まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

石垣島トライアスロン

2009年05月01日 | めそめそ
 4月26日の日曜日、この1年、私が大きな目標にしていた「石垣島トライアロン」が開催されました。4時間18分もかかってしまいましが、無事、完走しました 残念ながら、この日は雲が低くたれ込めた曇り空。南の島にしては気温も20度に達しない寒い日でしたが、強い陽射しによる疲労の心配がなかったのは、じつは幸いだったのだと思います。

 大会が迫るにつれて、私にしてはめずらしく緊張感が増していき・・・石垣入りしたレース前々日の金曜日ともなると、心臓が口から出てしまいそうになるほど緊張していました。
 24日の金曜日、トランスオーシャン航空の午後の石垣への直行便は、ほとんどがトライアスロンに関係する人らしく、「南の島への観光客」とはかなり風貌も雰囲気も違います。すでに、羽田を出発する時点で、トライアスロン大会は始まっているような気がしました。
 午後5時半、宿泊先のホテルに到着。とにかく驚いたことは、空港からホテルまでの道で、信じられないくらい大勢の「自転車の人」を見たことでした。
 皆ロードレーサー型の自転車にバイクヘルメット姿。当然ですが、沖縄スピード?!の車(沖縄の人達は、みなさん、スピードを出さず、ゆーっくり安全運転です)とあまり違わないスピードで、走っています。そうです、すでに石垣入りしたトライアスロン大会に参加する選手達が、自分のバイクで練習をしているのです。
 そして、ホテルに到着したら、またまたびっくり どうもそのホテルは、大会の午後に開催されるトライアスロンのワールドカップ石垣大会に出場する選手達の窓口になっているらしく、ロビーは外国人選手がうじょうじょ。中には、「JAPAN」の大きなロゴの入ったジャージを着ている選手もいて、私の緊張はまたまた高まりました
 翌日は、チームの人達と一緒に、自分の自転車に乗って近くの体育館に受付に行き、その後は説明会に出たり、バスでバイクコースの下見に行ったり(なにせ40キロあるわけですから、ゆっくりバスを走らせて、コースの注意などを受けながら乗っていると、かなり時間がかかりました)、スイムの場所で試泳をしたり・・・あっという間に夜になってしまいました。

 さあ、いよいよ大会当日です
今年のエントリー者数、1908名。そのうち、300名ほどはリレーでのエントリーです(3人ひと組で、各自がスイム、バイク、ランの選手として出場します)。2000名近い参加数は、国内でも大きな規模のトライアスロン大会です。また、島民のボランティアも約500名。石垣市の中心部はスタート前の早朝から、すでに大いに盛り上がっていました
 午前6時半。トランジションエリアはすでに人でいっぱいです。このトランジションエリアには、選手以外は入れない決まりになっています。選手達は、各種目が終わるたびにこのエリアに戻り、次の種目に向けて準備をします。ズラリと並んだ長ーい鉄棒状のバーに、小さいシールで選手のゼッケンナンバーが貼ってあり、そこが各選手の陣地?!になっています。バーに自転車のサドルを引っかけ、前輪の前に、競技に必要なすべてのものを起いていきます。
 たとえば・・・
スイムが終わり海からあがると、このトランジションエリアに向けて走り、走りながらウエットスーツを脱いでいきます。脱いだスーツを自分の陣地に起き、次のバイクに向けて支度をします。
 ただ、1秒のタイムを競うような選手達は、いかに次の種目へスムーズに移るか?も課題であり、エリート選手達は、ウエットスーツも着ずにスイムを行い、膝下までのワンピース状の水着で全種目を行いますから、このトランジションエリアでの時間は極めて短いわけです
 エリート選手でなくても、レースに慣れている選手達は、時間のロスを最短にするために、各自工夫をしています スタート前、そんな選手達の「工夫」を見るのもとても興味深いものでした

 ちなみに私の場合は・・・トランシションエリアに戻った時には、あんなにスタート前にはズラリと並んでいた自転車もまばら。なぜかって?そりゃあ、ほとんどの選手が、もうとっくにそのエリアで支度をし終え、バイクに出発してしまっていたからです
 私はウエットスーツを脱ぎ(コーチやお仲間達に教えていただいた通り、海から上がったとたんにウエットスーツを脱ぎ始め、トランジションエリアに着いた時には腰までウエットスーツを脱いでいました。この格好だけは一人前なのですが)、水着兼ランニングパンツの上にバイク用のお尻にクッションのあるパンツをはき、バイクシャツを着て、靴下をはき、バイクシューズを履いて、ヘルメットをかぶります。さあ、出発
 ・・・といきたいところですが、初めてのことで緊張感は解けず・・・これから40キロの自転車を考えると、やっぱりお手洗いに行っておきたい、と思い、すでに出発できる格好をしてから、おもむろにトランジションエリアの仮設トイレへかけていきました
 たぶん、この間、10分以上・・・でも、タイムのロスなどを考えるには百年早い 完走が目標の私にとっては、とにかく、万全の体制で各種目に臨まないとリタイアという状況を招いてしまう・・・そうなったら元も子もない・・・その思いでいっぱいでした

 さあ、やっとお手洗いを済ませて、自分の陣地に戻り(じつは、バイクシューズ。ちょうど足の土踏まずと指の間あたりに、自転車のペダルに装着するための金具がついているために、そのままで歩くとカチャカチャ鳴り、また滑りやすく、とっても歩きにくいのです。これを履いたままでお手洗いに行き、陣地まで走って戻るのも一苦労でした)、バーにかけた自転車を下ろして、乗車エリアというところまで、自転車を押して走ります

 お恥ずかしながら、正直に申しあげると、スイムが終わった時点で、私はすでに泣きそうでした 全く思うように泳げなかった後悔。これは経験不足だからではなく、明らかに「練習不足」によるものです そして、どんなに教えていただいても、イメージしていても、実際にトランジションエリアでの支度は、イメージ通りにはいきません。
 支度をしながら「ああ、私はまだこれから40キロもバイクをこいで、その後、またここに戻ってランの支度をして、それからまだ10キロも走るのか・・・」と思うと、気が遠くなる思いでした。緊張を解いてしまうと、すぐに気持ちが折れそうに思いました
 
 それでも何とか気丈に次のバイクへの支度ができて、気持ちが萎えてしまわなかったのは、がらーんとしてしまったその広いトランジッションエリアの外から目一杯フェンスに寄りかかり(そうです、そのトランジションえエリアには、選手しか入れないですから)・・・
 「まどかさーん、ナイススイムでした!よくがんばりました すごいすごい!落ち着いて支度しましょう。慌てることはありませんよ。自分のペースで、楽しんでバイク、行ってきてください!!いいですよー!!」
 と叫び、笑顔で励ましてくださるコーチの声があったからです。
私は、まさにその声に支えられて、気持ちを立て直し、泣き笑いでガッツポーズをして、バイクをスタートさせました

 驚いたのは、沿道の声援でした。ズラリと並んだ島の人達。小さな太鼓を叩いたり、缶を叩いたりしながら応援してくれます。
 「がんばれー!ちばりよー!」
気の遠くなるような40キロの道のりを乗り切れたのは、間違いなく、あの島の人達の声援のおかげでした
 
 バイクも遅い私は、どんどんと追い抜かされます けれど、コーチが言われたようにマイペース、マイペース。あんなに上手く泳げなかったスイムでも、何とか時間内に終えることが出来てタイムアップにならなかったのだから、その幸運に感謝し、しっかりとこいでランに繋げなくては
 島の人達の声援は、市街地を離れても途絶えませんでした。各家々の前には必ず人がいて、声をかけてくれます。
 13キロを過ぎ、バイクのコースがアップダウンの多いサトウキビ畑の中になっても、いろんなところに人々がいて、大きな声で「がんばれー!」の声。そして拍手
 おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、おにいさん、おねえさん、小学生、中学生、高校生、そして小さな子ども達まで・・・

 この日は風が強く、海岸線を走っている時にはかなりの向かい風 さすがに曇天でも、左に見える竹富島と海はきれいでしたが、「ああ、きれいだあ」と感動する余裕はありません 海岸線を離れ、島の内陸部に入ってからの15キロから23キロあたりまでは、今度は左からの横風を受けてハンドルがとられ、車体が揺れます。私のように遅い選手は、自転車競技とはいえ、選手達がお団子になって進むような状態はなく、常に「一人旅」です。ひたすらハンドルをしっかりと握り、風で煽られないように注意をして、こいで・・・こいで・・・

 前夜、夢にまで出てきた直角に曲がる3カ所のカーブも何とか無事にこなし、サトウキビ畑を越えて市街地に戻ってきました。
 数年前、新石垣空港建設のための予定地になり、サンゴ保護のための大きな反対活動で有名になった「白保
しらほ)」の町です。ここで30キロ地点。残り、あと10キロ。さすがに足は疲れていて、緩やかな傾斜も足にこたえます すでに首や肩はカチカチ。平坦なところで安定してこげる時に、肩を上げ下げしたり、首を左右に曲げてリラックスしようと試みますが、なかなか上手くはいきません。すでに、お尻の感覚もなくなっていました
 
 残り2キロの表示を見た時には、本当にうれしかったですねえ 
私にとって一番心配だった自転車を終えられることは、奇跡のように思えました。町の公園の時計を見ると、すでに11時。
 8時のスタートから、もう3時間が経過しています。必死に自転車をこぐ私の右横では、どんどんランのコースを走り始めている人達が見えました。(実際、この時間には、すでに私の夫は10キロのランも追え、2時間48分のタイムで無事にゴールをしていたのでした)

 やっとトランジションエリア手前の降車地点で自転車を降りた時、やっと緊張が解けた気がしました あとは10キロのランを残すだけ・・・バイクを無事に終えられたことは、本当にうれしかった
 自転車を押して自分のナンバーが付いたバーのところまで戻り、自転車を引っかけ、ヘルメットを脱ぎ、バイクパンツを脱いで、シューズをランシューズに履き替え、出発
 「もういくしかない やるしかない あとは必死に走って、完走するのみ 走れ!行け
 自分を奮い立たせました

 バイクの最後1キロで、とても疲労していることを自覚していた私は、トランジションエリアでパワーバーというゼリー状の栄養補給食品を食べるつもりが、今度は、意気込みが空回りして、それを忘れてしまい、そのままで走り出していました 体力の消耗と喉の渇きが心配でした 何とか、スタートから500メーター地点のエイドステーションまでがんばって走り、そこで水をもらわなければ・・・
 
 ところが・・・なぜか足が思うように動きません 気持ちばかりが先に先に進んでいるのに、ちっともいつものランの時のようには足が動かないのです。疲労や喉の渇きが原因だとは思えませんでした。40キロのバイク中、ずっと「こぐ」動作をしていた足の筋肉が、ランの動きにまだ慣れず、ついていかないのです
 その時、右側の沿道からコーチの声がかかりました
 「まどかさーん!バイク完走、すごいですよー よくがんばりましたね!今は走りづらいでしょうけど、大丈夫ですよ!あと1キロほど走れば、いつもの走りに戻りますよ!心配しないで その調子!」
 また100メーターほど行くと、別のコーチが・・・
 「さあ、まどかさん、がんばれ まどかさんの得意のランですよ 自信を持って行きましょう
 正確、かつ適切なアドバイス。ピンポイントの励まし。そして何より、技術やテクニックを教えるだけではなく、教える相手に対する大きな愛情を実感できるタイムリーで最大の効果のある励まし・・・感動でした

 エイドステーションでは、ボランティアの人達が手に手にお水やスポーツドリンクの紙コップを持って立っていてくれます。私はその一つをもらい、じゃーじゃーとこぼしながらもしっかりと水分補給をし、そのエイドステーションの最後の一人が紙皿に入れていた「小さく砕いた黒糖」を口に含みました。
 「さあ、最後のランです この黒糖食べたら、絶対元気でるさあ。がんばれー
 
 本当にそうだったんですよ  黒糖の甘さがパッと口に広がり、すぐに元気になった気がしました
 2キロを過ぎたあたりのエイドステーションでもお水をもらい、小さなバナナを食べて・・・3キロあたりから、やっと走っているという感覚が戻ってきました。いつもよりずっとずっと遅いペースながら、やっと自分の走りができるようになった、そう思いました
 
 あとは、もう、前に・・・前に・・・です
5キロを過ぎると、自分でも「完走できる」という確信が湧いてきて、吹き出してきた汗をぬぐうため、ちいさな子ども達が競って差し出すスポンジをもらったり、少年野球帰りの子ども達のハイタッチを受けたり・・・身体は疲れてはいるものの、沿道の声援すべてに笑顔で応え、一生懸命に走りました
 7キロから残り3キロはもう直線です。3時間ほど前に、私はこの道を、走りきれるかどうか不安になりながらバイクをこいだ道です。今度はその道を、完走できる確信を持って進みます。

 9キロのところで、右側の沿道から夫が叫びました。
 「まどか!完走できるぞ!がんばった!あともうちょっと!」
 トランジションエリアの中からも声がかかりました。
 「まどかさーーん!!がんばれー!!」
沿道からのガンバレの声、拍手、少し離れた沿道を伴走する夫・・・フィニッシュ地点はすぐ右手に見えているものの、実際にはかなり迂回して入っていきます。この1キロはじつに長い・・・
 道をぐるっとまわり、やっとフィニッシュゲートまで直線になりました。そこに現れたのがトライアスロンボーイズのチームキャプテン 大会役員に「いいでしょ?!ゴールまで一緒に走っても!」と声をかけ、私の右を走り始めました。夫は私の左を走ります
 二人の「がんばれ!がんばれ!」の声・・・
私は、本当に最後の力を振り絞り、ラストスパートをかけました。まさに歯を食いしばり、必死に・・・必死に走りました エイサーの太鼓。拍手・・・

 ゴールした瞬間、私は号泣
4時間18分・・・何という長い時間だったことでしょう。チームのキャプテンは2時間46分、夫は2時間48分・・・私は、すっかりみなさんをお待たせし・・・でも、念願のゴールを切ることができました
 ボランティアの高校生がタオルを差し出してくれて、そして、完走のメダルをかけてくれました
 チームメイトのUさん(私立女子校の校長先生)、Sさん(華道家)、キャプテン、夫・・・みなと抱き合って、ワーワー泣きました

 がんばることは・・・大変なことです。やっぱり、簡単なことではありません。
私がゴールしてまもなく、タイムリミットが来て、大会は終了しました。交通規制を解くために、コース内に置かれていたカラーコーンが次々に撤去されていきました。
 要するに、私は本当に幸運にも、時間ぎりぎりでゴールしたのでした。もちろん、完走を果たした!ということで感激し、いつまでも涙を流していた私は、全くそんなことは知りませんでしたし、スイムやバイク、ランの途中で何らかのアクシデントがあったり、タイムアップになったり・・・という理由で、275名もの選手がリタイアしていたことを知るのも、横浜に戻ってからのことです
 
 沿道からのあたたかい声援 コーチ達の真心のこもった的確なアドバイス チームメイトの支え 2000キロ離れた東京から送られてくるエール そして一粒の黒砂糖・・・
 どれ一つが欠けても、私の完走はありませんでした。

 石垣島トライアスロンで完走をする この1年の目標は達成できました 
 さあ、次はもうちょっぴりハードルを上げて、私に何を課しましょうか?

コメント (1)
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