鈍いなまくら刀で社会を斬る!

デザイン・サッカー・世の中など思ったことを(出来るだけ)冷静に、(極力)論理的に

議論は建前でやりましょう

2014年09月26日 00時16分24秒 | 考え事
議論の仕方が間違ってないか?

 本音で語るって、議論になるのか。本音で語ったら「年収は1兆円」「税金ゼロ」とか、
そういう奴が続出するのが本音じゃないか。でも「世の中から貧困を無くしたい」とか
「お金のない人でも一定の医療を受けられるようにすべきだ」とか、建前やキレイ事が
あるから議論が成立するのだ。我々は社会に生きている。本音で議論をしたら個人の
価値観やエゴがぶつかり合って平行線が続くだけだ。

 勿論、僕は日本の政治家のように、その問題については「しっかり調査して」「しかる
べき部署に指示をだして」「きっちりやる」とか、空虚で上滑りの発言を「建前」と
言っているのではない。こんなことは、当たり前で議論にすらならない。政治家が、
ある問題に対して「しっかり調査してきっちりやる」のは当たり前で、やらないのは
職務放棄だ。議論の余地はない。秒殺だ。

 日本人は「本音」と「建前」とを使い分けるという話は多分嘘だ。日本人ほどナイーブに
本音をさらけ出す人々はいない。本音で話すことが議論だと勘違いしている。欧米、特に
アメリカの政治家をみて欲しい。建前とキレイ事ばかり。でも、あまりに建前とキレイ事を
論理的かつ、ストーリーにして語るので、これが本音なんだろうと聞く側に思わせてしまう。
ちょうど、相手を騙そうと思って詐欺をするのではなく、心からそれを信じていて結果として
詐欺になってしまった、という感じだ。話し手は自分の建前を心から信じているから、
聴く方もそれが建前には1ミリも聞こえない。(その建前の話が)心からの本音だと感じて
しまう。そういう建前の話があるから、次は程度の問題に入っていけるのである。
税率は5%がいいのか、10%がいいのか、というようなレベルの話だ。

 誰がどう考えても税金(国の収入)は必要だ。それがあるから現代社会の中で必ず一定割合は
存在する社会的弱者をヘルプしたり、万が一の為のセーフティーネットをつくったり
することが出来るのだ。その建前があるからこそ、じゃあ年収いくらの人は負担がいくら、
という具体的な指標や程度問題に入っていけるのである。それが建設的で生産性のある、
前向きな議論だ。

 個人のエゴや自己中心的な思考で議論をしても、時間の浪費だ。同じように、相手の意見を
叩き潰すのも議論ではない。どのような社会をつくるべきだ、どのような街をつくるべきだ
というキレイ事や建前を、お互いに論理的にストーリー立てて語り、聞き、批判と代替案は
セットで行うのが議論だ。これは政治家の話をしているのではない。我々市民の話をして
いるのだ。とにかく、議論は建前ですること。本音ではしないこと。

ある地方で本音で語る議論ばかりしていて、まったく物事が前に進まないというレポートを
NHKでやっていた。それを見ての感想。

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