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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

神頼み・・・ではなく

2011年01月30日 | めそめそ

 今年も、2月1日がやってきます。2月1日、中学受験の入試の日、です
この春から社会人になる我が家の息子が、2月1日の日曜日に中学受験に臨んだのは、今から13年前のこと・・・それからの6年間、彼の中学高校在学中は、一月末に駅構内に張り出される日能研の「がんばれ中学受験生」のポスターを見るたび、夫も私も山ほどある受験準備中の思い出、受験当日のことを思い出し、決まって目頭を熱くしていました
 しかし、いよいよ大学受験を迎える、という頃からは、中学受験は「彼方のもの」となり泣き笑いをするような懐かしい思い出となっていったのでした。

 でも。
我が子がすっかり成人し、大学受験さえもはるか遠い昔の思い出になった今・・・この寒い時期、胸キュンで思い出されるものは大学受験ではなく、やはりまだまだ息子が幼かった「中学受験」のことなのですねえ。
 そして、真っ暗な寒空のもと、家路を急ぐ塾帰りの子ども達の姿についつい目がいき、心の中で祈ってしまいます
 
 「どうぞ、この子達をお守りください 一人一人の偏差値に違いはあっても、この子達は精一杯、いろんなことを後回しにし、たくさんのことを諦めて、目の前の中学受験に向かっているのですから」と。

 私は、仕事がら、「天満宮」は身近です 菅原道真公はきっと、私があちこちの天満宮に詣でるたびに・・・
 「ああ、横浜の南坊さんでしたか 今日は太宰府ですかあ?また今年は遠くまでお出かけくださったのですね。ようこそお詣りくださいました」などと、言ってくださるのではないか・・・としめっぽくなる気持ちを追い払うように、考えてしまいます
 もともと、大阪育ちの私は、神様も「○○さん」と親しみを込めて呼び、身近に感じる存在です。「えべっさん(恵比寿様)」「だいこくさん(大黒様)」「べんてんさん(弁財天様)」「おじぞーさん(地蔵尊)」そして「てんじんさん(天神様)」

 そんな私は、10月初旬、毎年、湯島や亀戸の天満宮、鎌倉の荏柄天神、等にお詣りに行き、教室の生徒達のために手を合わせ、絵馬を奉納してきます
 ついつい、少しでも高いところ(!?)に掛けたくて、151㎝の身長で必死に背伸びをします。それがどこの天満宮であっても、そこに奉納された絵馬の数たるや・・・すごいですよ・・・ご覧になったことはおありでしょうか?
 あまり人の書いたものを見てはいけない、と思いつつ、嫌でも目に入ってくる絵馬達・・・
そこには、受験生達、受験生の親たちの「悲痛な叫び」があります
 「○○大学、△△大学に合格できますように!」「☆☆高校に合格させてください!」などなど。
昨年あたりは「無事に就職先が決まりますように!」という新しい祈願もありました。
 それを書いた受験生達・・・死力を尽くした、最後の仕上げの「神頼み」ですね・・・

 あの絵馬を奉納した人達は、ご本殿に向かって、深々と頭をさげ、ある人はお賽銭を奮発して投げ込み、ある人は特別のご祈祷を受け・・・そして、ご本殿を離れたあとも、もしかしたら振り返り、もう一度、「どうぞ・・・」とお願いをした・・・

 これは、「お願い」です。どうぞ「合格させてください」というお願い・・・私も親として、我が子二人のために、何度「うちの子はがんばっていますどうぞ、合格させてやってください」と必死に手を合わせ、ある時にはたくさんの「願掛け」をして、お願いしてきたかしれません。
 そして毎年、毎年「私の生徒ちゃん達はがんばっていますっ お父様やお母様も、我が子のがんばりをずっとサポートしていらっしゃいます どうぞ、合格させてください」とお願いしてきました。
 苦しい時の神頼み・・・お願いする・・・頼む・・・

 でもね、一昨年、息子の病気を期に、私が手を合わせる時、心の中で「何か」が変わってきたことに、最近になって気づいています・・・

 今の私は、「どうぞ合格させてください!」と『お願い』をするのではなく、ひたすら、「祈る」ようになりました。
 上手に説明をすることはできないのですが、今までの「お願いすること」「頼むこと」と「祈り」とは、とても違うもののように思っています。

 明日、1月31日。きっと、2月1日に中学受験初日を迎えるご家庭では、さまざまな思いを持って過ごされることでしょう
 私も明日から、祈ります こうべを垂れ、ひたすら祈ります・・・
 どうぞ、無事に子ども達が受験を終えられますように。それぞれの子ども達、ご家庭のがんばりが実り、春から幸せな学校生活ややってきますように・・・と。



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受け止めるは・・・共有すること

2010年12月26日 | めそめそ
 先日、胃カメラの検査を受けました
以前、とんでもなく太ってしまった時、逆流性食道炎を患ったことがあったのですが、今回もほとんど同じ症状。きっと、秋から運動を止めている間に、かなりリバウンドしたこともあって、またきっと同じ状態になったのだろう、と素人判断をしていました。
 いつものホームドクターである友人の女医を訪ね「これこれ・・・しかじか・・・だから、あの時と同じお薬をちょうだーい」と話したところ、一笑に付され、「・・・だとしても、胃カメラの検査はしないとダメー」と言われてしまいました。まあ、当然と言えば当然ですね。
 
 胃カメラの検査が「好きだ」という人はいないとは思いますが・・・結構辛いんですよねえ、胃カメラって 今では、鼻から入れる胃カメラもあり、それであればチューブの外径が細いことと、異物を感知して、吐き気をもよおしてしまう箇所も通らなくてもよいので、かなり楽になった、と聞いていますが、残念ながら、彼女のクリニックでは、まだ口から入れていくタイプの胃カメラを使用。検査の日程が決まった時から、すでに気分はかなりブルーでした

 9時前に到着すると、すでに待合室は風邪らしき患者さん達で溢れていました。私の到着を見つけた馴染みの看護師さん達は、天井のほうを指さし「南坊さん、今日は胃カメラね。・・・ファイト」と片目をつぶり、ニッコリ。
 3階の検査室前は、1階からは想像できないくらいに静かで、あたたかい陽射しが差し込んでいました 看護師さんにで渡された、喉の奥のほうを麻痺させる、どろりとした液体を口に含み(実際には、口に含んでいるのではなく、飲むか、飲まないか、のまさに境目のあたりで留めて、5分も待つのです・・・)、天井のほうを向いてタメイキ・・・飲まないように我慢します すでに、この時点で、十分に気持ちはどん底でした。

 そして、いよいよ、検査が始まりました。
再度、喉の入り口あたりの感覚を麻痺させるスプレーをシューッ。
 「はーい、身体に力を入れず、楽にしてー。だら~んとしてくださーい。ちょっと辛いけれど、我慢しましょう すぐに終わりますからねえ・・・」
 と消化器科のドクター(友人の女医ではありません)は抑揚のない声で言われます。きっと、彼は一日に何回も、患者の顔を見ることもなく、この言葉を発するのでしょう
 「唾液を飲み込まないでくださーい。そうすると、むせてしまいますからね 看護師が用意しているトレイに、口の横からダラダラっと流し出してくださいね・・・」
 これも、かなり無理な注文です 人とはおかしなもので、日頃の習慣から、出てきた唾液は、そう簡単には口から外には出せないものなんですね。唾液は無意識のうちに飲み込むもの、と、52年間の生活の中で、脳も身体も記憶し、会得しているのですから・・・
 ああ、チューブが喉を通っていきます。
う゛――――・・・気持ちわるー・・・げげげーってなります。その辛いことったら、ないのです 1度そうなると、何回も何回もそうなってしまいます。
 ドクターの言われることを素直に聞こうとしているのですよ。身体の力を抜いて、ひたすらだら~んとして・・・でも、気持ち悪いのです・・・

 すると。
看護師さんが、私の背中を、優しく・・・優しく・・・大きく弧を描くように撫でてくれます 何度も、何度も、優しく、優しく・・・手から、あたたかいものが伝わってきます・・・
 「南坊さん、お辛いですねえ。ゆっくり・・・ゆっくり、大きく息を吸って・・・そうですよー・・・そして、ゆっくり吐きます・・・・ふー・・・・また、繰り返しましょうね・・・ 一番、辛い部分をチューブはもう通り過ぎましたからね・・・ああ、苦しいですねえ・・・・そう、ゆーっくり、大きく息を吸っていきましょう。そうですよー、そうですよ・・・
 そうおっしゃりながら、背中の手は、ずっとゆっくり動いていました。

 手当・・・手当とは、・・・よく言ったものです。
私はね、看護師さんの「がんばりましょう!」という激励の言葉でも、十分にがんばれたと思うのですよ、大人ですからね。
 でも、ガンバレではなく「ああ、お辛いですよねえ・・・」という最初の言葉から「私の辛さをわかってくれているんだ・・・わかってくれていて、その上で、優しく背中をさすり、励ましてくださっているんだなあ・・・」と、とてもあたたかい、安心感に満たされた思いになったのでした。そうですねえ・・・やはり、一番大きかったのは、「安心感」だったでしょうか そういう安心感があったからこそ、辛さもうーんと軽減されました。

 とかく大人は・・・頻繁に「がんばれ」と言います。
そう、人はみな、がんばらなければいけません。常に、前を向き、ちょっとやそっとではへこたれない強い心を持ち、がんばらなければなりませんね
 でもね、得てして、それが子どもであったとしても、人は、「今は、がんばるべき時」「今、僕は(私は)がんばらないといけない!」という時には、そのことは重々わかっているものです
 しかし、それでも尚、不安になったり、緊張したり、へこたれてしまいそうになっているのです・・・私の胃カメラの時がそうであったように・・・
 大きな病気であったら大変!
 検査はしなければならない!
 そんなに時間のかかるものではない!
 ずっと辛いわけではない!etc.etc. 
そんなことは、十分に理解し、納得もしているのです
 でも、やっぱり苦しくて、辛い・・・そう感じるのです。こればかりは「しかたがない!」と言いたいです・・・

 そんな状況下で、あの時、私の背中をさすりながら、「辛いですね。もうまもなく終わりますよ」と、きちんと説明をしながら、優しく「手当」をし、言葉をかけてくださった看護師さん・・・あの、大きな安心感こそが「心」であり、親として、子どもに与えてあげるべきもの・・・心からそう思いました

 むかーし。我が家でも、こんなことがありました。
息子が大学受験の時。彼は、かなりの遠回りをしました。人間関係で心が折れ、何も手につかず、自分の心をコントロールするのがむずかしかった時、父子でこんな会話がありました。
 「今、おまえは何をすべき時か、馬鹿じゃないんだから、十分にわかってるだろう 高校を出る、大学へ進学する意志があるなら、当然のこととして受験勉強をする!そんなこと、誰だってわかる それなのに、どうして、そんな簡単なことができないんだ
 そう怒鳴る父親に、息子は本当に悲しい顔をして答えました。
 「お父さん、僕も、十分にわかってます。当然、そうすべきです。僕だって、そうしたいと思います。でも、なぜか、どうしてもそれができない・・・ どうしてなのか、僕にもわからず、僕もそれが辛くて、悲しくてなりません・・・
 あの時、ひと言、「ああ、そうなんだね・・・君も十分にわかりながら、そうできないのか・・・そうなんだね・・・そうだったんだね・・・」と受け止めてやったら、どれだけ彼はあたたかい気持ちになれたでしょう。その上で、話し合っていく、良いアドバイスを模索する・・・そうしたほうが、効果的でもあったでしょう。

 娘と私の間にも、そんなことがあったのです。
生まれた瞬間から「笑顔」だったでろう私・・・私は、むしろあまり「怖い顔」ができません かなり辛い時、苦しい時でも、名前を呼ばれて返事をする時には「笑顔」になってしまう・・・それが私です。
 そんな私の娘なのに(と当時は思っていました)、なかなか笑顔にならない中学生頃の娘に・・・
 「あなたは愛想が悪い・・・どうして、いつもそんな無愛想な顔になってしまうの?人と会った時には、笑顔ですよ おばあちゃまがいつもおっしゃっているでしょう?女の子は、笑顔千両だ・・・ってね
 すると、娘はこう言いました。
 「ママ、私は、一生懸命に笑おうとしているの・・・でも、なかなか、笑えないの 笑顔になろうと思えば思うほど顔が引きつり、上手く笑えない・・・自分でも、どうして笑顔になれないのかって、悲しくなる・・・ママの笑顔、本当にいいと思う・・・私もそうなりたいのよ!でも、そうなれない・・・
 理不尽な私は、「じゃあ、努力しなさいね」と、ピシッと言いはなったものでした。
 何て残酷なことを言ったのでしょうね・・・鬼親です・・・
 もし、あの時、娘に「そうなのね、あなたは、十分に笑顔を作ろうとしてるのよね。大丈夫、大丈夫 そう思っているだけで、きっと自然に笑顔は生まれてくるものよ」そう言ってやったら、きっと娘は、打ちのめされることなく、ほっとして、あたたかい思いで癒されたでしょう・・・
 私は図らずも、たくさん娘を傷つけてきたことに、一生かけても償えない、大きな十字架を感じています

 まずは「受け止める
これは本当に大切なことだ、と思っています 受け止めるのは、許すことでも、受け入れてしまうこともありません。
「受け止める」ということは、一旦、その子、その人の苦しさ、辛さを「共有してあげる」ということです。
 
 ガンバレということは、とても簡単です。
でも、単にガンバレ!ということは、辛さも苦しさも共有することなく、辛く苦しい思いをしている相手を、突き放すことでもあるのです

 ああ、胃カメラ・・・辛かったです。
看護師さん・・・本当に本当にありがとうございました おかげで、以前より、辛さはぐんと軽減されました!看護師さんの手は、魔法の手のようにあたたかく、大丈夫・・・大丈夫・・・という呪文のようでした
 でも、次回は是非、鼻からの胃カメラで検査をしたいものです

 2010年も、あと数日。
今年も、「ママ達のおやつ」をお読みくださり、本当にありがとうございました
ほんの少しでも、このブログの中に「気づき」や「癒し」を感じていただけたらなら・・・こんなにうれしいことはありません。
 どうぞ、良いお年をお迎えくださいね

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真心は見えます・・・

2010年01月28日 | めそめそ
 11月も半ばを迎えた頃、私は教室の卒業生のご家庭に、とんでもなく重い荷物を突然、どーんと投げてました
 「私の息子が入院した・・・大きな心臓の手術をする・・・どうぞ手術が成功するように、一緒に祈ってほしい」と・・・
 
 あの時の私は、突然知らされた息子の重病に驚き、死の危険などという、テレビのドキュメンタリーの中でしか聞いたことのないような言葉の前に、ただただ呆然としていました。ショックを受けて落ち込む、というよりも、そのとんでもない現実の前に恐れおののき「いったい、どうなってるんだあーーー これは何なんだ」と、叫びだしたい気分だった・・・今ふりかえって、そう思います

 また、ちょうどその入院と病気を知った時期は、11月1日から始まった東京校の入試の時期と重なったため、私はよけいに平常心を保たなければ!という思いが強く、一種の躁状態に陥っていたのでした。
 毎年、私は10月に入ると、自分自身のことや自分の家庭に目を向けるよりも、考査に臨むご家庭に心を寄り添わせていたい! 何よりもそれを一番に考えたい!と思う時期であり、よりによって、こんな1年で一番大事な時期に、愛する我が子の病気が発覚するなんて・・・そんな複雑な思いもありました
 今になって思えば、その躁状態、一種の奇妙な興奮があったからこそ、私は泣き暮らすこともなく、息子の病気や手術のこと、考査のこと、すべてを冷静に見据えることができたのでしょう

 「息子のために、みなさんも祈っていただけませんか」私が投げた重い重い話・・・たぶん、受け取った側のほとんどの方が「いったい、こんなとんでもないことを知らされても・・・どうすればいいのか」と途方にくれてしまわれたでしょう。
 ところが
私がメールを送信したほんのわずか5分後から、私のパソコンにはひっきりなしにメールが返ってきました そして、その返信は、何日も何日も続きました・・・

 突然、私が不躾に投げた重い荷物は、私の悲痛な叫びを芯からあたため、癒してくれる真綿のようにフワフワの、大きな大きな「心」となって返ってきたのでした
 
 私は、一つ一つメールを開くたびに、そこに並んだ数々の言葉に心打たれ、癒され・・・嗚咽が止まりませんでした。
 なぜなら、それらのメールは、決して単なるいたわりや、なぐさめ、励ましの「言葉の羅列」ではなく、まさにその人、一人一人の心・・・「真心」がストレートに伝わってくるものだったからなのです
 
 私はその時、心の底から感じました。真実の人の心は、確かに「見える」確かに「感じる」のだということを・・・

 私達はよく「心のこもった・・・」とか「心を込めて・・・」という言葉を使います。たとえば、心のこもった贈り物、や、心を込めて話す、とか・・・でもね、私は今回のことで、あらためてしみじみと感じたものです。
 「心」というものは、意識して「込めよう」と思っても、実際に込められるものではない・・・「心」というものは、そこにその人の真実の思いがあれば、無意識のうちに「こもるもの」「こもってしまうもの」だ、ということを実感しました

 それが「ありがとう」という言葉であれば、その「ありがとう」という言葉を発した人(その言葉を書いた人)に心の底からの感謝の思い・・・ありがたいなあ、うれしいなあ、という真の思いがあったなら、その「ありがとう」の言葉を聞いた人、読んだ人に必ずその人の感謝の思いは伝わり、感じられる
 それが「贈り物」であれば、その品を贈る人の「このお品を受け取っていただきたい・・・喜んでいただきたい・・・」という真心がそこにあったなら、受け取った人に必ずその温かい思い、心は伝わり、感じられる

 息子は無事に手術を終え、退院いたしました。
手術を終えてからの1ヶ月半の間も、「先生のところの坊ちゃんはどうなさっているだろう?」「もう痛くなければいいなあ・・・」「早く元気になって欲しい!」そんなふうにみなさまが思ってくださった「お心」は確かに息子の病室に届き、大きな力になりました

  心とはどんなものなのか?
  真心とは?
  言葉とは?

 今回の息子の手術、息子の入院は、私にとってその真実を知る確かな機会になった・・・そう思っています

 尊いエールを送ってくださった多くのみなさま、本当にありがとうございました 
 たくさんの祈り、お言葉、心のこもった千羽鶴・・・息子はお一人お一人にお礼を申しあげることはできませんが、助けていただいた命を大切にして、一生懸命に生きています
 入院中はパジャマ姿でベッドに横たわることなく、ICUでの5日間を除いてはずっとジーンズ姿で通しました。幸い、院内着の指定のない病院でしたので、そういうことも可能だったわけです。さぞかし窮屈だろうとも思いましたが、もともと、変人?個性的?な部類に入る息子ですので、それも「あり」かな、と見ておりました
 自分の病状、自分の病気を正確に把握、理解し、前向きに受け止めながらも、患者、病人としてではなく、一人の人間として入院生活を送ることが、みなさまからの尊いお心に応える意思表示だったそうです
 昨日から、大学にも復帰しました 

 『ただただ生きながらえることではなく、自分に課せられた制限を守りつつ、確かに生きていくこと、を考えたい
 息子が語ったこの決意をお伝えし、みなさまの「真心」に、私は母親として、そしてまどか先生として、深く深く感謝いたします
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石垣島トライアスロン

2009年05月01日 | めそめそ
 4月26日の日曜日、この1年、私が大きな目標にしていた「石垣島トライアロン」が開催されました。4時間18分もかかってしまいましが、無事、完走しました 残念ながら、この日は雲が低くたれ込めた曇り空。南の島にしては気温も20度に達しない寒い日でしたが、強い陽射しによる疲労の心配がなかったのは、じつは幸いだったのだと思います。

 大会が迫るにつれて、私にしてはめずらしく緊張感が増していき・・・石垣入りしたレース前々日の金曜日ともなると、心臓が口から出てしまいそうになるほど緊張していました。
 24日の金曜日、トランスオーシャン航空の午後の石垣への直行便は、ほとんどがトライアスロンに関係する人らしく、「南の島への観光客」とはかなり風貌も雰囲気も違います。すでに、羽田を出発する時点で、トライアスロン大会は始まっているような気がしました。
 午後5時半、宿泊先のホテルに到着。とにかく驚いたことは、空港からホテルまでの道で、信じられないくらい大勢の「自転車の人」を見たことでした。
 皆ロードレーサー型の自転車にバイクヘルメット姿。当然ですが、沖縄スピード?!の車(沖縄の人達は、みなさん、スピードを出さず、ゆーっくり安全運転です)とあまり違わないスピードで、走っています。そうです、すでに石垣入りしたトライアスロン大会に参加する選手達が、自分のバイクで練習をしているのです。
 そして、ホテルに到着したら、またまたびっくり どうもそのホテルは、大会の午後に開催されるトライアスロンのワールドカップ石垣大会に出場する選手達の窓口になっているらしく、ロビーは外国人選手がうじょうじょ。中には、「JAPAN」の大きなロゴの入ったジャージを着ている選手もいて、私の緊張はまたまた高まりました
 翌日は、チームの人達と一緒に、自分の自転車に乗って近くの体育館に受付に行き、その後は説明会に出たり、バスでバイクコースの下見に行ったり(なにせ40キロあるわけですから、ゆっくりバスを走らせて、コースの注意などを受けながら乗っていると、かなり時間がかかりました)、スイムの場所で試泳をしたり・・・あっという間に夜になってしまいました。

 さあ、いよいよ大会当日です
今年のエントリー者数、1908名。そのうち、300名ほどはリレーでのエントリーです(3人ひと組で、各自がスイム、バイク、ランの選手として出場します)。2000名近い参加数は、国内でも大きな規模のトライアスロン大会です。また、島民のボランティアも約500名。石垣市の中心部はスタート前の早朝から、すでに大いに盛り上がっていました
 午前6時半。トランジションエリアはすでに人でいっぱいです。このトランジションエリアには、選手以外は入れない決まりになっています。選手達は、各種目が終わるたびにこのエリアに戻り、次の種目に向けて準備をします。ズラリと並んだ長ーい鉄棒状のバーに、小さいシールで選手のゼッケンナンバーが貼ってあり、そこが各選手の陣地?!になっています。バーに自転車のサドルを引っかけ、前輪の前に、競技に必要なすべてのものを起いていきます。
 たとえば・・・
スイムが終わり海からあがると、このトランジションエリアに向けて走り、走りながらウエットスーツを脱いでいきます。脱いだスーツを自分の陣地に起き、次のバイクに向けて支度をします。
 ただ、1秒のタイムを競うような選手達は、いかに次の種目へスムーズに移るか?も課題であり、エリート選手達は、ウエットスーツも着ずにスイムを行い、膝下までのワンピース状の水着で全種目を行いますから、このトランジションエリアでの時間は極めて短いわけです
 エリート選手でなくても、レースに慣れている選手達は、時間のロスを最短にするために、各自工夫をしています スタート前、そんな選手達の「工夫」を見るのもとても興味深いものでした

 ちなみに私の場合は・・・トランシションエリアに戻った時には、あんなにスタート前にはズラリと並んでいた自転車もまばら。なぜかって?そりゃあ、ほとんどの選手が、もうとっくにそのエリアで支度をし終え、バイクに出発してしまっていたからです
 私はウエットスーツを脱ぎ(コーチやお仲間達に教えていただいた通り、海から上がったとたんにウエットスーツを脱ぎ始め、トランジションエリアに着いた時には腰までウエットスーツを脱いでいました。この格好だけは一人前なのですが)、水着兼ランニングパンツの上にバイク用のお尻にクッションのあるパンツをはき、バイクシャツを着て、靴下をはき、バイクシューズを履いて、ヘルメットをかぶります。さあ、出発
 ・・・といきたいところですが、初めてのことで緊張感は解けず・・・これから40キロの自転車を考えると、やっぱりお手洗いに行っておきたい、と思い、すでに出発できる格好をしてから、おもむろにトランジションエリアの仮設トイレへかけていきました
 たぶん、この間、10分以上・・・でも、タイムのロスなどを考えるには百年早い 完走が目標の私にとっては、とにかく、万全の体制で各種目に臨まないとリタイアという状況を招いてしまう・・・そうなったら元も子もない・・・その思いでいっぱいでした

 さあ、やっとお手洗いを済ませて、自分の陣地に戻り(じつは、バイクシューズ。ちょうど足の土踏まずと指の間あたりに、自転車のペダルに装着するための金具がついているために、そのままで歩くとカチャカチャ鳴り、また滑りやすく、とっても歩きにくいのです。これを履いたままでお手洗いに行き、陣地まで走って戻るのも一苦労でした)、バーにかけた自転車を下ろして、乗車エリアというところまで、自転車を押して走ります

 お恥ずかしながら、正直に申しあげると、スイムが終わった時点で、私はすでに泣きそうでした 全く思うように泳げなかった後悔。これは経験不足だからではなく、明らかに「練習不足」によるものです そして、どんなに教えていただいても、イメージしていても、実際にトランジションエリアでの支度は、イメージ通りにはいきません。
 支度をしながら「ああ、私はまだこれから40キロもバイクをこいで、その後、またここに戻ってランの支度をして、それからまだ10キロも走るのか・・・」と思うと、気が遠くなる思いでした。緊張を解いてしまうと、すぐに気持ちが折れそうに思いました
 
 それでも何とか気丈に次のバイクへの支度ができて、気持ちが萎えてしまわなかったのは、がらーんとしてしまったその広いトランジッションエリアの外から目一杯フェンスに寄りかかり(そうです、そのトランジションえエリアには、選手しか入れないですから)・・・
 「まどかさーん、ナイススイムでした!よくがんばりました すごいすごい!落ち着いて支度しましょう。慌てることはありませんよ。自分のペースで、楽しんでバイク、行ってきてください!!いいですよー!!」
 と叫び、笑顔で励ましてくださるコーチの声があったからです。
私は、まさにその声に支えられて、気持ちを立て直し、泣き笑いでガッツポーズをして、バイクをスタートさせました

 驚いたのは、沿道の声援でした。ズラリと並んだ島の人達。小さな太鼓を叩いたり、缶を叩いたりしながら応援してくれます。
 「がんばれー!ちばりよー!」
気の遠くなるような40キロの道のりを乗り切れたのは、間違いなく、あの島の人達の声援のおかげでした
 
 バイクも遅い私は、どんどんと追い抜かされます けれど、コーチが言われたようにマイペース、マイペース。あんなに上手く泳げなかったスイムでも、何とか時間内に終えることが出来てタイムアップにならなかったのだから、その幸運に感謝し、しっかりとこいでランに繋げなくては
 島の人達の声援は、市街地を離れても途絶えませんでした。各家々の前には必ず人がいて、声をかけてくれます。
 13キロを過ぎ、バイクのコースがアップダウンの多いサトウキビ畑の中になっても、いろんなところに人々がいて、大きな声で「がんばれー!」の声。そして拍手
 おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、おにいさん、おねえさん、小学生、中学生、高校生、そして小さな子ども達まで・・・

 この日は風が強く、海岸線を走っている時にはかなりの向かい風 さすがに曇天でも、左に見える竹富島と海はきれいでしたが、「ああ、きれいだあ」と感動する余裕はありません 海岸線を離れ、島の内陸部に入ってからの15キロから23キロあたりまでは、今度は左からの横風を受けてハンドルがとられ、車体が揺れます。私のように遅い選手は、自転車競技とはいえ、選手達がお団子になって進むような状態はなく、常に「一人旅」です。ひたすらハンドルをしっかりと握り、風で煽られないように注意をして、こいで・・・こいで・・・

 前夜、夢にまで出てきた直角に曲がる3カ所のカーブも何とか無事にこなし、サトウキビ畑を越えて市街地に戻ってきました。
 数年前、新石垣空港建設のための予定地になり、サンゴ保護のための大きな反対活動で有名になった「白保
しらほ)」の町です。ここで30キロ地点。残り、あと10キロ。さすがに足は疲れていて、緩やかな傾斜も足にこたえます すでに首や肩はカチカチ。平坦なところで安定してこげる時に、肩を上げ下げしたり、首を左右に曲げてリラックスしようと試みますが、なかなか上手くはいきません。すでに、お尻の感覚もなくなっていました
 
 残り2キロの表示を見た時には、本当にうれしかったですねえ 
私にとって一番心配だった自転車を終えられることは、奇跡のように思えました。町の公園の時計を見ると、すでに11時。
 8時のスタートから、もう3時間が経過しています。必死に自転車をこぐ私の右横では、どんどんランのコースを走り始めている人達が見えました。(実際、この時間には、すでに私の夫は10キロのランも追え、2時間48分のタイムで無事にゴールをしていたのでした)

 やっとトランジションエリア手前の降車地点で自転車を降りた時、やっと緊張が解けた気がしました あとは10キロのランを残すだけ・・・バイクを無事に終えられたことは、本当にうれしかった
 自転車を押して自分のナンバーが付いたバーのところまで戻り、自転車を引っかけ、ヘルメットを脱ぎ、バイクパンツを脱いで、シューズをランシューズに履き替え、出発
 「もういくしかない やるしかない あとは必死に走って、完走するのみ 走れ!行け
 自分を奮い立たせました

 バイクの最後1キロで、とても疲労していることを自覚していた私は、トランジションエリアでパワーバーというゼリー状の栄養補給食品を食べるつもりが、今度は、意気込みが空回りして、それを忘れてしまい、そのままで走り出していました 体力の消耗と喉の渇きが心配でした 何とか、スタートから500メーター地点のエイドステーションまでがんばって走り、そこで水をもらわなければ・・・
 
 ところが・・・なぜか足が思うように動きません 気持ちばかりが先に先に進んでいるのに、ちっともいつものランの時のようには足が動かないのです。疲労や喉の渇きが原因だとは思えませんでした。40キロのバイク中、ずっと「こぐ」動作をしていた足の筋肉が、ランの動きにまだ慣れず、ついていかないのです
 その時、右側の沿道からコーチの声がかかりました
 「まどかさーん!バイク完走、すごいですよー よくがんばりましたね!今は走りづらいでしょうけど、大丈夫ですよ!あと1キロほど走れば、いつもの走りに戻りますよ!心配しないで その調子!」
 また100メーターほど行くと、別のコーチが・・・
 「さあ、まどかさん、がんばれ まどかさんの得意のランですよ 自信を持って行きましょう
 正確、かつ適切なアドバイス。ピンポイントの励まし。そして何より、技術やテクニックを教えるだけではなく、教える相手に対する大きな愛情を実感できるタイムリーで最大の効果のある励まし・・・感動でした

 エイドステーションでは、ボランティアの人達が手に手にお水やスポーツドリンクの紙コップを持って立っていてくれます。私はその一つをもらい、じゃーじゃーとこぼしながらもしっかりと水分補給をし、そのエイドステーションの最後の一人が紙皿に入れていた「小さく砕いた黒糖」を口に含みました。
 「さあ、最後のランです この黒糖食べたら、絶対元気でるさあ。がんばれー
 
 本当にそうだったんですよ  黒糖の甘さがパッと口に広がり、すぐに元気になった気がしました
 2キロを過ぎたあたりのエイドステーションでもお水をもらい、小さなバナナを食べて・・・3キロあたりから、やっと走っているという感覚が戻ってきました。いつもよりずっとずっと遅いペースながら、やっと自分の走りができるようになった、そう思いました
 
 あとは、もう、前に・・・前に・・・です
5キロを過ぎると、自分でも「完走できる」という確信が湧いてきて、吹き出してきた汗をぬぐうため、ちいさな子ども達が競って差し出すスポンジをもらったり、少年野球帰りの子ども達のハイタッチを受けたり・・・身体は疲れてはいるものの、沿道の声援すべてに笑顔で応え、一生懸命に走りました
 7キロから残り3キロはもう直線です。3時間ほど前に、私はこの道を、走りきれるかどうか不安になりながらバイクをこいだ道です。今度はその道を、完走できる確信を持って進みます。

 9キロのところで、右側の沿道から夫が叫びました。
 「まどか!完走できるぞ!がんばった!あともうちょっと!」
 トランジションエリアの中からも声がかかりました。
 「まどかさーーん!!がんばれー!!」
沿道からのガンバレの声、拍手、少し離れた沿道を伴走する夫・・・フィニッシュ地点はすぐ右手に見えているものの、実際にはかなり迂回して入っていきます。この1キロはじつに長い・・・
 道をぐるっとまわり、やっとフィニッシュゲートまで直線になりました。そこに現れたのがトライアスロンボーイズのチームキャプテン 大会役員に「いいでしょ?!ゴールまで一緒に走っても!」と声をかけ、私の右を走り始めました。夫は私の左を走ります
 二人の「がんばれ!がんばれ!」の声・・・
私は、本当に最後の力を振り絞り、ラストスパートをかけました。まさに歯を食いしばり、必死に・・・必死に走りました エイサーの太鼓。拍手・・・

 ゴールした瞬間、私は号泣
4時間18分・・・何という長い時間だったことでしょう。チームのキャプテンは2時間46分、夫は2時間48分・・・私は、すっかりみなさんをお待たせし・・・でも、念願のゴールを切ることができました
 ボランティアの高校生がタオルを差し出してくれて、そして、完走のメダルをかけてくれました
 チームメイトのUさん(私立女子校の校長先生)、Sさん(華道家)、キャプテン、夫・・・みなと抱き合って、ワーワー泣きました

 がんばることは・・・大変なことです。やっぱり、簡単なことではありません。
私がゴールしてまもなく、タイムリミットが来て、大会は終了しました。交通規制を解くために、コース内に置かれていたカラーコーンが次々に撤去されていきました。
 要するに、私は本当に幸運にも、時間ぎりぎりでゴールしたのでした。もちろん、完走を果たした!ということで感激し、いつまでも涙を流していた私は、全くそんなことは知りませんでしたし、スイムやバイク、ランの途中で何らかのアクシデントがあったり、タイムアップになったり・・・という理由で、275名もの選手がリタイアしていたことを知るのも、横浜に戻ってからのことです
 
 沿道からのあたたかい声援 コーチ達の真心のこもった的確なアドバイス チームメイトの支え 2000キロ離れた東京から送られてくるエール そして一粒の黒砂糖・・・
 どれ一つが欠けても、私の完走はありませんでした。

 石垣島トライアスロンで完走をする この1年の目標は達成できました 
 さあ、次はもうちょっぴりハードルを上げて、私に何を課しましょうか?

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子どもの日焼け、要注意!

2008年08月04日 | めそめそ
 子どもの日焼けした顔・・・まさに「夏」ですね

私も、昨日は久しぶりに、屋外のプールに行ってきました 子ども達が幼い頃は、夏と言えば「プール」ということで、我が家も頻繁に子ども達を連れてプールに行きました。
 学生の頃からのダイバーで、水泳好きの父を持った我が家の子ども達は、幸か不幸かベビースイミングの頃からプール漬け 就学前には、すでに泳ぎの得意だった子ども達とのプールは、結構楽しいものでした
 しかし、すっかり大人になった子ども達と、当然のことながら、もう一緒にプールに行くことはなく、夫婦でプールには行くものの、真面目にスイム練習をするためのプールで、足を運ぶのは必ず屋内の25メーターや50メータープールです レジャーを兼ねたプールに行くのは、本当に久しぶりでした。

 昨日は、トライアスロンチームのお仲間の家族とご一緒しました そのお宅のEちゃんは小学校2年生。とっても人懐っこく、チャーミングなお嬢さんです そして、夏になると、毎年、パパ、ママと同様の、きれいな小麦色になります。
 Eちゃんのパパ、ママは、日焼け大好きタイプ。昨日もご夫婦揃って日焼け用のローションを塗って、サンデッキにごろ~り アウトドア派のわりには、とても日焼けを嫌い、ランニングの時にも入念に日焼け止めローションを塗る夫とは対照的です
 大人の休日? 大人のプール? ジントニックを片手に、大いに盛り上がる2組の夫婦ではありましたが、1組は陽射しのまぶしい日向のデッキチェアで、1組はビーチパラソルの下・・・という両極端。傍目には、かなり面白い光景だったでしょう

 すでに、かなり素敵な夏色のお二人
毎年、初夏からじっくり、何度も屋外のプールで時間を重ね、はじめのうちは半日向?のようなところから焼かれるのだそうです もちろん、Eちゃんもこの頃から条件は同じ。
 その甲斐あって、夏本番のこの時期になると、ご夫妻ともにコパトーンのCMに登場できるほど、きれいな赤銅色です

 でもね
普通の人達は、ここまで手間をかけて日焼けをされているわけではなく・・・いえいえ、「日焼け」にこれだけの深い思いや知識があるほうが稀で 一般的には、いきなり「夏の勲章」のように突然、日焼けをする・・・ものではないでしょうか?

 昨年の今頃、私は夫が入院する沖縄県名護市の病院と家を、何度も往復していました
 沖縄県名護市は、あの人気スポットである「美ら海水族館」の玄関にあたる町です。そしてまた、近くには今帰仁(なきじん、ここには、世界遺産の今帰仁の城(グスク)跡があります)、部瀬名(2000年7月に開催された沖縄サミットG8首脳会議の会場となった万国津梁館 ばんこくしんりょうかんのあるリゾート地)、恩納村などの名所、リゾート地も多くあり、当然、夏休みのハイシーズンは、多くの家族連れの観光客であふれます そんな名護市の県立病院・・・そこが、夫の入院先でした。

 私が主人と一日を病室で一緒に過ごし、面会の終了時間になって近くのホテルに帰る時、私はいつも「救急外来」のロビーを通って外に出ます。
 そこで目にするのは、ほぼ9割が観光客と思しき人達で、小さな子どもから大学生、パパ、ママまで、見ただけで同じ症状に困って救急病院にかけ込んだ人達でした

 なぜ彼らが救急病院に駆け込んだと思われますか?
それは「日焼け」です

 ほとんどの人の皮膚は真っ赤になり、中には顔が真っ赤に腫れて大きく膨らみ、泣き続けている子どもも多かったですねえ・・・
 全員が、急激な日焼けによる「軽度のやけど」を負っているのでした。総じて彼らの服装は、タンクトップやサンドレス。観光客の定番衣装です。

 もちろん、私も「観光客」として沖縄に行き、予定通りの旅程を終えて帰宅していれば、まさに沖縄の伊江島で、楽しい時間を過ごした観光客、のままでした
 しかし、夫の自転車落車事故によって、まさに怪我の功名で、沖縄にかなり詳しくなり、親交が急速に深まったわけです・・・
 
 夏の沖縄の陽射しは、尋常なものではありません 晴天の日中、日向に立つと、すぐに手や肩などが、じりじりと射すような直射日光によって日焼けしているのが「感じ」られます。
 ものの5分ほどで、赤くなり、痛くなります。
 実際、沖縄の人達は、よほどのことがない限り、日中は日向に出ることはないそうです 
 病院の玄関でお客待ちをしているタクシードライバーのおじい達も、木陰に簡易椅子を出し、陽射しを避けた状態で座って話しています。
 地元の看護師さん達にお聞きしても、昼間の日盛りには絶対海に出ることはなく、出る時には水着の上に必ずTシャツを着て、ほとんど夕方に遊ぶ・・・ということでした。
  「見ていると、観光客の人達は大変サア。あんなことしてたら、やけどするサア」とうのが現地の方々のお言葉でした。
 
 じつは、同じようなことが、夫のインドネシア駐在中にもありました。
国際的リゾートであるバリ島は、首都ジャカルタから飛行機で1時間のところにある、イスラム教国インドネシアの中ではめずらしいヒンズー教の島です
 ここでも、タンクトップにサンドレスは、世界中からの観光客達。ホテルの医務室には、軽度の日焼けによる発熱ややけどの処置をする人がわんさかいましたねえ・・・
 これは首都ジャカルタでもそうなのですが、インドネシア人の富裕層の人達は、ほとんど「半袖」の装いをされることはありません。
 なぜなら、富裕層の人々は、強い陽射しの日中に、日向を自分で歩くことはなく、常に運転手付きの車移動をしています(これは、駐在する外国人も同じです)。
 自分で運転しているのではないので、駐車場から目的の場所まで歩く必要もなく、デパートの玄関で自分の運転手を呼ぶアナウンスをしてもらえば、車は冷房の効いた玄関までやってきます
 どんな施設の中も冷房が効いているので、日向を歩く必要のない層の人達にとっては、長袖を着ていることが、強い冷房から身体を守る手段でもあるのです こんなこともあって・・・バリ旅行を経験された多くの人達の中には、タンクトップやサンドレスで過ごし、旅程中はやけど化した日焼けに悩まされ、帰国してからは強い冷房の中、薄着だったために、帰国をしたら風邪を引いていた・・・これはよく聞く話しでした

 話しを沖縄の病院に戻しましょう。
そう、その「やけどするサア」と心配されていた人達が、やっぱりやけどをして、救急病院にやってきていた、というわけです
 やけど化した日焼けの痛さに泣き叫ぶ子ども達・・・
 真っ赤に晴れた首筋や背中を氷で冷やしてもらって、神妙に順番を待合室で待つ大学生・・・

 沖縄の青い海、青い空・・・
私も狂喜乱舞しました。あれを見れば、すぐさま海にじゃぶーんと飛びこんで行きたいですよね。それに、2泊3日、長くても3泊4日の日程であれば、日中の行動は当然のことです

 しかーし
南国での日焼けが、大人でも想像のできないほどの重傷の「やけど」になってしまう怖いものである、ということを、一つの知識として、親が知っている必要があります
 そして、南国ではなくとも、地球温暖化の影響で、どんどんと気温が上がり、陽射しも南国並に強くなっている本州でも、日焼け対策は子どもにとって必要不可欠です

 子どもにも安心な日焼け止めを、こまめに塗って外出をすることや、首筋や肩、背中などを直射日光から守る服装や(昨年の今頃のブログに書いていると思いますが、沖縄の幼稚園、保育園で園児用に使用される体操帽?綿で出来たキャップには、必ず日焼け止め対策の日よけが、首筋のところまで垂れているのですよ)、発汗を考えた素材などにこだわることは、「親の大切な役目、責任」であると考えます

 日の暮れた後、名護の救急外来で、母親に抱っこされて泣き叫ぶ顔が腫れ上がった子ども。その横で、やっぱり日焼けして真っ赤になった肩を恐る恐る掻く上の子。短パンにビーチサンダル姿で、疲れた顔の父親・・・楽しいはずの家族旅行が、とんだ結果になるのを見るのは辛いものでした。
 どうぞ、たかが日焼け、などとは思わず、しっかりと対策をしてくださいね

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