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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

パラカップ 第2弾

2008年04月25日 | にこにこ
 パラカップ、第2段です
 私がランニングを始めたきっかけは、昨年の夏の夫の事故でした。これに関しては、昨年夏、7月、8月あたりのブログをご覧くださいね

 二人のわが子も成人し、また、夫婦二人の人生が始まりました
まさにその時期に、あの突然の事故が起きたのでした。私が伊江島の診療所に駆けつけた時の夫の顔は、死人のように白く、気胸のためにまともに呼吸も出来ず、足は全く動きませんでした そんな満身創痍の夫の、私を見た瞬間のひと言が「ごめんな」でした。
 私は、上手く言えませんが、本当に・・・ショックでした そして、その時に思ったのでした。
  もし、もう一度、主人が走れるようになったなら・・・これから先の人生、夫と「ランニング」という同じ趣味を持ち、人生を歩いていくように、今度は一緒に走り、そこに喜びを感じ、その喜びを分かち合って生きていこう、と
 幸い、肋骨や恥骨、骨盤骨折、気胸・・・と、重傷を負ったにも関わらず、奇跡的な回復力で、夫は事故後3ヶ月目から、以前と同じように走れるようになりました
 私のランニングは、10月のある日曜日、夫の事故後初めての皇居ランニングに同行した、その日から始まったのでした
 そして半年。日曜日のパラカップが、私の記念すべきレースデビューとなりました

 もちろん毎日ではありませんが、今では「走る」ということが私の生活の一部になり、楽しい時間になっています
 そういう「楽しい」という思いを持てるようになった大きな理由は、「辛い、苦しいランニング」ではなく、有酸素運動としてのランニングというものをきちんと教わり、着実に脚力と心肺機能を高めたからこそ、のことです
 いくら「夫とともに」と美しいことを考えても、それが苦しいだけの、辛い辛い趣味であれば、さすがに、こんなふうに続けることはできなかったでしょうね

 先週は、恒例の月一帰省をした時も、初めて、一人で大阪の中心部を走りました 水の都大阪を象徴するような、川沿いのコースを走り、八重桜のピンク色を堪能しました。
 自分の足で走っていると、車で通り過ぎるときには見えなかったものが、はっきりと目に入ってきます
 ゆっくりと、苦しくないペースで走っていると、いろいろなものが目新しいものとして、視界に飛びこんできます。
 走ること=苦しいこと、と思っていたときには、知ることの出来なかった素敵な世界観です

 しかし、今回のパラカップでは、こういう練習の時とは全く違う、別の「すばらしさ」を実感しました。
 スタート前から、レース前の熱気に包まれ、私自身も自分の中から沸々とわき起こるエネルギーを感じました。

 そして同時に、大変ありきたりな感想ですが・・・
声を嗄らして応援をしてくれるコース脇のボランティアの人達、ゼッケンに書かれたニックネームをいちいち確認し、名前を呼びながらハイタッチしてくれるボランティアの人達のおかげで、私は、練習の時よりも、かなり速いペースで走っている自分を認識していました。
 そして、応援してくださる方々に、後ろからぐんぐんと押されている気分がして、最後までそのハイペースのままでゴールできた・・・そう思っています
 私は、間違いなく、あの応援の方々に助けられ、支えられて走っていたのでした

 確かに、私自身もがんばって走っていました。レース、ということで、脳内にはアドレナリンがどんどんと放出され、興奮気味に走っていたでしょう けれど、決してそんな「自分の努力」だけで、あの力が続いたとは思えません。そして、気づいたのでした

 「レースでは、ランナー達はこうして、応援してくれる人達のパワーをもらいながら、最後まで一生懸命に走り、ゴールまでたどり着くのだなあ」と。

 私は走りながら、「人は、自分の努力もさることながら、こんなふうに、見ず知らずの人も含めた、さまざまな人達によって、直接的に、間接的に、いろいろなかたちで支えられ、毎日、生きているのだな・・・」と思いました
 何を大袈裟なあ。ちょっと走っただけで、何を大層なことを言っているのだ・・・と苦笑される方もおいでになるでしょうね
 けれど、私は大真面目ですよ。人は、辛い時や苦しい時だからこそ、とっても大事なこと、貴重なことに気づくものだと思います

 一生懸命に子どもを育てているみなさんの毎日の生活・・・
あなたを応援してくれているのは、あなたのご両親、あなたの夫や妻、だけでしょうか?
 殺伐としたこの世の中です。幼稚園や保育園、職場、さまざまなところで、心ない陰口をきく人はいますよね
 でも、そんな中でも、親、兄弟姉妹などの親族だけではなく、先輩、後輩、上司、部下、友達、そして見ず知らずの方の言動や行動から、勇気をもらったり、安心を感じたり、ほっとする瞬間を感じること・・・あるはずですよ

 あの日、コースの横から、ボランティアの人達が、声を嗄らして通り過ぎていく人の名前を呼び、励ましてくれました。
 スタート前に、ゼッケンに書き込んだ名前やニックネームを見て、声かけをしてくれているのです。
 「まどかさーん、ファイトーライスラン
 「まどか 行け行け!がんばれ
 「あと少し、がんばって
 見ず知らずの人です。一瞬通りすぎただけなので、もう顔も覚えていません
けれど、確かに、その時にはその人の一声で、力が湧き、再び力強く走れるようになりました。
 そして、もしかしたら・・・この日に励まされながら走ったランナー達が、じつは声援を送っていたボランティアの人達に、「何か」を与えたかも知れません
 
 この日の私は、スポーツによって、身をもって大事な真理を実感しました。
スポーツが、たんに「がんばる」とか「勝つ」いうことだけではなく、一人ひとりの中に、時には新しい「何か」を生んだり、貴重な「何か」に気づかせたり、かけがえのない「何か」を見つけるきっかけとなったり・・・と、本当に大きな意味を持っている素敵なアイテムなのだということも、再認識しました

 みなさんも、何か普段とは違う行動をしてみたら?
 ちょっとしたひと言をきっかけとして、何かアクションを起こしてみたら?
 鳥肌が立つような感動や発見があるかもしれませんね

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パラカップ、無事に終了!

2008年04月20日 | にこにこ
今日は、夕方になって晴れて青空も見えるようになりました でも、3時頃までは風が強く、曇天 雨が上がってくれただけでも感謝しないとな・・・と思いました
なぜかって?そうです、今日は、多摩川でのパラカップの日だったからです
午前8時すぎに東横線新丸子駅に到着。8時半から受け付け開始、ということで、そろそろ、駅前にはランナーと思しき人達が集まり始めていました
私は、今日がレースデビュー。本来なら、もっとドキドキするのでしょうが、今日はお教室の卒業生の方々にお声がけした結果、9組のご家族がエントリーしていらっしゃることもあり、気持ちは「まどか先生モード」で、個人的なレース前の緊張感はありませんでした
 そんな私の気分を察して、昨夜遅くに海外出張から帰ってきた主人も、「雨女の君なのに、今日はお天気で良かったね 風は強いけれど、カンカン照りで暑くて消耗するよりも良いよ」とにこにこ。少々時差ぼけが残って身体がだるいかな、と言いつつも、十分に睡眠を取り、エントリーしたハーフマラソンに向けて準備オッケー
 二人で受付を済ませ、河川敷に大きいレジャーシートを敷いて・・・さあ、準備万端!「チーム・マナーズ」のランナー達に、メール、メール

 9時あたりから、久しぶりにお目にかかるお子さん達が集合
 お返事も小さな声で、いつもうつむき加減だった子も、あっち向いてこっち向いたらいない!といういたずらっ子も、はにかみながらニコニコしていた子も・・・みんな、みんな大きくなりました
 パパやママに揃えてもらったランニングウエア。ゼッケンを胸と背中につけて・・・ちびっ子ランナーのできあがりです
 準備体操がわりの「簡単エアロビスク」が始まると、大会会場の河川敷は、いよいよ気分は一つに

 10キロのコースは、昨日までの雨でかなりぬかるみ、二子玉川へ向かう最初の5キロでは、かなり強い向かい風を受け、確かに走るにはベストコンディションではありません 
 けれど、コースの横で、声をかけてくれるたーくさんのボランティアの人達 がんばって!と出されるハイタッチ。元気が出ます
 私は主人と、今日と同じ多摩川のコースをよく走りますが、今日はいつもと同じコースとは思えませんでしたねえ・・・普段の日曜日とは違い、とても華やかで、その河川敷全体から大きなエネルギーが発散されているように感じました
 普段も、ここのコースは、川沿いには野球やサッカーのグラウンドがありますし、ミニゴルフコースなどもあって、決して静かなコースではないのですが、そういういつもの賑やかさとはまた違った、今日は走っているだけで、何かパワーをもらえそうな、そんな不思議な感じがしました

 日本では、昔から「晴れ」と「け」という考え方があります
「晴れ」は、晴れ着や晴れ舞台、という時の「晴れ」です。今では、生活の中で「け」という言葉を使うことはありませんが、もともと、「晴れ」は特別なこと、「け」とは、日常のこと、普通のこと、普段のこと、という意味で使われていた言葉であり、考え方です。
 まさに、今日の多摩川河川敷は、「晴れ」だったのだと思います

 とにかく。
子ども達はみな、よくがんばりました
今日、参加した卒業生は、中1を筆頭に、ついこの間、入学したばかりの1年生までの9名。ひとくちに10キロ、と言いますが、それは決して短い距離ではありません たとえば・・・

 ★ 横浜から、川崎まで   ・・・ 約10キロ。
 ★ 渋谷から、池袋駅まで  ・・・ 約9キロ。
 ★ 新宿から、吉祥寺まで  ・・・ 約11キロ。
 ★ 渋谷から、武蔵小杉まで ・・・ 約10キロ。

 この距離を果敢に進み、子ども達全員が、それぞれ笑顔でゴール、すべて完走しました
 誰一人として途中棄権することなく、時間がかかっても、ちゃんと、最後まで自力で前に、前に進み、しっかりとゴールをしました。その子ども達の笑顔は素敵でした

 これは、あるお母様からのメールです。
『私は、息子にタイムでは負けてしまいました。でも、それがなんだか嬉しかったりします。息子は主人といつもの如くハイスピードでスタートし、それこそ一キロ過ぎた地点で「もうだめ~もう死ぬ~」と言っていたそうです。私も、どうせ息子のことだから、歩き出すだろうし、そうしたら追いついてポカリでも飲ませながら励まして・・・なんて勝手に思っていたのに、何故か追いつけないのです。
 後で聞くと、歩いたりしていたらしいですが、ぶつぶつ文句を言うのはやめて、もくもくとゴールに向かって進んでいたらしいです。』

 そうなんですね・・・
私は今日、卒業生の子ども達の様子を見ていて、痛感しました
 親は、我が子に「これぞ」というチャンスを与えてやらなければいけないのだなあ・・・まさに「け」ではなく、「晴れ」のチャンスというものを
 継続は力なり。私の座右の銘です 四の五の文句や理屈をこねるのではなく、こつこつと地道に、黙々と続けること、これこそが人の力になる、と信じています 「静とも言うべき継続」いわば『け』の継続は、絶対に必要なものとしても、それとは違う次元で、やはり子ども達には「け」ばかりではなく、時には「どーんとした晴れ」を与えてやること これこそ、子どもの自らの成長につながるのだなあ、と実感したのでした
 今日の子ども達の完走・・・これは、本人達のがんばりと、まさに「晴れ」の効果だったのでしょうね

 さて、私達より15分遅れでスタートしたハーフマラソンの夫も、10キロランがゴールしてまもなくゴールに向かい走ってきました ラストの100メーター付近で、すでに10キロでゴールした子ども達、ママ達が一列に並んで「がんばって オジサン、がんばれ」と声をかけられ、主人は何ともうれしそうな表情でゴールに向かいました いつもの、私の野太い声の声援とは、全く違う、かなり強い、フレッシュなパワーをもらったでしょうね

 もう少しお天気が良かったら・・・風がなかったら良かったのに・・・コースがぬかるんでいなければ良かったな・・・「もうちょっと○○」と言ったらきりがありません。それに、走っている途中も、ゴールの後も、みんな一様に発した言葉「ああ、楽しかった!」は、天候やコースに左右されることのない、「人としての喜び」を感じられたのだと思いました

 コースの途中には、満開の菜の花。河岸のボタン桜・・・その中を走るのです
 そこにキラキラ太陽の光がなくても、十分に春を感じ、癒され、パワーをもらいました 
 走りながら、とても自分が「強く、優しく」なった、という気がしていました

 感じることは、もっともっとありましたが・・・今日はこのくらいにいたしましょう

 チーム・マナーズのみなさま、お疲れ様でした 
 そして、チーム・マナーズ予備軍のみなさま、お待ちしております
 私はこれからも、ご家庭とご一緒に、たーくさんのことを経験し、よく見える目、よく聞こえる耳、よく感じられる鼻をもっともっと使う、素敵なご家族を応援していきたいと思っています
 第2弾は、また近日中に。
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桜のライトアップ

2008年04月09日 | にこにこ
 我が家のベランダ前の桜の大木・・・以前から、何度もこのブログの中にも登場していますので、すでにご存知の方も多いことでしょう
 四季折々、この3本の桜の木は、毎日眺めて暮らす私達家族に、いろいろなことを語り、教えてくれます
 もちろん、満開の花の時期は、この世のものとは思えない雅な感動を。
 芽吹きの時期には、生命力の力強さを、真っ青な葉を茂らせ陽の光に輝く時期には、豊かな自然の営みを。
 葉っぱを落として北風に揺れる裸木の時期には、生きることの厳しさを・・・

 何も語らない木だからこそ、いろいろなことを感じます
その桜。毎年、蕾から開花していく期間を楽しみ、満開になると、少しでも長い時間、その桜を眺めていたいと窓の前に立って時間を過ごすのですが、今年はとうとう夫と二人、「何とか、夜もこのすばらしい眺めを、もっともっと感じていたい」と思い、何か良い「ライトアップの案はないか?」と思案しました
 そして、思いついたのが、私のパソコンデスクの横に置いてあるスタンドを、ベランダに持ち出す、というプランでした
 このスタンド。白熱灯が4個、縦に等間隔でポールに付いているタイプで、一つ一つのライトが、可動式になっています。要するに、外に持ち出して、その4つのライトを、ベランダの前の桜の木々のほうに向ければ、完璧に「ライトアップ用の電気」に変身させることができる!ということに気づいたわけです
 コンセントはベランダにはありませんが、夜桜を楽しむ短い時間だけですので、なるべく「細い」延長コードを見つければ、アルミサッシを閉めればすきま風が困るほど開かないでしょう。

 さあ、いよいよ実行 スイッチ、オン
ひゃー・・・ 満開の桜の大木3本が、転居後23年にして、見事にライトアップされました。
 まさに、夫と二人で言葉を失いました。みごと・・・この言葉に尽きました
 ただ、一日目は、セットの作業に時間が深夜だったために、すぐに消灯。ちなみにこの桜、マンションの中庭に立っていたりするのではなく、ほとんどマンションの他の住人の目にふれないところにあるため、こんな勝手なことをしても、問題になる、という危険性はなさそうです

 そして翌日。
私は帰宅後、玄関を入ると靴を脱ぐのももどかしいくらいの勢いでリビングに向かい、部屋の電気を付ける前にスタンドのスイッチを「オン」しました
 暗い部屋の外に、パッと広がるピンクの花々・・・その瞬間、どこからか「わーっ」という声が聞こえたような気がしました。しばらくすると、右隣のお家から、パッパッとフラッシュがたかれるのが見えました

 じつは、私が住むマンションはとても面白い構造をしていて、小高い山の頂上部分、そのなだらかな尾根の傾斜を利用して、細長く立つ3階建ての低層のマンションです
 そして、一つの階段は、向かい合わせの6件が使うことになっています。フラッシュがたかれた右隣のお家は、こういうマンションの構造上、我が家から言うと「裏のお家」にあたり、利用する階段が違うため、その裏の住人の方とお話しをする機会はあまりありませんでした
 けれど、住人の方は、ご年配の女性お二人(姉妹かな、と思っていました)で、たまに敷地内でお目にかかると、ちょっとした何気ないお話しをする方でしたが、相手の方は、私が「裏の家の住人」だということには気づかれていないのでは?と思っていました。

 そのライトアップは、先週末まで、1週間続けました
1週間の間に、息子、娘とそれぞれ1回ずつ、夕食を一緒にして、美しい桜を愛でましたが、あとはほとんど、夫と二人だけで夜桜を楽しみました。
 それに、帰宅の遅い夫ですから、一晩に長くて1時間くらいしか楽しめないのに対し、私はほぼ毎日、日没から深夜まで、無名の桜の名所で、お花見をしました。  時には一幸庵のお団子とお番茶で。
  時にはお気に入りのパンとチーズとワインで。
  時にはデパ地下の「お花見弁当」で。
  時には美味しい京都の漬け物とお茶漬けで。
(お気づきかと思いますが、この時期、わが子達が大学の新入生の勧誘で忙しく、ほとんど自宅で夕食をしないのを良いことに、私一人の夕食のために支度に長時間を費やすのももったいなく、少しでも長く桜の前に座っていられるよう、超手抜き夕食に徹しました

 そんな1週間の最後の土曜日の夜、夫とふたりで、やっぱり部屋の電気を暗くして、桜のライトアップをしていると、ピンポーンとインターフォンが鳴りました。
 画面を見ると、「裏の住人」の方が映っています。はーいとお声をかけて、玄関を開けると・・・

 「まあ、奥様でしたか (やっぱり、私が裏の住人だと、この方はご存知なかったようです) これ、ほんとにささやかでお恥ずかしいのですが、私から気持ちです この桜餅と草餅、とっても美味しいんですよ。新しくできた新横浜のTで見つけたんです。桜を眺めながら、ほんのお口汚しですけれど、召し上がってください 奥様、私ね、何とお礼を申しあげたら良いのか・・・ この1週間、本当に毎日、毎日、優雅な夜を過ごさせていただきました。ほんと、優雅な、豊かな時間でしたわ 最初の夜、パッと明かりがついたとたん、うちのリビングが、ピンク色に見えたんです 毎年、毎年、お昼間に桜を楽しんでましたけれど、夜になると、残念な思いで、心残りでカーテンを閉めてたんですよ。でも、今年は奥様のお宅のお陰で、本当にすばらし春を過ごさせていただきました。ありがとうございました

 翌日、その話を息子にもしたところ、「なんて素敵な話なんだろうねえ!今どき、なかなかないような良い話だねえ、よかったねえ!」と話し、頂戴した草餅を、おいしそうに食べていました

 ほんと、そうです すばらしい夜桜を愛でた、すてきな1週間に、おまけのようについてきた、やっぱり「素敵な豊かな話」でした。何だか今では、背中合わせのお家から、あたたかい温度が伝わってくるように思います

 自然を愛でる、感じる、心が豊かになる・・・そして、それを表現し、誰かと共有する、共感する・・・
 どんなに精密な図鑑からも、得ることのできない、桜の花が運んでくれたほのぼのとした「心」でした。
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ワクワクの体験を

2008年03月31日 | にこにこ
 昨日は、「ハッピーランニング」の日でした
ひょんなことから実現したこの企画。もとはと言えば、卒業生ママ達との食事会の折、私が以前は全く興味のなかったランニングを始めた、という話から、「私達も走ってみたい!」という話題で盛り上がった、というのがきっかけでした
 ダイエットの目的で走りたい、とか、健康維持のためにランニングに興味がある、とか、そういう確たる理由があるのではなく、その食事会でのランニング話は、もっともっと単純な、「私にもできるのならば・・・是非走ってみたい」という希望?興味?からの声だったように思います

 昨日は、みなとみらいに9時半に集合し、お茶を飲みながらの40分間のレクチャー
 有酸素運と無酸素運動との違いや、毛細血管の話、代謝の話や心拍数の話など、最後はウエアや靴の選び方まで、専門的な話をわかりやすく、お話しをしていただき、ママ達はまだまだ話し足りない!というところでしたが、とにかくまずは走ってみましょうということになり、いよいよ外に出て、準備体操とストレッチ
 この準備体操も、単に昔からの見慣れた準備体操、ストレッチをする、というのではなく、一つ一つの動きの意味や正しい方法まで、しっかりと教えていただきやっていきました。身体を動かせるたびに「なるほど・・・なるほど・・・」と頷くことばかり
 そして、ランニング開始
走り始めてからも、ずっとおしゃべりをしながら、花冷えの中を3キロほど走りました
 1キロを8分くらいかけて走る、というスピードでは、決してハーハー、ゼーゼーとはなりません。このスピードは、早足であるくのとあまり速さ的にはかわりはありません しかし、やっぱり「歩く」と「走る」は違うもの このランニングは、まさにコーチのおっしゃる「スマイルランニング(にこにこしながらでも走れる)」です。
 苦しさから眉間に皺が寄り、辛さから笑うこともできない・・・というような修業スタイルのランニングとは違い、いろんな話をしてはみなでバカ笑いをし、すれ違う人に???と見られる・・・とにかく、和やかなランニングです
 そんなふうに、みんなでワイワイと走っているうちに、さっきまで遠くに見えていた赤レンガ倉庫がどんどんと目の前に迫り、そして、後方に去っていく・・・
 こういうランニングを初めて経験されたママ達は、みなさん、「目からウロコが落ちる」状態でした

 特に日本人にとって、「辛いこと」は美徳です。
ある意味、運動はその代表格かもしれませんね。それこそ血のの汗を流すほどにがんばり、苦しみを乗り越えてこそ、幸せが見えるんだあのような・・・
 でも、学生時代のクラブ活動や、本格的な国体を目指すような選手でない限り、実際には「常に苦しい」という運動では長続きしませんし、とにかく楽しくありません
 ご指導いただいた松山アヤトコーチは、話し方こそソフトですが、実際には、ママ達の今までのスポーツ観を根底からくつがえし、地面をウロコだらけにすようなお話しで・・・ひと言ひと言は、ママ達を唸らせました

 約30分間の満開の桜を愛でながらのランニングは、ゴール時点でのコーチとのハイタッチで終了しました
 神様の思いやりのおかげで、ランニング後のストレッチを終えて、「また、一緒に走りましょう」という終了の言葉の後で、空からポツポツと雨が降り出しました

 「自分に無理しないでランニングができるんだ、と思えることが、うれしい発見でした」
 「なんとも心地よい足のだるさを感じております・・・。参加する前は、なんとも言えない緊張感がありましたが、走ってみた後の爽快感は・・・想像以上でした!!!話しながら、苦しくも無く、景色を楽しみながら走れて、本当に自分でも驚くほど辛くなく、まだまだ走れそう・・・という気持ちでした。」
 「もともと運動能力の高くない私は、大学生になって本格的にスポーツを始めた時、とにかく理論から入りました。ひとつひとつの技術を頭に入れてからカラダで表現していく。技術の成長とともに、自分自身も少しずつ成長していくようで、本当の意味で楽しんでいました。また、競技中のハプニングへの対応は、その後の仕事等さまざまな場面で生かされました。ですから今日の体験は、まさにツボに入りました。コーチに囲まれて、はじめてのランニング。未知の世界のドアがまた開けたようで、これからが楽しみです。帰宅してさっそく家族に報告。みんな「走れた?」「できたの?」・・・走る前の私と同じ意識なのですね・・・マラソンは大変とか、苦しいとか。「ぜんぜん辛くないの。おしゃべりしながら楽しかったよ」と言っても、ピンと来ないようでした。当然ですね。みんな自分自身で体験して、家族で世界をひろげていけたらと思います。」
 「自分が有酸素運動で20分も走れたこともびっくりでした。夫も、「あなたがそんなに走ったということで本当におどろいちゃった」と褒めてくれました。こどもの成長、そして自分の人生の進行。「体を動かしたことがないという人ほど、伸び代があるっていうことです!今から走ることはすばらしいことですよ!」とニコニコ励ましてくださったアヤト先生の言葉が嬉しかったです。自分の場合、「成長」というより「変化」、しかもネガティブな退化や停滞ばかり感じておりましたので、「伸び代」というのは心底有難いお言葉でした。」

 これらは、参加者であるお母様方からの感想の一部です。みなさんが一様に、「発見と達成感」について触れられいます。

 新しいことに気づく、知らなかったことを知る、このこと自体が、胸がワクワクするような「喜び」なんですね。こういう新鮮で勢いのある心の動きには、年齢は関係ありません
 そして、何かをやり遂げた時の感動、それも、こんなことは無理だろうという思いから諦めていたり、トライすらしようと思っていなかったことを成し遂げた時の驚愕と興奮・・・この達成感にも、年齢は関係ないのですねえ・・・

 人は、大人になってしまうと、なかなか新しいことには挑戦しなくなり、平穏な生活を望むようになります。守りに入る、とでも言うのでしょうか・・・
 しかし、本当は心のどこかで冒険や発見のワクワクを望みながらも、年齢や時間的な制約などを錦の御旗にして、決して新しい一歩を踏み出すことをしません
 その「新しいこと」が、とてつもなく大きな、家族を巻き込み、混乱に陥れるようなことであれば、その挑戦は控えなくてはいけないでしょう
 でもそれが、ちょっとした自分の勇気で一歩を踏み出すことができることであれば??
 新しい一歩がなければ、心地よい達成感を味わえる機会は激減するでしょうね

 今回は、たまたま「ランニング」という企画でしたが、実際には、自分の身のまわりにはたくさんの「興味あること、やってみたいこと」はあるはずです
 
 私は、昨日心地よい疲労と達成感で、興奮気味に帰宅されたお母様達が、子ども達にとっても、「とても輝く存在」であったことを知っています
 そして、お母様が輝いている、ということこそが、子どもにとっても大きな喜びなのですね
 子どもが幼稚園や保育園の帰り道、アリの行列を発見した時のワクワクと、お母様が新しい体験をし、次の機会を待ちこがれるワクワク・・・じつは、この2つの思いは、全く同じものなんですよね

 私は、大人になったからワクワクのチャンスが減った、と思われるのは、錯覚だと思っています。どんなに真面目に、重要なお仕事をされているお父様やお母様にも、日々の家事に一生懸命のお母様にも、手を伸ばせばいろいろなところに「ワクワク」はあるものです。
 発見と達成感・・・大人にも、絶対に必要ですね

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桜の観察

2008年03月24日 | にこにこ
 今日は朝から雨が降っています
東京や横浜では、22日の土曜日に桜の開花宣言がありました 東京の標準木と呼ばれるソメイヨシノは靖国神社に、横浜の標準木は元町公園にあるそうです。
 今朝のこの雨は夕方までには上がる、とのことですが、開花から2日、まさに「催花雨」となりそうですね。
 この「催花雨」という言葉。さいかう、と読むそうです。「花おこしの雨」とも読ませる時もあるとのこと。催促の催の字を、「菜」と置き換え「菜花雨」として、菜の花が咲く頃の雨、という説もあるのだそうです
 こうしていろいろな言葉を見直してみると、あらためて日本語の豊かさを実感すると同時に、いかに日本人は昔から、季節を肌で感じ、その四季の移ろいを言葉として楽しみ、暮らしていたか、が理解できます

 桜・・・本当に美しい花ですね
私は毎年、教室の在室生のご家庭に、「しっかりと桜を観察すること」という宿題を出しています。
 ぱーっと桜が咲いた時に、家族でお花見に出かけ、美しい満開の桜を愛で、季節を楽しむ、というだけではなく、裸だった桜の木々の蕾が膨らみ始め、あたたかさとともに一気に蕾が膨らみ、開花宣言とともにどんどんと咲いていく様を、時間を追って楽しんでいただきたい・・・という思いからです

 そして、咲いたら終わり・・・ではなく、咲き終わった後、風の日に花吹雪となり地面をピンクに染め、その後、春の陽射しに促されてどんどんと緑の葉っぱを茂らせていく様・・・圧巻です。
 裸の枝々から始まった「桜の木」の観察が、新緑の枝となって風に揺れるまでの約1ヶ月・・・毎日、親子で足を止め、桜の木を眺める時間は、決して「理科的観察」の時間ではなく、「かけがえのない季節を肌で感じる親子の時間」となるはずですからね

 先だって、ホームページの中に、新しい項目として、「卒業生のご家庭からの声」というものを作ろうと思い、原稿を書いていただきました。
 その中に、こういうお母様からの原稿がありました。

  『先生のアドバイスに従い、保育園への登園時に通る公園の桜並木から1本を『Wちゃんの桜』と決めました。
硬かった蕾が少しずつ膨らむ様子。夕方に見つけた少し開いた桜の花。そして徐々に満開へと向かい、ピンクに染める桜の樹。桜吹雪の中での帰宅。新緑の季節を迎える頃、その観察は終了します。
 しばらく変化の見られない桜の樹を、ちょっと困った様子で見上げてい息子の顔。ある朝、満開の桜の幹に嬉しそうに手を添えていた時の表情。そして、今日の桜報告を笑顔で聞いていた主人。
 小学校に入学し、あの『Wちゃんの桜』の公園を通ることもなくなりました。
それでも毎年のように「ママ、公園の桜はもう咲いてるかなあ?」と、ちょっぴり懐かしそうに話す息子の表情を見るたびに、あの頃を鮮明に思い出します。
時間に追われ通過するだけの公園でしたが、私たち家族にとって素敵な想い出の樹となり場所となりました。』

 私はこの原稿を読んだ時、本当にうれしくなりました
小学校受験の考査の中で「季節の理解」は大きなポイントとなります。以前、やはりブログの中で書いたと思いますが・・・
 考査の中でなぜ「季節」を扱うのか?という理由に、「四季のある国、日本に生まれ育ち、その季節の移ろいを暮らしの中で感じられる家族の時間は、その家庭の豊かさのバロメーターになる」と解説をしました
 しかし、実際には、たった5、6歳の子どもの記憶の中に残る「季節感」となると、非常に難しいものがあります
 私は経験上、気づいています。
本当に豊かな心で子育てをなさり、お父様もお母様も季節を愛でる上級者である家庭のお子さんでも、やはり物心付いてから、たった3,4回の季節の巡りでは、それを記憶として残すことは難しいものです。
 ましてや、食卓に季節感もなく、生活の中に季節の花やインテリア小物もない、というような心に潤いのない母親に育てられてしまったら・・・子どもの中に季節感などは芽生えもしません

 しかし、やっぱり小学校受験云々ではなく、親子で立ち止まり、季節の木々や花々を愛で、しばし観察する、という時間は、きっと人の心に平安を与えてくれるはずです
(まあ、中には、桜を観察してくださいね、とお願いすると、図鑑を片手に近所を歩き回り、桜の種類別に花びらのスケッチをさせてしまうような「ちょっと的はずれ」な親もたまにおいでになり、苦笑を禁じ得ませんが・・・

 お花の大好きな私ですが・・・
今年はちょっと「花より団子」の方向にも傾いています 最近、大ファンになった茗荷谷の「一幸庵」という和菓子屋さん。ここの麻布最中、餡入りのワラビ餅は絶品なのですが、桜が咲いている季節だけ、このお店のご主人は「お団子」を作られます。
 横浜から茗荷谷・・・かなり距離はあるのですが、生徒さんに教えていただいた「播磨坂」の夜桜でも夫と一緒に見に行きがてら、何とか、桜が咲いている間に、まだ未経験の「一幸庵のお団子」を食べたいものです

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