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気ままに

大船での気ままな生活日誌

平山郁夫画伯を偲んで

2009-12-17 17:29:43 | Weblog
平山郁夫画伯が亡くなられて、もう半月になる。その間、平山画伯を偲ぶテレビ番組をいくつか観た。そして、今日は、横浜そごう美術館で開催中の院展で、遺作となった、”文明の十字路を往く/アナトリア高原 カッパドキア トルコ”を観てきた。これをお描きになっていた頃は体調もすぐれなかったに違いない。岩ばかりの高原、カッパドキアを往くキャラバンのひとつひとつの駱駝に乗る人物に、自分の越し方の想いを込めてお描きになられたのであろうか。



広島で被爆し、多くの仲間を失い、ご自身も後遺症に悩んだ。将来に光明が見出せない頃、描いたのが”仏教伝来”。”不東”(東に帰らず/国には戻らない)の覚悟で、真の仏教を求めてインドへ向け、ひとりで苦難の道を歩んだ玄奘三蔵(三蔵法師)を描いたものだ。これが院展に入選し、以後、平山画伯の生涯のテーマとなる。

平山画伯の描いた壁画のある、薬師寺の玄奘三蔵院伽藍。先月、訪ねたばかりだが、よく観ると、伽藍の上部に”不東”の文字がくっきりとみえていた。


伽藍内の画伯による壁画、”大唐西域壁画”は、まさに玄奘三蔵が歩いた苦難の旅景色を描いたもので、約30年の歳月をかけている。その間、驚くべきことに、画伯自身も、数十回も当地を訪れて、大量のスケッチブックを残している。極寒のヒマラヤ、酷暑のタクラマカン砂漠等々、法師が歩いた場所を、隈なく旅しているのだ。その様子もテレビに映し出されていた。


さて、その壁画だが、ほとんど景色である。下絵では人物を入れていたようだが、最終的には、全部削り、その山や砂漠や遺跡の中に法師の真摯な心を埋め込んだ。しかし、全長約50メートルに及ぶ壁画の中に、ただ一枚だけ、幻のように玄奘三蔵の姿を入れている。ぼくが実物画を観たときは、気付かなかったほどだ。

テレビ画像から、少し紹介してみたい。堂内に、こうゆうふうに描かれている。


法師の出発点”明けゆく長安大雁塔”から始まる。








これは”ナーランダの月”だったと思う。


たしか、この場面だったと思う。玄奘三蔵法師のお姿が。


このお姿は、今になって思うと、平山画伯のお姿でもあったのだろう。ちなみに、この大作は、経費は一切頂かず、お寺に寄進されたそうである。

また、来年にでも、平山画伯の”大唐西域壁画”をじっくりと観てみたいと思っている。
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