気ままに

大船での気ままな生活日誌

撮影所があった時代の大船

2006-10-08 21:46:36 | Weblog
先日のブログ記事「古い地図は面白い」で、昭和34年当時の明細地図の紹介をしました。その中で、大船撮影所がまだまだ力をもち、まるで大船城下町のお城のような存在であることがわかりました。しかし、撮影所を支える、当時の俳優さんの住宅や、俳優さんが利用した食堂の場所は、あの地図だけでは十分、分かりませんでした。

ただ、現在も同じ場所で営業している、レストラン「ミカサ」と「浅野蕎麦」、それに、現在はなく、跡地がマンションになっている「松尾食堂」、この三つは、その34年の地図に載っていました。

しかし、よく話題にのぼる「月ヶ瀬」はこの地図には出ていませんでした。月ヶ瀬の娘さんの益子さんが、佐田啓二さんと結婚されたので有名なのです。お二人の子供さんは、去年の大河ドラマ「義経」で頼朝役を演じた中井貴一さんと彼のお姉さん、中井貴恵さんです。小津組(安二郎監督)の行きつけのお店でもあり、監督は、気だての良い益子さんをかわいがっていたようです。

この月ヶ瀬の場所が、意外なところで分かりました。近くの女子大の展示室をみせてもらう機会があり、そこに大船の古老に聞いてつくったという、昭和30年代の大船東地区の絵地図がありました。そこに、私が知りたかった食堂や俳優さんの住宅の場所が、示されていたのです。たまたまノートをもっていましたので、全部書き写してきました。一気に懸案が解決しました。

月ヶ瀬はミカサの隣(写真)で、松竹通りに面していました。角地で郵便局通り(松竹離山通り)にも面しています。ただ、34年の明細地図では、そこは「鉢の木」(あの店でしょうか?)となっていましたから、それ以前に閉店したようです。32年に一人娘の益子さんが佐田啓二さんと結婚されていますので、その頃、閉店したのかもしれません。郵便局通りが当時の撮影所関係の食堂街で、撮影所側には、グールメ、松竹ホール(両方とも現在はありません)、浅野蕎麦が、反対側に松尾食堂があります。

渥美清さんがよく通った、現在もある「でぶそば」は今と違う位置(ヨーカドーの駐車場の辺り)にありました。お店の人気メニュー、半チャーハン・半ラーメンセットは、渥美さんの発案だそうですよ。私も食べましたが、寅さんの好まれそうな庶民的な味でした。店内に寅さんの写真入りの、渥美さんの色紙が飾ってあります。当時のご主人が大きな方だったので「でぶそば」と言われたそうです。

ミカサは、現在も、俳優さんがよく利用したレストランとして、テレビや雑誌に時々紹介されています。チャーハンの間にカツと千切りキャベツをサンドしたカツメシもこの時代からの人気メニューです。私も何度か頂いています。

松尾食堂のお嬢さん、山本若菜さんがお店をやめられてから、「松竹大船撮影所前 松尾食堂」という本を書いています。撮影所の人々の食堂を巡る、いろいろのエピソードが紹介されていて、面白いですよ。当時の松竹男優三羽烏の寸評が面白いです。上原謙さんは紳士で、野菜炒め、鮭茶漬けが好き;佐野周二さんは洒脱で、とんかつ定食と卵のみそ汁が好き;佐分利信さんはむっつり屋だったが、ラブシーンは得意。また、高峰三枝子さんは肉ものが好き、高杉早苗さんはトンカツ党、田中絹代さんは肉類がだめ、ただ鶏肉だけは食べた、等々です。まだ、いっぱい興味深いことが載っていますよ。

俳優さんの住宅は2軒ありました。砂押川沿いの方で、桑野通子さん(桑野みゆきさんのお母さん)と、「傷だらけの人生」の鶴田浩二さんのお宅です。大スターも大船に住んでいたのですね。大幹部、田中絹代さんは、鎌倉山にお住まいでしたが(現在の山椒洞です)、大船では、好養旅館の傍に、専有の休憩所を持っていたようです。

撮影所のあった時代の大船を思い浮かべながら、歩くのも面白いですよ。ただ、気をつけて歩いてくださいね。先日も、鶴田浩二さんのお宅のあった場所で、・・・何から何まで 真暗闇よ すじの通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見て 莫迦(バカ)と阿呆の からみあい どこに男の 夢がある・・・ と気持ちよさそうに小声で口ずさんでいましたら、若者の運転するオートバイにぶつかりそうになりました。











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