●苔玉ごろごろ、だから苔想●●【道草めも】

~苔玉【Moss ball】という、緑の地球。野想系~

●熊本城の大銀杏。<九州編その3>

2014年01月17日 | 番外編<その他>

最近になって、
お城(城跡も)が好きなんだ、と気がつきました。
歴史はニガテだけど、そこにある確固とした石と意志。

で、あの黒いお城が見たいなとリクエストしていました。

【熊本城】熊本県熊本市に存在する日本三名城の一つ。
(三大名城は、諸説がある)
1607年、茶臼山と呼ばれた丘陵地に
加藤清正が当時の最先端の技術と労力を投じて築城。
大阪城や名古屋城、姫路城などとならび日本を代表する城の一つ。

天守閣が炎上したのは、
西南戦争薩軍総攻撃の3日前、明治10年(1877年)。
御天守御廊下付近から出火し、天守閣と本丸御殿一帯が全焼。

原因は台所からの「失火説」、
薩軍の「放火説」、
鎮台(ちんだい)自ら火を付けたとする「自焼説」があるが、
時代遅れの天守閣を焼き、兵に籠城を覚悟させるため、
司令長官の谷干城(たにたてき)が命じ、
参謀の児玉源太郎(こだまげんたろう)が火を付けた、
という説が現在では有力になりつつある。

わ、ほんまに黒い。



▼大天守閣と小天守閣。



▼旅行中、よい子にしていましたが、
ご機嫌はあまりよくありませんでした。
ここでも、モネが居るので天守閣には上れません…。





▼首掛石。



▼ぐるっと回り込んで、反対側が天守閣の入り口です。


▼いちばん印象に残ったのは、銀杏の大木でした。


手前の枯れ木が焼けた部分なのかな?
後ろから復活して、育って大木になっています。
熊本城は、銀杏城とも呼ばれるそうです。



▼銀杏の木のすぐ横にこんなものもありました。




【熊本城の銀杏の木】
「銀杏城」という名の由来になっているのは、
城内に植えられた銀杏の木である。

これは、篭城戦になった時の食料確保のため、
築城時に加藤清正がこの銀杏を植えたという。
朝鮮出兵での蔚山城籠城戦で
食料不足に苦しんだ経験を生かしているといわれているが、
この銀杏の大木は雄木なので実はならず、
城内を知らない者が後世創った俗説と考えられる。

清正は「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時にこの城で兵乱が起こるだろう」
とつぶやいたという言い伝えがある。
明治時代、清正が植えた銀杏の木は天守とほぼ同じ高さになっていたが、
明治10年に西南戦争が起こり、熊本の城下が戦場となった。

同様に篭城時の食料の確保に関して、
清正は城内の建物の土壁に干瓢(かんぴょう)を塗篭め、
畳床には食用になる里芋茎を用いて備えたという。


▼すぐ横にある加藤神社へ。







熊本では、のびのびと育つ楠(クスノキ)の大木をよく見かけました。
美しい街でした。




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ブログを始めたのは糖尿病で目が不自由な愛犬「ルナ」がキッカケ。ハンドルネームは同じく「るな」です。趣味は苔玉づくり。つくりすぎて家の外も中も苔玉ごろごろ。植物名を覚えるのがもっかの目標です。
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