしらも草場の影からみてるぜよ。
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