鈍いなまくら刀で社会を斬る!

デザイン・サッカー・世の中など思ったことを(出来るだけ)冷静に、(極力)論理的に

マツダデザインと東京の街並み

2019年07月09日 00時38分38秒 | デザイン
マツダのデザインの良さはもう誰も異論はないと思いますが、
私は異論を感じている今日このごろです。

マツダの車はデザイン良いです。間違いない。
それも谷崎の陰翳礼讃の方向性でのセンスの良さ、かっこ良さなんですよね。

でもね、結局、それを東京の街で走らせると浮くんですよ。

街がデザインされていないので、全くマッチしない。
マツダの車のCMもモダンな建築や、美しい町並みといったCMですよね。
東京の都心の風景に合う車ではない。

むしろ、東京都心のカオスな街には、キモプリウスや
オラオラヴェルファイアの方が圧倒的に似合うんですよね。
ただ、東京の都心に住んでいる人は、そういう車を買う人はいないので
外から来る人がそういうの乗っているという、またこれ微妙なところなんですけど。

閑話休題、とにかくマツダデザインが東京都心には合わないと最近思い始め、
マツダデザインに合わせて都市空間側が変わらないといけないのだなと思い
都市空間を変えるにはそこに生活している我々が変わらないといけない
と思い至ったわけです。

そして、我々が変わるためには、国産車で言うとマツダの車のような
ちゃんとしたデザインの車を日々の生活の中で使うことが必要なんだと、
ループしながら考えるわけです。

で、結論的には、東京都心の街並みにマツダの車はマッチしないけど、それを我慢して
維持することで、人間側が学習して街並みをきれいにし、生活を美しくするようになる。

その日が来ることを夢見てマツダには美しい車を作り続けて頂きたいと思うのです。
東京の街が変わるまで。

ノートルダムの再建は新デザインで!

2019年05月11日 00時13分02秒 | デザイン
ノートルダム大聖堂ですが、残念なことに火災で焼失してしまいました。
本当に火災、火事、炎というのは恐ろしいものだと再認識させられました。

しかしながら、無くなってしまったものは取り返しがつきません。
寄付はいっぱい集まったようで再建は問題なく出来るでしょう。
問題はどのような建物を立てるか、ということです。

結論を書きますと、新ノートルダム大聖堂の尖塔デザインは、どう考えても
新しいデザインで行くのが正しいです。

焼失した建物も3Dデータはあるようなので全く同じものの再建は可能です。
しかしそれはやってはいけません。昔のままだと、ただのコピーですから。
東武ワールドスクウェアと同じです。
中国の内陸部の微妙なネズミとか微妙なモビルスーツの遊園地と同じです。

最新の技術とデザインとで新ノートルダム大聖堂の尖塔をつくるべきです。

なんて考えていたら、先日、TBS「クレイジージャーニー」で面白い回を見ました。
ニューヨークで100年前のリーバイス501を再現して販売している日本人職人がいる
という特集でした。

彼の501の再現は、道具から入っています。

二本針のミシン、ボタンホール作成機、ほつれ防止縫い機など
当時のものをアメリカの潰れた縫製工場からサルベージして、メンテナンスをして
使っていました。その心は「当時の道具がなければ当時の製品は再現出来ない」。
つまり当時の501に近づける為に当時の道具を揃えているのです。

逆説的ですがそれは全く正しい。

焼失したノートルダム大聖堂の尖塔は、当時の技術の粋を集めてつくられたものです。
あのデザインは当時の建築技術と工法がなければ実現出来ないですし、当時最先端の
建築技術と工法があったからこそ実現出来た(当時の)最新デザインなのです。

もし焼失した尖塔をそのまま再生するなら、当時の建築技術や当時の材料に近いもの、
近い製造方法を研究して、現代の道具であるクレーンやドリルを使わずに当時の工法で
つくりあげる必要があります。そうでなければただのパクリです。

当時のやり方で再建するという考え方を選択して、それにお金を使うのもアリですが、
私は過去を振り返らず未来を見て、現在の最先端の技術・工法・材料で出来る
最高のデザインをノートルダム大聖堂に適用し、100年後、200年後の人類へのレガシー
とするべきだと思うのです。

私にデザインを教えてくれた某教授が言っていた
「元々コンセプトカーを作る時、フランスはクレー、イギリスは木を使っていた。
 それがフランス車とイギリス車のデザイン、曲線の違いになっている」
という言葉を思い出し、尖塔は新デザインにして欲しいと強く思う今日この頃なのです。
(フランス?イギリス?クレー??木??については、うるおぼえ)


数学は論理的というより抽象的

2018年12月06日 23時01分37秒 | デザイン
数学/算数ですが、これは論理的に考えることを学んでいると思っている人がいますが、
違います。
数学は抽象的に物事を考える、ってことを学んでいるのです。

数学でも当然、論理的に考えることも要求されますが、
それ以上に数学の最大の特徴は、抽象的に事象を操作する術を学ぶということです。

当たり前ですが国語や美術とかでも論理的に考えることを要求されますよね。
物語文を自由に読んで、最後に「どう思いましたか?」って質問して
適当な(とまでは言いませんが)感想を書かせるというのが小学生の国語で多いせいで、
国語は自由に感想を書くものだと思っている人が多いかも知れません。

国語は文章の基本的構造を理解した上で、書いてあることを勝手に自分の気持ちを入れずに
そのまま理解するという作業を学ぶことが本来の趣旨になります。そのよう方法というか
作法を体得した上で、感想や意見を戦わせたり共有したりする、ということが本当なのです。
この趣旨とそれを達成するための方法を小学校の時から教わらずに育ってしまうので、
大学生になって論文を書くときに苦労したり、非論理的な言説ばかりする大人が増えるのです。

論文を書く時、第2章に書く既往研究、先行研究や先行論文を読めない。
読んだとしてもそれを勝手に解釈して批判をしてしまう。
第2章には、言っていることをそのまま理解してそれをまとめればいいだけですが、
それが出来ない人がとても多いです。

話がそれましたが、数学/算数の抽象的に考えるということが一番発揮されるのは
プログラミングです。

プログラミングも個別具体的な事象やリアルに起こっている事象を抽象化して
コンピュータが処理できる構造に置き換えていく作業になります。

そして、何か新しいことを考える、イノベーションと言われている作業も
まさにこの抽象的に考える作業が重要になってきます。

個別具体的な事象を観察し、理解し、それを抽象化して考え、
個別具体的なな事象に戻すための仕組みを考える。

つまり、個別具体的な事業の因果関係を抜き出し、それを仕組み化して
誰が行ってもその因果関係を利用できるようにカタチにする、これがデザインであり
イノベーションのコア部分になるのです。

なんか思いもよらず、本質的な議論になりそうなのでとりあえずこんな感じで〜す!







エクストリームユーザを使ったイノベーション事例

2018年10月18日 02時10分04秒 | デザイン
釣り情報や河川増水の情報を流すボストンクラブのウェアラブルデバイス用のメガネフレーム
ですが、これは良いですね。フィッシュバスという会社と組んで福井でテストをはじめるそうです。

デザイン思考的な感じでいうと、フィールドワークでちゃんと現場が理解できている感じです。

メガネ型のウェアラブル端末は、Googleもかつて出して(当然)失敗しました。
それはフィールドワークを全くしていなかったからです。

Googleのそれは、同じようなメガネ型で普段日常で装着していると、周囲の全員が気味悪さ、
creepyな印象を持つデバイスでした。

アイデア一発とテクノロジー主導視点から言うと、普段しているメガネに情報が出たり
そこから情報収集出来たら面白いよね、というのは全く「Life」というか「日常世界」を
見ていないTechオタクなら誰でも考えることです。

「ドラゴンボールのスカウターみたいにさ」

って、多分100人中120人くらいが言ったと思います。

しかし、実際それを日常生活で使い、社会にフィットさせていくことは不可能です。
理由は簡単で、それは無目的に情報収集を行い、情報掲出を行うデバイスだからです。

目的のない商品、何かを達成しない商品(もしくは、何でも出来る商品)、
何かのソリューションにならない商品は絶対に社会に受け入れられません、
つまり、売れません。

しかし、このような究極の利用、Extreme Userが使うユースケースが見つかれば
十分に使えますし、売れます。

メガネ型でいうと、釣り、(アマチュアの)ゴルフ、手術、登山、飛行機の操縦、
ツール・ド・フランスなどなど、色々な現場を思いつきます。

このような現場を見に行き、参与観察をすることで真に解決すべき問題が見つかります。
この解決すべき問題、解くべき問題、そして解決できるように上手く問題設定が出来れば
イノベーションにつながる商品やサービスが出来るわけです。

このような方法がデザイン思考と言われているものです。

釣り用ウェアラブルデバイスは、イノベーションと言える商品になると思いますが、
もしならなくても、同じコンテクストで別の現場にはめていけば良いのです。

イノベーションにつながることを祈ります。

ジムニーをカッコいいと言ってしまう人

2018年07月21日 15時50分41秒 | デザイン
トヨタのデザインはホントにダメですね。
新しいクラウンも死ぬほどカッコ悪い。

プリウスやエスティマとか、カッコ悪いデザインは伝統とも言えますが、
本当にヒドいです。

日本車デザインは基本的にドイツ車のパクリですが、
最近は流石に巧妙化していて、わかりにくくなってきています。

ちなみに中国車の方が日本車よりデザインでは洗練されてきています。
それは、ドイツやイタリアの一流デザイナーを大金積んでヘッドハントで
連れてきて最先端のデザインをさせているので、
ヨーロッパでやられているデザインが表に出てきています。

ただ、中国車はブランドや歴史がないので、デザインをどうしてもやりすぎてしまう
傾向があります。ヨーロッパの自動車はそれぞれブランドがあり、歴史があるので
やりすぎたデザインはありません。

ヨーロッパでは、デザイナーの自由と自動車メーカーのブランドや歴史が
うまく融合し、昇華していると言うことが出来ますが、中国車はブランドや
歴史が無いので、どうしてもデザイナーの自由が勝ってしまい、ヨーロッパで
あれだけ洗練されたデザインをしてきたデザイナーもやりすぎるきらいがあります。

さて日本車に話を戻すと、スズキのジムニーもカッコいいとか
かわいいとか評判ですが、あれもメルセデスのGクラスのパクリです。

中国や韓国がジムニーをつくったら「パクリ!」って言いますよね。
でもスズキの場合は「Gクラスっぽくてカッコいい」と評価が高い。

一般の人から見たら、その程度なんですよね。デザインって。

センチュリーも、巧妙にロールスロイスに寄せているデザインですが
日本の匠推しなので誰も言わないですしね。


日中韓パクリ連合

2018年04月30日 18時39分08秒 | デザイン
中国車のパクリを笑うこの記事ですが
散々、日本車もドイツ車やアメリカ車をパクってきました。
日本車のデザインは外車デザインのパクリの歴史でもあります。

今現在もパクり方が巧妙になっているだけで、日本車は未だに
外車、特にドイツ車のデザインをパクってます。

こういう記事を、レベルの低い多くの読者は鵜呑みにしますので
やめたほうが良いです。

私がこの記事の何が問題だと言っているかというと、
言外に中国はパクリ文化で嘲笑の対象である(が、日本はそうではない)。
と言おうとしていることです。それは最後の一文に表れています。

「さすがに4000年の歴史を誇る国ともなれば、日本人には理解できないことがたくさんあるようです。」

これはヒドい。
無論、この記事のメインストーリーとしては間違ったことを書いていません。
そこは明確に言っておきます。

三栄書房の契約ライターが書いた記事だと思いますが、
車専門の出版社ですので、車に詳しいライターと契約していると思います。
ですのでこのライターは明らかに日本の自動車産業のパクリの歴史を知っているのに
それを意図的に無視して書いています。

そしてこの問題の本質は、日本人は自分達がやっているパクリに鈍感であることです。

散々、リバースエンジニアリングで先進国のパクリをして来て我々は先進国入りしました。
高度成長期とはそういうことです。既にあるものを安い労働力と日本人の勤勉さとで
安くて壊れてない商品として、自国も含む全世界に向けて販売して成長してきたのです。

そして成熟国家となった現在でも、ダイソンのパクリをしまくり、iRobot(ルンバ)のパクリ商品を
発売しまくっていることに気づいていながら、見てみないふりをしています。

中国や韓国を「パクリ文化」とバカにするのは良いですが、
その時は自分達の胸に手を当てて深く反省しながらバカにしましょう。

日本の産業界と我々消費者は、この記事を読んで、自らを恥じなければなりません。

デザイナーの欠点

2017年12月12日 23時58分09秒 | デザイン
日本の車のデザインがどれもダサいのは相変わらず。
問題は日本のカーデザインはドイツ・イギリス・イタリア車のパクリであること。
もっと問題なのは、パクリ方が巧妙になっていることだ。

日本にはデザイナーを強いポジションに持ってくるカルチャーがない。
権力を持つのは文系のエンジニアリングのわからない調整型人間か
エンジニアリングしかわからない論理型人間。
たまにマーケティングをやっている広告型人間や
研究畑の技術至上型人間が出て来る

調整型人間は、人事部や経営企画部、営業推進部などのコストセンターで
カネを稼ぐことを知らずに権力を持ってしまうので、基本は前例踏襲。

論理型人間は、エンジニアリング一筋。
途中からプロマネとかやって人を差配することを覚えて権力を持つ。
基本は論理的に考えて破綻することはやらない。

広告型人間は、アドバルーンをあげることに注力。
技術至上型人間は、MOTのような終わった考え方で、
「河」「谷」「海」などつくりまくり。

その点、デザイナーは本当なら経営者になれる。
でも、問題なのはデザイナーは数字と論理と歴史に弱すぎ。
これが致命的。
だから権力を持てない。
イタリアの超名門カロッツェリアを辞めて独立した
超有名デザイナーもこれが問題で、鳴かず飛ばず。

#実を言うと本当は建築家が経営者に近いけど、これはこれで問題
#この件はまた別途

デザイナーが権力を持てれば日本の車は変わる。
裾野の広い自動車産業だから、もしかしたら日本の産業自体が
変わるかも知れない。

だから、デザイナー諸君。
数学と論理と歴史をちゃんと学んで、頑張ってくれたまえ。
期待している。




日本の巧妙なデザイン剽窃

2017年10月13日 00時44分31秒 | デザイン
前にも書いたけど。

日本の車のデザインのパクリ具合が巧妙になってきた。
トヨタの新型センチュリーも、ロールスロイスのぱくり。
復活スープラもフェラーリのぱくり。

兎に角、日本のデザインはパクリすぎ。
日本人は世の中を知らないので、韓国や中国が
パクってると思っているが、日本も散々パクってる。

ただ、そこまで露骨にはパクってない。
本当に巧妙になっていて、複数ブランドの複数パーツの
デザインをそっとパクっているのだ。

たちが悪い。

サイアクデザインのNSX

2017年02月22日 01時31分48秒 | デザイン
ホンダNSX。デザインサイアク。
外側はまあまあ。60点。
内装がサイアク。18点。

なんかデザイン力なさすぎ。
2,400万円の車とは信じられない。
メルセデスのCクラス(安いのなら1/5で買える)の方がカッコイイ。

R8やマクラーレン、コンチネンタルでもイイ。
同価格帯の車がどんなデザインクオリティでやっているか
研究してないのだろうか。

普通しているよね。
他社の研究もした上であれってことは、
相当なポンコツデザインディレクターがいるってことだよね。

残念。

水戸岡デザインやめません?

2017年02月22日 01時16分50秒 | デザイン
電車のデザインといえば、水戸岡さん。
JR九州を中心に沢山の列車をデザインしている。

どれもクソみたいな最低のデザイン。
問題は、マスコミやいろんな人が持ち上げるから
あれが良いと思っている人が多いこと。
デザイン的にはサイテー。

王様は裸だ!と誰か言わないと。

というわけで、言ってみた。

DeNAのイノベーション

2016年12月08日 01時27分25秒 | デザイン
DeNAのイノベーションは不可能だろう。
というか、大企業でイノベーションを行うのは無理だ。

デザイン思考コンサルタントが、大企業に対してイノベーションコンサルを
しているのは、英会話やジムと同じビジネスモデル。
「イノベーションが起きないのはあなたのせい」
「あとちょっとやればイノベーションが起きる(から来期も契約よろしくね)」
の繰り返し。

東証一部に上場している大企業でイノベーションが起きるとかないから。絶対。
ベンチャーでしか起きないから。

ちなみに、上記で言っているイノベーションは破壊的イノベーションとか
ラディカルなイノベーションとかのことです。
漸進的なイノベーションのことではありません。

佐野研二郎の葬式

2016年11月09日 02時35分01秒 | デザイン
多摩美の佐野研二郎の葬式。
芸大ならもっとちゃんと考えたアートにしただろうね。

あんなレベルだからデザインをやっている奴が軽く見られる。
全く何も考えていない悪ふざけとしか言いようがない。
彼らは三流デザイナーとして、電通にふられた下請けの仕事を
一生やっていくだろう。

千原ジュニアが「アートとしての完成度低すぎ」と言っていたが
一番しっくり来るコメントだった。

メディアスクラムで佐野研二郎というデザイナーが抹殺されたと
いうのなら、別の表現があったし、佐野研二郎がデザインを殺した
というなら佐野研二郎の葬式はおかしいだろう。

「いじめだ」と言っているのがいるらしいが、
佐野研二郎は多摩美で教えていたんだよ?
学生にCとかつけることが出来る立場。
反論もいくらでも出来る立場。
普段生活している場も違うし、ステージが違う。
いじめでもなんでもない。
学校で同級生に陰湿な葬式ゴッコをされているのとは全く違う。

兎に角、今回のことは全て「表現が稚拙である」ことに尽きる。
とことんまで考えていない人たちがやった悪ふざけだ。

佐野研二郎も反論も何もしないだろう。
「馬鹿じゃないの」でおしまいだろう。
なぜなら彼らのやったパフォーマンスは論評に値しないゴミ表現であったからだ。