気ままに

大船での気ままな生活日誌

土門拳の昭和/今、平和への祈りを込めて

2011-08-09 08:30:33 | Weblog

松本市美術館で”土門拳の昭和”展が開催されている。ちょうどぼくが訪れた時、当地で国際軍縮会議が開かれていたが、もちろんこれを意識した展覧会である。だから”今、平和への祈りを込めて”なのである。そして、ちらしの写真もヒロシマの原爆ドームである。

土門拳といえば、知らぬ人のいない国民的写真家であるが、ぼくは回顧展をみたことがなかった。ときどき写真集や、何かの展覧会、たとえば東京都写真美術館のコレクション展などで、一部をみせてもらう程度であった。たまたま松本で、それに巡り合えたのは幸運であった。

名取洋之介に師事し、報道写真を撮りはじめるが、自分の撮った写真が名取の名前で発表されるなど、不満をもっていた(どの世界でもよくあることですが)。終戦後、フリーとなり、戦後の子供たちの日常を撮る。ちょうど、その頃の子供たちはぼくらの世代で、べーごま、紙芝居、ちゃんばらごっこ、凧あげなどに熱中していた。まさにそれらの写真がずらりと並び、懐かしく思った。

その頃、土門は、あるカメラ雑誌のアマチュアカメラマンの投稿写真の審査委員になったが、彼らに、写真は、”絶対非演出、絶対スナップ”であるべきだ、と檄を飛ばした。その言葉は、彼の生涯をつらぬくモットーにもなっている。たとえば、人物写真もたくさん撮っているが、こちら側からは注文せず、自然のままの姿の一瞬を切り取る。梅原龍三郎の怒った顔も有名だが、これもあまりにも執拗にカメラを向けるので怒らしてしまい、その一瞬の表情をもぎとったものだ。ついでながら、土門が一番気に入った顔は志賀直哉だ、と述べている。確かに立派な顔だ。上村松園も撮っていたが、これはどういうわけだか、遠くで絵を描いている様を撮っただけで、松園自身の顔はぜんぜんわからない。写真にならない顔だったのかどうか(爆)。細菌学者の志賀潔のもあったが、学者らしからぬ意外な顔をしていた(笑)。

そして、本展覧会のサブタイトル、”今、平和への祈りを込めて”、ヒロシマのコーナーも、もちろんある。昭和32年、はじめて広島を訪れた。”ぼくは狼狽した、ヒロシマのことを忘れていた、というよりはじめから何も知らなかった、全く知らされなかったといってよい”と、土門のカメラは執拗に、まだまだ残る原爆の影を追い続ける。”魔の爪跡”を1500コマを撮ったという。そのエッセンスが展示されている。ちらしの写真となった原爆ドームは代表作だ。戦前に撮った”出征兵士を送る/銀座”なども涙を誘う。

ぼくにとって、土門といえば、”古寺巡礼”だろうか。とりわけ室生寺の作品群はすごい。ぼくも何度か訪れているが、石段の向こうにそびえる小さなうつくしい五重の塔。土門はこれを最後まで追い続け、脳出血で倒れたあとも、病院で一カ月待ち、まだ出会っていなかった、”雪の室生寺五重塔”を撮ったという。これで室生寺は卒業した、と述べたという。

回顧展は、作家の作品だけではなく、その人の歴史を知ることができるので、楽しい。今回も、ミーハー的なことではあるが、土門は酒田の生まれだが、少年期に横浜に移り、横浜二中(現・翠嵐)に通ったそうだ。そのときに描いた薔薇の絵が、安井曾太郎が審査員だった横浜美術展覧会で入選したとのことだ。画家になっても大成したかもしれない。

はからずも、松本の美術館で土門拳と(すでに記事にしている)草間弥生に出会えて、とても楽しい信州旅行となった。

 

 

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