柴又駅には、ご存知「渥美次郎」の扮する「車寅次郎」の像があります。
たくさんの人たちが寅さんと一緒に「記念撮影」をしてました~~(笑)。
「庚申まいり」の江戸の人びとが灯をかざして通い来たこの道につながれば、病即消滅・不老不死!
修羅の巷をめぐりながら、救いの御手を垂れた、あの日の板本尊・帝釈天。
そのあらわれの日の「庚申」は常に新しい生の「更新」でもあったのだ。
帝釈天題経寺山主 望月日翔
↑↑なんだか難しいことが書いてありましたが・・・有名な「「帝釈天」への参道は、たくさんの人たちで賑わっていました。
左は「二天門」。
総欅造りで、日光東照宮の陽明門を模したと言われています。
右は「帝釈堂」。・・・堂内の中に入り「ご本尊様」を拝顔させて頂きました。
→ちょうど「消防車と消防署職員の方々」がお払いを受けていました・・・
消防車が「新車」?
それとも、「火事撲滅」?
「草だんご」を食べながら、撮影に使われたという「階段」も見せて頂きました(笑)。
「矢切の渡し」
伊藤左千夫の名作「野菊の墓」の舞台でもあり、ヒット曲「矢切の渡し」や「寅さん」でも有名な渡しです。
今、都内に残る唯一つの渡し場だとか。
手漕ぎの和船が対岸の松戸市下矢切との間を往復していますが・・・値段は「その割りにちょと高い~」と思いました(笑)
{1616年(元和2年)に、幕府が利根川水系河川の街道筋の重要地点15ヶ所を定船場として指定し、それ以外の地点での渡河を禁止したそうです。その1つが国分道に架かるこの矢切の渡しで、主に近郊の農民が対岸の農耕地に渡るために利用していたと公式HPに書かれています}
満開の花の下で「桜まつり」が行われていました。