先週の赤旗日曜版の一面には、「貧困死」問題が特集されています。
今、全国で孤立死や餓死など、深刻な貧困のなかで声を上げることができず亡くなるケースが頻発しています。
さいたま市での老夫婦と30代の息子が餓死をしていたケース。
東京都立川市の都営住宅では、母と娘の遺体が発見され、母の胃に内容物はありませんでした。
経済大国であるはずの日本で、なぜこのような痛ましい貧困死が発生するのか?
また、憲法で「生存権」が保障されているにもかかわらず、なぜ命まで奪われる事態に至っているのか?
これらは、決して他都市の問題ですますことはできず、全国どの自治体でも起こりうる問題です。
背景には、「深刻な貧困」と「低い水準の社会保障制度」があります。
私のところにも多くの生活相談が寄せられていますが、以前に比べ生活保護の申請をすることが多くなったと感じます。
しかし、少なくない方が生活保護を受けることにうしろめたさを感じていることも事実です。
昨今、生活保護といえば「不正受給」などのキーワードがメディアなどで飛び交うもとで、本当に必要な人までもが負い目を感じてしまう現状を変えていかなければならないと感じます。
負い目を感じなければならないのは、保護を受ける側の人ではなく、貧困を改善できず、国民をこういう状況に追い込んだ政治のほうです。
「不正受給」はあってはなりません。しかし、例えば息子のバイト代を収入申告しなければならない認識がなかったなど、必ずしも悪意があったケースばかりではありません。また、ほとんどの方が、分割で返済をしています。
では、実際に、生活保護が増えている原因は、どこにあるのか?
下の図は、熊本市における生活保護を開始した理由別の年次推移です。
長引く不況によるリストラや廃業、無年金、失業保険切れなど、近年こうした理由での保護開始が増えている状況が示されています。
相談などでよくよく話を聞いてみると、個人の責任というよりは、貧困を深刻化させている社会や政治に原因があることがほとんどです。
私は、生活保護が「負い目なく堂々と受けられる制度」となるよう改善をしていく必要性を感じます。
また同時に行政には、市民からの相談の機会、税や保険料の滞納、市営住宅家賃の滞納、水道料金の滞りなど、市民の生活の変化を敏感に感じ取り、利用できる制度へつなぐこと、そして「孤立死」「孤独死」を未然に防ぐ策を講じていくことが求められます。
生活保護をはじめとする社会保障やサービスを、「施し」や「与えてあげているもの」と捉えるのではなく、人間的な暮らしを守る権利として、いかに保障するのかとの認識を醸成させていかなければならない。
生存権を守る最後のセーフティネットである生活保護が、真に命を受けとめる制度となるよう、頑張りたいと思います。
生活保護の申請は誰にでも保障された権利です。
ご相談のある方は、ぜひお寄せください。