27年前の今日は早起きでした
何日も前から母はてんてこまい。晴れ着の支度、美容院の手配・・・写真だけは、父の友人の写真館で悠々終了していました
当時私は、大阪の郊外の「M 郡 S 町」に住んでいましたので、晴れ着に身を包んだ私が勇んで出かけた先は「町民センター」でした(そこがO 市になるのは、それから5年以上あとのことです)
大阪市の私立校に通っていた私は地元に友人もなく、ただただ「二十歳になった記念の式典」にはきちんと出席したい、という生真面目な思いと、1回でも多く、振り袖に手を通したい、という思いからの成人式出席でした
お恥ずかしながら、生真面目と言っておきながら、町長さんが何をお話になったか、式典はどんな催しだったかは、とんと覚えてはいません それにたまたまその日は、私が国際キャンプで知り合ったデンマーク人の友人のお父さんが仕事で日本訪問中で、式典のあとは車をとばして京都に行くことになっていたので、お笑い芸人さんがやってきたアトラクションは見ずに帰る予定になって・・・まさに「晴れ着のための式典参加」でした
帰宅した後、振り袖をパッパと脱ぎ、シャワーをして髪を洗い、ラフなスタイルに戻って、私はすぐに京都に向かいました たまたま数日前に降った雪がまだ残っていた金閣寺は、本当に美しかったですねえ
そんなことで、私の成人式の思い出は、母の忙しそうにしながらもうれしそうだった様子と、お顔をくしゃくしゃにして笑うAnne-Mitteのお父さんの笑顔と、美しい雪の金閣寺です
幸い当時は、父の関係で、外国人のお客様との華やかな席に頻繁に出席した私は、その振り袖以外にも、晴れ着を着る機会は多く、いまでもたくさんの写真が残っています。
着付けをしていただくたびに「なあお嬢ちゃん、この振り袖はな、あんたの娘さんも着はるんやでえ。せやさかい、しっかり女の子、産まんとあきまへんで!その頃はもう、私は「あの世でたのしー暮らす人」になってますやろけど、楽しみにしてますわ!それまでな、あんたのおかあちゃんに言うて、せいぜい上手に手入れしてもろて、着物は大事にしなはれや (ね、お嬢さん、この振り袖はね、あなたのお嬢さんもお召しになるのですよ。だから、しっかり女の子を産まないといけませんよ。その頃はもう、私は「あの世で楽しく暮らす人」になっていると思いますが、お母様にお願いして、せいぜい上手にお手入れし、着物は大切にしなさいよ!)」
そう話していた母の知人のおばあさん。
それのセリフを聞くたびに私は、このおばあちゃんったら、何年先の話をしているのだろうか、と母と一緒におかしがったものでしたが
あれから20数年。すっかりその時も近くに迫ってきています
私は生徒のご両親に、よく「今はアニメに首ったけのお子様達が、パパの身長を超えてしまったり、ママと兼用でお洋服を着る頃のこと、想像すらできませんでしょう?」とお話をします。
でもね、この今の一瞬一瞬が、「その日」に近づく時間なのです。
ギューっと帯を締められながら、「大丈夫でっか?」「はい、大丈夫!」と姿見の前でニマニマしていた私は、ついこの間の私のように思えます しかし、一生懸命に子供を育てている年月は、今となれば、本当に速く過ぎていった気がしてなりません。
今日、あちこちで見かける新成人達。それはまさしく、みなさんのお子さんの将来の姿です
何日も前から母はてんてこまい。晴れ着の支度、美容院の手配・・・写真だけは、父の友人の写真館で悠々終了していました
当時私は、大阪の郊外の「M 郡 S 町」に住んでいましたので、晴れ着に身を包んだ私が勇んで出かけた先は「町民センター」でした(そこがO 市になるのは、それから5年以上あとのことです)
大阪市の私立校に通っていた私は地元に友人もなく、ただただ「二十歳になった記念の式典」にはきちんと出席したい、という生真面目な思いと、1回でも多く、振り袖に手を通したい、という思いからの成人式出席でした
お恥ずかしながら、生真面目と言っておきながら、町長さんが何をお話になったか、式典はどんな催しだったかは、とんと覚えてはいません それにたまたまその日は、私が国際キャンプで知り合ったデンマーク人の友人のお父さんが仕事で日本訪問中で、式典のあとは車をとばして京都に行くことになっていたので、お笑い芸人さんがやってきたアトラクションは見ずに帰る予定になって・・・まさに「晴れ着のための式典参加」でした
帰宅した後、振り袖をパッパと脱ぎ、シャワーをして髪を洗い、ラフなスタイルに戻って、私はすぐに京都に向かいました たまたま数日前に降った雪がまだ残っていた金閣寺は、本当に美しかったですねえ
そんなことで、私の成人式の思い出は、母の忙しそうにしながらもうれしそうだった様子と、お顔をくしゃくしゃにして笑うAnne-Mitteのお父さんの笑顔と、美しい雪の金閣寺です
幸い当時は、父の関係で、外国人のお客様との華やかな席に頻繁に出席した私は、その振り袖以外にも、晴れ着を着る機会は多く、いまでもたくさんの写真が残っています。
着付けをしていただくたびに「なあお嬢ちゃん、この振り袖はな、あんたの娘さんも着はるんやでえ。せやさかい、しっかり女の子、産まんとあきまへんで!その頃はもう、私は「あの世でたのしー暮らす人」になってますやろけど、楽しみにしてますわ!それまでな、あんたのおかあちゃんに言うて、せいぜい上手に手入れしてもろて、着物は大事にしなはれや (ね、お嬢さん、この振り袖はね、あなたのお嬢さんもお召しになるのですよ。だから、しっかり女の子を産まないといけませんよ。その頃はもう、私は「あの世で楽しく暮らす人」になっていると思いますが、お母様にお願いして、せいぜい上手にお手入れし、着物は大切にしなさいよ!)」
そう話していた母の知人のおばあさん。
それのセリフを聞くたびに私は、このおばあちゃんったら、何年先の話をしているのだろうか、と母と一緒におかしがったものでしたが
あれから20数年。すっかりその時も近くに迫ってきています
私は生徒のご両親に、よく「今はアニメに首ったけのお子様達が、パパの身長を超えてしまったり、ママと兼用でお洋服を着る頃のこと、想像すらできませんでしょう?」とお話をします。
でもね、この今の一瞬一瞬が、「その日」に近づく時間なのです。
ギューっと帯を締められながら、「大丈夫でっか?」「はい、大丈夫!」と姿見の前でニマニマしていた私は、ついこの間の私のように思えます しかし、一生懸命に子供を育てている年月は、今となれば、本当に速く過ぎていった気がしてなりません。
今日、あちこちで見かける新成人達。それはまさしく、みなさんのお子さんの将来の姿です