諫早の水門をながめたあと、
車は、島原に。
通りすがりに見えたお城がありました。
寄ろっ!
美しいお城でした。
▼島原城 長崎県島原市
別名、森岳城、高来城。
寛永元年(1624年)築城。
江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。
成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、
総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。
火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、
関わった領民の一揆を引き起こす一因となった。
*【島原の乱】江戸時代初期に起こった日本の歴史上最も大規模な一揆
明治以降は廃城処分となり建物などは撤去された。
1960年ごろから復元がすすむ。
現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている。
▼桜のころはにぎやかなんだろうな。
お堀のなかは、菖蒲かな。
▼そして見えて来たのは、雲仙普賢岳。
雲仙岳(うんぜんだけ) 長崎県の島原半島中央部にある火山
広義では普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰、野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の
五岳からなる山体の総称。「三峰五岳の雲仙岳」と呼ばれる。
狭義ではいわゆる「三峰五岳」のうちの「三峰」を指すこともある。
恥ずかしいことに、噴火のことはうっすらとしか憶えていませんでした。
だから、立ち寄った道の駅「みずなし本陣」の横の「土石流被災家屋保存公園」を見たとき、
災害のあとを復元してあるんだと思いました。
が、海の近くにあるこの辺りも土石流に埋まったのですね。
「土石流被災家屋保存公園」
平成4年8月8日~14日の土石流により被災した家屋11棟を
当時の状況のまま保存(1棟は移築)。
この公園周辺は約2.8~3mほど土砂物で埋没したが、
土砂物の流れてくるスピードが緩やかだったため、倒壊はせず土砂物に埋もれた。
江戸時代の大噴火。
1792年5月21日(寛政4年旧暦4月1日)に雲仙岳眉山で発生した山体崩壊と
これによる50m高の津波災害は、
「島原大変肥後迷惑」と呼ばれる、肥前国と肥後国合わせて死者、
行方不明者1万5000人という、有史以来日本最大の火山災害となった。
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