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気ままに

大船での気ままな生活日誌

散るデイゴ、咲くデイゴもうるわしく

2010-06-27 18:46:14 | Weblog
ぼくの散歩道に今、真っ赤なデイゴの花が咲いては散っている。
散るデイゴの花も麗しく。

ご近所の娘さんも花を踏まないように、花見しながら歩いていた。

寅さんとひばりちゃんも(遠くのタイル画)、花見をしていた。


咲いてるデイゴの花も麗しく。


家に戻ったら小鳩ちゃんがいた。いつもみるから、
どうも近くに巣があるらしい。
そうだ、デイゴは沖縄の県花だったけ、と思いだした。
身を引いた小鳩は結局、半年間、沖縄県民をまどわしただけだった。
この小鳩ちゃんには罪はない。啼くな小鳩よ、だ。
玄関に君のふんがいっぱいだけど、
ふーん、しょうがないねと、掃除した。


夕方、またデイゴの花を観に行った。
そしたら、誰かが散った花を掃除してしまっていた。
ふーん、これもしょうがないのかな。
ぼくなら、掃かないけどね。
ひとそれぞれだね。

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近代の歴史画と講談社の絵本展

2010-06-27 15:28:42 | Weblog

昨日は、目白の椿山荘近くの講談社・野間美術館に行ってきた。2月にも”富士を仰ぐ”展に出掛けているから、二度目の訪問である。今回のテーマは”近代の歴史画と講談社の絵本展”で、ちょっと覗いてみたいと思っていた。

第1室に、著名な日本画家の歴史画が展示されている。まずはじめに、前田青邨の”羅馬へのおとづれ”。九州のキリシタン大名からローマに派遣された4名の少年使節団。そのうちの一人が、白馬にのってローマの街をゆく姿が描かれている。そして小林古径、松岡映丘らに引き継がれる。ちらしの表紙に採用された”池田の宿”。太平記 巻二“俊基朝臣再び関東下向の事”を題材としている。日野俊基は、後醍醐天皇につかえ倒幕計画に参加したが、正中の変では捕らえられたが、許された。しかし、元弘の乱の時、再び捕らえられ、鎌倉に護送される途中なのだ。池田の宿は、梶原景時が平重衡を鎌倉に護送中に泊ったところでもある。そこを朝立ちする場面である。悲しげな風情が、背景にまで及んでいる。この翌年、ぼくもよく行く、源氏山葛原岡で処刑された。日野俊基の墓もここにある。

吉川霊華の”鎌倉武士”も、この部屋にある。何の説明もなかったが、武士の横に名馬らしき馬がいたので、宇治川先陣を争った、梶原源太景季か佐々木四郎高綱だろうか。後者なら名馬”生食”だ。山村耕花の”阿国”、木村武山の”光明皇后”小村大雪”寿老”等も一室展示だ。


二室でも歴史画展示は続き、安田靫彦の聖徳太子を描いた”上宮太子像”、古径の”鉢の木”もある。僧姿の前執権、北条時頼とは知らず、薪をつくるために大事にしている鉢の木を切ってもてなす地方の地侍。”いざ鎌倉”の語源となった名場面だ。となりに映丘の”鎌倉関係”があった。”鎌倉右大臣”そして頼朝から賜った銀猫を子供たちに上げようする西行法師の絵。

そして、この部屋の大部分を埋め尽くすのは野間記念館の誇る色紙展示。なんと6000点もの色紙を所蔵している。前回は富士山の色紙ばかりであったが、今回は、十二か月図で、それぞれの月の風物が描かれている。4人の画家による、計55点である。

そして、3室には、講談社の雑誌”キング”の口絵を飾った作品の数々。作品名だけをおげておこう、日本武尊、中大兄皇子、光明天皇、清少納言、和気清麻呂、那須与一、川中島、白虎隊、山内一豊の妻、良寛和尚等である。良寛和尚の絵にはやさしさがあふれていた。伸びてくる竹の子のために縁側の板に穴を開けたり、庵内の畳にまで穴を開けてある。島田墨仙作であった。

4室には昭和10年代の絵本の原画が98点も。子供の頃から誰でも知っている絵本。昭和30年代まで発刊していたというから、ぼくも子供の頃、講談社の絵本を手にしていたのは間違いない。浦島太郎、かちかち山、竹取物語かぐや姫、桃太郎、金太郎、舌切り雀、弁慶と義経、猿蟹合戦等々。うん十年前に戻ってしまった、なつかしさがあふれる展示であった。





バスで目白駅に戻り、混んでるお店で、生ビールと寿司をいただき、山手線で上野に回った。
。。。

次回は鏑木清方一門の美人画展が予定されている。また行くことになるだろう。
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