久しぶりに観る金閣寺。絵のような美しさでした。

では絵と比べてみましょう。後藤純男画伯の金閣寺です。横浜そごう美術館で観たものです。こちらは、本物みたいな美しさでした。

金閣寺は通称名で、本当は鹿苑寺という臨済宗相国寺派の禅寺で、舎利殿の”金閣”があまりに有名になりそう呼ばれているそうです。鹿苑寺の方丈や書院には、ほとんどの人は振り返りもせず、きんきらきんの金閣ばかりに目が向いてしまいます。ぼくらも、今までそうでしたが、今回は、まずこちらに参拝しました。義満公もよく来られ、方丈のお庭をみたり、金閣を眺めたりしたようです。義満公が眺めた、松越しの金閣はこんな景色でした。


遠眼鏡でみると鳳凰もこうみえます。

方丈は延宝6年(1678)、後水尾天皇により再建され、襖絵は延宝9年に狩野派の絵師によって描かれたものです。書院には若冲の障壁画もあるのですが、それは、相国寺境内にある、承天閣美術館で保存されているようです。今度、訪ねてみよう、と思いました。その代わり、新しいものですが、石踊達哉画伯と森田りえ子画伯のうるわしい杉戸絵を観ることができました。梅、桜、椿、牡丹と四季の花々が描かれていました。りえ子画伯の写真が載っている雑誌も置かれていましたが、松井冬子画伯に負けない美人でした。
”きれいすぎる日本画家、冬子、りえ子のきれいすぎる絵”なんてコピーで二人展が開催されれば、初日に出かけるけど。”きれいすぎる絵”というか、”違い過ぎる絵”の対比が面白いかもしれない

陸舟の松:義満公の盆栽を地植えにして帆かけ舟に仕立てた樹齢600年の五葉松。


では絵と比べてみましょう。後藤純男画伯の金閣寺です。横浜そごう美術館で観たものです。こちらは、本物みたいな美しさでした。


金閣寺は通称名で、本当は鹿苑寺という臨済宗相国寺派の禅寺で、舎利殿の”金閣”があまりに有名になりそう呼ばれているそうです。鹿苑寺の方丈や書院には、ほとんどの人は振り返りもせず、きんきらきんの金閣ばかりに目が向いてしまいます。ぼくらも、今までそうでしたが、今回は、まずこちらに参拝しました。義満公もよく来られ、方丈のお庭をみたり、金閣を眺めたりしたようです。義満公が眺めた、松越しの金閣はこんな景色でした。


遠眼鏡でみると鳳凰もこうみえます。

方丈は延宝6年(1678)、後水尾天皇により再建され、襖絵は延宝9年に狩野派の絵師によって描かれたものです。書院には若冲の障壁画もあるのですが、それは、相国寺境内にある、承天閣美術館で保存されているようです。今度、訪ねてみよう、と思いました。その代わり、新しいものですが、石踊達哉画伯と森田りえ子画伯のうるわしい杉戸絵を観ることができました。梅、桜、椿、牡丹と四季の花々が描かれていました。りえ子画伯の写真が載っている雑誌も置かれていましたが、松井冬子画伯に負けない美人でした。



陸舟の松:義満公の盆栽を地植えにして帆かけ舟に仕立てた樹齢600年の五葉松。
