工作台の休日

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日本の鉄道史にもちょっとだけ関係があった、という話

2020年11月09日 | 鉄道・鉄道模型
 アメリカの大統領選挙は民主党のバイデン候補が勝利宣言をしました。このゆるいブログでは大統領選と今後のアメリカや国際関係を論じるつもりは全くありません。ただ、前回から大統領選のキーワードとなっていたことと、日本の鉄道に少しだけ関係があった、というお話です。
 前回の選挙から「ラストベルト」という言葉が聞かれるようになりました。定義はいろいろあるようですが、アメリカ中西部を中心に、東海岸の一部も含んだかつての工業地帯を指しており、これらの地域を代表する産業だった工業が衰退し「Rust=錆びた」地帯となっていることからつけられた名前であり、ここでの得票が選挙戦を左右してきました。
 こうした工業地帯ですが、日本の鉄道史と少しだけ関係がありました。今のように錆びつくもっともっと昔の話です。ここで時計を130年ほど戻してみましょう。
 明治5年に日本で鉄道が開業しましたが、その時には車輛、設備といったものはイギリスからもたらされたものが中心でした。その後も日本の工業化が途上であったこともあり、しばらくの間は海外製品の輸入に頼っていたことはこのブログの読者の方ならご存知でしょう。こうした輸入品の中には鉄道に必須のレールもありました。明治30年代ごろから八幡製鉄所でレールの製造が始まりますが、明治から大正期にかけては官民問わず、どの鉄道も輸入のレールに頼っています。
 そんな中でイギリス、ドイツなどから比べれば数は少ないのですが、当時の新興国・アメリカのレールも含まれておりました。この時代、アメリカは南北戦争が終わってまだ日が浅く、テレビドラマ「大草原の小さな家」の時代だったと言えば分かるかもしれません。東部、中西部を中心に数多くの製鋼所があり、まさに成長しつつある国を支えていたわけです。その中の一部が日本にもやってきて、レールとして使われた後に、駅の柱などで長い第二の人生を送りました。

平成22年9月 富山地方鉄道東新庄駅で撮影
JOLIET 1888 Xとあります。レールには側面に製鋼所の名前、製造年月、規格、重量、発注者などの刻印がありました。
こちらはイリノイ州のジョリエット製鉄会社で、1888年10月製、を意味するものと思われます。

平成10年ごろ 名鉄本揖斐駅で撮影
SCRANTON STEEL Co 1? 88
こちらはペンシルベニア州にあったスクラントン製鉄会社のものです。スクラントンはバイデン氏の出生地でもあります。

平成元年 北陸鉄道 鶴来駅で撮影
6009 ILLINOIS STEEL CO SOUTH WKS
イリノイ製鋼会社のものです。年代や発注者までは分かりませんが、1900年前後に同社で生産されたレールの刻印に共通している書体です。SOUTH WKSとは同社のサウス・ワークス=南工場という工場名を指しています。
鉄鋼王カーネギーにまつわるレールもありました。

平成12年 近鉄畝傍御陵前駅で撮影
EDGER THOMSON STEEL 88 (以下不明)
カーネギースチールの前身、エドガートムソン製鉄所の1888年製ものです。ペンシルベニア州にありました。やがて社名がカーネギーになってこのようになります。

平成元年 JR東中野駅で撮影
CARNEGIE 1906 ET IIIIIIII
ETの文字は前述のエドガートムソン工場を指しています。その隣の縦棒は本数で製造月を示しています。
20世紀に入ると英国製よりも米国製のレールが目立つようになります。

平成元年頃?秩父鉄道影森駅で撮影
工 LACKAWANNA 600 6 1919
ラッカワンナ製鉄会社のものです。ラッカワンナはペンシルベニア州の郡(カウンティ)にその名前があります。文頭の「工」マークは国有鉄道(鉄道院)を指します。発注者が帝国鉄道庁→鉄道院→鉄道省と名称が変わってもこのマークは変わりません。
また、アメリカの製鉄所は日本だけでなく、ロシア向けにもレールを作っていました。

79 BS CO MARYLAND IIII 1917 TYPEIIIA 671/2 LBS
平成27年 西武鉄道中井駅にて撮影
ベスレヘムスチール メリーランド製鋼所のもので、BS COがベスレヘムスチールを指します。変わっているのが末尾の671/2LBSで、こちらが67.5ボンドという意味です。日本にはなじみがない重量で、これはロシアの東支鉄道向けのレールです。1917年がロシア革命の年ですから、何か事情があってロシアまで届かず日本にやってきた可能性があります。

同じく中井駅で撮影 ILLINOIS USAの文字が見えますが、イリノイ製でこちらも東支鉄道向けのレールです。

アメリカでは1920年代にかけて製鉄所の統合が進み、カーネギー系のUSスチールとベスレヘムスチールの二大グループに集約されます。一方、日本では国産のレールの生産が進み、昭和に入ると輸入はほとんどなく、国産で占められるようになります。
今回はラストベルトという言葉から、アメリカで作られたレールの話をしてまいりました。もともと古レールの探訪は20代の頃よくやっていたのですが、最近は駅の改築も進んでおり、人知れずこうした遺産が消えてしまっているほか、修繕のたびにペンキが塗り重ねられて刻印の判読ができなくなっているものもあります。このため、ここで紹介したものが現時点で残っている保証はないと思ってください(本揖斐のように路線がなくなったところもありますので、行ってみたけど無かったよ、とならないためにも申し上げておきます)。それよりも、今残っているものを記録していくことが大切かなと思います。また、鉄道事業者様が100年以上前の遺産を忘れずに、片隅でも構いませんので大切に保管していただけたら、とても嬉しいことと思います。
折に触れて古レールの話は今後もしていきたいと思います。
(参考文献 鉄道ピクトリアル レールの趣味的探究序説 西野保行 淵上龍雄 1977年1月号~3月号、WEBサイト 古レールのページ)


 

 

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