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工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

2025 F1日本グランプリ 金曜日

2025年04月04日 | 自動車、モータースポーツ

ということで、桜の季節のF1日本GPにやってまいりました。きょうは本当にたくさんの

方が詰めかけています。金曜日とは思えないほどです。チケットも完売間近、などと言われており、角田効果のようです。

プログラムだけでなく、こういった表示も間に合いましたね。

そして今年はホンダの初勝利から60年ということで、優勝車両のRA272が展示されました。

細部写真もたくさん撮ってきました。模型作りに活かしたいです。

レッドブルが日本GPに合わせてカラーリングをこの時代の日の丸カラーっぽくアレンジしてきました。

カーナンバー22、角田がドライブしています(午後の走行で撮影)。実はカウル後方の「HONDA」の文字も60年代第一期参戦調にしているほか、写真ではわかりませんが、ノーズのホンダのロゴマークも昔風にしています。

この赤いHのマーク、N360あたりまでこれだったような・・・。

日本GPに合わせたスペシャルカラーはこちらも。代表が日本人で、トヨタとの提携も進むハースはいつもの白・黒・赤に桜の模様を入れました(こちらも午後に撮影)。

金曜はフリー走行が午前、午後の2回行われ、予選、決勝を見据えたマシンづくりをしていきます。また、金曜午前限定という形で、チームのリザーブドライバーがドライブすることもあり、今回はアルピーヌの平川亮が午前中のみドライブし、チームメイトをしのぐタイムでした。

午前の走行が終わってやはりマクラーレン好調のようです。レッドブルは王者フェルスタッペンが5位、角田が6位と好発進です。とにかく風が強く、寒く感じられました。もう一段暖かい服装にすべきだったと反省です。

一回目のフリー走行が終わり、私は「レーシングギャラリー」へ。去年オープンしたときは予約制でしたが、今年は入場自由となっていました。

皆さんが紹介しないようなマシンをご紹介。

第二期F1参戦時のマシン、スピリット・ホンダ。

むき出しのターボエンジンも見えます。ホンダが勝てるようになるのは、そのあとでウィリアムズと組んでからです。

第三期参戦から、2000年のBARのマシンで、R.ゾンタがドライブしました。ベルギーでハッキネンがシューマッハと周回遅れのゾンタをまとめてパスしたシーンを思い出すな(いろんな意味で複雑だけど)。

そして第四期のマシンから、2015年のマクラーレン・ホンダ

申し訳ないけど「戦闘力はないが仕上げは美しい」部類に入るマシンです。

2回目の走行は15:00からスタートしました。金曜日は自由席エリアが広いため、私も2コーナーあたりに移動して、写真を撮りました。開始10分程度で、アルピーヌのドゥーハンが1コーナーで大クラッシュ。赤旗中断です。ドゥーハンはルーキーで、お父さんはかつての2輪王者です。

幸いドゥーハン(中央・ピンクのレーシングスーツ)は無事でしたが、タイヤバリアが崩れてしまい、急遽補修です。

はたらく乗り物が一斉に集まってきました。事故発生から15分程度でコースとコース脇の応急処置も済んでセッション再開です。

ところがデグナーカーブだったかで今度はアロンソがスピン、また中断です。

(アストンマーチンのアロンソ、緑のマシンのカラーリングは私もお気に入りですが・・・)

さらに今日はマシン底面などが路面とこすれたときに発生する火花が原因なのか、コース脇の芝生が燃えるという珍しいアクシデントで中断、午後はなかなかタイムを出すのが難しい走行となりました。

フェラーリファンの私としても角田の走りは気になりますが、ハミルトンも移籍後初の鈴鹿です。

 

明日の予選はまた一波乱ありそうな気もします。

こちらはマクラーレンのピアストリ。

このままサーキットを後にしまして、だいぶ歩きますが鈴鹿のイオンモールへ。こちらでこんなイベントをやっていました。

かつては鈴鹿サーキット稲生からサーキットへ行く道すがらで大型テントによるグッズ販売をされていた名古屋のお店が、近年はイオンモールでバーゲンやら、イベントやらということで私ものぞいてきました。

さすがに今日はたくさん歩きましたので、モール内のドトールでちょっと一休み。こういうときのドトールは助かります。再び歩き出して平田町駅へ。平田町は2年前の金曜日も使ったのですが、あのときより確実にお客さんが多いです。伊勢若松で急行に乗り換え、名古屋には19:30頃着きました。飲食店もF1帰りのお客さんで盛り上がっていましたし、ホテルでもコインランドリーで海外のお客さんと話をしました。明日は少しだけ遅く起きて、遅めにサーキット入りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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名古屋に着きました

2025年04月03日 | 自動車、モータースポーツ

朝早く出勤して頑張って仕事して、自分は異動じゃないけど新年度ならではの説明とか事務処理があって、年度始めにグランプリとか勘弁してよとぼやきながら新東名をバスで移動、夜に名古屋入りしました。

すでに木曜の鈴鹿を楽しまれた方も見かけました。私も明日から、日本グランプリ観てきます。

レースプログラム、実は都内でも買えます。移籍が決まった角田に関しては別刷りが用意されました。

裏はこうなってます。ローソンもがんばれ。

 

 


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角田裕毅のレッドブル昇格が意味するもの

2025年04月02日 | 自動車、モータースポーツ

 先ごろ、F1ドライバーの角田裕毅が、所属するVCARBチームからレッドブルに移籍、間近に迫った日本グランプリのタイミングだったことから、話題になりました。会社の方からうちの家族まで、その意味するところが何か、ということ聞かれていますので、今日はそのことを書いていきます。

 角田は2021年にF1デビューしましたが、ホンダとレッドブルの支援を受けてのデビューということで、レッドブルの弟分のチームであるアルファタウリでデビューします。そこから4シーズン、現チーム名のVCARBになってもこのチームで走っています。昨年末、レッドブルのシートの一つに空きが出て、チャンピオンであるマックス・フェルスタッペンのチームメイトが誰になるかが話題を呼びました。通例ですとレッドブルの弟分であるVCARBから選ばれる可能性は高く、このときにチームは角田のチームメイトだったリアム・ローソンを選びます。この時に角田より経験の浅いローソンを何故?という意見が日本のファンを中心に起きていました。しかし、今シーズン「昇格」したローソンは序盤2戦で結果が振るわず、急遽角田と交代となりました。

 前年のチャンピオンと日本人がチームメイトになる、というのは初めてではなく、1988年に前年王者のピケと中嶋がロータスで組んでいますが、この場合はウィリアムズからピケが移籍したという事情があり、今回のようにチャンピオンのいるチームに日本人が移籍、というケースは初めてです。ならば今年の角田は「勝てる」チームに入って大躍進、と言いたいところですが、今年のレッドブルは開幕以降やや苦戦しています。開幕2戦だけの結果でどうこう言えませんが、マクラーレンが優位にシーズンをスタートさせており、メルセデス、レッドブル、フェラーリの順で後を追う展開になっています。レッドブルとしてもシーズンを通じて角田に対しては予選では10位以内、決勝ではもっと前へ、エースのフェルスタッペンに何かあればライバルを抑える働きも必要となりましょう。既にVCARBでは予選順位で10位以内に入っていますので、マシンの状況次第ならこれも可能でしょう。決勝でのマネージメントというところでもレッドブルは上手ですので、鈴鹿でいきなり表彰台、というのは難しくても、マシンに慣れ、シーズンが進みマシンを仕上げることが叶えば表彰台争いにも、と期待したいところです。

考えたくないところではありますが、レッドブルは速く走れないドライバーに対しては即交代、というところがあり、これまで何人ものドライバーが途中交代といった憂き目に遭っています。角田に対してはホンダの一層の支援があったから、などと噂されていますし、レッドブルとの関係が今年で切れるのに、ここでホンダの支援を受けたドライバーを乗せるというのはレッドブルとしても相当な決断だったのでしょう。シーズンを通じて「移籍が成功だった」と言われることを祈っています。もっとも、レッドブルから「降格」された後でガスリーのように優勝したドライバーもいますし、ローソンは日本でのレース経験もあります。ローソンが健闘することも祈っております。

とはいえ、冷静な評論家ぶった言説はここまで。やはりトップチームに日本選手が乗り、日本グランプリを走ると言うのは理屈抜きに楽しみです。レッドブルは白と赤を基調にした昔のホンダF1を意識した特別カラーで参戦、また、他のチームでも日本を意識したカラーリングで臨むチームもあるようです。私も一人のファンとして、この週末を楽しみたいです。

 

 


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ある新聞記事から

2025年04月01日 | 日記

 以前、ロンドンで購入した軍事関連の古書の中に、古ぼけた新聞記事の切り抜きが挟んでありました。1948年という数字が見えますので、日本で言えば昭和23年のことです。ところどころ判読不能になっていましたが、読んでいくとこんな感じです。

「本紙特派員 東京(日本)」で始まる記事には、こう書いてありました。ロイヤル(判読不能)連隊のデレック・ワーズレー大佐が帰国するにあたり、占領地域だった(判読不能)市での経験などを語った。当初は占領地である日本、日本人との交流も皆無に等しかったが、豪州軍兵士が余暇でやっていた野球を見て、フェンス越しに見ていた子供たちを招き入れたことから交流が始まった。中学生(筆者注・現在の高校生か?)の中にはラグビーの経験がある少年たちもおり、一緒にボールを追いかけることもあった。それに、この小さな汽車は実際に煙を吐いて動くものだから、子供たちが寄ってきた。

 特派員の記述によると、ここでの占領統治は微罪でも厳しく罰する大佐の方針もあって、日本人から反感を買うことはなく、統治のお手本として米軍関係者が尋ねに来たこともあったという。女性が履くスカートのような服を着た将校さん、と奇異の目で見られていたこともあったが、それも含めて人々の印象に残った、ともある。

 私はこの記事もともかく、もうひとつ気になったのが後ろに写っていた機関車の写真でした。かなり癖のある形をしており、ここから撮られた場所が分かるのでは、と思いました。そんなときに役に立つのが沿線在住ベテランモデラー氏です。この写真を見せたところ即座に「これ、埴原(はにわら)の2号機だろ」と答えが返ってきました。埴原鉄道と言えば戦前から電化されていたはずですが、戦時中に入れ替え用のCタンクを日本国内のどこかから持ってきたようです。英連邦軍の占領は主に中国、四国地方でしたが、日本海側の小さな県でも統治が行われていたとネットの記事にありました・・・

 とここまで書きましたがこの写真、恒例のエイプリルフールでございます。英軍将校はこのブログで幾度も登場したミニアート製です。

タータンについては地色を緑系の色で塗った後、薄く溶いた赤、黄、白などを塗っていきました。服のチェックを再現する技法は40年以上前にモデルアート誌でおおくらとしおさんが解説されていましたが、私もその技法(というほどではありませんが)に依っています。片手に指揮杖のようなものを持っていますがこちらはプラ製で折れてしまいましたので、真鍮線で作りなおしています。

 

手前のドラム缶には小さな鉄道車輛があります。

こちらはトミーテック1/700の機関車と貨車で、同スケールの艦艇と合わせて軍港の模型を作るためのアクセサリーキットです。機関車の形はいわゆる「産業用機関車」といったところです。色を外国型っぽく塗りました。人形が1/35ですから、1/20くらいの感覚でしょうか。

 

バックの機関車についてはこちらです。

バックマン聖HOゲージのCタンクです。ずいぶん前に購入し、焼鉄色などでだいぶきつめにウェザリングしました。日本ではあまり見かけない形の機関車ですね。

 

きっとこの新聞記事の写真はこんなシチュエーションで撮られていたのかな。

こちらはブロンコモデルの英軍・英連邦軍の従軍記者セットです。

記者はこんなところでタイプを打っていたようです。

頭部はキットのオリジナルではなく、タミヤのドイツ軍オートバイ伝令のものに手を加えています。

後ろの車輌も相当癖がありますねえ。

ちなみに本文中に出てくる「埴原鉄道」ですが、これは筆者が作った架空の地方私鉄です。地図や時刻表を探しても出てきませんので念のため。

 

ワーズレー大佐については母国に帰った後、当時イギリスで保存への機運が高まっていた保存鉄道へのボランティアなどで余生を過ごした、などと想像しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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ワールド工芸、廃業へ

2025年03月31日 | 鉄道・鉄道模型

 年度末にとても残念な話です。鉄道模型メーカーとして真鍮製品を得意としていたワールド工芸が廃業するというニュースを先日聞きました。1970年代に発煙装置を組み込んだ製品などを手掛けており、鉄道模型趣味誌には「発煙装置のワールド工芸」という広告が出ていたのを思い出します。

 やがて真鍮製の機関車などを手掛けるようになり、旧型電機や私鉄の電気機関車、SLなど他社であまり製品がないものを中心にリリースしていたように思いますが、特に90年代以降は真鍮製品ならではの精巧さで、ファンを獲得していたように思います。古典機などの製品化も積極的で、値段もあってなかなか手が出ませんでしたが、魅力的な製品もありました。

 今回の廃業の話、どのような理由なのか私は知りませんが、数十年と続けてきた鉄道模型メーカーとは言え、小さな企業だったでしょうから、会社を続ける、ということが難しくなる要因がいろいろあったのでしょう。鉄道模型メーカーとは言っても小さな所帯も多いですから、こういう話が続くのではと危惧しています。

 さて、ワールド工芸というと蒸気機関車や電気機関車のイメージが私などは強いですが、こんな変わったものもありました。

小田急のSSE車です。

連接車体も精密に再現されています。

 

 

下回りはトミックス製を使っています。

 

そしてディーゼル機関車も。

進駐軍が持ち込んだDD12です。

進駐軍の黒塗装、8500です。

そして国鉄の茶色塗装です。

私のコレクションの中でも、ワールド工芸の製品は、やはり異彩を放つものが多く、また「よくこの車輛を製品化してくれました」なものも多いです。ちょっと違った光を放つような製品をたくさん出していただき、ありがとうございました。

 

 

 


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