少々前の話になりますが、大規模接種会場での四回目のワクチン接種の後、少し時間もありましたので東京駅ステーションギャラリーで開催の「鉄道と美術の150年」展を見てきました(来春1/9まで)。
文字通り鉄道の150年の歴史を美術とともにたどる展覧会で、絵画、版画、ポスター、写真、立体、さらには駅弁の掛け紙と、鉄道に関するものなら表現手法を問わず集めたものとなっています。
美術と鉄道が出会ったのは幕末に黒船が来航し、最初の鉄道模型とも言うべき、今でいえばライブスチームの汽車がもたらされた時が最初でした。やがて明治に入って鉄道が開通しますと錦絵などに「新しいもの」の象徴のように鉄道が取り上げられます。中には想像力を膨らませて描いたものもありますが、特徴をとらえているものもあって楽しいです。もっとも、小林清親の「新橋ステンション」のように写実性を持たせながら夜の駅を捉えた作品もあります(浮世絵から明治・大正あたりまでの版画は「ベテランモデラー」氏が詳しいので、門外漢の私が詳しく触れることはいたしませんが)。また、勝海舟が宮中で「さらさらっと」書いたような列車の姿も展示されています。
明治期の作品で印象的だったのは都路華香の「汽車図巻」で、駅に停まる旅客列車を背景に、身分も、国籍も、職業も違う人たちでごった返すホームの様子を描いています。一、二等の合造車は二軸の「マッチ箱」客車のように見えます。優等車輌と三等車で客層が違うところも描き分けていて、人形を鉄道模型に乗せたり、配置したりといったことをやっていますと大いに刺激を受けます。
また、時代はだいぶ下りますが、木村荘八が描いた「新宿駅」は人々でごった返す昭和10年頃の新宿駅構内を、石井鶴蔵の「電車」では同じ頃に込み合う電車内の様子を描いています。どうも私はこういった人々の種々相を見るのが好きなようです。
戦前ではポスターから、杉浦非水の東京地下鐵道開業、パリで活躍していた里見宗次に鉄道省が発注した外国人向けの「JAPAN」など、有名どころも展示されています。そして、鉄道はレールの上だけではなく鉄道連絡船もあります。関釜航路の「天山丸」を描いた伊藤安次郎の作品も、描いたとおりの美しい姿ではなく、実際には迷彩塗装で航行し、戦火で失われており「平和な時代だったら・・・」ということなのでしょう。
時代を切り取った作品は他にもあります。伊藤善「東京駅(爆撃後)」は空襲を受け、ドーム部分を失った駅舎や屋根が崩れ落ちたホームなど、この時代に自分がタイムスリップしたような感覚です。戦後と鉄道に関しては生きて帰ってきたことに喜んだ表情の復員兵たち(林忠彦「復員(品川駅)」)といった写真作品もあります。また、進駐軍の「鉄道輸送事務室(RTO)」向けの待合室を東京駅内に整備する際に作成したモニュメントについての展示もありました。この時作られたモニュメントは一度壁で覆われますが、再び陽の目を見ることとなり、京葉線改札口外の地下通路で展示されています。進駐軍関係では黒岩保美「連合国軍用客車車内図」も展示されています。本ブログでもご紹介したことがある黒岩氏については、鉄道、とりわけ車輌をテーマにした絵画も多く描かれていますので、それも見たかったところです。
戦後の展示で個人的に目を引いたのはユージーン・スミスの「日立」でした。日立製作所の招聘で海外宣伝のための写真を撮っていたそうで、初めて聞きました。スミスは本来の仕事である機関車の工場以外にも鉄道にまつわるさまざまな風景をカメラに収めていました。
現代に関しては様々な芸術家の作品が紹介されています。横尾忠則、本城直季といったおなじみの顔ぶれもあります。また、渋谷駅に設置されている巨大な壁画「明日の神話」(岡本太郎))につけ足したChim↑Pomの作品も写真で展示されています。もっとも、岡本太郎が生きていたら「きみたち、ぼくの絵につけ足すんじゃなくて、これを打ち破るもっとべらぼうな絵を描きなさい」と檄を飛ばしたんじゃないかと思います(ああ「太郎」が降りてきちゃったよ)。
展示の最後に日比野克彦がデザインした山陽電気鉄道のためのヘッドマークを見て、展示室を出たときはお腹いっぱい、という感じでした。思えばテーマを絞った形で150年分の芸術の流れを、さまざまな作家の作品を通して一気に見るという体験はなかなか珍しいかもしれません。
そんなわけでここまで「一堂に会する」展覧会というのも鉄道150年のおかげです。この日は以前買いそびれていた別の展覧会の図録も買うことができ、満足してギャラリーを後にしました。
思えば西洋でも、鉄道をテーマにした名画、名作が生まれています。展覧会のコピーにもありますが、これからも「鉄道は美術を触発し、美術は鉄道を挑発する」関係が続き、新たな名作が生まれることを期待したいです。

文字通り鉄道の150年の歴史を美術とともにたどる展覧会で、絵画、版画、ポスター、写真、立体、さらには駅弁の掛け紙と、鉄道に関するものなら表現手法を問わず集めたものとなっています。
美術と鉄道が出会ったのは幕末に黒船が来航し、最初の鉄道模型とも言うべき、今でいえばライブスチームの汽車がもたらされた時が最初でした。やがて明治に入って鉄道が開通しますと錦絵などに「新しいもの」の象徴のように鉄道が取り上げられます。中には想像力を膨らませて描いたものもありますが、特徴をとらえているものもあって楽しいです。もっとも、小林清親の「新橋ステンション」のように写実性を持たせながら夜の駅を捉えた作品もあります(浮世絵から明治・大正あたりまでの版画は「ベテランモデラー」氏が詳しいので、門外漢の私が詳しく触れることはいたしませんが)。また、勝海舟が宮中で「さらさらっと」書いたような列車の姿も展示されています。
明治期の作品で印象的だったのは都路華香の「汽車図巻」で、駅に停まる旅客列車を背景に、身分も、国籍も、職業も違う人たちでごった返すホームの様子を描いています。一、二等の合造車は二軸の「マッチ箱」客車のように見えます。優等車輌と三等車で客層が違うところも描き分けていて、人形を鉄道模型に乗せたり、配置したりといったことをやっていますと大いに刺激を受けます。
また、時代はだいぶ下りますが、木村荘八が描いた「新宿駅」は人々でごった返す昭和10年頃の新宿駅構内を、石井鶴蔵の「電車」では同じ頃に込み合う電車内の様子を描いています。どうも私はこういった人々の種々相を見るのが好きなようです。
戦前ではポスターから、杉浦非水の東京地下鐵道開業、パリで活躍していた里見宗次に鉄道省が発注した外国人向けの「JAPAN」など、有名どころも展示されています。そして、鉄道はレールの上だけではなく鉄道連絡船もあります。関釜航路の「天山丸」を描いた伊藤安次郎の作品も、描いたとおりの美しい姿ではなく、実際には迷彩塗装で航行し、戦火で失われており「平和な時代だったら・・・」ということなのでしょう。
時代を切り取った作品は他にもあります。伊藤善「東京駅(爆撃後)」は空襲を受け、ドーム部分を失った駅舎や屋根が崩れ落ちたホームなど、この時代に自分がタイムスリップしたような感覚です。戦後と鉄道に関しては生きて帰ってきたことに喜んだ表情の復員兵たち(林忠彦「復員(品川駅)」)といった写真作品もあります。また、進駐軍の「鉄道輸送事務室(RTO)」向けの待合室を東京駅内に整備する際に作成したモニュメントについての展示もありました。この時作られたモニュメントは一度壁で覆われますが、再び陽の目を見ることとなり、京葉線改札口外の地下通路で展示されています。進駐軍関係では黒岩保美「連合国軍用客車車内図」も展示されています。本ブログでもご紹介したことがある黒岩氏については、鉄道、とりわけ車輌をテーマにした絵画も多く描かれていますので、それも見たかったところです。
戦後の展示で個人的に目を引いたのはユージーン・スミスの「日立」でした。日立製作所の招聘で海外宣伝のための写真を撮っていたそうで、初めて聞きました。スミスは本来の仕事である機関車の工場以外にも鉄道にまつわるさまざまな風景をカメラに収めていました。
現代に関しては様々な芸術家の作品が紹介されています。横尾忠則、本城直季といったおなじみの顔ぶれもあります。また、渋谷駅に設置されている巨大な壁画「明日の神話」(岡本太郎))につけ足したChim↑Pomの作品も写真で展示されています。もっとも、岡本太郎が生きていたら「きみたち、ぼくの絵につけ足すんじゃなくて、これを打ち破るもっとべらぼうな絵を描きなさい」と檄を飛ばしたんじゃないかと思います(ああ「太郎」が降りてきちゃったよ)。
展示の最後に日比野克彦がデザインした山陽電気鉄道のためのヘッドマークを見て、展示室を出たときはお腹いっぱい、という感じでした。思えばテーマを絞った形で150年分の芸術の流れを、さまざまな作家の作品を通して一気に見るという体験はなかなか珍しいかもしれません。
そんなわけでここまで「一堂に会する」展覧会というのも鉄道150年のおかげです。この日は以前買いそびれていた別の展覧会の図録も買うことができ、満足してギャラリーを後にしました。
思えば西洋でも、鉄道をテーマにした名画、名作が生まれています。展覧会のコピーにもありますが、これからも「鉄道は美術を触発し、美術は鉄道を挑発する」関係が続き、新たな名作が生まれることを期待したいです。
