気ままに

大船での気ままな生活日誌

金沢21世紀美術館と”東山魁夷の眼”展

2012-09-05 10:30:48 | Weblog
兼六園の西側の出口を抜けると、その前方にモダンな円形の建物がみえてくる。そこが、6年ほど前にお披露目した、妹島和世+西沢立衛/SANAA設計の金沢21世紀美術館だ。暑い日だったので、広い庭にはとどまらず、冷房の効いた館内に飛び込んだ。まだ夏休みだったから子供連れの親子が目に付く。外見だけではなく、インテリアもモダンだ。展覧会もモダンアートが中心らしく、メイン展示場では”工芸未来派”展が開催されていた。ちょっと、入ってみようか、と思ったが、別の展示場で、”東山魁夷の眼”展をやっていたので、つい好みの和風系に入ってしまった。

この展覧会は、サブタイトルが、”そのコレクションと川端康成との交流”となっているように、展示品はそちらに傾斜している。はじめに康成のノーベル賞受賞講演の”美しい日本の私”の文章が掲げられている。日本の美のエッセンスを、道元、明恵、良寛らの和歌を紹介しながら述べる、ぼくも大好きな感動的文章である。そのノーベル賞のメタルの横に、ひとつの二曲屏風が展示してある。表に康成の書、裏に魁夷の絵。昭和43年、康成がノーベル賞の受賞が決まった日、魁夷が鎌倉の康成邸にお祝いに駆け付けた。多くの客でごった返していたが、すぐ筆をとり、”秋の野に鈴鳴らし行く人見えず”と書をしたため、返礼とした。そして、後日、昭和45年に裏面に”秋の野”を描いた。ふたりの美の天才の合作だ。これを観ただけで、この展覧会に入った甲斐があったと思った。

康成の骨董蒐集は有名だが、康成の眼は野獣の眼(笑)のように厳しい。だって、最もいい時代の、最もいい作家の、最もいい作品でなくては駄目じゃ、ニ、三流品でも自分が楽しめればいいじゃん、という人もいるが、それはただの道楽。いいものに出会うと自分の命をひろった思いである、という。

その点、魁夷のコレクションの品々をみてみると、それほど、厳しい目をもっていないように感じる。巾も広いし。乾山もあればロダンもある。エミールガレもいれば、ガンダーラの仏像も、魯山人も、ルドンも光悦も、と。若い時、はじめて買った絵もあった。長谷川利行の”裸婦”と”赤い家”。“芝の美術クラブで「長谷川利行展」を見に行った。私はその中で「裸婦」の小品に特に心をひかれた。極度に単純化された表現の、不思議な作品である。私はそれと「赤い家」の二点を買った。どちらも孤独感と寂寥感をたたえた中に素純なものが光る作品である。昭和23年のことであった。私自身、漸くどん底から這い上がって来たばかりの頃で、絵など買う余裕は無かった筈である。恐らく、よほど安い価格であったのだろう。その頃、住んでいた工場の事務所の二階借りの、狭い部屋にそれを掛けた。この絵は、私が生れて初めて買った絵である。”

東山魁夷の絵も、もちろんいくつも、展示されている。わりと最近、観た、山種美術館所蔵の大作”満ちくる潮”が大きな波音をたてていた。

(金沢21世紀美術館)

館内




全体(ホームページからお借りしました)


(東山魁夷の眼展)




秋の野に
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