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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

無神経は悪ですよ・・・ね!

2006年04月22日 | う゛う゛ー
 先日、引っ越し騒ぎの間をぬって、疲れを癒しに「いまどき流行の都心スパ」に行ってきました その時のこと・・・
 脱衣のロッカースペースで、若い女の子達が話をしていました まさに裸のつきあいをする親しさ、なのでしょうね。大学生に見えるそのお嬢さん達は、一度入浴をした後、涼みに出て来て、そこで話していたようでした

 「ねえねえ、この横のはなーに?なんでこんなに大きく切った跡が残ってんの?
 「ああ、そこは2度目の手術の時に切ったところなの
 「ふーん、そうなんだあ じゃあ、その横の小さな傷は?」
 「ああ、そこね、そこは、3度目に切って、肋骨をけずったあとよ。」
 「へえー びっくりだねえ かなり驚きの、すごい傷だよね、驚いちゃった
 「うん・・・」

 ちょうど背骨の上あたりに、大きな傷のあるお嬢さんは、健気に応えていましたが、そばでたまたまその会話を耳にした私は、怒髪天をつき、そのくだらない、心ない質問をしたほうのお嬢さんの頭の中を、見てみたい気がしました
 確かに、手術跡のあるお嬢さんは、普通の声のトーンで応えていましたが、やはりそれでも言葉には堅さもあり、表情はだんだんとこわばっていきました。

 私はときどき、人は、悪意がなければ、けっこう許される・・・そんな甘やかしの中で生きているように思います。しかし、本当に、悪意がなければ何でも良いのでしょうか?
 
 さっきのお嬢さん、ひとしきり質問攻めにした後は、もう「聞き終えた」の気分だったのか、晴れ晴れとスパのほうに消えました

 「無神経な人」って、いますよね
無神経な人は、ときどき、お腹にものがない、裏表がない、そんな表現をされて、平然と生きています 
 そして、本人は、いたって明るく、屈託なく、元気に育っているものです

 でも、もしあなたが「無神経」だ、と人から指摘を受けることがあったなら、きっとあなたのお子さんも、十中八九、そういう無神経な部分を受け継いでいる・・・と言えるでしょう

 無神経さは、決して明るさでも、屈託のなさでもない ただの、繊細さの欠落、相手の反応や表情を素早く読むことのできない欠点なんだと思うのですが・・・
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戦いごっことヒーローもの

2006年04月20日 | にこにこ
 クラスが始まる前、ちょっと目を離すと男の子達は、おおはしゃぎでやっています
「とわー」 「エイ」 「とーーーーー

 どうでしょうか?みなさんのお子さん達は、「戦いごっこ」、好きではありませんか?
 我が家の息子が幼い頃から、日曜日の朝には、必ずテレビではヒーローものがありました 今でもそうですよね。
 そしてたいてい、子供達はその番組が終わった後には、すっかり目つきまで「戦士」になって、パパやお兄ちゃんに戦いを挑んでいったりしていませんか?

 私は昔、わざわざ後楽園まで、○○レンジャーのショーも見に行きましたし、サンシャインにウルトラマンフェアのようなものにも行きましたねえ
 ステージの上のお兄さんに、「誰か宇宙から来た悪者と戦ってくれる子はいないかな?」とたずねられたとたん、4歳の息子は「ハイハイ」と手をあげ、舞台の上で、バルタン星人と戦ったこともありました

 そうなんですねえ
優しい良い子に育って欲しいというママの思いとは裏腹に、特に男の子は、2,3歳になると、極々自然にヒーローものが好きになり、好んで戦いごっこをするようになります
 繊細な?神経質な?ママは、すっかりその我が子の様子に心を痛め、突然、「我が子はつまらないテレビ番組のせいで、すっかり野蛮で粗野な子供になってしまった

 でもね、きっと人間は、猿人だった頃から、二人集まれば、「他より勝ろうとする」生き物であり、当然、「強いものが生き残る」という自然の摂理に叶った動物だったのだと思います
 しかし、さまざまな経験を積み、多くの人の中で生活し、多種多様なことを学んでいくうちに、本能の部分がむき出しになることのない、「現代人」に成長していくのだと、私は思っています

 戦いごっこで、相手にケガをさせてしまうような、程度の理解できない子供には、もちろん、しっかりと教えるべきこと、守らせるべきことはありますが、それが「遊びの範疇」であれば、「おー、そうかそうか あなたも強くて逞しい人に育つんだよ」と、見守ってあげませんか?


 
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老舗のA社に、心から感謝

2006年04月19日 | にこにこ
 心のこもったサービス・・・さまざまな業種で、宣伝、広告に使われる言葉です
 しかし、実際に、本当にサービスの受け手が、「あー、心のこもったサービスだった」と実感出来るものは、ほんの一握り、ほんのわずかのものではないでしょうか?
 これは、サービスを提供する業種の常套句であり、それほどに意味のないもの・・・案外、私達はそう思い、サービスの質や、内容は、「価格や時間」など、実質的にメリットのあるもの、として認識し、「心」とは切り離して考えている、というのが現実でしょう

 私のブログの中でも、再三登場した「大阪に住む、私の両親の引っ越し」ですが、去る4月16日、やっと、無事に完了いたしました
 現在は、大阪市内の中心部にあるマンションで、新しい生活を始めています ありがたい厳重なセキュリティーなればこそ、ですが、家にたどりつくまでに何重にもあるチェックは、それに完全に慣れるまでは、住人の生活の大きなストレスになるかもしれません

 さて。
この引っ越し。母の他っての希望で、引っ越し業界の老舗、大手のA社にお願いをしました 
 このA社は、引っ越しを運送業から切り離し、日本で初めて引っ越しというものを「サービス業」として捉え、昭和51年に創業。画期的な発想の転換で大成功を修めた会社です

 確かに、どんな業種であっても、大手、老舗、というのは、安心の大きなポイントであって、私も母の意見に異論はありませんでした 
 しかし、正直なことを言えば、よほどのところでない限り、コメディータッチのCM、動物や虫の引っ越し業、どこに頼んだって、「梱包して、引っ越し荷物を運んでもらって、新居に荷物を入れてもらう」というだけの行為。だからこそ、それほどの差はあるのか?そう思っていました
 他にはないサービスを心がけているというA社ではあっても、それほどの違いが、他社との間にあるとは思えず、A社のあの大きくロゴの書かれたトラック、目につくアニメのキャラクター・・・その程度にしか考えてはいませんでした

 それにしても・・・
引っ越しとは、本当に心身ともに、体力のいる仕事です 梱包の部分を、引っ越しのプロである業者の専門家にすべてお願いしたとしても、それの荷ほどきをし、然るべきところに収め、もとの平穏な生活に戻れるようにするまでには、気の遠くなるような時間を要します・・・

 そんな思いの中、私達は、今回の引っ越しに関わってくれたA社スタッフの全員の笑顔と、微に入り細に入り、行き届いた心遣いに、本当に支えられました
 たぶん、大手で老舗のA社です。本当に膨大な量のマニュアルがり、細部にわたって、きちんとした対応は決められているのだと思います
 しかし、「ハンバーガーください!」「ハンバーガーとご一緒に、ポテトもいかがですかあ?」というような種類のマニュアル的なセリフではなく、今回A社のみなさんが対応してくださったものには、すべて「心」が存在していると、ひしひしと感じました
 どんな対応に感激したか、どんなことがあったのかと、一つ一つご紹介したいとも思いますが、それではまるで「A社の社外宣伝部長」みたいになってしまうので、詳細はあえてお知らせがしませんが・・・
 
 引っ越し翌日、収納のお手伝いに来てくださっていたエプロンサービスの方々が帰られたあと、しみじみと感じたこと
 それは、最後はやっぱりお一人お一人の「ひとがら」かな、ということでしょうね


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もっと「食」を大事にしませんか?

2006年04月15日 | にこにこ
 
 デパートでの買い物を終えて、目の前にある電車の駅に急いでいました
 正面玄関を出ようとした時、その入り口の横のベンチや椅子が置いてある休憩スペースで、小学校1年生くらいの女の子が、大きなおにぎりをほうばっていました 
 アレレ、よほとお腹がすいて、パパやママに内緒で食べてる??
まあ、年齢を考えれば、そんなわけはないのですが、でも、やっぱりパッと目にした時には、そんな気がしました 
 何と言ってもデパートの正面玄関です。多くの人が出入りし、当然、その休憩スペースは人の目に触れる、目立つところですから

 まあ・・・最近では、在来線の電車の中で、平気でパンやおにぎりなどを食べ、ペットボトルのお茶を飲み、効率的に時間節約をして、食事を移動しながら済ませる新時代の若者はいますが・・・
 やっぱり、現代の若者文化の洗礼を受ける前の小さい頃は、両親やまわりの大人から、道徳的な社会でのマナーやルールを教えてもらい、それを実践編として生活の中で身に付けるなければならない、と私は思っています

 ところが・・・
ふっと彼女の横に目を転じると、何と、彼女のご両親と思しき人達が座り、ご自分達も、何かを摘んで食べていらっしゃる
 Oh,No こりゃダメだあ 

 この女の子のおにぎりほおばり事件は、両親公認だった、ってことですよね

 「食」と言えば、実際に「食べる物」にこだわる場合もありますね
食材にこだわったり、お料理方法に凝ったり、工夫をこらしたり。
 また、「食」を一つの文化として捉え、味や素材、調理方法だけではなく、その食から派生する「食べ方」、「食べるための器」「目にも楽しませる食事」等、直接は味や素材には関係のない分野での「食」もあります。

 そして、その後者からは、その人の生活や人柄までも感じてしまうものです

こういうことが、お腹をいっぱいにさせる、食欲を満たす、というだけの動物的感覚の「エサ」的な要素で終わらせるか?、「食文化」として、豊かな心持ちでの生活に反映するか?ここが大きな分かれ目、ここが大きな差の出るところであり、親の思いによって、左右されるところでしょう
 要するに、子供が成長し、自分で意識を持って取り組む時期までは、後者の「食文化」は、まさに親や家庭、そのものが見えてしまう、反映される、と言っても過言ではないのです

 「食」には、深い意味があります
だからこそ、親自身がそういう認識を持ち、我が子と一緒に「食」を学び、「食」を尊び、「食」を楽しむ気持ちが必要でしょう

 時間のない時には、まったく自分では調理してない電子レンジでチンチンの食事でも、レトルトの食事でも、デパ地下オンパレードの食事でも、いいのだと思っています
 ただ、その食事を「どこで」「どんなふうに」してするのか?で、そこから出発していくさまざまなものが、大きく違ってくるのだとおもいます
 
 静かにさせるためのエサ、、言うことを聞かせるためのエサ、お腹をいっぱいにさせるためのエサ、栄養補給のためのエサ・・・自分では意識していなくても、もし、家庭での食事が、こういう要素を含んでしまうのは、とっても悲しいですよね
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献血への思い

2006年04月14日 | にこにこ
 先日、横浜駅西口で献血をしました。
ちょっと私の中にこだわりがあって、謙虚に、心静かに、何か少しでも良いことが出来れば・・・という気持ちになった時、献血をします

 私の献血デビューは、大学1年に進学した春でした
父のライオンズクラブが、駅前に献血車を呼ぶというアクティビティーをした時、「おまえもやってみなさい!」と言われ、興味本位で出かけたのが最初でした
 それ以来、48歳の年になるまで、54回の献血をしています さすがに、献血手帳を見せると、血液センターの受付の方も毎回「むっ??」と手帳を見直されますが、別に「趣味」ではないのですよ
 ただ、私には「献血」には思いがあるのです・・・

 母は、私を産む時に大層な難産でした まだまだ助産院の多かった時代に、母は大阪の大学病院でお産をしたのですが、分娩室に入ってまもなく父がドクターから呼ばれ、母子ともに命の危険を告げられた、ということでした。
 
 母への輸血のため、当時は病院の地下にあった血液センターに、父自ら500cc3本の血液を取りに行ったのだそうです。
 私が大学に入学してすぐに、父は初めて、私にその時のことを、静かに話してくれたのですが、分娩室の前で、ドクターの指示通りに取ってきた3本の血液の瓶が、手がちぎれるほど冷たかった感覚と、その時にぼんやりと眺めた通天閣の光を、今でもしっかりと覚えているよ・・・父はそう語りました。

 その話を聞いて以来、私には、その時の父の姿が、一つのイメージとなって心に刻まれました。もちろん、その時点では、私はまだ、この世に存在していません。
 しかし、私のイメージの中の「父の手の中の瓶」・・・

 病気や事故で、今のこの瞬間も血液を必要としている人がいるでしょうね
私はそれ以来、「献血」には特別の思い入れが出来たのだと思っています
 
 そうそう 私が献血をした時のこと。
見た目の雰囲気だけでいえば、ド派手!な今時のおねえさんが二人、献血車に入ってきました
 初めての献血なのだそうです
二人とも、何をされても大騒ぎ けれど、何とも憎めないおねえさん達なんですね
 そのうちの一人が、採血をされながら、担当してくれた看護士さんに「うちのお母さんね、若い時に大手術して、たくさん輸血をしてもらったんだってさ」と一生懸命に話しています。
 
 「あー、この子も、何かを感じて、ここに来たんだなあ・・・」そう思いました
 
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