朝5時からブラジル対コロンビア戦を観て、そのあとは、8時からレンジャーズのダル、9勝目なるかの試合、と、スポーツ観戦漬けの午前中だった。ブラジルは勝ったものの、後半は押され気味で、おまけに、エース、ネイマールが骨折退場。ダルはぴりりとせず、リードされて降板したが、味方が追いつき、勝ち負けはつかなかった。
午後は、雨も上がったので、ぶらりと外に。たまには頭の体操と、逗子の図書館に出掛けた。故宮博物院関連の本でも読もうと、蔵書案内で探索してみたら、芸術新潮の2007年1月号(故宮博物院特集号)がひっかかってきた。地下書庫から出てきたそれは、半年分をまとめて綴じたものだった。一通り、その号を読んだあと、ふと、次の号の特集をみると、”おそるべし!川端康成コレクション”。先日、トーハクの東洋館で康成旧蔵の北宋汝窯の青磁をみたばかりだったから、興味をもってページをめくり始めた。
汝窯の青磁はなかったけれど、浦上玉堂や蕪村の絵に混じって、意外な絵がみつかった。草間弥生の絵、それもまだ二十代はじめで無名時代のものだ。康成が展覧会でみて、その場で買ったそうだ。まだ水玉模様ではなく(笑)、大きな赤い玉がひとつ、”不知火”と題されたこんな絵だ。
そのときの印象を述べた草間弥生の言葉が面白い。”1メートルくらいの距離からじっと見つめられた。私は田舎から出てきたばかりで、先生は”伊豆の踊子”みたいな少女が描いたのかと、思われたかもしれません。でも、男性に見つめられたなんてなかったから、少し怖かった”(読売新聞記事)
伊豆の踊り子といえば、こんな写真もあった。17歳の内藤洋子と並んで写っている嬉しそうな康成。映画”伊豆の踊り子”に内藤洋子が主演したときに挨拶に訪ねたのだ。当時、彼女は北鎌倉の女子高生だったし、同じ鎌倉の住民で、よけいに親しみを覚えたのではないだろうか。
川端康成と草間弥生と内藤洋子のこんな関係を知ることが出来たのも、故宮の白菜姫と汝窯青磁のおかげさまです。明日、お礼にお伺います。
帰りに北鎌倉の東慶寺に寄ったら、半夏生(半化粧)が真っ盛りだった。雑節の半夏生は7月2日だったそうですね。
紫陽花もまだまだ大丈夫!
そうそう、康成はこの土偶も大好きだったようですよ。穴のあくほどみつめられてしまったような風情。ぼく好みでもある。