goo blog サービス終了のお知らせ 

工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

美術でひもとく鉄道150年

2022年12月21日 | 鉄道・鉄道模型
 少々前の話になりますが、大規模接種会場での四回目のワクチン接種の後、少し時間もありましたので東京駅ステーションギャラリーで開催の「鉄道と美術の150年」展を見てきました(来春1/9まで)。
 文字通り鉄道の150年の歴史を美術とともにたどる展覧会で、絵画、版画、ポスター、写真、立体、さらには駅弁の掛け紙と、鉄道に関するものなら表現手法を問わず集めたものとなっています。
 美術と鉄道が出会ったのは幕末に黒船が来航し、最初の鉄道模型とも言うべき、今でいえばライブスチームの汽車がもたらされた時が最初でした。やがて明治に入って鉄道が開通しますと錦絵などに「新しいもの」の象徴のように鉄道が取り上げられます。中には想像力を膨らませて描いたものもありますが、特徴をとらえているものもあって楽しいです。もっとも、小林清親の「新橋ステンション」のように写実性を持たせながら夜の駅を捉えた作品もあります(浮世絵から明治・大正あたりまでの版画は「ベテランモデラー」氏が詳しいので、門外漢の私が詳しく触れることはいたしませんが)。また、勝海舟が宮中で「さらさらっと」書いたような列車の姿も展示されています。
 明治期の作品で印象的だったのは都路華香の「汽車図巻」で、駅に停まる旅客列車を背景に、身分も、国籍も、職業も違う人たちでごった返すホームの様子を描いています。一、二等の合造車は二軸の「マッチ箱」客車のように見えます。優等車輌と三等車で客層が違うところも描き分けていて、人形を鉄道模型に乗せたり、配置したりといったことをやっていますと大いに刺激を受けます。
 また、時代はだいぶ下りますが、木村荘八が描いた「新宿駅」は人々でごった返す昭和10年頃の新宿駅構内を、石井鶴蔵の「電車」では同じ頃に込み合う電車内の様子を描いています。どうも私はこういった人々の種々相を見るのが好きなようです。
 戦前ではポスターから、杉浦非水の東京地下鐵道開業、パリで活躍していた里見宗次に鉄道省が発注した外国人向けの「JAPAN」など、有名どころも展示されています。そして、鉄道はレールの上だけではなく鉄道連絡船もあります。関釜航路の「天山丸」を描いた伊藤安次郎の作品も、描いたとおりの美しい姿ではなく、実際には迷彩塗装で航行し、戦火で失われており「平和な時代だったら・・・」ということなのでしょう。
 時代を切り取った作品は他にもあります。伊藤善「東京駅(爆撃後)」は空襲を受け、ドーム部分を失った駅舎や屋根が崩れ落ちたホームなど、この時代に自分がタイムスリップしたような感覚です。戦後と鉄道に関しては生きて帰ってきたことに喜んだ表情の復員兵たち(林忠彦「復員(品川駅)」)といった写真作品もあります。また、進駐軍の「鉄道輸送事務室(RTO)」向けの待合室を東京駅内に整備する際に作成したモニュメントについての展示もありました。この時作られたモニュメントは一度壁で覆われますが、再び陽の目を見ることとなり、京葉線改札口外の地下通路で展示されています。進駐軍関係では黒岩保美「連合国軍用客車車内図」も展示されています。本ブログでもご紹介したことがある黒岩氏については、鉄道、とりわけ車輌をテーマにした絵画も多く描かれていますので、それも見たかったところです。
 戦後の展示で個人的に目を引いたのはユージーン・スミスの「日立」でした。日立製作所の招聘で海外宣伝のための写真を撮っていたそうで、初めて聞きました。スミスは本来の仕事である機関車の工場以外にも鉄道にまつわるさまざまな風景をカメラに収めていました。
 現代に関しては様々な芸術家の作品が紹介されています。横尾忠則、本城直季といったおなじみの顔ぶれもあります。また、渋谷駅に設置されている巨大な壁画「明日の神話」(岡本太郎))につけ足したChim↑Pomの作品も写真で展示されています。もっとも、岡本太郎が生きていたら「きみたち、ぼくの絵につけ足すんじゃなくて、これを打ち破るもっとべらぼうな絵を描きなさい」と檄を飛ばしたんじゃないかと思います(ああ「太郎」が降りてきちゃったよ)。
 展示の最後に日比野克彦がデザインした山陽電気鉄道のためのヘッドマークを見て、展示室を出たときはお腹いっぱい、という感じでした。思えばテーマを絞った形で150年分の芸術の流れを、さまざまな作家の作品を通して一気に見るという体験はなかなか珍しいかもしれません。
 そんなわけでここまで「一堂に会する」展覧会というのも鉄道150年のおかげです。この日は以前買いそびれていた別の展覧会の図録も買うことができ、満足してギャラリーを後にしました。
 思えば西洋でも、鉄道をテーマにした名画、名作が生まれています。展覧会のコピーにもありますが、これからも「鉄道は美術を触発し、美術は鉄道を挑発する」関係が続き、新たな名作が生まれることを期待したいです。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道150年を読む 国鉄の歴史を読む

2022年11月30日 | 鉄道・鉄道模型
 鉄道150年を語る際に当然避けて通れないのが、日本国有鉄道=国鉄の存在です。国有鉄道という意味では明治からの長い歴史がありますが、公共企業体としての「国鉄」は38年間の歴史ということで、そろそろ民営化されてからの期間の方が長くなります。そんな中、国鉄の歴史について書かれた本が出版されております。中公新書の「国鉄 -「日本最大の企業」の栄光と崩壊」 石井幸孝著です。
 本書の著者は昭和30年に国鉄に入社、戦後を代表するディーゼル車輌の設計に携わっていましたが、後に国鉄の経営全般に従事、国鉄の最後の日は九州総局で迎え、民営化と共に初代のJR九州社長となっています。キャンブックスのDD51物語など、鉄道趣味人としての目線で内燃車輛について解説した本も多く執筆されていますが、こちらの本は「硬派」な国鉄の通史となります。
 本書は戦後の占領期に「公共企業体」として発足した国鉄についてその誕生までも含めて書かれており、各章では主に経営目線で国鉄の歴史が語られていますが「鉄道技術屋魂」では著者の「本職」であった内燃車輛の開発について触れられています。また、国鉄の光と影の部分で必ず語られる労働組合についても章を割いています。国鉄における労働組合の存在は何だったのか、というのを国鉄の「中の人」が解説していますので、民営化からだいぶ時間が経つ中で改めて勉強になったという感があります。
 本書を読みますと、国鉄が本当に順調だったと言える期間というのはわずかで、発足から労働問題を内包していたり、昭和30年代までは何年かに一度は起きる大事故への対処といったことも求められたりしました。また、大都市圏・特に首都圏では通勤ラッシュ対策は「終わらない課題」でありましたし、赤字ローカル線は最後まで(というか現在まで)国鉄を苦しめました。
 私も物心ついたときから国鉄=赤字の企業体で何とかしなくてはならない存在でしたから、民営化でJRに生まれ変わったときは、なにかとても明るくなったというか、これでよかった、と思った一人ではあります。本書を読みますと、占領政策の中で半ば強引に「公共企業体」として出発しなければならなかったところから、後の国鉄の問題点が内包されているように感じますし、本社がすべてを握っていたことで、路線も、車輌の近代化も、設備も含めて全国一律に発達したことは必要なことであり、またそれによって多くの方が恩恵を受けたわけですが、それ故に地方・地域のの自主性が育まれなかったのではないかと感じました。既に昭和40年代から赤字が顕在化していたわけですから、大都市間の長距離輸送はともかく、各地域内で解決できることはある程度の自立した経営をすべきだったのでは、と思うのですが、どうでしょうか。
 知ったふりをして私も偉そうなことを言っていますが、著者の「鉄道というものは万人が知っているようで、実は経営から現場のカンまで本当によくその本質を心得ている人が少なく、わかりにくいもの」という述懐が印象に残りました。これは国鉄部内向けに向けられた言葉なのですが、それだけでなく私たち利用者も、それから政治家もああだこうだと口をはさんでくるけど、実はわかってないでしょ、何か変えたくても、新しいことをしたくても、これだけ大変だよ、という意味にも聞こえました。それ故に国鉄時代にもっと説明という名の「言い訳」を国民にしても良かったのではないかとも思いました。そういった言い訳の中に、第三者の指摘から改善できることが見つかったり、構造的な矛盾が明らかになったりすることもあると思うのですが・・・。これはいろいろな組織全体に言えることで、メディアにばかり取り上げられる一面以外に、これだけコストをかけてやっていることがある、こういう決まりごとがあるから、こういう手順と人とお金がかかる、というようなことをもっと言ったらいいのに、と本業に絡めて思ってしまうのでした。
 さて、国鉄が民営化された際には、多くの国鉄マンが国鉄を去り、官庁・企業に再就職しました。ちょうど景気も良かったので、引く手あまただったのです。当時20代の方だったとしても、多くが還暦を迎えていると思います。個人的な思い出になりますが、私が仕事で知り合った方にも元国鉄マンがいて、とても優秀な方だったことを覚えています。電卓よりそろばんを愛用しているあたりに、国鉄マンの名残を感じました。優秀な職員を多く抱えながら、どうして破綻してしまったのか、何ともやりきれないところです。
 本書では国鉄の歴史だけでなく、JR化以降の動きについても触れられていますし、鉄道のこれからについても論じています。想定以上に人口減少や過疎化も進んでおり、地方路線をどのように活用するのかというところは、これからの大きな課題となりましょう。個人的な見解になりますが、人口減少については平成初期の時点で合計特殊出生率の「1.57ショック」という言葉で表されたように、既に問題となっていたわけですから、鉄道の責任ではなく、この間に有効な対策を打てず、無駄な金をばらまくことで少子化対策を「やったことにした」側に責任があるのだと思います。゜
 ちょっと横に逸れてしまいましたが、本書に戻りますと新幹線についても貨物輸送としての活用方法について具体的に触れています。現在でも通常の旅客輸送を「間借り」する形で貨物を運ぶことが行われていますが、著者が提唱しているように新幹線路線において本格的な貨物輸送というのも真剣に考慮されても良いのではと思います。また、これに合わせて著者は鉄道が持つ「安全保障」としての役割を説いています。なにもこれは軍事的な話ではなく、日本国内を結び、つなげる役割という意味でもあり、物流、人の流れを担保するものとして鉄道の役割が大切なのは言うまでもありません。近年は自然災害で鉄道が長期間不通となり、貨物輸送にも影響が出るといった話を聞きます。新幹線を作ったから在来線は地元三セクに丸投げしておしまい、というのではなく、活用しなければいけない、万が一のときには他の路線を補完する役割を持たせる、といった目的で、活用すべき在来線は活用し、保守を絶やさないことも必要だと思うのです。古代ローマは西洋では初めて、規格化された本格的な街道網を整備したことで知られていますが、よく言われる軍事目的というだけでなく、人の流れ、物の流れも活発にして、帝国全体に繁栄をもたらすためのものでもありました。インフラもまた人々の安全を守るために必要な存在であるわけで、それは現代においても全く変わるものではないでしょう。
 ということで、新書とはいえなかなか考えさせる一冊、まだお読みでない方はぜひお読みいただき、これまでの、そしてこれからの鉄道に思いをめぐらせてみてはどうでしょうか。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道150年を読む 車輌の発達史を知る

2022年11月23日 | 鉄道・鉄道模型
 日本の鉄道開業150年ということで、これに因んだ書籍も数多く出ています。あれやこれやとすべて買うことはできませんので、雑誌からひとつご紹介です。既に「鉄道ピクトリアル」の1000号が鉄道150年と東海道線を特集として組んでいて、拙ブログでもご紹介していますが、10月14日の開業記念日に合わせるように各雑誌も特集を組んできました。いささかどころかだいぶ旧聞に属する話で、既に皆様もご覧になっているとは思いますが「鉄道ファン」は8月発売の10月号で「日本の鉄道車輛150年」という特集を組んでいます。同誌ではおなじみ、フリーランスプロダクツの手により、日本の鉄道車輛の発達史を蒸気機関車、ディーゼル機関車、電気機関車、客車、貨車、電車、新幹線、気動車、設備などに分け、さらにそれを時代区分に沿って解説しています。私も鉄道趣味人のはしくれではありますので、既に知っている事項もあるわけですが、それでも通史として改めて知ることができたように感じますし、著者が1986年以降の「システム変革期」として解説している事項については最近の話題もあって、自分の知識として抜け落ちているところもありますので、勉強させていただいたという感があります。
 蒸気機関車については保存運転として一部を残すのみで、架線(第三軌条もふくむ)から電気を取る車輌、内燃車輛が現在の鉄道の主役であり、そこに磁気浮上などの鉄道が一部ではありますが走っているということになりましょう。リニアモーターを動力とする鉄道がどれくらい発達するかは現時点では未知数で、日本ではしばらく電車と気動車の時代が続くのではないかと思います。電車にしてもポールから電気を取っていた時代とは集電方法、駆動方法も含めて大きな変化と進化を遂げています。また、内燃車輛についても特に近年にはハイブリッド車輌が増えています。これからの50年と言わず、10年後、20年後にはまだ技術変革があるのではないかと思います。
 今回の鉄道ファン誌の特集を見ますと、言うまでもありませんが昭和30年代に電化、動力近代化が進んだことが日本の鉄道のスピードアップ、大量輸送に寄与したのではないかと思いました。戦後の混乱期を脱し、それまでの車輌開発で技術的蓄積を作り、生産基盤などが整い、さらに当時の技術革新の流れに上手く乗れたことが飛躍につながったのでしょう。今回の特集では電車を除くと旧国鉄、JRの車輌の発達について主に取り上げていますが、その電車の発達においては特に日本独特の数多くの私鉄の存在も忘れてはならないでしょう。特に都市部の私鉄路線は国鉄路線を補完するだけでなく、時にライバルとなる存在として発達していきました。鉄道全体のこれからがいろいろと語られている中で、私鉄についても厳しい現実はあるのですが、車輌の発達に今後も寄与してほしいと願っています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タイムマシンにお願い

2022年10月31日 | 鉄道・鉄道模型
 鉄道が好きな方、とりわけ鉄道の歴史に多少興味を持っている方なら「あと〇年早く生まれていたら××に乗れたのに」とか「〇〇の写真が撮れたのに」なんていう話をされたことがあるかと思います。何年か前にこのブログで回顧展をご紹介した故・黒岩保美氏も「あと何年か早く生まれていたらマレーの牽く列車で箱根八里を越えられたのに」とおっしゃっていたそうです。大正生まれの方らしい願望ではあるわけですが、それを言い出すと鉄道開業まで遡ってしまいそうです。
 日本の鉄道が150周年ということで、タイムマシンがあったらいつの時代の鉄道を見てみたいか、というのを考えてみました。もちろん、開業初日の新橋駅というのも面白そうですね。特に最初の機関車たちは強烈な個性を放っていて、図面や数少ない写真を見てもなかなかの存在感です。
 また、個人的には明治時代全般の鉄道や蒸気機関車に興味があるものですから、大正期以降の黒一色になる前の明治の蒸気機関車がどんな色だったのか、客車がどんな色だったのかというのが大いに気になります。欧米、特にイギリスやアメリカを中心に、蒸気機関車は鉄道によって、また機種によってさまざまな色に塗られていました。日本でも後の時代に通じる黒に赤いライニングというのもあったようですが、緑やマルーン、ロシアン・アイアンと呼ばれた青系の色もあったようです。交通博物館所蔵の「岩崎・渡辺コレクション」は当然明治期の写真のためモノクロですが、明らかに黒ではないよな、という色味や輝きの機関車をみかけます。タイムマシンがあれば、確認してみたいものです。明治の終わりに九州鉄道が購入する予定でアメリカに発注し、車輌が届いた時には国有化されて宙に浮いてしまった「或る列車」も輸入当初はどんな塗装で、どんな内装だったか見てみたかったものです。もちろん、本線を走る車輌のみならず、馬車鉄道や市電も気になります。
 戦前の列車や和食堂車と呼ばれた現在の牛丼チェーン的に椅子が並ぶような食堂車で食事、というのも面白そうですし、戦後の「つばめ」の特ロと呼ばれたスロ60も魅力的です。
 自分の生まれる前に活躍し、乗りたかった車輌といえば、151系・クロ151になるかと思います。パーラーカーと呼ばれ、縦1m、横2mというそれまでにない大きな窓を持っていました。個室と開放室があり、さしずめ現代の「グランクラス」のようなものでしょうか。客車時代の展望車が電車特急になってこういう形で引き継がれたわけですが、それだけにおいそれと乗れるものでもなさそうです。開放室の一人がけの椅子に座り、これで東海道線を旅してみたかったものです。

(模型はカトーのNゲージ車輌、後ろの20系客車もカトー製)
 自分が乗車した列車、経験したイベントなどでもう一回あの時へ、あの場所へ、と問われますと、私は2000年に開催された「第1回 国際鉄道模型コンベンション」を挙げます。確か1回目は新宿NSビルで開催だったかと思います。初回ならではの若干の混乱もありましたが、それもまた妙味であり、それよりもようやく、日本でもアメリカでやっているようなモデラー参加型のコンベンションができた、という喜びが強かったことを覚えています。その後、私も少しお手伝いさせていただいたこともありますし、途中紆余曲折はありながら今年も開催されております。第一回は出展者でなくとも打ち上げのパーティーに参加でき、雲の上のような存在の方ともお酒を飲んで盛り上がったことも思い出深いですし、アメリカから著名なモジュールモデラーが来日され、パーティーでも元気いっぱいに過ごされていたことを覚えています。写真はその時の記念品の升です。私もあれから20数年、いろいろなことがありながら、鉄道模型がそばにある生活を続けています。



 
 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分はどれだけの路線に乗ってきたのか

2022年10月18日 | 鉄道・鉄道模型
 私はいわゆる「乗りつぶし」を趣味とはしておりませんが、これまで自分がどれくらいの数の鉄道路線に乗ってきたのか、あらためて数えてみることにしました。区間を完乗した路線がどれくらいあるのか「日本鉄道旅行地図帳 増結第3列車(新潮社)」が手元にありましたので、これを参考に数えてみました。
 国鉄、JR、国鉄由来の第三セクター、新幹線 約130路線
 JRの航路 2路線
 民鉄 約170路線
 というのがその結果でした。記憶があいまいなところもあって、確実な数ではないのですが、ざっとこんなところです。東北本線から新幹線開業後にいわて銀河鉄道、青い森鉄道となった区間は東北本線として1路線でカウントしています(新幹線開業後にもこれらの路線に乗っていますので、カウントしてもよいのですが)。また、西武山口線のように二本のレールを持つ鉄道路線から新交通システムとなった区間は、両方でカウントしました。
 当然、一部区間だけ乗った路線も含めるともっと多くなるでしょう。四国とか北海道の路線は、完乗していない区間もあるのです。私の知り合いに、1980年代にまだ筑豊地方のローカル線がたくさん残っていた時に国鉄全線完乗を成し遂げた、という人物がおりますが、私などはそういった猛者に比べますと実におとなしいものです。
 それでも高校時代にはお金は無いけど時間だけはあるような季節を過ごしていましたので、春休みや夏休みに友人たちと青春18きっぷで遠出をしたものです。とにかく、24時間でどこまで乗れるか行ってみよう的な旅でしたので、この時にのりつぶした路線が増えたように思います。それでも、高校一年生の時に乗った只見線の景色の美しさは忘れられませんし、高校2年に上がる春休みに北陸から関西、東海を抜けて車中泊3泊、ホテル1泊というとんでもない旅行をしたときは、下車印がたくさん押された青春18きっぷがあたかも勲章のようでしたし、仲間につられて普段は買わない硬券の入場券もたくさん買って帰ってきました。
 民営化前夜でしたので、鉄道ファンとわかると現場の国鉄マンが記念乗車券などを勧めに来たのも懐かしいです。また、いま流行りの鉄印帳ではありませんが、お世話になった駅長さんに色紙を渡して一言書いていただいたりといったことをしている仲間もおりました。
 民鉄については就職して仕事で乗ったという路線も多いです。30代の後半に外回りの仕事が多く、そのときに初めて通しで乗ったという路線もありました。また、今年に入ってからつくばエクスプレスに仕事で乗って完乗しています。
 JR、民鉄ともにあまり意識して乗りつぶすということはしない主義で、おなかがすいていたり観光したいときはそちらを優先してしまうのですが、廃止直前に偶然乗った大社線とか、廃止まで何度も通った名鉄の岐阜市内線など、思い出深い路線もあります。時間もあってせっかくだから通して乗ってしまおうということで乗った名古屋の地下鉄のようなケースもあります。これからも、少しずつではありますが、自分で狙って、あるいは図らずもという形で、乗りつぶした路線が増えていくことでしょう。

こちらの18きっぷは一人旅のときのものです。宇高航路に乗ったときのもので、宇野駅と播州赤穂駅の下車印があります。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする