お腹もいっぱいになったところで向かったのは、重要文化財の「江川邸」。
「表門」ですが、左手に見える看板は「篤姫」です。
NHKの大河ドラマ「篤姫」の撮影場所として使われたそうです。
主屋の原型は、関が原の合戦が行われた慶長5年(1600年)に建てられたと推定され、その後江戸時代に何度か改造・修築が行われ現在の形となっていますが、代々徳川幕府の代官を世襲し伊豆の豪族であった者の館の様相がよく残されています。
←高さ12メートル余の大屋根を支える豪壮な架構がこれ!「小屋組み」と呼ばれているようです。
何百年以上にもわたって残されているということは、一度も「火災」にあっていないということで、「縁起」がいいと考えられ、江戸城の修復の際、この建物の一部の木が「お守り」として進呈されたとか。
火災にあっていないということで、様々な「古文書」も残されていて歴史を学ぶ上ではとても重要な場所でもあります。
特に古文書の多くは「墨」で書かれていますので、年月の経過で「紙」は風化しても「墨」の部分は残っているとか!
そのため、現代でも「後世に残す文書は墨で書く」方向になってきているとも聞きました。
これってすごい!
特に、36代江川太郎左衛門英龍が代官として活躍した幕末の時代は、欧米の列強がアジの各地を転々と植民地化した時代であった。
彼は蘭学を修め、渡辺崋山や高野長英らと交流し外国の社会事情や国際情勢を知り、日本のおかれた立場を憂慮したようです。
そのため、様々な建議を幕府に対して行っています。
江戸湾の防備、農兵訓練、西洋の砲術の研究、測量技術の研究と実施・・・etc,
おもしろいのは「パン」の製造です~~。日本で始めてパンを焼いたのがこの「江川邸の土間」らしい~~~→この「かまど」の左横に「パンを焼いたといわれる「鉄板」がありました。
そうすると~~、韮山は「パンの発祥の地」なんでしょうか・・・そのわりに「売り」にしてない(笑い)。
1849年に国防の重要性を幕府に建議し許可をえて築造した「大砲を製造する反射炉」は、「韮山の反射炉」としてかなり有名~~(?)。
近隣の小学生は、必ず一度は「見学」をしています。
私なんか何度も~(笑)。
ここで造られた大小の砲は、東京・台場で使われたものです。
炉体は外側が「伊豆石積み」、内側が「耐火レンガのアーチ積み」で、佐賀藩に次いで築造されたのものですが、完全な形で現存するのは「我が国唯一」のものですので、今「世界遺産への登録」を考慮(申請だったかな?)中とか~~、規模的にちょっと無理でしょう・・・(苦笑)。
ここで、お勉強は終わり、後は恒例の「買い物ツアー」~~きゃははは
途中の「村の駅」で、皆さんドッサリ~~お買い物~~♪
楽しいバスの旅は終りました~~♪ お疲れ様。