おはようございます。
猛暑の日はトーハク散歩が一番。涼しいし、考古学の森はあるし、日本画横丁もあれば、中華街だってある。一日、歩いてもあきない。今日も出かけようかな。
あの日も暑い日だった。

久し振りに考古学の森を散歩してみた。

まず、特別に囲われた部屋に入ってみよう。2015年に平成館がリニューアルされたとき、以下の二品のためにだけつくられた特別ルーム。

ひとつは、石人(福岡県八女市 岩戸山古墳出土)古墳時代・6世紀。阿蘇溶結凝灰岩製の石人で、扁平な作りの表面に人体を浮き彫り風に表現している。本例のような完形品は極めて貴重なものとのこと。ということで重要文化財。いずれは国宝か。

そして、もう一つは、銀象嵌銘大刀(熊本県和泉町の江田船山古墳から出土)国宝

75文字の長大な銘文をもつ太刀。本格的な記録的文章としては日本列島で書かれた最古の例である。銘にある「獲□□□鹵大王」を雄略天皇とする説が有力で、固有名詞や職掌を示すと見られる表現などから、5世紀後半の王権と地方豪族の関係や王権の組織を知るうえで、きわめて貴重な資料とのこと。国宝である。



特別ルームを出てすぐのコーナーには江田船山古墳からの出土品がずらりと並んでいる。すべて国宝である。


金銅製沓(江田船山古墳)国宝

江田船山古墳は菊池川中流の左岸台地上に展開する清原(せいばる)古墳群の中心的な前方後円墳で、墳丘の長さはおよそ62メートル。5世紀後半から6世紀初めに築造されたと考えられている。明治6年(1873)に、後円部の石棺式石室(横口式家形石棺ともいう)から豪華な副葬品が一括して出土した(東博案内より)。すばらしい!
つづいて、日本画横丁へ。
下村観山 鵜図屏風

これは、画友、菱田春草の夭折(37才)を悲しんで観山が描いたもので、お別れの会にも会場で飾られたという。左隻の海の彼方に立ち去ってゆく鵜を春草に見立て、右隻の岸壁で鳴きながら見送る鵜が観山だ。心に沁みる絵だ。左隻に大きな空間をとる構図は観山の名作”弱法師(よろぼし)”と同様。
立ち去る春草鵜。

見送る観山鵜。

中華街(東洋館)では唐三彩をごちそうになった。




すばらしい真夏の散歩道だった。出光の森にも行かねば。唐三彩展がおわってしまう。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!