きょうは朝からしとしと雨が降っていたので、巣ごもりしていました。JR京都線の桂川駅あたりに京急甲種を撮影しに行こうかとも思いましたが、昔のネガを引っ張り出してきてニコンのスキャナーでネガスキャンしていたら、これが結構面白くて。時間がかかり、数をこなせないのが、ちょっと難点ですけれどね。
そんな中で出てきたのが、この写真です。EF61の1号機。EF60は貨物機としての能力は十分でしたが、旅客牽引機としては不都合が多く、1961年から東海道・山陽の旅客用として、またEF58の後継機として製造されたのがこの形式です。しかし、基本番台は1-18号しかなく、主に広島運転所に配属されて寝台特急も引くなど活躍しました。
EF60の500番台が登場した後は、一般の旅客列車や荷物列車だけでなく貨物も引いていました。しかし、1985年までに全廃されています。
この写真はおそらく1979年か1980年の2月ごろだと思います。私の大学では、後期試験の間に入試があってこの間約2週間休みになります。それを利用して1回生か2回生のとき、長崎や柳川方面に一人旅に出ました。その帰路、広島から呉線の竹原に回って帰りましたが、そのときに広島周辺か呉線で撮影したものではないかと思います。もう30年も前の話ですね。
ヘッドライトが後年の2灯並列ではなく、原形の大型ライトのままですね。撮影日時や場所が特定できたらもっとよいのですが、記録は見当たりません。でも、EF61、しかも大型ライトの1号機の写真が残っていたのは幸運でした。
にほんブログ村
当方も撮影した画像を探しましたが、荷レを引く姿しか見当たりませんでした・・・
EF60やEF65が現役で残っている釜があるのに比べてEF61は無いですし、悲運の機関車かも知れません・・
EF67に転用されたのもEF60、EF65ですから残念ですね・・
不思議なことに、このようなケースはこれまでもありましたね。C53、DD54、そしてEF61。C61やD61も同じだったかも知れないですね。でか目のこの釜結構好きでした。
コメント遅れてしまいすみません…(汗
文面を拝見させて頂きましたが、懐かしい広島の事が書かれていてとても懐かしく感じました~。
当方元々広島生まれの広島育ちで関西に出来てきて4年目になります。広島や呉線と聞くとホント懐かしい感じです(^-^)
この頃のカマは年齢的にあまり分かりませんがそれでもトップナンバーって事が『凄い!』って思いました。まむし様の歴史を感じました~
何だか自分のことばかりのコメントになってしまい申し訳ございません(~^;)
そうでしたか、広島のご出身でしたか。この写真を撮影したときは九州から各停を乗り継ぎ、広島では広電を撮影しました。で、夕日のきれいなところのユースホステルに泊まって、翌日の午前中、竹原の町を歩いて帰った覚えがあります。
年月はあやふやですが、思い出はちゃんと残っています。広島にはよい印象を持っている証拠ですよ!