先日、PTAの研修会があり、私も参加してきました。
「子育てとPTAに今、求められるもの~『子どもの権利』から考える~」と題して、東海大学教授の山下雅彦先生が「子どもの命」や「子どもの権利条約」をキーワードに、自らの実践や実体験を通じて話され、子育てやPTA活動の意義を改めて学ぶことができました。
現在、PTA活動については、保護者の労働環境の変化(共働きの増加、長時間労働)や任意加入の周知徹底などにより、「非加入世帯の増加」、または「負担の軽減」といったキーワードや課題が多くの学校から寄せられています。こうした中においても、子どもが一人の人間として尊重され、「学ぶ・成長する・守られる・様々な活動に参加する」こうした権利を親や教師が地域と連携し、どう保障していくのか?親として、また政治にかかわるものとして、大きなヒントをつかむことができた研修会となりました。
新しい年を迎え、元旦より街頭からのあいさつを、山本のぶひろ県議、上野みえこ、やまべひろし各市議とともに行いました。
昨年は、国連における核兵器禁止条例の採択に、世界の変化を感じるとともに、平和を求める世界的な連帯が大きく発展していることに希望を感じました。
20世紀初頭には植民地であった中小の国々やNGOなど市民団体が議場内で核廃絶にむけた議論を行う一方で、核兵器を保有している大国が議場外で抗議を行う―少し前までには考えられないシーンだったと思います。
また、私自身は、安保法制廃止、原発再稼働中止、共謀罪の廃止など、多くの市民のみなさんとともに声をあげ続けてきた1年間でした。
短いスパンではなかなか成果が見えにくい場合もありますが、市民と野党との共闘は、政治や社会を動かし、歴史的に見れば大きなうねりを生み出す確かな力になっています。
その連携をさらに発展させるために力を尽くすとともに、憲法が暮らしにも平和にも輝く1年となるよう頑張ります。
1年前の8月、高校時代に野球部で苦楽を共にした親友が亡くなりました。
バットを振らずにアウトになる「見逃し三振」を嫌い、
不器用だけどひたむきに野球に向き合う姿は、
同級生のみならず多くの後輩からも慕われていました。
そんな彼を偲び、一周忌にあたる今年のお盆に追悼試合が行われ、私も参加しました。
地区の予選大会や練習試合などを行っていた球場に、久しぶりに集まった野球部。
当時の2年生や1年生、マネージャーも駆けつけてくれました。
高校時代のユニフォーム、社会人になってからのユニフォームなど、
ユニフォームこそバラバラですが、ともに白球を追った高校時代を思い出し、
再び野球ができる喜びを感じました。
午後2時、炎天下のなか始まった試合。
肌に突き刺さるような日差しが、野球に打ち込んだ高校時代の記憶を呼び起こしてくれます。
当時は、私がセンターで、彼がライト。
アウトカウントの確認や守備位置の指示など、お互い声を掛け合った風景が、次々と頭に浮かびました。
とはいえ、体は正直です。当時とは比べものにならないほど低下した体力。曲がらない体。
息をあげながら、野球を楽しむおじさん達の姿を、彼もきっと笑いながら見てくれていたことでしょう。
「また、一緒に野球をやろう」 彼への思いが込み上げてくる追悼試合でした。
熊本地震から1カ月がたちました。
今なお、余震が続いています。
余震のたびに建物への被害も広がっていることを考えると、災害はまだまだ進行中という状況です。
曜日感覚のわからない毎日が続き、気付けば1カ月です。
私のスマホに入っている写真などで、一月間をお知らせしたいと思います。
4月14日の9時の前震直後。近くの小学校には多くの避難者が集まっていました。
屋内に入ることが怖いという方が多く、体育館よりも校庭で夜を過ごした方が多くいらっしゃいました。
近くの江津湖周辺の道路は中央部分に亀裂が入っている状況で、土木センターなどへ改善の要望を伝えました。
16日の本震。
多くの命が失われ、壊滅的な被害が発生しました。
避難所となっている地域の学校には多くの住民が避難されていました。
水道、電気、ガスなどライフラインが断たれました。
その中でも、水が飲めないという恐怖は今でも忘れられません。
その後、学校の貯水タンクの水が飲める水であることが確認でき、炊き出し開始。
避難者に米や鍋やカセットコンロなど家から持ってきていただくよう呼びかけ、多くの方が協力してくれました。
避難所の運営をPTA会長さん、地域の方々、学校関係者らが切り盛りをしてくれ、私は地元の避難所を離れ、市内各地の避難所や被災者の訪問を開始しました。
数日前に見に行った江津湖周辺の道路の亀裂もさらに拡大し、のり面は崩壊している状況でした。
学校施設も大きな被害が発生し、使用することも厳しい状況でした。
市の指定避難所と指定外の避難所で、物資や食事の格差が生じていることから、実態を把握し、必要な物を提供するよう市に求めました。
また、地域の避難所間で情報共有を行い、物資のやりとりができるよう動きました。
共産党の事務所には全国からの物資の支援が届けられており、物資が届いていない指定外の避難所などへ物資を届ける活動を行いました。
支援活動の拠点となっていた東区の私の生活相談所。
残念ながら、応急危険度調査で赤紙が張られる。涙。拠点は別の場所に引っ越し。
避難所の調査や被災者からの聞き取りを通じ、取り組むべき課題を市へ要請。
時がたてば要望や課題も変わることから、これまで4回の要望書の提出と市との交渉を行いました。
要請の詳細は、共産党市議団ホームページよりご覧ください。
車中泊をされている方への聞き取りとエコノミークラス症候群予防のため、医師・看護師と車訪問。
小さな子どもがいるため、周りに迷惑をかけるので避難所を利用しづらい。
こうした理由で、車での避難生活をしている方もいらっしゃいました。
5月1日。長女の6歳の誕生日。そして、メーデーでした。
近くの健軍商店街で開催されたメーデーに子どもたちと参加。
今年のメーデーは復興に向け力を合わせようというテーマ。
あべ広美さん、仁比聡平参院議員も駆け付けてくれました。
国会からも、多くの議員の方が現地調査に駆けつけてくれました。
仁比聡平議員、田村貴昭議員、真島省三議員の九州選出の議員のほか、志位和夫委員長、小池晃書記局長、藤野保志政策委員長、紙智子議員、大平喜信議員など、義援金を熊本市に届けていただくとともに、現地を調査し、政府へ提言をしていただいたり、国会での質問で取り上げていただきました。
調査した翌日にも、国会で取り上げ、政府に対しリアルな実態を突き付け改善を要求。
今後も市民の方々と力を合わせ、国会議員団とも連携をしながら頑張りたいと思います。
今現在は、被災者の訪問、避難所の実態把握をしながら要望の聞き取りを行い、行政へ改善を求める活動を続けています。
現在の課題は、①避難所の生活環境の改善、②生活と生業の再建です。
1カ月たった現在、菓子パン、おにぎり、缶詰など、栄養のバランスを欠いた食事が続いている避難所も少なくありません。
「せめて、一日一食でも野菜の入ったものを食べたい」「お風呂に一カ月はいっていない。温かい湯船につかりたい」こうした声が寄せられています。
共産党との懇談の際、「被災者の利益を最優先に考える」と大西市長は言われました。
この言葉に責任を持つのならば、温かくバランスの良い食事提供を徹底するよう明確な指示を出してほしい。
避難所から、銭湯などへのピストンバスを運行し、温かいお風呂にはいれるよう手配してほしい。
車中泊や被害を受けた自宅に戻られ生活している被災者の実態把握に努め、要望を聞いてほしい。
住宅の再建・確保のための市独自の支援策を創設してほしい。
こうした声を市にも届けながら、復興に向けがんばります。
地震から10日がたちました。
発生直後から、救援活動に全力で取り組んでいます。
避難所での支援、炊き出しの立ち上げ、物資の配給、被災現場の実態調査、被災者からの聞き取り、市への要請、看護師や医師との車中泊をされている方への訪問などなど。
時間が進めば、要求や課題も刻々と変わってきます。
全国からの様々な支援に感謝。そして、自らも大きなショックを受けているであろう家族も、私の活動を理解し応援してくれています。家族に感謝。
多くの方に支えられながらの救援活動ですが、全ての被災者が一日も早くこの困難を乗り越えられるよう、引き続きがんばります。
熊本から、民主主義の風を!
あべ広美さん、佐藤学さん、そして私も直接話を聞いてみたかったSEALD’sの奥田愛基さんがお話をします。
ぜひ、多くの方に参加していただきたいと思います。
デモに参加しました。親子4人で。
子どもがデモの意味をわかっているのかは、私にはわかりません。
ただ、どんな理由があれ戦争はダメだと分かってほしい。
間違っていると思ったら声をあげられることを知ってほしい。
だから、一緒に参加しました。
軍事の力が抑止力ではなく、憲法9条が抑止力だよ。
安倍政権の安保関連法案の考え方のベースには、「日米軍事同盟強化」が「抑止力強化」につながるという理念があります。
本当にそうなのか?
パキスタンとアフガニスタンで医療、水源確保(灌漑用井戸掘削・水路建設)、農業支援の活動を行っているペシャワール会。
その現地代表が、医師の中村哲さんです。
以前、中村さんのことを調べているときに、見つけた画像を改めてみましたが、この考え方こそ真実だと思います。
9条があるから海外では、これまで絶対に銃を撃たなかった日本。
それが本当の日本の強みなんですよ。
日本がどこにあるのか知らなくても、
「他国の戦争に加わらない掟がある」ことを人々は知っていた。
6月18日は、私の誕生日でした。
遠い先だと思っていたのに、とうとう私も40歳のおじさんです。
いよいよ、メタボ検診(特定検診)や介護保険料とのお付き合いも始まります。
40歳代の知り合いからは「コチラの世界にようこそ♪」と嬉しそうに言われます。
FBやメールなどでメッセージを寄せていただいた皆様、ありがとうございました。
今年1年、40歳のスタートにふさわしい年にしていくために頑張ります。
こんな私に家族が素敵なプレゼントをくれました。
二人の娘の写真が入った写真立て。
「仕事でくじけそうなときは、父はこの写真を見るよ…」
素敵なプレゼントをありがとう。
先週土曜日は、子どもの通う保育園のクラスでバーベキューをしました。
子どもの通う保育園は認可外ということもあり、バザーや事業活動など保護者が協力し園を支えるための取り組みも多く、保護者同士の結束も強いものがあります。
夕方から園庭をお借りし、せっせと炭をおこし、子どもたちも含め楽しく親睦を深めることができました。
仕事おわりの方々も次々に駆けつけ、かなり盛大な企画に。
こうした親同士の交流が、楽しくてたまりません。
先生方も合流し、子育てのことや園のことなど、じっくりゆっくり話すことができました。
みな忙しい方ばかりですが、こうした交流を大切に、子育てを楽しもうと思います。