議論の仕方が間違ってないか?
本音で語るって、議論になるのか。本音で語ったら「年収は1兆円」「税金ゼロ」とか、
そういう奴が続出するのが本音じゃないか。でも「世の中から貧困を無くしたい」とか
「お金のない人でも一定の医療を受けられるようにすべきだ」とか、建前やキレイ事が
あるから議論が成立するのだ。我々は社会に生きている。本音で議論をしたら個人の
価値観やエゴがぶつかり合って平行線が続くだけだ。
勿論、僕は日本の政治家のように、その問題については「しっかり調査して」「しかる
べき部署に指示をだして」「きっちりやる」とか、空虚で上滑りの発言を「建前」と
言っているのではない。こんなことは、当たり前で議論にすらならない。政治家が、
ある問題に対して「しっかり調査してきっちりやる」のは当たり前で、やらないのは
職務放棄だ。議論の余地はない。秒殺だ。
日本人は「本音」と「建前」とを使い分けるという話は多分嘘だ。日本人ほどナイーブに
本音をさらけ出す人々はいない。本音で話すことが議論だと勘違いしている。欧米、特に
アメリカの政治家をみて欲しい。建前とキレイ事ばかり。でも、あまりに建前とキレイ事を
論理的かつ、ストーリーにして語るので、これが本音なんだろうと聞く側に思わせてしまう。
ちょうど、相手を騙そうと思って詐欺をするのではなく、心からそれを信じていて結果として
詐欺になってしまった、という感じだ。話し手は自分の建前を心から信じているから、
聴く方もそれが建前には1ミリも聞こえない。(その建前の話が)心からの本音だと感じて
しまう。そういう建前の話があるから、次は程度の問題に入っていけるのである。
税率は5%がいいのか、10%がいいのか、というようなレベルの話だ。
誰がどう考えても税金(国の収入)は必要だ。それがあるから現代社会の中で必ず一定割合は
存在する社会的弱者をヘルプしたり、万が一の為のセーフティーネットをつくったり
することが出来るのだ。その建前があるからこそ、じゃあ年収いくらの人は負担がいくら、
という具体的な指標や程度問題に入っていけるのである。それが建設的で生産性のある、
前向きな議論だ。
個人のエゴや自己中心的な思考で議論をしても、時間の浪費だ。同じように、相手の意見を
叩き潰すのも議論ではない。どのような社会をつくるべきだ、どのような街をつくるべきだ
というキレイ事や建前を、お互いに論理的にストーリー立てて語り、聞き、批判と代替案は
セットで行うのが議論だ。これは政治家の話をしているのではない。我々市民の話をして
いるのだ。とにかく、議論は建前ですること。本音ではしないこと。
ある地方で本音で語る議論ばかりしていて、まったく物事が前に進まないというレポートを
NHKでやっていた。それを見ての感想。
本音で語るって、議論になるのか。本音で語ったら「年収は1兆円」「税金ゼロ」とか、
そういう奴が続出するのが本音じゃないか。でも「世の中から貧困を無くしたい」とか
「お金のない人でも一定の医療を受けられるようにすべきだ」とか、建前やキレイ事が
あるから議論が成立するのだ。我々は社会に生きている。本音で議論をしたら個人の
価値観やエゴがぶつかり合って平行線が続くだけだ。
勿論、僕は日本の政治家のように、その問題については「しっかり調査して」「しかる
べき部署に指示をだして」「きっちりやる」とか、空虚で上滑りの発言を「建前」と
言っているのではない。こんなことは、当たり前で議論にすらならない。政治家が、
ある問題に対して「しっかり調査してきっちりやる」のは当たり前で、やらないのは
職務放棄だ。議論の余地はない。秒殺だ。
日本人は「本音」と「建前」とを使い分けるという話は多分嘘だ。日本人ほどナイーブに
本音をさらけ出す人々はいない。本音で話すことが議論だと勘違いしている。欧米、特に
アメリカの政治家をみて欲しい。建前とキレイ事ばかり。でも、あまりに建前とキレイ事を
論理的かつ、ストーリーにして語るので、これが本音なんだろうと聞く側に思わせてしまう。
ちょうど、相手を騙そうと思って詐欺をするのではなく、心からそれを信じていて結果として
詐欺になってしまった、という感じだ。話し手は自分の建前を心から信じているから、
聴く方もそれが建前には1ミリも聞こえない。(その建前の話が)心からの本音だと感じて
しまう。そういう建前の話があるから、次は程度の問題に入っていけるのである。
税率は5%がいいのか、10%がいいのか、というようなレベルの話だ。
誰がどう考えても税金(国の収入)は必要だ。それがあるから現代社会の中で必ず一定割合は
存在する社会的弱者をヘルプしたり、万が一の為のセーフティーネットをつくったり
することが出来るのだ。その建前があるからこそ、じゃあ年収いくらの人は負担がいくら、
という具体的な指標や程度問題に入っていけるのである。それが建設的で生産性のある、
前向きな議論だ。
個人のエゴや自己中心的な思考で議論をしても、時間の浪費だ。同じように、相手の意見を
叩き潰すのも議論ではない。どのような社会をつくるべきだ、どのような街をつくるべきだ
というキレイ事や建前を、お互いに論理的にストーリー立てて語り、聞き、批判と代替案は
セットで行うのが議論だ。これは政治家の話をしているのではない。我々市民の話をして
いるのだ。とにかく、議論は建前ですること。本音ではしないこと。
ある地方で本音で語る議論ばかりしていて、まったく物事が前に進まないというレポートを
NHKでやっていた。それを見ての感想。
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